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    親子チョコ💗(500冊以上の良質な書籍のご紹介)

    子どもたちの教育のため、また、その親である私たち自身が学ぶための、読まれるべき良質な書籍のみをご紹介させていただきます。

     >  経済学 >  自民党 “岸田派” が大好きな 「特権的保障」 の 「分配」 政策 = “新しい資本主義 (という全体主義) ”

    自民党 “岸田派” が大好きな 「特権的保障」 の 「分配」 政策 = “新しい資本主義 (という全体主義) ”

    A storm is coming 275

    本日のキーワード : 隷従への道、ハイエク、自由主義、岸田文雄、新しい資本主義、特権的保障、全体主義、格差拡大



    Breaking the Spell
    呪縛を解く ⑯

    The Holocaust: Myth and Reality, Overview of the book by Dr. Nicholas Kollerstrom
    ホロコースト : ニコラス・コラーストロム博士の著書 「神話と現実」 の概要

    Breaking the Spell

    Fairy Tales From Hell
    地獄からのおとぎ話 (四)

    On the title page of his memoirs (published in 1946), Simon Wiesenthal, the famous Nazi hunter, featured an illustration purporting to be three Jewish inmates shot by the Nazis at Mauthausen. The picture shows the three prisoners tied to stakes and drooping in tragic, if highly dramatic poses, as they lay slumped and dead against the stakes. Wiesenthal claimed that he had “witnessed” the shootings. The problem here is that the tableaux portrayed was clearly lifted from a photograph from the June 11th 1945 edition of Life magazine where the exact same, and very unique, poses are shown of three German prisoners who had been executed as spies – this after having been caught wearing American uniforms whilst attempting to infiltrate Allied lines during the Battle of the Bulge. Once, again, we find a supposedly impeccable ‘eyewitness’ blatantly lying and committing overt fraud, and which lends serious credibility issues to anything else he has to say.
    ナチス・ハンターとして有名なサイモン・ヴィーゼンタールはその回想録 ( 1946 年出版) のタイトルページにマウトハウゼンでナチスが射殺した 3 人のユダヤ人受刑者と称する写真を載せている。その写真は、3 人の囚人が杭に縛られ、杭にへばりつきながら死んでいく、非常に劇的ではあるが悲痛な姿勢で垂れ下がっているものであった。ヴィーゼンタールはこの射殺を “目撃した” と主張した問題はこの写真が1945 年 6 月 11 日号の 『ライフ』 誌に掲載された写真から引用されたものであることだこの写真にはスパイとして処刑された 3 人のドイツ兵の全く同じそして非常に特徴的な姿勢が写っているのである - バルジの戦いで連合軍の戦線に潜入しようとしてアメリカの軍服を着ていたところを捕まり、スパイとして処刑された3人のドイツ人捕虜が写っているのである。ここでもまた非の打ち所のないはずの “目撃者” があからさまに嘘をつきあからさまな詐欺を働いていることがわかり彼の言うことの信憑性に重大な問題が生じていることがわかる

