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    親子チョコ💗(500冊以上の良質な書籍のご紹介)

    子どもたちの教育のため、また、その親である私たち自身が学ぶための、読まれるべき良質な書籍のみをご紹介させていただきます。

     >  経済学 >  「集産主義 (collectivism) 」 と岸田文雄が目論む “分配”

    「集産主義 (collectivism) 」 と岸田文雄が目論む “分配”

    A storm is coming 273

    本日のキーワード : 隷従への道、ハイエク、自由主義、社会主義、計画経済、分配、集産主義



    Breaking the Spell
    呪縛を解く ⑧

    The Holocaust: Myth and Reality, Overview of the book by Dr. Nicholas Kollerstrom

    ホロコースト : ニコラス・コラーストロム博士の著書 「神話と現実」 の概要

    Breaking the Spell

    The ‘Six Million’
    その数、600 万人 (三)

    As mentioned earlier, no attempt was made at Nuremberg to factually determine the total number of people who had died in the camps during the war. Thus, as clearly affirmed by the French historian Vincent Reynouard, “At Nuremberg, no statistical survey was ever undertaken …..to determine the number of missing Jews.” What the Trials did rely on (apart from Hoss’ testimony relating to Auschwitz only) was a statement given by SS agent Wilhelm Hottl who testified, on condition of his life being spared, that he had once heard such a story from Adolf Eichmann (attesting to the ‘six million’), in August 1944, but which Eichmann later denied. As Kollerstrom remarks, “That was all! And thereby the magic number came to infest all of our minds.”
    前述したように、ニュルンベルクでは戦争中に収容所で死亡した人々の総数を事実に基づいて確定しようとしたことはなかったしたがって、フランスの歴史家ヴァンサン・レイヌアール氏がはっきりと断言しているように、「ニュルンベルクでは、行方不明のユダヤ人の数を割り出すための統計調査は行なわれなかった…」 のである裁判が参考にしたのは (アウシュヴィッツだけに関係するホスの証言は別として)、SS (ナチス親衛隊) 工作員ヴィルヘルム・ホットルが自分の命を保証する条件で1944 年 8 月にアドルフ・アイヒマンからそのような話 ( 「 600 万人」 を立証する言葉)を聞いたことがあるアイヒマンは後に否定したと証言していることであったコラーストロム氏が言うように「それだけだ!」そしてこの魔の数字が私たちの心の隅々にまで蔓延するようになったのだ」 と述べている。

    A storm is coming 222

    ナチス親衛隊旗
    ナチス親衛隊旗

    Is Zelensky a Cousin of George Soros?

    We have briefly inspected two primary source documents, namely the ‘Auschwitz Death Books’ and the Arolsen Archives, but there are more.
    我々は、2 つの一次資料、すなわち、『アウシュビッツの死者の記録』 と 『アロルセン文書館』 を簡単に検証してきたが、さらに多くの資料が存在する。

    In the mid-1990s the British Intelligence Decrypts from Bletchley Park were released. These documents comprise the radio intercepts from Auschwitz made possible by the famous breaking of the German Enigma code. The decrypts covered the crucial thirteen-month period from January, 1942 to the end of January, 1943. They record daily arrivals and departures of inmates, shipments of coal and coke etc. Expectant hands combed these priceless archives for what, it was thought, would undoubtedly reveal prima facie evidence of the great crime. It was, however, merely a great embarrassment when no such evidence was forthcoming. Not a crumb.
    1990 年代半ば「ブレッチリー・パーク英諜報部暗号解読文書」 が公開された。これらの文書は、かの有名なドイツのエニグマ暗号の解読によって可能となったアウシュビッツからの無線傍受から構成されている。解読されたのは、1942 年 1 月から 1943 年 1 月末までの 13 ヶ月間の重要な期間である。そこには、日々の収容者の出入り、石炭やコークスの輸送などが記録されている。この貴重な記録から間違いなく大犯罪の動かぬ証拠が見つかると期待されたしかしそのような証拠が出てこなかったのはただただ困惑するばかりであった一片の証拠もなかったのである

    What these transcripts do speak to are the daily comings and goings of inmates to the giant Buna-Monowitz industrial plant just two miles east of Auschwitz. Thus, one entry records,
    これらの記録は、アウシュビッツの東 2 マイルにある巨大なブナ・モノヴィッツ工業工場への収容者の日々の出入りを物語っている。例えば、次のように記録されている。大きい文字

