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    親子チョコ💗(500冊以上の良質な書籍のご紹介)

    子どもたちの教育のため、また、その親である私たち自身が学ぶための、読まれるべき良質な書籍のみをご紹介させていただきます。

     >  経済学 >  岸田文雄が目指しているもの ~ “恣意的な統治” = “俺様が決める分配 (バラマキ) 政治”

    岸田文雄が目指しているもの ~ “恣意的な統治” = “俺様が決める分配 (バラマキ) 政治”

    ふみきゅん

    本日のキーワード : 隷従への道、ハイエク、法の支配、恣意的な統治、集産主義、計画経済、岸田政権、新しい資本主義



    Breaking the Spell
    呪縛を解く ⑪

    The Holocaust: Myth and Reality, Overview of the book by Dr. Nicholas Kollerstrom
    ホロコースト : ニコラス・コラーストロム博士の著書 「神話と現実」 の概要

    Breaking the Spell

    Science Goes to Auschwitz
    科学はアウシュビッツへ (二)

    Nevertheless, in 1991 the Report caught the eye of a brilliant young chemist, Germar Rudolf, who was, at the time studying for his PhD at the Max Planck Institute in Germany. For Rudolf, the “thorn of doubt” planted in his mind upon reading the Report led he and two colleagues to creep over to Auschwitz and purloin another thirty or so samples from both the walls of the alleged ‘gas chambers’ and from the smaller delousing chambers (and along the way photographing exactly where, how and what they did). The results matched and confirmed those of Leuchter’s, there being a two-thousand-fold differential between the samples taken from the delousing chambers versus the ‘gas chambers’. (Just to note, that there was any ferrocyanide in the walls of the showers, aka ‘gas chambers’, at all – though generally less than 1 ppm – was due to the well-documented fact that many of the camp’s other rooms and enclosures were occasionally sprayed with Zyklon B as part of routine disinfection protocols, and which samples also showed the equal, if very low, levels of cyanide.)
    しかし、1991 年、この報告書は当時ドイツのマックス・プランク研究所で博士号を取得しようとしていた優秀な若い化学者ゲルマー・ルドルフ氏の目にとまった。ルドルフ氏にとって、報告書を読んで心に植え付けられた 「疑いの棘」 は、彼と二人の同僚がアウシュビッツに忍び込み、「ガス室」 とされる部屋の壁と小さな害虫駆除室から、さらに 30 以上のサンプルを盗み出すに至らせたのである (そして、その過程で、どこで、どのように、何をしたかを正確に写真に収めた。) 。その結果はロイヒター氏のものと一致し、確認され、害虫駆除室から採取されたサンプルと 「ガス室」 からのサンプルの間には 2,000 倍の差があったのである。(ただ、シャワー室、別名「ガス室」の壁にフェロシアン化物があったのは、通常1ppm以下であったが、収容所の他の多くの部屋や囲いの中に、日常的な消毒手順の一環として、チクロンBが散布されており、そのサンプルからも、非常に低いレベルではあるが、同等のシアン化物が検出されることは十分に立証されている。)

    Here Kollerstrom, himself an historian of science, emphasizes an important methodological point. To wit,
    ここで、科学史家であるコラーストロム氏は、方法論上の重要な点を強調している。つまり、

    “Both the Leuchter and Rudolph reports had their weaknesses, and it is only by integrating the two together – which we can do because their methods were identical – that one attains a firm and clear basis for rational debate.”
    「ロイヒター報告もルドルフ報告も弱点があり、両者を統合してこそ、(両者の方法が同じであったからこそ) 合理的な議論のための明確な根拠を得ることができるのである」

