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     >  経済学 >  特定の行動を決定するに足るだけの明確な意味を表していない “岸田文雄のコンセプト”

    特定の行動を決定するに足るだけの明確な意味を表していない “岸田文雄のコンセプト”

    A storm is coming 248

    本日のキーワード : 隷従への道、ハイエク、自由主義、集産主義、共産主義、ファシズム



    Breaking the Spell
    呪縛を解く ⑨

    The Holocaust: Myth and Reality, Overview of the book by Dr. Nicholas Kollerstrom

    ホロコースト : ニコラス・コラーストロム博士の著書 「神話と現実」 の概要

    Breaking the Spell

    The ‘Six Million’
    その数、600 万人 (四)

    Finally, the ‘six million’ number is not completely without import, as it does register, ironically, according to the author, as roughly the number of ‘holocaust survivors’ who have sued for indemnity claims from the German government post war. In fact, some 4.3 million claims have been paid out amounting to some one hundred billion deutschmarks. It is, then, worth noting at this point that, according to most revisionist authors, the number of Jews under German control in all of the occupied territories never numbered more than 4.5 million, though Kollerstrom sets the figure somewhat lower at 3.5 million.
    最後に、「600 万人」 という数字は、著者によれば、皮肉なことに、戦後ドイツ政府に賠償請求した 「ホロコーストの生存者」 の数とほぼ同じであるから、まったく重要でないわけでもない。実際約 430 万件の請求がなされ約 1,000 億ドイツマルクが支払われているこの点で大多数の修正主義的な著者によると占領地全体でドイツの支配下にあったユダヤ人の数は 450 万人を超えることはなかったがコラーストロム氏はこの数字を 350 万人と若干低く設定していることは注目に値する

    Now, does this mean that the number of inmates who died in the camps was a ‘mere’ 300,000 or so? Not necessarily. The records from the Aktion Reinhardt camps, being mostly transit camps, have not been preserved and there would likely have been deaths that were not recorded. To give some further perspective on this matter and, possibly, to set some sort of upper bound to the numbers, I cite here yet another revisionist author, Peter Winter, who in his book, ‘The Six Million: Fact or Fiction’[4] cites a quote by Stephen F. Pinter, who served as a lawyer for the US State Department in the occupation forces in Germany for six years after the war, and who made this statement to the Catholic magazine ‘Our Sunday Visitor, June 14th, 1959:
    さて、このことは、収容所で死亡した収容者の数が 「たかが」 30 万人ほどであったことを意味するのものだろうか? そうとは限らない。アクティオン・ラインハルト収容所からの記録は、ほとんどが通過収容所であったので、保存されておらず、記録されていない死者がいた可能性が高い。この問題についてさらなる展望を与え、またおそらく、この数字にある種の上限を設定するためにも、別の修正主義者ピーター・ウィンターの著書 『 600 万人: 事実か虚構か』 を引用しておこう。その中で、戦後 6 年間、ドイツ占領軍でアメリカ国務省の弁護士を務めたスティーブン・F・ピンターの言葉を引用し、彼がカトリック雑誌 『Our Sunday Visitor』 ( 1959 年 6 月 14 日号) で次のように発言していることを紹介している。

    The Six Million

    “I was in Dachau for 17 months after the war, as a US War Department Attorney, and can state that there was no gas chamber at Dachau. What was shown to visitors and sightseers there and erroneously described as a gas chamber was a crematory. Nor was there a gas chamber in any of the other concentration camps in Germany….From what I was able to determine during six postwar years in Germany and Austria, there were a number of Jews killed, but the figure of a million was certainly never reached. I interviewed thousands of Jews, former inmates of concentration camps in Germany and Austria, and consider myself as well qualified as any man on the subject.”
    「私は戦後 17 ヶ月間、アメリカ陸軍省の弁護士としてダッハウに滞在したが、ダッハウにはガス室はなかったと断言できる。そこで訪問者や観光客に見せられガス室だと間違って説明されたものは火葬場であったドイツの他のどの強制収容所にもガス室はなかった…戦後 6 年間、ドイツとオーストリアで私が調査したところでは多くのユダヤ人が殺されましたが100 万人という数字には到底及ばなかったことは確かです。私は、ドイツとオーストリアの強制収容所の元収容者である数千人のユダヤ人にインタビューし、このテーマに関しては、誰よりもよく知っているつもりです。」