    “The use of prisoners for war industries on a large scale is discussed below…..the largest transference is the move of Jews to AUSCHWITZ for the synthetic rubber works. Another major movement is the transference of sick prisoners to DACHAU.”
    「大規模な軍需産業への囚人の利用については後述する...最大の移送先は合成ゴム工場のためのアウシュビッツへのユダヤ人の移送である。もう一つの大きな移送は、病気の囚人のダッハウ収容所への移送である。」

    They also mention a major outbreak of typhus in the summer of 1942 and measures to contain it. Thus, this quote from the January 1943 summary about Auschwitz,
    また、1942 年夏にチフスが大発生し、それを食い止めるための措置についても触れている。1943年1月のアウシュヴィッツについての概況からの引用である。

    “The Bunawerk is still employing 2210 men of whom 1100 are on the actual work. Jewish watchmakers are sent to SACHSENHAUSEN where they are urgently needed. Typhus cases continue to be reported although strenuous measures have been adopted and 36 cases were found among the new batch of prisoners on 22 Jan.”
    「ブナワーク社は依然として 2,210 名を雇用しており、そのうち 1,100 名が実際の労働に従事している。ユダヤ人時計職人は、緊急に必要とされているザクセンハウゼンに送られる。チフス患者が引き続き報告されているが、徹底的な対策がとられており、1 月 22 日の新しい囚人集団の中に 36 人の患者が発見された。」

    But no evidence of mass killings.
    しかし大量殺戮の証拠はない

    226A storm is coming 225

    Indeed, there is a fourth primary source archive, to do with the intact coke records from Auschwitz, but one which we shall cover in the next section.
    確かに、アウシュヴィッツの完全な石炭記録に関する四つ目の一次資料があるが、それは次節で取り上げることにしよう。

    Hitler.jpg 習近平思想の着想者であり、中国的特徴を持つ社会主義の提唱者である習近平総書記

    パペット岸田・林

    『Breaking the Spell』 The Unz Review • An Alternative Media Selection

    投資家サーベイ結果発表 「岸田政権、支持しますか?」



    本日の書物 : 『隷従への道』 フリードリヒ・ハイエク 日経BP



    戦後の日本人は、正しい歴史を学校で教わって来ませんでした。

    そして、現代のメディアもまた、嘘の情報を流し続けています。

    私たち日本人は、親日的な立場に立ち、正しく認識し直し、

    客観的に情勢を判断する必要があります。

    それでは、この書物を見ていきましょう!




    『 本題に入る前に、もう一つ障害物を片付けておかねばならない。【誰も望まない事態へと私たちが突き進んでいるのは、ある混乱が大きな原因となっている】ので、それを解明しておく必要がある

     【この混乱は、社会主義の概念そのものに関わっている】社会主義はその究極の目的である社会正義や平等と保障の拡大という理念を意味するとされそのように定義されることが多いだが【社会主義】はこうした目標達成のために【大方の社会主義者が使う特定の方法をも意味する】のだし、【有能な人々の多くは、そうした方法こそが目標を短期間で達成する唯一の方法だと考えている】【この意味での社会主義は、民間企業の廃止、生産手段の私有禁止、「計画経済」 の導入を表す】計画経済】とは【利益追求企業に代わって中央の計画当局が経済を運営するシステム】である。

     社会主義の第一の意味しか考えずに社会主義者を自称する人が少なくない。彼らは社会主義の究極の目的を熱烈に支持するが、それが達成される方法は気にしていないかわかっておらず、いかなる犠牲を払ってもとにかく達成しなければならないとだけ確信している。だが、社会主義は単なる希望ではなく現実の政治目標だと考える人々にとっては、まず例外なく、近代社会主義に固有の方法こそが目的に劣らず重要なのである。その一方で、社会主義の最終目標は社会主義者に劣らず評価しながらも、その方法論に他の価値観を脅かす危険性を感じとって、社会主義への支持を拒む人々もいる。このように、社会主義を巡る論争】はおおむね【手段あるいは方法を巡る論争であって、目的は問題にされていない】。とはいえ、社会主義が掲げる複数の目的が同時に達成可能かどうかは大いに疑問ではある。

