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    親子チョコ💗(500冊以上の良質な書籍のご紹介)

    子どもたちの教育のため、また、その親である私たち自身が学ぶための、読まれるべき良質な書籍のみをご紹介させていただきます。

     >  原発 >  “読売新聞” (国売り新聞) にとって不都合な真実 ④ : ウクライナの英雄 “ステパーン・バンデーラ” は、人道に対する罪を犯したナチスの元協力者、ということを隠すネオコン系メディアの “読売 (国売り)”

    “読売新聞” (国売り新聞) にとって不都合な真実 ④ : ウクライナの英雄 “ステパーン・バンデーラ” は、人道に対する罪を犯したナチスの元協力者、ということを隠すネオコン系メディアの “読売 (国売り)”

    Evolution of a Reptile

    本日のキーワード : ウクライナ、ネオナチ、ステパーン・バンデーラ、バンデライト、シュトラウス派、ユダヤ人、ユダヤ教、キリスト教、原子力規制委員会、田中俊一



    Ukraine : the Second World War continues
    ウクライナ : 第二次世界大戦は続く ①

    Nato propaganda tries to minimize the presence of neo-Nazis in Ukraine by comparing it with that of equivalent groups in the rest of the West. The truth is very different. Bandéristes have gradually taken over the country over the last 30 years, rewriting history, training the youth and changing all the symbols of the state one by one. They have indoctrinated a third of the population and represent a good third of the armed forces. Their goal is to destroy Russia, which they are trying to do with the help of the Straussians.
    NATO のプロパガンダは、ウクライナにおけるネオナチの存在を、他の西側諸国における同種のグループの存在と比較することによって、目立たぬようにしようとするものである。真実はまったく違うバンデリスト (バンデール主義者) たちはこの 30 年間で徐々に国を支配し歴史を書き換え若者を訓練し国家のすべての象徴を一つずつ変えてきた彼らは人口の 3 分の 1 を洗脳し軍隊の 3 分の 1 を占めている彼らの目標はロシアを破壊することでありそれはシュトラウス派の助けを借りて行われようとしている

    ステパーン・バンデーラ
    ステパーン・バンデーラ

    レオ・シュトラウス
    レオ・シュトラウス

    ステパーン・バンデーラ
    While working for the CIA in 1950, the criminal against humanity Stepan Bandera wrote: "The general line of our liberation policy is based on the fact that a struggle for an independent Ukrainian state is a struggle against Russia, not only against Bolshevism, but against all expansionist Russian imperialism which has been typical of the Russian people. If it is replaced by another form of Russian imperialism, it will first deploy all its energy against independent Ukraine to enslave it. The Russian people are obliged to support this imperialism. It will do everything to keep Ukraine enslaved. This is clearly demonstrated in the political thinking and feelings of the Russian mass, of all Russian circles, both communist and anti-Bolshevik."
    1950 年に CIA のために働いていたとき、人道に対する犯罪者ステパーン・バンデーラはこう書いている : 「我々の解放政策の原則的方針は、独立したウクライナ国家のための闘いは、ロシアに対する闘いであり、ボルシェビズム (ボルシェビキの過激思想) に対するだけでなく、ロシア人の特質である一切の拡張主義的ロシア帝国主義に対する闘いでであるということに基づいている。もし、それがロシア帝国主義とは別の形態に取って代わられたとしても、それはまず独立したウクライナに対して全力を投入し、ウクライナを隷属化するだろう。ロシア人民は、この帝国主義を支持せざるを得ない。ウクライナを隷属させるために、あらゆることを行うだろう。このことは、ロシア大衆の政治的思考と感情、共産主義者と反ボルシェビキの両方のすべてのロシア人サークルの政治的思考と感情にはっきりと示されている。」

    In a previous article, I showed how and why MI6 and the CIA formed an alliance with Ukrainian Banderites during the Cold War. These men and women, who should have been tried at Nuremberg, became shadow soldiers for the victors. They could pursue their anti-Russian obsession at their service.
    前回の記事で、冷戦時代に MI6CIAウクライナのバンデライトとどのようにそしてなぜ同盟を結んだかを紹介した。本来ならニュルンベルクで裁かれるべき者たちが戦勝国の影の軍団と化したのである彼らは自分たちが奉じることによって反ロシア的な妄想を追い求めることができたのである