    サイモン・ヴィーゼンタール
    サイモン・ヴィーゼンタール

    One particularly influential Holocaust potboiler is Philip Muller’s, ‘Eyewitness Auschwitz: Three Years in the Gas Chambers’, (1979) in which the hero claims to have been the ‘sole survivor of the murder operations’ at Auschwitz over three years. He too describes “the burning pits in which Jews were consumed”. This prize-winning best-seller is, according to Kollerstrom, ‘required reading in many Holocaust study courses’. The problem with it, however, is that it wasn’t written by Muller, but by ghost-writer Helmut Freitag who, in turn, had plagiarized it from an equally faked account by Miklos Nyiszli entitled, ‘Auschwitz: A Doctor’s Eyewitness Account’ (1947). In that book Nyiszli blithely states that Auschwitz killed 20,000 people per day, every day, from 1940 to 1944 – which adds up to a cool 29 million dead! But, then, who’s counting? Certainly not the dean of Holo-historians, Raul Hilberg, as his supposedly authoritative, ‘The Destruction of the European Jews’, repeatedly quotes from it.
    特に影響力のあるホロコーストのポットボイラー (営利目的の粗悪な作品) の一つがフィリップ・ミュラーの 『アウシュビッツの目撃者』 ( 1979 年) である。この本の主人公は、アウシュヴィッツでの 3 年間の 「殺戮作戦の唯一の生き残り」 であったと主張している。彼もまた 「ユダヤ人が焼き尽くされる焼却炉」 について述べている。コラーストロム氏によればこの受賞作であるベストセラーは多くのホロコースト研究コースで必読書」 になっているとのことであるしかしこの本の問題はミュラーによって書かれたのではなくゴーストライターのヘルムート・フライタークによって書かれたことであり彼はミクロス・ニーシュリの 『アウシュビッツ』 と題する同じような偽の記録から盗作したのである『医師の目撃証言』 ( 1947 年) と題するミクロス・ニーシュリの記述も同じように捏造されたものであるこの本の中で、ニーシュリはアウシュビッツは 1940 年から 1944 年まで毎日 2 万人を殺したとあっけらかんと述べている - ということは、2,900 万人が死んだことになる。しかし、誰が数えたのだろう? ホロコースト歴史家の第一人者であるラウル・ヒルバーグはその権威あるはずの 『ヨーロッパ・ユダヤ人の滅亡』 で繰り返し引用しているのだから間違いない

    226A storm is coming 225

    Let us finish off with one final testimonial, ‘The Diary of Anne Frank’; though let me say at the outset here that this tiny deconstruction is meant in no way to impugn Anne herself. Rather the following is testament to just how far those who believe in the philosophy of the-ends-justify-the-means are willing to go.
    それでは最後に、「アンネの日記」 の証言で締めくくりましょう。しかし、最初に断っておくが、このささやかな脱構築 (デコンストラクション) は、決してアンネ自身を非難するためのものではない。むしろ、「目的の達成は手段を正当化する」 という哲学を信じる人たちがどれほどのことをしでかすか以下がその証左となるであろう

    アンネの日記

    To critical minds the ‘Diary’ was always somewhat suspect as there are passages, specifically those detailing a brief historical and political account of the German occupation of Holland, that are clearly not from the hand of a 13-year-old girl. This scepticism would later be borne out when it was shown, first in an Amsterdam court and then by a German criminal investigation, that Otto Frank, Anne’s father, had, in fact, been the author of substantial parts of the diary, and who had used a ball point pen (not available during the war) to write them. Indeed, Otto Frank – who was treated for typhus at the hospital[6] at Auschwitz and survived the war (dying in 1980) – had, apparently, first published the book as a work of, in his own words, “fiction”, under the title, ‘The Annex: Diary Notes’. The title, ‘Diary of Anne Frank’, was given to the book by its first English publishers.
    この 「日記」 には13 歳の少女の手によるものではないことが明らかなドイツのオランダ占領に関する簡単な歴史的・政治的記述がありそのため専門家の間では常に疑わしいとされてきたこの懐疑論は後にアムステルダムの裁判所とドイツの犯罪捜査によってアンネの父親であるオットー・フランクが日記のかなりの部分を実際に書きボールペン (戦時中には使用できなかった) を使って書いたことが明らかになったときに証明されることになった。実際、アウシュビッツの病院でチフスの治療を受け、戦争を生き延びた ( 1980 年に死去) オットー・フランクは彼自身の言葉を借りれば 「フィクション (作り話) 」 の作品として「別冊・日記ノート」 というタイトルで最初に本を出版したようである。『アンネの日記』 というタイトルは最初に出版されたイギリスの出版社によってつけられたものである

    Is Zelensky a Cousin of George Soros?

    It is, finally, worth noting, and here I quote from Peter Winter,
    最後に、注目に値するピーター・ウィンターの言葉を引用しておくとする。

    “…that Anne Frank died of typhus and was not ‘gassed’. It is one of the horrific ironies that Anne Frank died due to a lack of Zyklon-B at Bergen-Belsen – and this lack was caused directly by the Allied bombing campaign. The real story of Anne Frank is tragic enough, but the cruel exploitation, exaggeration and faking of her diary by the Holocaust storytellers is a scandal of epic proportions.”
    アンネ・フランクはチフスで死んだのであって「ガス処刑」 されたのではありませんでしたアンネ・フランクがベルゲン・ベルゼンでチクロンBの不足のために死んだというのはおぞましい皮肉の一つでありこの不足は連合軍の空爆作戦によって直接引き起こされたのですアンネ・フランクの実話は十分に悲劇的であるにもかかわらずホロコーストの語り部たちによる彼女の日記の無慈悲な悪用、誇張、捏造は、壮大なスキャンダルである。」