    The ensuing sequence of events following the publication, first in 1992 of a preliminary report, and then in 1993 of his historic 120-page document, the Rudolf Report, traced the per usual arc of personal ruination that we are, by now, all too familiar with. Rudolf had his career terminated and, eventually, in 2007, found himself, bound in chains, in a German court where he was duly sentenced to four years in prison. As Kollerstom intones once again, “Science cannot exist where doubt is prohibited, let’s be clear about that.”
    その後、1992 年に予備報告書、1993 年に 120 ページに及ぶ歴史的な報告書 「ルドルフ報告書」 が発表され、その一連の出来事によって、今ではすっかりおなじみとなった個人的破滅の道筋をたどることになったのである。ルドルフ氏はキャリアを絶たれ、結局 2007 年にドイツの裁判所で鎖につながれて 4 年の禁固刑を宣告された。コラーストロム氏は、「疑うことを禁じたところに科学は存在しない、そのことをはっきりさせよう」と、あらためて宣言した。

    Is Zelensky a Cousin of George Soros?

    As a follow-up to these investigations, a chemist-engineer, Dan Desjardins subsequently retraced both Leuchter’s and Rudolf’s steps through Auschwitz so that, as Kollerstrom says, we have good ‘corroboration as regards where the samples came from.’
    この調査の後、化学者・技術者のダン・デジャルダン氏が、ロイヒター氏とルドルフ氏のアウシュビッツでの足取りを追跡調査した結果、コラーストロム氏が言うように、「サンプルがどこから来たかに関して、十分な裏付けが得られた」 のである。

    It is further worth noting at this juncture – and here I tag-team once again with author Peter Winter – that, “The parallels between the real delousing station and the alleged ‘human gas chambers’ are so close that it is clear the homicidal gas chamber story was developed from the real clothing delousing system.”
    さらに、この時点で、次のことを指摘しておきたい (作家のピーター・ウィンター氏と再びタッグを組むことになるが)。「実際の害虫駆除室と疑惑の “人間ガス室” の類似性は非常に高く、殺人ガス室の話が実際の衣類害虫駆除システムから作り上げられたものであることは明らかである。」

    226A storm is coming 225

    Turning now to yet another primary source archive, one that I alluded to earlier, i.e., the intact coke records from Auschwitz/Birkenau (the latter camp, just by the by, and also known as Auschwitz II, being located in the immediate environs of Auschwitz I), we find that the amount of coke that would have been necessary to burn hundreds of thousands of bodies simply did not exist. Here Kollerstrom directs us to the dense tome, ‘Dissecting the Holocaust’, edited by Germar Rudolf in which an essay by the meticulous investigator Carlo Mattogno reviews the matter.
    では次に、もう一つの一次資料アーカイブス、すなわち、先ほど言及したアウシュヴィッツ・ビルケナウ (アウシュヴィッツⅡとしても知られるその収容所は、アウシュヴィッツⅠのすぐ近くに位置している) の完全なままの石炭の記録について考えてみるとしよう。我々は、何十万もの死体を燃やすのに必要な量の石炭が単に存在しなかったことを発見した。ここで、コラーストロム氏は、ゲルマール・ルドルフ氏が編集した 『ホロコーストを解剖する』 という分厚い書物を紹介してくれているが、そこには、綿密な調査者カルロ・マットーニョ氏の小論があり、この問題を検討している。

    Mattogno informs us that it “normally takes 88 to 110 lbs [of coke to cremate] a body.” After accounting for various factors (e.g., how many cremation furnaces are being fired together etc.) he concludes that these coke deliveries, “prove indisputably that only the bodies of the inmates who had died of natural causes could be cremated in the crematoria. Therefore, no mass murders took place in Auschwitz and Birkenau in the time from March to October 1943!”
    マットーニョ氏は、「通常、死体を火葬するには 88 から 110 ポンドの石炭が必要である」 と説明している。 さまざまな要因 (たとえば、一緒に焼かれている火葬炉の数など) を考慮した後、彼は、これらの石炭の納入量は「火葬場では、自然死した収容者の死体だけを火葬することができたことを議論の余地なく証明している」 と結論している。したがって1943 年 3 月から 10 月までの間アウシュヴィッツとビルケナウでは大量殺人は行なわれなかったのである