    Following the numerous reactions of my readers, I would like to explain here how they took possession of the present Ukraine, then took over and continued the Second World War in several countries on their own. Above all, I would like to show that in the year 2000, these rabid people have changed from auxiliaries to US shock troops. They made a pact with the Straussians against Russia. It is this pact that has led to the present war.
    読者からの多くの反響を受けて、私はここで、彼らがいかにして現在のウクライナを手に入れ、その後、いくつかの国で独自に第二次世界大戦を引き継いだかを説明したいと思う。とりわけ、2000 年になってこの狂信的な連中補佐部隊からアメリカの突撃部隊へと変貌したことを明らかにしたいと思う。彼らはロシアに対してシュトラウス派と協定を結んだこの協定が現在の戦争へと繋がっているのです

    バンデライト(バンデーラ派極右)
    バンデライト(バンデーラ派極右)

    BANDERITES FROM WITHIN AND WITHOUT
    内部と外部のバンデライト

    When the Soviet Union faltered, the Banderite leaders from within came out of the shadows and into the mainstream. Some of them had survived the Second World War and the period of unrest that followed (1945-50). They had been pardoned by Nikita Khrushchev (a Ukrainian Soviet) in 1954 and had been taken over by the system. They had entered the communist administration. They had, however, retained links with each other and with the outside Banderites of the Anti-Bolshevik Bloc of Nations (ABN) and the World Anti-Communist League (WACL).
    ソビエト連邦が崩壊した時内部からバンデライトの指導者たちが姿を現しその存在は主流となった。彼らの中には、第二次世界大戦とそれに続く不穏な時期 ( 1945 - 50 年) を生き延びた者もいた。彼らは1954 年にニキータ・フルシチョフ (ウクライナ・ソビエト人) に恩赦され体制側に取り込まれることになった彼らは共産党政権に入ったのであるしかし彼らはお互いのそして反ボルシェビキ諸国ブロック (ABN : the Anti-Bolshevik Bloc of Nations) や世界反共産主義者連盟 (WACL : the World Anti-Communist League) の外部のバンデライトたちとの繋がりを保持していたのである。

    これ 女性

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    “読売新聞” (国売り新聞) にとって不都合な真実 ② : ウクライナの英雄 “ステパーン・バンデーラ” と “統一教会” に繋がる点と線 (笑)

    As the USSR faltered, a handful of students, some of whom were Banderites, organized a movement in October, 1990 in Maidan Square (then called "October Revolution Square") against any form of association with Russia. This is what is called the "Granite Revolution"; a period of great intellectual confusion. At that time, many Ukrainians did not consider that the Russians wanted to free themselves from the Soviet regime as they did. Many thought that the USSR was a form of Russian imperialism and that the Russians had tried to destroy their country.
    ソ連が衰退すると、バンデライトの一握りの学生たちが1990 年 10 月マイダン広場 (当時は 「10月革命広場」 と呼ばれていた) でロシアとのあらゆる形での関わりに対して反対運動を起こしていった。これが、いわゆる 「花崗岩革命」 である ; 大いなる知性の混乱期であった。当時、多くのウクライナ人は、自分たちがやったようにロシア人がソビエト政権からの解放を望んでいるとは考えていなかった。ソ連はロシア帝国主義の一形態であり、ロシア人が自らの国を破壊しようとしたのだと考えている人が多かった。



    When Ukraine declared its independence on August 24, 1991, the Banderites in general came out in the open. They did not present themselves as former collaborators of the Nazis who had committed crimes against humanity, but as "nationalists" and anti-Soviet militants. They were able to get young conscripts to sign a document committing themselves to fighting Russia in the event of a conflict. They were also able to organize a public demonstration in the streets of the capital in 1992 with 7,000 people celebrating the 70th anniversary of the Banderite army with the participation of Banderites from outside who had returned to the country.
    1991 年 8 月 24 日にウクライナが独立を宣言するとバンデライトは全面的に表に出てくるようになった彼らは自分たちを人道に対する罪を犯したナチスの元協力者としてではなく「民族主義者」 「反ソビエト過激派」としてアピールしたのである。彼らは、若い世代の徴兵者に、紛争が起きたらロシアと戦うことを誓約する文書に署名をさせることに成功した。彼らはまた、1992 年に首都の通りで、バンデライト軍の 70 周年を祝う 7,000 人規模の公開デモを、国外から帰国したバンデライトの人々の参加を得て実施することにも成功した。

    Is Zelensky a Cousin of George Soros?