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    The mention of ‘crematory’ is, just in passing, significant as most of the camps had them – just as many hospitals and prisons have them to this day. Thus, the mere fact of having crematoria does not in any way whatsoever speak to the notion of ‘gas chambers’. Indeed, for a camp like Auschwitz, situated as it was on swampy ground with a very high water-table, the few that it did have would have been indispensable in disposing of anyone who died there – but only within certain very limited bounds as we’ll see in coming to terms with how much fuel, effort and time it takes to cremate a body.
    ほとんどの収容所に火葬場があったので (今日まで、多くの病院や刑務所にあるのと同じように)、一応は 「火葬場」 という表現は重要です。したがって火葬場があったという事実だけをもって「ガス室」 という概念を語ることは決してできないのである。実際、アウシュヴィッツのような収容所は、水位が非常に高い湿地帯に位置していたので、収容所で死んだ人々を処理するために、その数は少なくても、必要不可欠であったであろう - ただし、死体を火葬するのに、どれほどの燃料、労力、時間がかかるかを考えると、非常に限られた範囲内でしか処理できないのである。

    As for the total numbers, for the moment I think that we need be circumspect and say that, with our present knowledge, these likely range somewhere between 300,000 to perhaps twice that – and which figures would include, of course, all inmates, not just Jews. It would be nice as Kollerstrom points out to be able to do further research on this matter, but given that access to the relevant archives is, effectively, prohibited, and where even attempting to do so is considered a crime or invites career suicide, the prospects for such are, at present, hardly sanguine.
    総数については、今のところ、私たちの知識では、30 万人からおそらくその 2 倍の間であろうということを、慎重に述べる必要があるように思う。 - この数字にはもちろんユダヤ人だけでなくすべての受刑者が含まれている。コラーストロムが指摘するように、この問題についてさらに研究を進めることができればよいのだが関連文書館へのアクセスは事実上禁止されておりそれを試みることさえ犯罪とみなされるかあるいはキャリアの自滅を招くことを考えると現在のところその見込みはほとんどない

    Also, and to lend some perspective on this ‘numbers game’, I reference my own journalistic experience in researching and writing about more modern conflicts. Thus, one of my very first essays as a young, independent journalist was for the Toronto Star in which article I discussed the ‘killing fields’ of Cambodia and in which I demolished the official figure of ‘two million’ victims – which yet stands to this day – showing that it arose from just one Italian journalist who later recanted the figure! The true numbers were more likely in the 400,000 range with US propagandists having simply lumped onto the Khmer Rouge scorecard the numbers who died from starvation due to the US ‘secret bombing of Cambodia’ itself. But, again, no one really knows for certain. Just as no one really seems to know how many died in the Korean or Vietnam Wars, or the great US-backed Indonesian massacre of 1965 (the ‘year of living dangerously’ indeed). Figures routinely cited regarding those conflicts vary, depending on the source, literally over millions of human beings!
    また、この 「数合わせ」 の問題を考える上で、私は、より近代的な紛争について調査し、執筆した自分のジャーナリストとしての経験を参考にしている。若い独立系ジャーナリストとしての私の最初の論文の一つは、トロント・スター紙に寄稿したもので、その中でカンボジアの 「キリング・フィールド (殺戮の場) 」 について論じている。その中で、「 200 万人」 という公式の犠牲者数 (この数字は、今日まで続いているものです) を論破しまし、この数字は、たった一人のイタリア人ジャーナリストから出たもので、後に撤回されたことを明らかにした! 米国のプロパガンダ関係者の間では、米国の 「カンボジア秘密爆撃」 そのものによる餓死者数をクメール・ルージュのスコアカードに乗せただけで、本当の数は 40 万人台だったようである。しかし、これもまた、誰も本当のところは分からない。朝鮮戦争やベトナム戦争、あるいはアメリカが支援した 1965 年のインドネシアの大虐殺 (この年はまさに 「危険な年 (The Year of Living Dangerously) 」 だった) でどれだけの人が死んだのか誰も本当に分かっていないのと同じである。これらの紛争に関して日常的に引用される数字は情報源によって異なるが文字通り数百万人以上である