    According to Kollerstrom, Fred Leuchter’s Report also included a similar computation whilst arriving at the same conclusion. Leuchter further noted that the death count for Auschwitz peaked exactly ‘during the worst periods of the typhus epidemic in 1942 and 1943.’ The latter reference is important because it supports the argument – and all the evidence – that the infamous Zyklon B was deployed to the camps precisely to address the typhus outbreaks that began about this time. Additional argument that Zyklon B was not intended as a ‘extermination’ weapon, but merely as what the Nazis said it was for, i.e., disinfestation, is to be found in two related facts. To wit, the hydrogen cyanide concoction was sent to all of the camps, not just to those designated, today, as ‘extermination camps’ – the latter of which, by the way amount only to some six camps in total. Moreover, Zyklon B was discontinued in late 1944 to be replaced by the new-fangled delousing agent, DDT, and which, of course, no one has ever claimed was used for killing people. Kollerstrom notes additionally that microwave disinfestation technology was introduced by the Germans in the camps very late in the war – a technology which became the basis for the, now, ubiquitous microwave oven – though, to date, no ‘eyewitness’ account of being cooked to death by microwaves has been forthcoming.
    コラーストロム氏によると、フレッド・ロイヒター氏の報告も同じような計算をしながら、同じ結論に達している。ロイヒター氏はさらに、アウシュヴィッツの死者数はまさに 「 1942 年と 1943 年のチフスの疫病がもっともひどかった時期」 にピークに達したことを指摘している。この言及は、悪名高いチクロンBが、まさにこの時期に始まったチフスの大発生に対処するために収容所に配備されたという議論 - そしてすべての証拠 - を裏付けており、重要であるチクロンBが “絶滅” 兵器として意図されたのではなく単にナチスが言ったとおりすなわち消毒のために使われたというさらなる論拠は、二つの関連する事実に見出すことができる。すなわち、シアン化水素の調合液はすべての収容所に送られ今日“絶滅収容所” と指定されている収容所だけでなかった - ちなみに、後者の収容所は全部で 6 ヶ所ほどしかない - ということである。さらに、チクロンBは 1944 年末に製造中止となり新型の駆除剤 DDT に取って代わられたがもちろん誰もこの薬剤が人を殺すのに使われたと主張していないコラーストロム氏はさらにマイクロ波消毒技術 - この技術は、今ではどこにでもある電子レンジの基礎となったが - が戦争末期にドイツ軍によって収容所に導入されており今日までマイクロ波で調理されて死んだという “目撃証言” は得られていないことを指摘している

    To conclude this section, it is apropos to remark on the salient fact of the general reluctance by orthodox historiography to introduce such elementary forensic science to this subject. Indeed, that it is so riven with taboo testifies once more to the notion that, in dealing with the ‘Holocaust’, we are no longer in the realm of science, but of sacred myth and of religion. Nevertheless, let us continue our obdurate ways and conduct a brief review of the science as it pertains to some of the other concentration camps.
    このセクションの締めくくりとして、正統派の歴史学が、このような初歩的な法医学をこのテーマに導入することに概して消極的であるという顕著な事実を指摘するのは適切なことであろう実際、これほどまでにタブー視されているということは、「ホロコースト」を扱うのは、もはや科学の領域ではなく、神聖な神話や宗教の領域であるという考えを改めて証明するものである。それでも、私たちは不屈の精神を貫き、他のいくつかの強制収容所に関連する科学について、簡単な検討を行なってみることにしよう。

    Hitler.jpg 習近平思想の着想者であり、中国的特徴を持つ社会主義の提唱者である習近平総書記

    パペット岸田・林

    『Breaking the Spell』 The Unz Review • An Alternative Media Selection

    投資家サーベイ結果発表 「岸田政権、支持しますか?」



    本日の書物 : 『隷従への道』 フリードリヒ・ハイエク 日経BP



    戦後の日本人は、正しい歴史を学校で教わって来ませんでした。

    そして、現代のメディアもまた、嘘の情報を流し続けています。

    私たち日本人は、親日的な立場に立ち、正しく認識し直し、

    客観的に情勢を判断する必要があります。

    それでは、この書物を見ていきましょう!