    Virtually all of the other core ‘autobiographies’ have, as I mentioned at the outset, been shown to be fakes or gross exaggerations, and the rest of the individual testimonies are largely derivative from these accounts and/or based on mere hearsay and rumour such that when confronted in a court of law by probing inquiry the ‘witnesses’ inevitably fall back on, ‘I heard’ or ‘someone told me’ or ‘It was common knowledge’ etc. It seems Professor Rassinier knew what he was about.
    その他の 「自伝」 は冒頭で述べたように事実上すべて偽物か誇張であることが明らかになっているその他の証言はこれらの証言から派生したものあるいは単なる伝聞や噂に基づいたものであり法廷で尋問された場合“証人” は必然的にこう答えることになる「私は聞いた」 「誰かが言った」 「常識だった」 等々。ラッシニエ教授は、そのことをよく理解していたようだ。

    Hitler.jpg 習近平思想の着想者であり、中国的特徴を持つ社会主義の提唱者である習近平総書記

    パペット岸田・林

    『Breaking the Spell』 The Unz Review • An Alternative Media Selection

    投資家サーベイ結果発表 「岸田政権、支持しますか?」



    本日の書物 : 『隷従への道』 フリードリヒ・ハイエク 日経BP



    戦後の日本人は、正しい歴史を学校で教わって来ませんでした。

    そして、現代のメディアもまた、嘘の情報を流し続けています。

    私たち日本人は、親日的な立場に立ち、正しく認識し直し、

    客観的に情勢を判断する必要があります。

    それでは、この書物を見ていきましょう!




    『 自由に慣れ親しんだ社会では【自由を捨ててまで経済的保障を得ようとする人】は多くないだろう。【だがいまや多くの国で、保障という特権をこちらの集団から取り上げてあちらの集団に与えるといった政策が推進されており、自由の尊重を投げ捨ててまで、その特権の獲得を熱望する状況になっている】。というのも、【ある集団に全面的な所得保障を与えれば、残りの人たちは必然的に保障のない不安定な状態に置かれる】からだ。【国民所得は常に変動するもの】であるその国民所得のようなケーキがあるとしてそこから【つねに同じ大きさの一切れを特定の集団に与えていたら、残りの人たちの取り分は、変動の影響をもろに被ることになる】仮にケーキが 10 %小さくなったら取り分は 10 %以上減ってしまう【競争社会では、機会の多様性が保障の役割を果たしている】がこのように【特権的保障が横行する社会では、機会の多様性は次第に失われていく】

    岸田の社会主義

     【市場経済の中で特定集団に所得保障を与える唯一の方法】は【規制という名の計画を導入すること】である (現在進行中の計画は、ほぼ全部これに該当する)。【 「管理」 と称する参入規制を通じた産出制限】によって【価格ひいては利益を 「適切」 な水準に維持する】ことによってのみ【市場経済において生産者に一定利益を保証する】ことができるだが【そうなれば必然的に、それ以外の人の機会は減ってしまう】生産者が企業であれ労働者であれ安値の新規参入者から保護されるとなれば保護された産業の利益は相対的に増え割りを喰った人はその恩恵に与ることができないこのように【参入規制は締め出された人の取り分を必ず減らす】こうした形で【所得保障を受ける人が増えるほど、しわ寄せを受けた人々の機会は狭まり、従って収入減を回避するチャンスも減ってしまう】。いま現実に広く行われているのは、繁栄を謳歌する業界で新規参入の阻止を認めることだ。その業界が有利な立場を最大限活かして賃金の引き上げあるいは利益拡大を実現するためだが、これが許されるようだと、需要が落ち込んだ業界で働く人々は行き場を失ってしまう。こうして【経済環境に何らかの変化が起きるたびに大量の失業が発生することになる】。大勢の人々が失業と生活不安に苦しめられるようになったのは、ここ数十年ほど、多くの産業が参入規制を認めさせようと奔走した結果だということは確実である。…