    The same is true today regarding Iraq and other very recent, Western imperial conflicts (dare we all them ‘holocausts’?). It is certainly important to attempt to establish firm figures, both as these represent individual human lives lost, and as these figures are opportunistically used for ideological purposes. But we must, at the end of the day, remain humble before the task set us and, oft as not, be willing to live with uncertainty – whilst yet continuing to press our investigations further.
    同じことが今日イラクやその他のごく最近の西側帝国による紛争 (あえて 「ホロコースト」 と呼ぼうか) に関しても言えるのである。確かに、失われた個々の人間の命を表すものとして、またイデオロギー的な目的のためにご都合主義的に使われる数字として、確固たる数字を打ち立てようとすることは重要である。しかし、結局のところ、私たちは与えられた課題の前に謙虚であり続けなければならないし、多くの場合、不確実性と共存することを覚悟しなければならないのである - その上で、さらに調査を進めていかなければならない。

    226A storm is coming 225

    With that caveat, let us continue with our present inquiry.
    というわけで、引き続き、今回の検証を進めていくことにしよう。

    In the introduction to ‘Breaking the Spell’, the author reminds us that the ‘Holocaust’ represents a “triune” thesis, i.e., involving a totemic number (the ‘six million’), a diabolical ‘plan’ (to deliberately exterminate an entire ethnic group, the Jews) – and a ruthless ‘methodology’ (‘gassing’ using the infamous ‘Zyklon B’). We have addressed the first two of these sub-theses, and it is to the third that we now turn our investigative attention.
    『呪縛を解く』 の序文で著者は「ホロコースト」 が 「三位一体」 のテーゼを表していること、すなわち、総数 ( 「 600 万人」 )、極悪非道の 「計画」 (ユダヤ人という民族全体を意図的に絶滅させる)、冷酷な 「方法」 (悪名高い 「チクロンB」 を使った 「ガス処理」 ) に関わっていることを思い起こさせてくれる。私たちはこの小論のうち最初の二つを扱ったが、これから私たちが調査対象とするのは三つ目の小論である。

    Hitler.jpg 習近平思想の着想者であり、中国的特徴を持つ社会主義の提唱者である習近平総書記

    パペット岸田・林

    『Breaking the Spell』 The Unz Review • An Alternative Media Selection

    投資家サーベイ結果発表 「岸田政権、支持しますか?」



    本日の書物 : 『隷従への道』 フリードリヒ・ハイエク 日経BP



    戦後の日本人は、正しい歴史を学校で教わって来ませんでした。

    そして、現代のメディアもまた、嘘の情報を流し続けています。

    私たち日本人は、親日的な立場に立ち、正しく認識し直し、

    客観的に情勢を判断する必要があります。

    それでは、この書物を見ていきましょう!




    『 集産主義体制に共通の特徴】は、どの社会主義者も大好きな表現を借用するなら、【ある明確な社会目標に向けてすべての労働者を計画的に組織すること】である。現在の社会に単一の目標をめざす【 「意図的」 な指揮管理が欠落しており、経済活動が無責任な個人の気まぐれや思いつきに委ねられていることが、社会主義者にとってはずっと不満の種だった。

     この言い分は、多くの意味で、【基本的な問題の正体】を明らかにしている。そしてまた、【個人の自由と集産主義の対立点がどこにあるのか】もはっきりと示している。集産主義共産主義ファシズム等々は多種多様であり、社会を向かわせようとする目標の内容はそれぞれに異なる】。だが【いずれも、社会と資源すべてを単一の目標のために組織化することをめざし、各人の目的を重んじる自主自由な世界を否定する】点で、自由主義や個人主義とは峻別される。全体主義という新しい言葉の真の意味において、あらゆる集産主義全体主義である】そもそも【全体主義】は【理論において集産主義と名づけられたものが、予想外の、しかし必然の形で表れたとき、それに名前を与えるために導入された言葉】なのである

     【社会を組織するための 「社会目標」 や 「共通の目的」 は、「公共の利益」 「全体の幸福」 「共通の利害」 といった漠然とした言葉で語られることが多い】こうした表現が【特定の行動を決定するに足るだけの明確な意味を表していない】ことはすこし考えればすぐにわかることだ。

    岸田の社会主義

    【何百万もの人々の幸福や福祉は、たった一つのものさしで測れるものではない】一人の幸福同様多数の幸福もたくさんの要素に依存しておりそのたくさんの要素には無限の組み合わせがあるそれを【単一の目標に適切にとりまとめることは不可能】でありせいぜい可能なのは順位を付け各人のニーズを重要度に応じて一つひとつ刻んだ巨大なものさしのようなものを作ることぐらいだろう。』

    日の丸

    オーストリア領ガリツィアのユダヤ人


    いかがでしょうか?