    『 【自由な国】【恣意的な統治の下にある国】との【何よりも明確な違い】は、【 「法の支配」 として知られる大原則が自由な国では守られていること】である。技術的なこまかいことを省いて言えば、【法の支配】とは【政府のあらゆる行為があらかじめ定められた公表されたルールに縛られることを意味する】。それは、ある状況で政府が強制力をどう行使するかが明快に予測可能であって個人はこの予測に基づいて自分の行動を計画できるようなルールである。【人間には誤りがつきもの】であり、【法律の制定も実行もその生身の人間に委ねられている】以上、いま述べた理想が完璧に実行されることは望めまいそれでも【重要なのは、強制力を持つ政府に与えられる裁量の余地を可能な限り減らす意思が、十分に明白になっていること】だ。どんな法も、個人が自己目的の追求に活用可能な手段を変えさせるという意味で、ある程度は個人の自由を制限するものだが、【法の支配の下では、政府がその時々で勝手なことをして個人の努力を水泡に帰すような事態は阻止される】。ゲームのルールがわかっていれば、個人は政府の恣意的な権力行使によって自分の努力が無駄になることはないと安心して、自由に自己の目的や欲望を追求できる。

     【恒久的な法の枠組みを作り、その中では生産活動を個人の判断で行えるようにすること】と、【経済活動を中央当局が指図すること】。これまで述べてきた【両者の違い】は、じつは【法の支配】【恣意的な統治】という、より大きなちがいの一つだと言える。【前者では、政府はルールを定めるにとどまる】。そのルールでは利用可能な資源を使う条件は決められるが、【何の目的に使うかは個人の判断に委ねられる】。これに対して【後者では、どの生産手段をどの目的に使うかを政府が決めて命じる】【前者のルールは成文法の形であらかじめ決められる】。それは特定の人の欲望や必要を満たすことではなく、人々のさまざまな目的追求に役立つことだけを目的とする。さらに、誰かにとくに役立つかどうかを見通せないほど長期にわたって存続することを前提としたルールであり、またそうであるべきだ。こうしたルールは、特定のニーズの満足ではなく、人々がうまくやっていかなければならない相手の行動を予測可能にするという意味で、生産の道具と定義してもよかろう。

    岸田の社会主義

     【集産主義的な計画経済は、必然的にこれとは正反対の方向をめざす】【計画当局】にしてみれば見ず知らずの人に好きなように活用できる機会を提供するのは【自らの権限】を狭め【自由裁量の余地】をなくすことだそのような【公式の原則をあらかじめ定めるわけにはいかない】。何かが不足すれば供給しなければならず、【どれを優先しどれを後回しにするか】を【意図的に決めなければならない】。原則では決められない問題を絶えず判断しなければならず、判断に当たってはさまざまなニーズに順位を付けなければならない。…【こうした逐一の決定は、原則から導き出すこともできなければ、前もって長期計画で決めておくこともできまい】したがって【決定は、不可避的に時々の状況に左右されることになる】また決定に際して【さまざまなな人や集団の利害を天秤にかけねばならない】それは【要するに、誰の利益がより重要かを誰かが決めることである】となれば【その誰かの見解がその国の法の一部と化し、時々に決められた優先順位を政府が強制的に国民に押し付けることになる】。』

    日の丸

    ユダヤ人社会の内部の姿を明らかにしていく必要性


    いかがでしょうか?