    Hitler.jpg 習近平思想の着想者であり、中国的特徴を持つ社会主義の提唱者である習近平総書記

    岸田内閣





    Ukraine : the Second World War continues



    本日の書物 : 『それでも原発が必要な理由』 櫻井 よしこ、奈良林 直 ワック



    戦後の日本人は、正しい歴史を学校で教わって来ませんでした。

    そして、現代のメディアもまた、嘘の情報を流し続けています。

    私たち日本人は、親日的な立場に立ち、正しく認識し直し、

    客観的に情勢を判断する必要があります。

    それでは、この書物を見ていきましょう!




    『 規制委員会に与えられた強大な権限

    櫻井 : 先に進む前に原子力規制委員会の説明が必要かもしれませんね。原子力規制委員会は 2012 年 9 月、国家行政組織法に基づいて、人事、予算などにおいて内閣から独立した強い権限を有する三条委員会として出発しました。旧民主党政権の時です。三条委員会の権限は非常に強く、総理大臣といえどもその人事などには容易に介入できない存在です。それ以前に存在した原子力安全・保安院が原発を推進する経済産業省・資源エネルギー庁の管轄下にあったために、安全性確保に必要な厳しい規制ができなかったことを考えれば、規制部門を分離して、独立性を担保したこの組織改編は正しかったと思います。

     しかし、三条委員会としての規制委員会に与えられた権限の強大さを考えれば、科学的に的確な判断を下すことが委員会の責務です何といっても規制委員会の扱う安全規制の全面的見直しは日本のエネルギー政策を左右する重要事項です田中俊一委員長以下総勢 5 名の委員はまさに専門家としてまた良識の人として日本の未来に大きな責任を有しているのですが責任を果たしているとは思えません

    田中俊一(たなかしゅんいち)
    国賊・田中俊一

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    奈良林 : その中で原発や過酷事故に詳しい委員は更田豊志委員一人だけです。

    櫻井 : いずれも各々の分野では優れた実績をあげてこられた人々でしょうが、更田氏を除けば原発に詳しい人物がいないというのは、原子力規制委員会に託されたミッションの重要性を考えれば異常です。この五氏は 2012 年 7 月野田佳彦首相が国会の同意を得ないで例外規定に基づく首相権限で任命した人々です。それを政権交代後、自民、公明、旧民主、いずれの党も十分な議論をしないまま、同人事を承認してしまい、その後 3 人の委員が交代しました。 

    奈良林 : 本来なら規制委員会の委員には優れた見識を持ち科学技術にも明るくきちんとした判断を下せる人が選ばれるべきなのですが、人選の際にこれまで原発の耐震評価に携わってきた地震工学や耐震工学などの専門家を全て排除してしまったのです。

    櫻井 : 福島の原発事故に動転して、年来の原発関連研究を疑問視するあまり、多くの経験者を排除してしまったのですね。しかし、よくよく考えてみると事故前にさまざまな委員会や学会で活躍していた人材を全員排除してしまえば優れた人材を集めることなど事実上不可能です。結局二流の人材が中心になるということで、その点は当初から指摘されていましたね。』

    日の丸

    アメリカの 「反共主義」 と 「リバタリアニズム」 と 「保守主義」


    いかがでしょうか?