    今回ご紹介させていただく書物は、資本主義を研究する学問である経済学において、偉大なる経済学者の一人であるフリードリヒ・ハイエクが、ナチズム (あるいはファシズム) と社会主義・共産主義の類似性を明らかにしつつ、 それらの集産主義体制が必然的に全体主義へと至ってしまう危険性について警鐘を鳴らした非常に有名な書物で、本書を通じて『 「法の支配」 に基づく自由民主主義』 がいかに大切なものであるのかを改めて理解することができ財務官僚如きにコントロールされ「法の支配」 を無視した勝手な決定を次々と行っている (例 : ウクライナへの軍事物資支援 = 戦争行為)トコトン無能な “岸田政権” も、実はハイエクが警鐘を鳴らしたものにまさしく繋がっているという現状が良く分かるようになる当ブログお薦めの良書になります無能で危険極まりない岸田一派は、政権のみならず政界そのものから抹消することが私たち日本国民の喫緊の課題となりますので、是非広く日本国民の皆様にお読みいただきたいと思います。

    読書7-81

    それでは本日も、いつものように、直近の「致死率」を確認しておきましょう。

    (死亡症例数)÷(感染症例数)=(致死率)

    ※(  )内は前回の数値

    volupduswa.jpg
    Coronavirus COVID-19 Global Cases by Johns Hopkins CSSE

    アメリカ : 999,298(998,968)÷82,374,342(82,282,001)=0.0121・・・(0.0121) 「1.21%(1.21%)」
    volupduswa1.jpg

    イタリア : 165,091(164,976)÷16,993,813(16,954,784)=0.0097・・・(0.0097) 「0.97%(0.97%)」
    volupduswa2.jpg

    日本 : 30,006(29,971)÷8,295,529(8,255,959)=0.0036・・・(0.0036) 「0.36%(0.36%)」
    volupduswa3.jpg













    さて、これまでの流れを、簡単に確認しておきますと、まず、出発点として、カール・マルクス (1818 - 1883) が生まれる約 200 年ほど前の時代 (日本で言えば、戦国時代から江戸時代初期にかけての時代) に、ドイツの神秘主義者であるヤーコプ・ベーメ (ヤコブ・ベーメ、1575 - 1624) という名の人物がいて、その後の 「ドイツ思想」 に決定的な影響を与えた 「キリスト教神智学 (Christian theosophy) 」「ベーメ神智学 (Boehmian theosophy) 」 なるものが世に生まれることになります。(詳しくはこちらから💓

    ヤーコプ・ベーメ(ヤコブ・ベーメ)
    ヤーコプ・ベーメ(ヤコブ・ベーメ)

    そのベーメの言っていたことというのは、次のようなものでした。

    世界は本来壊れているものであり、それを直すことができるのは正しい者だけである詳しくはこちらから💓

    そして、その影響を受けたのがプロイセン (ドイツ) の哲学者イマヌエル・カント (1724 - 1804) で、彼が言っていたことは、次のようなものでした。

    イマヌエル・カント
    イマヌエル・カント

    たとえ世界を直すことができなくても、私たちは常に世界を直すことができると仮定して行動しなければならない詳しくはこちらから💓

    また、ドイツ観念論を代表する思想家ゲオルク・ヴィルヘルム・フリードリヒ・ヘーゲル (1770 - 1831) も影響を受けていて、そんな彼が言っていたことは、次のようなものでした。