    今回ご紹介させていただく書物は、資本主義を研究する学問である経済学において、偉大なる経済学者の一人であるフリードリヒ・ハイエクが、ナチズム (あるいはファシズム) と社会主義・共産主義の類似性を明らかにしつつ、 それらの集産主義体制が必然的に全体主義へと至ってしまう危険性について警鐘を鳴らした非常に有名な書物で、本書を通じて『 「法の支配」 に基づく自由民主主義』 がいかに大切なものであるのかを改めて理解することができ財務官僚如きにコントロールされ「法の支配」 を無視した勝手な決定を次々と行っている (例 : ウクライナへの軍事物資支援 = 戦争行為)トコトン無能な “岸田政権” も、実はハイエクが警鐘を鳴らしたものにまさしく繋がっているという現状が良く分かるようになる当ブログお薦めの良書になります無能で危険極まりない岸田一派は、政権のみならず政界そのものから抹消することが私たち日本国民の喫緊の課題となりますので、是非広く日本国民の皆様にお読みいただきたいと思います。

    読書 10-006

    それでは本日も、いつものように、直近の「致死率」を確認しておきましょう。

    (死亡症例数)÷(感染症例数)=(致死率)

    ※(  )内は前回の数値

    fpxwoog.jpg
    Coronavirus COVID-19 Global Cases by Johns Hopkins CSSE

    アメリカ : 999,579(999,529)÷82,460,470(82,431,541)=0.0121・・・(0.0121) 「1.21%(1.21%)」
    fpxwoog1.jpg

    イタリア : 165,244(165,182)÷17,057,873(17,030,147)=0.0096・・・(0.0096) 「0.96%(0.96%)」
    fpxwoog2.jpg

    日本 : 30,061(30,036)÷8,369,751(8,334,859)=0.0035・・・(0.0036) 「0.35%(0.36%)」
    fpxwoog3.jpg









    さて、これまでの流れを、簡単に確認しておきますと、まず、出発点として、カール・マルクス (1818 - 1883) が生まれる約 200 年ほど前の時代 (日本で言えば、戦国時代から江戸時代初期にかけての時代) に、ドイツの神秘主義者であるヤーコプ・ベーメ (ヤコブ・ベーメ、1575 - 1624) という名の人物がいて、その後の 「ドイツ思想」 に決定的な影響を与えた 「キリスト教神智学 (Christian theosophy) 」「ベーメ神智学 (Boehmian theosophy) 」 なるものが世に生まれることになります。(詳しくはこちらから💓

    ヤーコプ・ベーメ(ヤコブ・ベーメ)
    ヤーコプ・ベーメ(ヤコブ・ベーメ)

    そのベーメの言っていたことというのは、次のようなものでした。

    世界は本来壊れているものであり、それを直すことができるのは正しい者だけである詳しくはこちらから💓

    そして、その影響を受けたのがプロイセン (ドイツ) の哲学者イマヌエル・カント (1724 - 1804) で、彼が言っていたことは、次のようなものでした。

    イマヌエル・カント
    イマヌエル・カント

    たとえ世界を直すことができなくても、私たちは常に世界を直すことができると仮定して行動しなければならない詳しくはこちらから💓

    また、ドイツ観念論を代表する思想家ゲオルク・ヴィルヘルム・フリードリヒ・ヘーゲル (1770 - 1831) も影響を受けていて、そんな彼が言っていたことは、次のようなものでした。