     これだけでも混乱の原因としては十分だというのに、【さらに拍車をかける要因がある】。目的を認めながら手段を否定するのはおかしいとする世間の常識もその一つだが、それだけではない。「計画経済」 は社会主義改革の最重要手段でありながら、他の多くの目的にも利用できるという事実が事態をいっそう厄介にする】【所得の分配を最近流行の 「社会正義」 に従って行おうとすれば、経済活動を中央で管理することが必要になる】。だから、「利益のための生産」 に代えて 「必要のための生産」 を求める人にとって、「計画」 は好ましい。【だが、正義とはおよそ反対と思えるやり方で所得の分配を行う場合にも、やはり計画は有効な手段となる】。たとえば、【極上品は一部の優等人種やある種の党派あるいは貴族階級の人たちに多く配ろうという場合にも、平等な分配をめざすときと同じ手段が使われる】

    岸田の社会主義

     社会主義という言葉】を、その目的ではなく方法を表すものとして、それも、多くの人にとって究極の理想を意味する言葉を特定の方法を表すものとして使うのは、公正を欠くと思われるかもしれない。【さまざまな目的に活用可能な方法を表す】には【 「集産主義 (collectivism) 」 】という言葉を用い社会主義はその一種】と見なすほうが望ましいだろう。つまり大方の【社会主義者にとっては、集産主義のある一つの種類だけが真の社会主義を表すことになる】だがそうであっても社会主義はあくまで集産主義に属す】のであって集産主義に当てはまることはすべて社会主義にも当てはまる】ことをゆめ忘れてはならない。社会主義者と自由主義者の議論で争点となっていること】の大半はじつは社会主義の目的ではなく【あらゆる形態の集産主義に共通の方法のほうである】本書で論じる【社会主義の帰結】も目的が何であれ集産主義の方法がもたらすもの】である社会主義は、集産主義あるいは計画経済の中でとりわけ重要な下位概念であるが、単なる概念ではない】社会主義】は【かつて人々が拒絶した経済活動の組織化を再び選ぶよう、自由を指向する人々を説得する思想】である【このことを、忘れないでほしい】かつて人々が経済活動の組織化を拒絶したのはアダム・スミスの言葉を借りるなら政府を 「自らを維持するために抑圧的かつ専制的にならざるを得ない」 立場に置くから】だった。』

    日の丸

    ガリツィア・ユダヤ人


    いかがでしょうか?

    今回ご紹介させていただく書物は、資本主義を研究する学問である経済学において、偉大なる経済学者の一人であるフリードリヒ・ハイエクが、ナチズム (あるいはファシズム) と社会主義・共産主義の類似性を明らかにしつつ、 それらの集産主義体制が必然的に全体主義へと至ってしまう危険性について警鐘を鳴らした非常に有名な書物で、本書を通じて『 「法の支配」 に基づく自由民主主義』 がいかに大切なものであるのかを改めて理解することができ財務官僚如きにコントロールされ「法の支配」 を無視した勝手な決定を次々と行っている (例 : ウクライナへの軍事物資支援 = 戦争行為)トコトン無能な “岸田政権” も、実はハイエクが警鐘を鳴らしたものにまさしく繋がっているという現状が良く分かるようになる当ブログお薦めの良書になります無能で危険極まりない岸田一派は、政権のみならず政界そのものから抹消することが私たち日本国民の喫緊の課題となりますので、是非広く日本国民の皆様にお読みいただきたいと思います。

    読書7-82

    それでは本日も、いつものように、直近の「致死率」を確認しておきましょう。

    (死亡症例数)÷(感染症例数)=(致死率)

    ※(  )内は前回の数値

    ppicpiga.jpg
    Coronavirus COVID-19 Global Cases by Johns Hopkins CSSE

    アメリカ : 998,968(998,997)÷82,282,001(82,223,174)=0.0121・・・(0.0121) 「1.21%(1.21%)」
    ppicpiga1.jpg

    イタリア : 164,976(164,846)÷16,954,784(16,915,301)=0.0097・・・(0.0097) 「0.97%(0.97%)」
    ppicpiga2.jpg

    日本 : 29,971(29,939)÷8,255,959(8,214,311)=0.0036・・・(0.0036) 「0.36%(0.36%)」
    ppicpiga3.jpg