    今回ご紹介させていただく書物は、なぜ我が国において原子力発電を含めたエネルギー政策がまともに議論されない且つ推進されないのかという極めて素朴な疑問に対して非常に明確な答えを提示している良書で、概して、その原因は “ド文系” な方々の 「思い込み」 と 「専門家」 ではないのにそのようなフリをする “似非専門家” が明後日な方向にしか物事が考えられないから、という、まさに我が国の停滞の根源にある “病巣” を知ることができます。

    読書 5-19

    それでは本日も、いつものように、直近の「致死率」を確認しておきましょう。

    (死亡症例数)÷(感染症例数)=(致死率)

    ※(  )内は前回の数値

    algdochs.jpg
    Coronavirus COVID-19 Global Cases by Johns Hopkins CSSE

    アメリカ : 1,059,714(1,059,605)÷96,419,571(96,394,980)=0.0109・・・(0.0109) 「1.09%(1.09%)」
    algdochs1.jpg

    イタリア : 177,197(177,150)÷22,542,568(22,529,252)=0.0078・・・(0.0078) 「0.78%(0.78%)」
    algdochs2.jpg

    日本 : 45,090(44,580)÷21,356,343(21,147,468)=0.0021・・・(0.0021) 「0.21%(0.21%)」
    algdochs3.jpg









    さて、これまでの流れを、簡単に確認しておきますと、まず、出発点として、カール・マルクス (1818 - 1883) が生まれる約 200 年ほど前の時代 (日本で言えば、戦国時代から江戸時代初期にかけての時代) に、ドイツの神秘主義者であるヤーコプ・ベーメ (ヤコブ・ベーメ、1575 - 1624) という名の人物がいて、その後の 「ドイツ思想」 に決定的な影響を与えた 「キリスト教神智学 (Christian theosophy) 」「ベーメ神智学 (Boehmian theosophy) 」 なるものが世に生まれることになります。(詳しくはこちらから💓

    ヤーコプ・ベーメ(ヤコブ・ベーメ)
    ヤーコプ・ベーメ(ヤコブ・ベーメ)

    そのベーメの言っていたことというのは、次のようなものでした。

    世界は本来壊れているものであり、それを直すことができるのは正しい者だけである詳しくはこちらから💓

    そして、その影響を受けたのがプロイセン (ドイツ) の哲学者イマヌエル・カント (1724 - 1804) で、彼が言っていたことは、次のようなものでした。

    イマヌエル・カント
    イマヌエル・カント

    たとえ世界を直すことができなくても、私たちは常に世界を直すことができると仮定して行動しなければならない詳しくはこちらから💓

    また、ドイツ観念論を代表する思想家ゲオルク・ヴィルヘルム・フリードリヒ・ヘーゲル (1770 - 1831) も影響を受けていて、そんな彼が言っていたことは、次のようなものでした。

    ゲオルク・ヴィルヘルム・フリードリヒ・ヘーゲル
    ゲオルク・ヴィルヘルム・フリードリヒ・ヘーゲル

    世界が固定されていたとしても、私たちは無意識のうちに分裂を起こし、世界が再び崩壊し始めることになる詳しくはこちらから💓

    で、この流れを受け継いでいるのがカール・マルクスであり、ウラジミール・レーニン (1870 - 1924) で、彼らが言っているのは次のようなことです。

    カール・マルクス
    カール・マルクス

    私たちには、世界を壊したいという衝動はない。もし私たちが世界を壊すとすれば、それは私たちが社会とその主人たちからそうすることを学んだからである

    ウラジーミル・イリイチ・レーニン 1
    ウラジーミル・イリイチ・レーニン

    われわれは、世界を固定するために、意識の統一を強行しよう詳しくはこちらから💓

    このように、ドイツで生まれた 「キリスト教神智学 (Christian theosophy) 」 ・ 「ベーメ神智学 (Boehmian theosophy) 」 を出発点として、その後、人為的に造り出された “幻想” であるところのマルクス主義・共産主義・社会主義という類の妄想が生み出されることとなります。ここで重要な点は、そもそも全知全能なる神が創り賜うた世界にあって、なぜ悪が存在するのか、という疑問から生じた 「ベーメ神智学 (Boehmian theosophy) 」 が、ユダヤ・キリスト教的 “善悪二元論” をより一層強化し、世界を完全に良くするために 「悪なるもの」 を消し去らねばならない、といった浅はかな思考へと陥る人々を生じさせたことです。多くの一般的な人々も陥りやすい誤った思考ですが、特に 「極左おパヨク」 と呼ばれる連中はその影響をもろに受けてしまうほどの 「おバカ」 で、さまざまな “アイデンティティ” を次から次へと粗製濫造することで、ユダヤ・キリスト教的な 「贖罪(しょくざい)」 の対象物として “罪” を創り出し、その罪に対する償 (つぐな) い・贖 (あがな) いを果たねばならない、と妄信させることによって、「寡頭制 (oligarchy/オリガルキー)」 の下で人々に対して自己抑圧的な態度の徹底を促し ( ← これが、ポリコレw)人々の “自由” を奪う極めて 「権威主義的な統制社会の再構築」 を目指す連中の思う壺となっていて、それはまさに現在私たちが普通に目にすることができる状況にあります。つまり、もはや隠そうともしていないという状況にあるということです。