     こうして、【市場経済に介入して手厚い保障を提供しようとするほど、経済は不安定になる】。特権として保障を与えられた人と、特権を得られずに不安定な立場に追い込まれる人との格差は一段と大きくなる。【保障が特権と化すにつれて、そこから排除されたときの危険はいっそう大きく、保障の価値はいっそう高くなる】からだ。うまく特権を手に入れた人の数が増え持てる者と持たざる者との【格差が拡大するとともに、まったく新しい社会観が姿を表す】【階級や社会的地位を左右するのは、もはや自らの努力ではなくて政府による保障である】【若者が結婚しようと決意するのは、自分でやっていける自信がついたときではなく、年金を受け取る権利を得たときだ】【若いときに特権的産業で職にありつけなかった人たちは、脱落者として一生を送らなければならない】。』

    日の丸

    米露に次いで世界第 3 位の産油国だったガリツィア・ロドメリア王国


    いかがでしょうか?

    今回ご紹介させていただく書物は、資本主義を研究する学問である経済学において、偉大なる経済学者の一人であるフリードリヒ・ハイエクが、ナチズム (あるいはファシズム) と社会主義・共産主義の類似性を明らかにしつつ、 それらの集産主義体制が必然的に全体主義へと至ってしまう危険性について警鐘を鳴らした非常に有名な書物で、本書を通じて『 「法の支配」 に基づく自由民主主義』 がいかに大切なものであるのかを改めて理解することができ財務官僚如きにコントロールされ「法の支配」 を無視した勝手な決定を次々と行っている (例 : ウクライナへの軍事物資支援 = 戦争行為)トコトン無能な “岸田政権” も、実はハイエクが警鐘を鳴らしたものにまさしく繋がっているという現状が良く分かるようになる当ブログお薦めの良書になります無能で危険極まりない岸田一派は、政権のみならず政界そのものから抹消することが私たち日本国民の喫緊の課題となりますので、是非広く日本国民の皆様にお読みいただきたいと思います。

    読書 10-033

    それでは本日も、いつものように、直近の「致死率」を確認しておきましょう。

    (死亡症例数)÷(感染症例数)=(致死率)

    ※(  )内は前回の数値

    joyzacksdp.jpg
    Coronavirus COVID-19 Global Cases by Johns Hopkins CSSE

    アメリカ : 1,001,828(1,001,433)÷83,141,628(83,005,877)=0.0120・・・(0.0120) 「1.20%(1.20%)」
    joyzacksdp1.jpg

    イタリア : 165,827(165,738)÷17,205,017(17,178,199)=0.0096・・・(0.0096) 「0.96%(0.96%)」
    joyzacksdp2.jpg

    日本 : 30,256(30,212)÷8,547,200(8,509,857)=0.0035・・・(0.0035) 「0.35%(0.35%)」
    joyzacksdp3.jpg











    さて、これまでの流れを、簡単に確認しておきますと、まず、出発点として、カール・マルクス (1818 - 1883) が生まれる約 200 年ほど前の時代 (日本で言えば、戦国時代から江戸時代初期にかけての時代) に、ドイツの神秘主義者であるヤーコプ・ベーメ (ヤコブ・ベーメ、1575 - 1624) という名の人物がいて、その後の 「ドイツ思想」 に決定的な影響を与えた 「キリスト教神智学 (Christian theosophy) 」「ベーメ神智学 (Boehmian theosophy) 」 なるものが世に生まれることになります。(詳しくはこちらから💓

    ヤーコプ・ベーメ(ヤコブ・ベーメ)
    ヤーコプ・ベーメ(ヤコブ・ベーメ)

    そのベーメの言っていたことというのは、次のようなものでした。

    世界は本来壊れているものであり、それを直すことができるのは正しい者だけである詳しくはこちらから💓

    そして、その影響を受けたのがプロイセン (ドイツ) の哲学者イマヌエル・カント (1724 - 1804) で、彼が言っていたことは、次のようなものでした。

    イマヌエル・カント
    イマヌエル・カント

    たとえ世界を直すことができなくても、私たちは常に世界を直すことができると仮定して行動しなければならない詳しくはこちらから💓

    また、ドイツ観念論を代表する思想家ゲオルク・ヴィルヘルム・フリードリヒ・ヘーゲル (1770 - 1831) も影響を受けていて、そんな彼が言っていたことは、次のようなものでした。