    さて、これまでの流れを、簡単に確認しておきますと、まず、出発点として、カール・マルクス (1818 - 1883) が生まれる約 200 年ほど前の時代 (日本で言えば、戦国時代から江戸時代初期にかけての時代) に、ドイツの神秘主義者であるヤーコプ・ベーメ (ヤコブ・ベーメ、1575 - 1624) という名の人物がいて、その後の 「ドイツ思想」 に決定的な影響を与えた 「キリスト教神智学 (Christian theosophy) 」「ベーメ神智学 (Boehmian theosophy) 」 なるものが世に生まれることになります。(詳しくはこちらから💓

    ヤーコプ・ベーメ(ヤコブ・ベーメ)
    ヤーコプ・ベーメ(ヤコブ・ベーメ)

    そのベーメの言っていたことというのは、次のようなものでした。

    世界は本来壊れているものであり、それを直すことができるのは正しい者だけである詳しくはこちらから💓

    そして、その影響を受けたのがプロイセン (ドイツ) の哲学者イマヌエル・カント (1724 - 1804) で、彼が言っていたことは、次のようなものでした。

    イマヌエル・カント
    イマヌエル・カント

    たとえ世界を直すことができなくても、私たちは常に世界を直すことができると仮定して行動しなければならない詳しくはこちらから💓

    また、ドイツ観念論を代表する思想家ゲオルク・ヴィルヘルム・フリードリヒ・ヘーゲル (1770 - 1831) も影響を受けていて、そんな彼が言っていたことは、次のようなものでした。

    ゲオルク・ヴィルヘルム・フリードリヒ・ヘーゲル
    ゲオルク・ヴィルヘルム・フリードリヒ・ヘーゲル

    世界が固定されていたとしても、私たちは無意識のうちに分裂を起こし、世界が再び崩壊し始めることになる詳しくはこちらから💓

    で、この流れを受け継いでいるのがカール・マルクスであり、ウラジミール・レーニン (1870 - 1924) で、彼らが言っているのは次のようなことです。

    カール・マルクス
    カール・マルクス

    私たちには、世界を壊したいという衝動はない。もし私たちが世界を壊すとすれば、それは私たちが社会とその主人たちからそうすることを学んだからである

    ウラジーミル・イリイチ・レーニン 1
    ウラジーミル・イリイチ・レーニン

    われわれは、世界を固定するために、意識の統一を強行しよう詳しくはこちらから💓

    このように、ドイツで生まれた 「キリスト教神智学 (Christian theosophy) 」 ・ 「ベーメ神智学 (Boehmian theosophy) 」 を出発点として、その後、人為的に造り出された “幻想” であるところのマルクス主義・共産主義・社会主義という類の妄想が生み出されることとなります。ここで重要な点は、そもそも全知全能なる神が創り賜うた世界にあって、なぜ悪が存在するのか、という疑問から生じた 「ベーメ神智学 (Boehmian theosophy) 」 が、ユダヤ・キリスト教的 “善悪二元論” をより一層強化し、世界を完全に良くするために 「悪なるもの」 を消し去らねばならない、といった浅はかな思考へと陥る人々を生じさせたことです。多くの一般的な人々も陥りやすい誤った思考ですが、特に 「極左おパヨク」 と呼ばれる連中はその影響をもろに受けてしまうほどの 「おバカ」 で、さまざまな “アイデンティティ” を次から次へと粗製濫造することで、ユダヤ・キリスト教的な 「贖罪(しょくざい)」 の対象物として “罪” を創り出し、その罪に対する償 (つぐな) い・贖 (あがな) いを果たねばならない、と妄信させることによって、「寡頭制 (oligarchy/オリガルキー)」 の下で人々に対して自己抑圧的な態度の徹底を促し ( ← これが、ポリコレw)人々の “自由” を奪う極めて 「権威主義的な統制社会の再構築」 を目指す連中の思う壺となっていて、それはまさに現在私たちが普通に目にすることができる状況にあります。つまり、もはや隠そうともしていないという状況にあるということです。

    Hunter Biden Soros Linked to Biolabs in Ukraine





    その 「寡頭制 (oligarchy/オリガルキー)」 については、ドイツ出身の社会学者・歴史学者かつマルクス主義者であり、エリート理論の信奉者で、さらにはファシズム (全体主義者) でもあったロベルト・ミヒェルス (ロベルト・ミヘルス) が提唱した仮説である 『寡頭制の鉄則』 (iron law of oligarchy) を確認をしてきましたが、そこにもやはり 「キリスト教神智学 (Christian theosophy) 」 ・ 「ベーメ神智学 (Boehmian theosophy) 」 の影響を見ることができます。(詳しくはこちらから💓