    ゲオルク・ヴィルヘルム・フリードリヒ・ヘーゲル
    ゲオルク・ヴィルヘルム・フリードリヒ・ヘーゲル

    世界が固定されていたとしても、私たちは無意識のうちに分裂を起こし、世界が再び崩壊し始めることになる詳しくはこちらから💓

    で、この流れを受け継いでいるのがカール・マルクスであり、ウラジミール・レーニン (1870 - 1924) で、彼らが言っているのは次のようなことです。

    カール・マルクス
    カール・マルクス

    私たちには、世界を壊したいという衝動はない。もし私たちが世界を壊すとすれば、それは私たちが社会とその主人たちからそうすることを学んだからである

    ウラジーミル・イリイチ・レーニン 1
    ウラジーミル・イリイチ・レーニン

    われわれは、世界を固定するために、意識の統一を強行しよう詳しくはこちらから💓

    このように、ドイツで生まれた 「キリスト教神智学 (Christian theosophy) 」 ・ 「ベーメ神智学 (Boehmian theosophy) 」 を出発点として、その後、人為的に造り出された “幻想” であるところのマルクス主義・共産主義・社会主義という類の妄想が生み出されることとなります。ここで重要な点は、そもそも全知全能なる神が創り賜うた世界にあって、なぜ悪が存在するのか、という疑問から生じた 「ベーメ神智学 (Boehmian theosophy) 」 が、ユダヤ・キリスト教的 “善悪二元論” をより一層強化し、世界を完全に良くするために 「悪なるもの」 を消し去らねばならない、といった浅はかな思考へと陥る人々を生じさせたことです。多くの一般的な人々も陥りやすい誤った思考ですが、特に 「極左おパヨク」 と呼ばれる連中はその影響をもろに受けてしまうほどの 「おバカ」 で、さまざまな “アイデンティティ” を次から次へと粗製濫造することで、ユダヤ・キリスト教的な 「贖罪(しょくざい)」 の対象物として “罪” を創り出し、その罪に対する償 (つぐな) い・贖 (あがな) いを果たねばならない、と妄信させることによって、「寡頭制 (oligarchy/オリガルキー)」 の下で人々に対して自己抑圧的な態度の徹底を促し ( ← これが、ポリコレw)人々の “自由” を奪う極めて 「権威主義的な統制社会の再構築」 を目指す連中の思う壺となっていて、それはまさに現在私たちが普通に目にすることができる状況にあります。つまり、もはや隠そうともしていないという状況にあるということです。

    Hunter Biden Soros Linked to Biolabs in Ukraine





    その 「寡頭制 (oligarchy/オリガルキー)」 については、ドイツ出身の社会学者・歴史学者かつマルクス主義者であり、エリート理論の信奉者で、さらにはファシズム (全体主義者) でもあったロベルト・ミヒェルス (ロベルト・ミヘルス) が提唱した仮説である 『寡頭制の鉄則』 (iron law of oligarchy) を確認をしてきましたが、そこにもやはり 「キリスト教神智学 (Christian theosophy) 」 ・ 「ベーメ神智学 (Boehmian theosophy) 」 の影響を見ることができます。(詳しくはこちらから💓

    ロベルト・ミヒェルス(ロベルト・ミヘルス)
    ロベルト・ミヒェルス(ロベルト・ミヘルス)

    また、「寡頭制 (oligarchy/オリガルキー) 」 と同根の言葉である 「オリガルヒ (oligarch) 」 につきましても、ロシア詳しくはこちらから💓) やウクライナ詳しくはこちらから💓) の事例から、そこには少なからぬ 「ユダヤ人 ( = ユダヤ教徒)」こちらもご参照💓) が存在していることも判明しました。

    A storm is coming 245





    さらには、ウクライナとユダヤ人 ( = ユダヤ教徒) と特異な関係を、ウマン (ウーマニ) 巡礼の形成の歴史を通じて確認しました。 (詳しくはこちらから💓

    ウーマニ

    そこで、現在 “ユダヤ人” (民族としては定義され得ない、単なる宗教信者のグループ) という存在に着目し、より一層理解を進めるために様々な論文を見ているところとなります。

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    書評 野村真理著『ガリツィアのユダヤ人 ポーランド人とウクライナ人のはざまで』(人文書院,2008 年) 長沼 宗昭