    ゲオルク・ヴィルヘルム・フリードリヒ・ヘーゲル
    ゲオルク・ヴィルヘルム・フリードリヒ・ヘーゲル

    世界が固定されていたとしても、私たちは無意識のうちに分裂を起こし、世界が再び崩壊し始めることになる詳しくはこちらから💓

    で、この流れを受け継いでいるのがカール・マルクスであり、ウラジミール・レーニン (1870 - 1924) で、彼らが言っているのは次のようなことです。

    カール・マルクス
    カール・マルクス

    私たちには、世界を壊したいという衝動はない。もし私たちが世界を壊すとすれば、それは私たちが社会とその主人たちからそうすることを学んだからである

    ウラジーミル・イリイチ・レーニン 1
    ウラジーミル・イリイチ・レーニン

    われわれは、世界を固定するために、意識の統一を強行しよう詳しくはこちらから💓

    このように、ドイツで生まれた 「キリスト教神智学 (Christian theosophy) 」 ・ 「ベーメ神智学 (Boehmian theosophy) 」 を出発点として、その後、人為的に造り出された “幻想” であるところのマルクス主義・共産主義・社会主義という類の妄想が生み出されることとなります。ここで重要な点は、そもそも全知全能なる神が創り賜うた世界にあって、なぜ悪が存在するのか、という疑問から生じた 「ベーメ神智学 (Boehmian theosophy) 」 が、ユダヤ・キリスト教的 “善悪二元論” をより一層強化し、世界を完全に良くするために 「悪なるもの」 を消し去らねばならない、といった浅はかな思考へと陥る人々を生じさせたことです。多くの一般的な人々も陥りやすい誤った思考ですが、特に 「極左おパヨク」 と呼ばれる連中はその影響をもろに受けてしまうほどの 「おバカ」 で、さまざまな “アイデンティティ” を次から次へと粗製濫造することで、ユダヤ・キリスト教的な 「贖罪(しょくざい)」 の対象物として “罪” を創り出し、その罪に対する償 (つぐな) い・贖 (あがな) いを果たねばならない、と妄信させることによって、「寡頭制 (oligarchy/オリガルキー)」 の下で人々に対して自己抑圧的な態度の徹底を促し ( ← これが、ポリコレw)人々の “自由” を奪う極めて 「権威主義的な統制社会の再構築」 を目指す連中の思う壺となっていて、それはまさに現在私たちが普通に目にすることができる状況にあります。つまり、もはや隠そうともしていないという状況にあるということです。

    Hunter Biden Soros Linked to Biolabs in Ukraine





    その 「寡頭制 (oligarchy/オリガルキー)」 については、ドイツ出身の社会学者・歴史学者かつマルクス主義者であり、エリート理論の信奉者で、さらにはファシズム (全体主義者) でもあったロベルト・ミヒェルス (ロベルト・ミヘルス) が提唱した仮説である 『寡頭制の鉄則』 (iron law of oligarchy) を確認をしてきましたが、そこにもやはり 「キリスト教神智学 (Christian theosophy) 」 ・ 「ベーメ神智学 (Boehmian theosophy) 」 の影響を見ることができます。(詳しくはこちらから💓

    ロベルト・ミヒェルス(ロベルト・ミヘルス)
    ロベルト・ミヒェルス(ロベルト・ミヘルス)

    また、「寡頭制 (oligarchy/オリガルキー) 」 と同根の言葉である 「オリガルヒ (oligarch) 」 につきましても、ロシア詳しくはこちらから💓) やウクライナ詳しくはこちらから💓) の事例から、そこには少なからぬ 「ユダヤ人 ( = ユダヤ教徒)」こちらもご参照💓) が存在していることも判明しました。