    ロベルト・ミヒェルス(ロベルト・ミヘルス)
    ロベルト・ミヒェルス(ロベルト・ミヘルス)

    また、「寡頭制 (oligarchy/オリガルキー) 」 と同根の言葉である 「オリガルヒ (oligarch) 」 につきましても、ロシア詳しくはこちらから💓) やウクライナ詳しくはこちらから💓) の事例から、そこには少なからぬ 「ユダヤ人 ( = ユダヤ教徒)」こちらもご参照💓) が存在していることも判明しました。

    A storm is coming 245





    さらには、ウクライナとユダヤ人 ( = ユダヤ教徒) と特異な関係を、ウマン (ウーマニ) 巡礼の形成の歴史を通じて確認しました。 (詳しくはこちらから💓

    ウーマニ

    そこで、現在 “ユダヤ人” (民族としては定義され得ない、単なる宗教信者のグループ) という存在に着目し、より一層理解を進めるために様々な論文を見ているところとなります。

    それでは、本日からは、次の書評を確認してみたいと思います。

    sdwausd.jpg
    書評 野村真理著『ガリツィアのユダヤ人 ポーランド人とウクライナ人のはざまで』(人文書院,2008 年) 長沼 宗昭

    ガリツィアのユダヤ人―ポーランド人とウクライナ人のはざまで

    それでは早速、見て参りましょう。

    『 本書は,ガリツィア・ユダヤ人の挽歌というべきか,ともかく鎮魂のための小曲といった趣をたたえている。その読後感は書物の規模に似合わず,非常に重い。
     ガリツィアという地域は,一般にはあまり馴染みがないものであろう。手許にある,内外のいくつかの地図帳類を見ても,まったく記述がないか,ポーランド東南部の地域としてのみ表記されていたりする。しかし,本書で扱っている地域は現在のポーランド東部とウクライナ西部とにまたがった一体としての歴史的 「ガリツィア」 である。そしてこのガリツィアはオーストリアが第一次ポーランド分割を通じて獲得したことで境界が確定されたが,そこには,当時 20 万人以上とも推定される相当な数のユダヤ人がいたという。もちろんそこにはまたローマ・カトリック教徒とほぼ重なるポーランド人あるいはギリシア・カトリック教徒とほぼ重なるウクライナ人 (ルーシン人,ルテニア人) が混住していたところが両大戦の激動を通じて東欧の地図が塗り替えられていくなかでウクライナ人とユダヤ人が消えたポーランドは,ほとんどポーランド人だけの単一民族国家となり,同じくポーランド人とユダヤ人が消えた東ガリツィアは,名実ともにウクライナ人の土地となった。」 (201 - 202 ページ) つまりはガリツィアが分断されて一種の国民国家的再編成が進行するなかでユダヤ人だけが排除されたのであるそしてソ連崩壊後の独立ウクライナの現実がかつての東ガリツィアの都市リヴィウ (ルヴフ,レンベルク) で著者が近年実見した光景として浮かび上がり著者は「何も終わってはいない」と嘆き悲しまざるを得ない「かつてのリヴィウ最古の美しいシナゴーグの来歴を記した説明板には 「死ね,ユダヤ人」 と大きな落書きが書かれている。一九四一年の囚人殺害の現場のひとつであるザマルスティノフスカ監獄の跡には,殺された者たちのために碑が建てられたが,犠牲者のなかにユダヤ人もいたことを示すダヴィデの星の印は,何者かによって何度も塗り消されるという。」 ( 205 ページ)