    ゲオルク・ヴィルヘルム・フリードリヒ・ヘーゲル
    ゲオルク・ヴィルヘルム・フリードリヒ・ヘーゲル

    世界が固定されていたとしても、私たちは無意識のうちに分裂を起こし、世界が再び崩壊し始めることになる詳しくはこちらから💓

    で、この流れを受け継いでいるのがカール・マルクスであり、ウラジミール・レーニン (1870 - 1924) で、彼らが言っているのは次のようなことです。

    カール・マルクス
    カール・マルクス

    私たちには、世界を壊したいという衝動はない。もし私たちが世界を壊すとすれば、それは私たちが社会とその主人たちからそうすることを学んだからである

    ウラジーミル・イリイチ・レーニン 1
    ウラジーミル・イリイチ・レーニン

    われわれは、世界を固定するために、意識の統一を強行しよう詳しくはこちらから💓

    このように、ドイツで生まれた 「キリスト教神智学 (Christian theosophy) 」 ・ 「ベーメ神智学 (Boehmian theosophy) 」 を出発点として、その後、人為的に造り出された “幻想” であるところのマルクス主義・共産主義・社会主義という類の妄想が生み出されることとなります。ここで重要な点は、そもそも全知全能なる神が創り賜うた世界にあって、なぜ悪が存在するのか、という疑問から生じた 「ベーメ神智学 (Boehmian theosophy) 」 が、ユダヤ・キリスト教的 “善悪二元論” をより一層強化し、世界を完全に良くするために 「悪なるもの」 を消し去らねばならない、といった浅はかな思考へと陥る人々を生じさせたことです。多くの一般的な人々も陥りやすい誤った思考ですが、特に 「極左おパヨク」 と呼ばれる連中はその影響をもろに受けてしまうほどの 「おバカ」 で、さまざまな “アイデンティティ” を次から次へと粗製濫造することで、ユダヤ・キリスト教的な 「贖罪(しょくざい)」 の対象物として “罪” を創り出し、その罪に対する償 (つぐな) い・贖 (あがな) いを果たねばならない、と妄信させることによって、「寡頭制 (oligarchy/オリガルキー)」 の下で人々に対して自己抑圧的な態度の徹底を促し ( ← これが、ポリコレw)人々の “自由” を奪う極めて 「権威主義的な統制社会の再構築」 を目指す連中の思う壺となっていて、それはまさに現在私たちが普通に目にすることができる状況にあります。つまり、もはや隠そうともしていないという状況にあるということです。

    Hunter Biden Soros Linked to Biolabs in Ukraine





    その 「寡頭制 (oligarchy/オリガルキー)」 については、ドイツ出身の社会学者・歴史学者かつマルクス主義者であり、エリート理論の信奉者で、さらにはファシズム (全体主義者) でもあったロベルト・ミヒェルス (ロベルト・ミヘルス) が提唱した仮説である 『寡頭制の鉄則』 (iron law of oligarchy) を確認をしてきましたが、そこにもやはり 「キリスト教神智学 (Christian theosophy) 」 ・ 「ベーメ神智学 (Boehmian theosophy) 」 の影響を見ることができます。(詳しくはこちらから💓

    ロベルト・ミヒェルス(ロベルト・ミヘルス)
    ロベルト・ミヒェルス(ロベルト・ミヘルス)

    また、「寡頭制 (oligarchy/オリガルキー) 」 と同根の言葉である 「オリガルヒ (oligarch) 」 につきましても、ロシア詳しくはこちらから💓) やウクライナ詳しくはこちらから💓) の事例から、そこには少なからぬ 「ユダヤ人 ( = ユダヤ教徒)」こちらもご参照💓) が存在していることも判明しました。

    A storm is coming 245





    さらには、ウクライナとユダヤ人 ( = ユダヤ教徒) と特異な関係を、ウマン (ウーマニ) 巡礼の形成の歴史を通じて確認しました。 (詳しくはこちらから💓

    ウーマニ

    そこで、現在 “ユダヤ人” (民族としては定義され得ない、単なる宗教信者のグループ) という存在に着目し、より一層理解を進めるために様々な論文を見ているところとなります。