    A storm is coming 245





    さらには、ウクライナとユダヤ人 ( = ユダヤ教徒) と特異な関係を、ウマン (ウーマニ) 巡礼の形成の歴史を通じて確認しました。 (詳しくはこちらから💓

    ウーマニ

    そこで、現在 “ユダヤ人” (民族としては定義され得ない、単なる宗教信者のグループ) という存在に着目し、より一層理解を進めるために様々な論文を見ているところとなります。

    dgesyda.jpg
    『分水嶺レンベルク : 象徴としての地誌』伊狩 裕

    ガリツィアのユダヤ人―ポーランド人とウクライナ人のはざまで

    それでは早速、続きを見て参りましょう。

    『 2.
     ・・・ガリツィアにはオーストリア国内のみならずドイツフランスイギリスアメリカカナダから石油関連業者金融業者などが蝟集した1880 年代にはカナダの石油採掘業者W.H.マクガーヴェイが本国から掘鑿機械を持ち込みガリツィアの原油生産は一気に加速する。A.F.フランクによれば、「 20 世紀初頭、マクガーヴェイとベルクハイムのカルパチア会社は 2,400 人の労働者を雇い」マクガーヴェイは 「オーストリアの石油王」 と呼ばれた


    現代ヨーロッパにおけるガリツィアの位置
    現代ヨーロッパにおけるガリツィアの位置

    adsdsyedus.jpg

    1900 年には 97 のガリツィアの町村に 1,722 の石油関連企業 (調査、掘鑿、採掘) があったそのうち実際石油を採掘していたのは 120 社であり34 社が掘鑿を開始し」、ガリツィア全体で 1909 年のピーク時には年産 200 万キロリットルの原油を生産しこれは世界の原油生産の 5 %にあたりガリツィア・ロドメリア王国はアメリカ、ロシアに次いで世界第 3 位の産油国となった

    1914年におけるオーストリア=ハンガリー帝国中のガリツィア・ロドメリア王国
    1914年におけるオーストリア=ハンガリー帝国中のガリツィア・ロドメリア王国

    当時のガイドブックによれば、ボリスラフは、カナダ式のシステムによって掘鑿するボーリング櫓の森」の観を呈していたという。マクガーヴェイの会社は「 1900 年に投資家に 15 %の配当金を支払い」「ロンドン、パリ、ブリュッセル、ベルリン、ウィーン、そしてニューヨークの新聞はガリツィアの石油生産量と価格の統計を掲載し、ヨーロッパ中、アメリカ中の投資家たちがそれらを仔細に研究した」 のであった。

    ボリスラフの位置
    ボリスラフの位置

     レンベルク (※ウクライナ語でリヴィウ、ドイツ語でレンベルク (Lemberg)、ポーランド語でルヴフ (Lwów) ) は中世以来東西南北の交易路が交わる要衝であったが19 世紀後半それらの交易路に沿う形で鉄道が施設され「オーストリア・ハンガリー帝国の最も大きな流通の拠点の一つ」 となった油田地帯への出入り口にもあたっていたレンベルクにはあとで見るように内外の金融機関のビルが犇めいた

    リヴィウ(レンベルク)の位置
    リヴィウ (レンベルク、ルヴフ) の位置

     ガリツィアの石油に関してウィーン政府は当初帝国採鉱特権の対象であると主張したがガリツィア領邦議会すなわちポーランド人たちの強硬な抵抗にあい1862 年 1 月石油に対するガリツィアの権利を認めざるを得なくなるガリツィアのポーランド人たちにとってこれはただ権益の問題であるのみならず民族の自治の問題でもあったハンガリーがアウスグライヒによって事実上の独立を獲得した翌 1868 年ガリツィア領邦議会は教育と司法のポーランド語化を決定したうえ「ガリツィア決議」 を採択ハンガリー同様の特別な地位をガリツィアにもたらすような、金融、財政、司法を含む広範な自治権の拡大要求を帝国議会に提出した帝国議会がこれをそのまま承認することはなかったがしかしその後 「ウィーン政府はガリツィアに対しては、政令や領邦法、あるいは行政措置によってポーランド人の意に添うよう対処した。ポーランド語は領邦のいたるところで優遇されとくに官庁の内務においてそして学校においてその影響は顕著になった財政の分野においてもポーランド人たちに対して歩み寄りがなされ、帝国末期の数十年においては莫大な金額がガリツィアの鉄道建設、道路建設に対して、また文化的目的、行政上の目的のために提供された。」

    ということで、本日はここまでとさせて頂きます。











    続きは次回に♥




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    2022-06-13 * [ 編集 ]