    ガリツィアのユダヤ人―ポーランド人とウクライナ人のはざまで

    それでは早速、前回の続きを見て参りましょう。

    『 …1648 年ボグダン・フメリニツキに率いられたウクライナ・コサックポーランドの支配に対して反乱を起こすとルーシン人農民の多くがこの反乱に合流ポーランド人その手先としてのユダヤ人が虐殺された犠牲者の数は10 万から 12 万 5 千ともいわれウクライナ・ユダヤ人社会壊滅的な打撃を被ったのであるしかもポーランド自体が17 世紀には相次いで周辺諸国からの大規模な侵略にあい,シェンキェビチの長編歴史小説のタイトルを借りれば,まさしく 「大洪水」 に見舞われた。そうしたなかで西欧向けの穀物輸出も衰退し貴族と農民の経済的疲弊が生ずると農村地域の交易の拠点であった都市も衰退せざるを得ずそうなれば当然ユダヤ人社会も窮乏化せざるを得ないさらにまたキリスト教社会の被差別民たるユダヤ人固有の事情として寛容を手に入れるためのさまざまな税や支払いを無視するわけにはいかなかったのである。以上が,第一章で語られていることのラフ・スケッチである。

    神聖ローマ皇后 マリア・テレジア 1759年
    神聖ローマ皇后 マリア・テレジア 1759 年

     「第二章 オーストリア領ガリツィアの誕生」 は「貧しいユダヤ人を排除しつつ財力のあるユダヤ人から取れるだけのものを取るという,マリア = テレジアの古典的ともいえるユダヤ人政策」 ( 57 ページ) が説明されているそれとともにガリツィアのほとんどの商業やさまざまな種類の 「職人業」 がもっぱらユダヤ人に握られているというこの地域の特殊性を語った上で著者は「新たな支配者ヨーゼフ二世がガリツィアの社会改革に乗り出したとき,あわれな農民をポーランド人貴族の領主支配から解放することと同時に,貴族と農民のあいだに立つ中間搾取者としてのユダヤ人アレンダールを排除することもまた,最大の問題と認識されることになる」 ( 53 ページ),と述べている


    ヨーゼフ2世
    ヨーゼフ 2 世

    1914年におけるオーストリア=ハンガリー帝国中のガリツィア・ロドメリア王国
    1914年におけるオーストリア=ハンガリー帝国中のガリツィア・ロドメリア王国 (1772 - 1918)

    現代ヨーロッパにおけるガリツィアの位置
    現代ヨーロッパにおけるガリツィアの位置

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     続く 「第三章 ヨーゼフ改革とガリツィアのユダヤ人」 の主題は,「寛容令」 の実態を明らかにすることであるが,著者はまず,ヨーゼフ二世の改革政策の本来の目的は,「マリア = テレジアおよびマリア = テレジアとヨーゼフの共同統治時代を通じて進められた国家の中央集権化の完成にあった」 ( 58 ページ) と指摘しており,この点は重要なポイントである。したがって,ともに 1781 年に公布された農奴制廃止令と寛容令とは,1770 年代にマリア = テレジアによって着手された農業改革と教会改革の帰結であった,と位置づけられる。あるいはまた,農民王ヨーゼフが,賃借業や商業にかかわるユダヤ人を農村から追放する一方ユダヤ人に農業を奨励したが最終的には破綻した,という事実の紹介も貴重である。この点は,一般にはあまり知られていない。その上で,寛容令の政策としての中味と評価が俎上に載せられる。寛容令の序文には,法の下での諸民族ならびに諸宗教の信者の自由と平等という理念が掲げられており,この点において画期的なものであった。「とはいえ,序文で謳われた理念と寛容令の本文との内容的乖離は大きい。プロテスタントに対する寛容令と同様,ユダヤ教徒に対する寛容令もまた,そこに色濃く反映されているのは,平等よりも,強力な中央集権国家への脱皮をはかろうとするオーストリア政府の行財政的な都合であった。このことは,寛容令がユダヤ人に対する差別税をほとんど廃止しなかったことにも現れている。」 ( 68 - 69 ページ) 政策としては二つの柱がありヘブライ語やイディッシュ語の使用を禁止し,領邦公用語の使用を義務づける言語令と,農業や,工場あるいはマニュファクチュア部門への進出を奨励し,ユダヤ人に閉ざされていた職人業を開放するというユダヤ人の職種拡大・誘導策とからなっていたつまり一般に寛容令と呼びならわされている割には差別撤廃の側面は希薄であったのであるしかもガリツィアではユダヤ人のドイツ語への同化政策 (服装のドイツ化もあった) は結局は失敗し「かろうじてやり遂げられたのは,ユダヤ人の名前のドイツ語化のみ」 ( 75 ページ) であった,という。』

    ということで、本日はここまでとさせて頂きます。











    続きは次回に♥




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