    sdwausd.jpg
    書評 野村真理著『ガリツィアのユダヤ人 ポーランド人とウクライナ人のはざまで』(人文書院,2008 年) 長沼 宗昭

    ガリツィアのユダヤ人―ポーランド人とウクライナ人のはざまで

    それでは早速、前回の続きを見て参りましょう。

    『 …このように本書はコンパクトな叙述に引き換え非常に複雑かつ豊富な情報が盛り込まれている。当該する地域や,東欧ユダヤ人のあり方について,少しなりとも関心をよせる者にとっては必読の文献である。評者にとっては,とくに第一部で教えられることが多かった。この部分では,期せずして,他の地域とは大幅に異なる,ポーランド・ユダヤ人社会の独特の姿が示されているのである。この点を,他の地域との多少の比較なども交えながら,もう少し強調してもよかったのではないか,とも思うのである。それと同時に,非常に困難な課題であることは重々承知の上であえて付言するなら,ユダヤ人社会の内部の姿をよりいっそう明らかにしていく必要は依然として残されている,と言わねばならない。内部での貧富の差やユダヤ人知識人の姿について断片的な言及はあるがそれらが意味することに対してより踏み込んだ検討があって然るべきではなかったか。あるいはポーランド・カトリック社会との関係をどのように考えていくべきか,どうしても孤立や対立という側面から考えていくことになりがちだが,ある種の共生,ないしは隣人としての関係も,ときには見ていく必要があろう。たとえば,本書43 ページに紹介されているルヴフ史上の美談,つまりフメリニツキの反乱軍がユダヤ人引渡しを要求した際,ともかくもルヴフ市は,「市民と苦難をともにしてきた人びとであることを理由に」 拒否した,というエピソードは何を物語っているのだろうか。最終的にはユダヤ人が,莫大な金額を支払うことで決着したにせよ,やはりそこには何らかのシンパシーが働いていた,と見るべきであろう。たとえばポーランドでは,都市住民は宗派に関わらず,防衛設備の建設・整備,さらには恒常的な警備のための労役提供が義務づけられ,キリスト教徒市民との協働があったことも指摘されている (M.Fuks/Z.Hoffman/M.Horn/J.Tomaszewski, Polnische Juden. Geschichte und Kultur, o.O.,o.J., S.16)。あるいはまた本書に,ユダヤ人の居住を禁止する 「ユダヤ人不寛容特権」の言及があるが,それとは逆に 1568 年にはカジミェシュのユダヤ人に対して,さらに 1645 年にはリトアニアの全ユダヤ人コミュニティに対して, 「キリスト教徒不寛容特権」 が認められたという (ハウマン 『東方ユダヤ人の歴史』 鳥影社,30 ページにも,記述がある)。こうした問題も含めて,ユダヤ人社会と周囲との複雑,かつ多面的な関係を解明していく作業は,関心をともに寄せる研究者たち全員の前に横たわっている。
     それからまた,「ガリツィアの嫌われ者ホンベルク」 ( 80 ページ) という評価も,評者には一面的に過ぎるように思えてならない。対象といかなる距離をとるかという問題は,どのようなテーマであってもなかなか厄介な事柄であるが,ユダヤ人史に関してはとりわけ重要な意味を持ってくる。伝統的・保守的な 「ラビのユダヤ教」 が支配的であったガリツィアから見れば,マスキリーム (ユダヤ人啓蒙主義者) の一員であったホンベルクは,まさしく敵視のターゲットであったろう。しかし,ユダヤ教改革の流れという視点を導入すれば,また違ったホンベルクの一面も浮かび上がってくるのではなかろうか。
     三部構成の仕方にも,実は評者は若干の違和感を覚える。つまり,「諸民族の春」 以降,まさに東欧でナショナリズムが奔流となって立ち現れる時期,そしてユダヤ人のなかからも呼応してシオニズムが出現する時期である 19 世紀後半から第一次大戦までが,具体的な検討から外されているからである。この時期の捉え方は決定的に重要な意味を持つであろうと思われる。
     以上,いくらか望蜀の念を述べたが,それは評者にとって本書が,非常に刺激的であり,内容豊富で教えられることが多かったからである。著者の海容を願うとともに,多くの読者が本書を繙くことを進めたい。
     最後に一点,細かいことではあるが誤解を招き易い表現があるので,指摘しておきたい。ハヌカの由来に関する説明のところで ( 230 ページ),油を七枝の燭台に注ぐとあるが,ここはランプでなければならない (燭台はロウソクを灯すもの)。そしてハヌキヤ (ハヌカ・メノラともいう) を八枝の燭台としているが,外見上は九枝の燭台である。伝統的な形状では (今日ではさまざまなデザインがある),中央の枝に種火を灯し,8 日間にわたって灯し続けていくのである。』


    ということで、本日はここまでとさせて頂きます。













    続きは次回に♥




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