    現代ヨーロッパにおけるガリツィアの位置
    現代ヨーロッパにおけるガリツィアの位置

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     著者が設定した課題は,序に述べられているように,「ユダヤ人マイノリティがポーランド人,ウクライナ人と切り結んだ関係のあり方を描ききること」 と,「ユダヤ人という存在がホロコーストで抹殺されたことの意味を考えること」 ( 1 ページ) であった。この二つの課題を,全体としては三部の構成による叙述を通じて著者は追求している。構成上の特徴としては,問題をクリアーに提示するためであろうか通史的な検討は避け,三つの時期に絞り,叙述したことである。その具体的な内容を詳しく紹介する余裕はないが,扱われている地域やテーマについての,日本語で読める最良の情報が満載されていることは間違いない。したがって本書を直接お読みいただくのが最善の方法であるが,かといって内容をまったく紹介せずに中味について論ずるのも適切さを欠くであろうから,ここでは,本書を直接手に取っていただくための誘いとして,多少の務めを果たしたい。 

     ポ・リン — ガリツィア・ユダヤ人社会の形成」 と題された第一部では,時期的には 19 世紀半ばまでの状況が語られているが,主として 16 世紀頃のポーランド・ユダヤ人社会の状況と啓蒙専制君主ヨーゼフ二世の 「寛容令」 の実態が問題にされている「ユダヤ人のあいだでは,ポーランドという地名は,ヘブライ語で 「ここにとどまれ」 を意味する 「ポ・リン」 に由来すると言い伝えられた」 ( 26 ページ) がこの伝説こそが西ヨーロッパとは異なる独特なポーランド・ユダヤ人社会の形成のあり方を示唆している。その点を説明するのが 「第一章 貴族の天国・ユダヤ人の楽園・農民の地獄」 で,十字軍時代に西から東へのユダヤ人の逃走が始まるなかで,商業や手工業が未発達であった中世ポーランドの歴代諸王が,ユダヤ人移住者の経済的価値に着目し,彼らを勧誘・保護した経緯が,簡潔に明かされていく。とくに 16 世紀以降ユダヤ人移住者の数は急増し分割前夜のポーランドには 60 〜 70 万人以上のユダヤ人が住み着いていたというがそのうちの 60 パーセントが(のちの呼称を転用すれば) ウクライナに集中していたその理由が,バルト海貿易の繁栄と,マグナート (大貴族) やシュラフタ (貴族) によるウクライナ開発に求められ貴族が新しくウクライナに建設した私領都市市の開催権を持つ市場町にほとんど無制限の経済活動を認められたユダヤ人の商人や職人が誘致された,とする。ここでとりわけ重視しなければならないのが,アレンダと呼ばれた賃貸借の仕組みである。「王や教会,貴族が持つ徴税特権や不動産,さまざまな独占的経営権を賃借し,賃借料を前払いするかわりにその特権や経営によって得られる収益を自分のものにする仕組み」 ( 28 ページ) をさし,そこでの賃借人はアレンダールと呼ばれたが,ウクライナにおいてユダヤ人は,そのあらゆる場面で有能な賃借人として貴族領主の領地経営にかかわり,一六世紀のポーランドにおいて,貴族の天国と農民の地獄のはざまにユダヤ人の楽園ともいわれた状況が出現することになった」 ( 32 ページ)。 』


    ちなみに、ご参考までに書かせて頂きますと、2017 年に死んだズビグネフ・カジミエシュ・ブレジンスキーというポーランド系のユダヤ人は、ヘブライ語でブジェジンスキ家の出自になりますが、このブジェジンスキ家はユダヤ系シュラフタ (貴族) で、ベレジャニ (Berezhany、ヘブライ語でブジェジャヌィ) を故地とし、それは現在のウクライナにあります・・・おや?

    ブレジンスキー 死去 記事

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    現代ヨーロッパにおけるガリツィアの位置
    現代ヨーロッパにおけるガリツィアの位置

    その父タデウシュ・ブジェジンスキは外交官で、1931 年から 1935 年 (ヒトラーのナチス台頭・権力掌握の時期) までベルリンに赴任後、1935 年から 1938 年 (ヨシフ・スターリンによる大粛清の時期) までモスクワに赴任、そして1938 年カナダへと赴任しますが、1939 年 9 月のドイツとソ連によるポーランド侵攻によって、わずかひと月足らずで首都ワルシャワが陥落し、ポーランドは独ソ両国によって分割され、本国に戻れなくなりました。もちろん、ブレジンスキーも父の転勤に伴って移り住んでいました・・・おや?

    ブレジンスキーの気持ち、別の言い方をすれば、ブレジンスキーにとっての “悪” は、果たして何だったのでしょうか?

    ということで、本日はここまでとさせて頂きます。











    続きは次回に♥




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