    Hunter Biden Soros Linked to Biolabs in Ukraine





    その 「寡頭制 (oligarchy/オリガルキー)」 については、ドイツ出身の社会学者・歴史学者かつマルクス主義者であり、エリート理論の信奉者で、さらにはファシズム (全体主義者) でもあったロベルト・ミヒェルス (ロベルト・ミヘルス) が提唱した仮説である 『寡頭制の鉄則』 (iron law of oligarchy) を確認をしてきましたが、そこにもやはり 「キリスト教神智学 (Christian theosophy) 」 ・ 「ベーメ神智学 (Boehmian theosophy) 」 の影響を見ることができます。(詳しくはこちらから💓

    ロベルト・ミヒェルス(ロベルト・ミヘルス)
    ロベルト・ミヒェルス(ロベルト・ミヘルス)

    また、「寡頭制 (oligarchy/オリガルキー) 」 と同根の言葉である 「オリガルヒ (oligarch) 」 につきましても、ロシア詳しくはこちらから💓) やウクライナ詳しくはこちらから💓) の事例から、そこには少なからぬ 「ユダヤ人 ( = ユダヤ教徒)」こちらもご参照💓) が存在していることも判明しました。

    A storm is coming 245





    さらには、ウクライナとユダヤ人 ( = ユダヤ教徒) と特異な関係を、ウマン (ウーマニ) 巡礼の形成の歴史を通じて確認しました。 (詳しくはこちらから💓

    ウーマニ

    そこで、現在 “ユダヤ人” (民族としては定義され得ない、単なる宗教信者のグループ) という存在に着目し、より一層理解を進めるために様々な論文を見ているところとなります。

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    『ネオコンと宗教右派 : 公共哲学的観点による比較』藤本 龍児

    それでは早速、続きを見て参りましょう。

    『 論文要旨

     イラク戦争を押しすすめた世界観を提供したのはネオコンと宗教右派だと言われている。すでに現在では、イラク戦争にたいする反対の声が多くなってきた。しかし、今後、両者の世界観は完全にその思想的な説得力を失うのだろうか。
     これまでネオコンと宗教右派については 「両者がどれほどブッシュ政権にたいして現実的な発言力をもっているのか」 ということが論じられてきた。しかし、上記のような問題を考察するためには 「両者はどれほどアメリカ国民にたいして思想的な説得力をもっているのか」 ということを問わねばならない。そこで、こうした問題を問うために、両者を公共哲学的な観点から比較する。
     本稿では、両者の世界観がもつ影響力の射程を明らかにし、両者を建設的に批判するための条件を導き出すことを目的とする。第 1 章では宗教右派の世界観を、第 2 章ではネオコンの世界観を明らかにし、第 3 章では、両者の世界観を比較して、その共通点と相違点を浮かび上がらせる。そして最後に、両者を建設的に批判するための手がかりを導きだす。

    キーワード
    ネオコン/ 宗教右派/ イラク戦争/ 世界観/ レオ・シュトラウス

    レオ・シュトラウス
    レオ・シュトラウス

    2. ネオコンの世界観

    2.1 ネオコンとは誰か

     …ところが、アメリカのばあい単純に 「リベラル」 対 「保守」 という図式を当てはめて考えることはできない。というのも、古い歴史をもつヨーロッパとは違って、アメリカにおける保守主義が探求すべき価値はむしろリベラリズムの伝統のなかにある、とされるからである。ゆえにアメリカでは共産主義陣営に対して自由主義陣営を守ろうとする場合には 「反共主義」 がもしくは政府の規制に対して個人の自由を守ろうとする場合には 「リバタリアニズム」 がそれぞれ保守主義と見なされるのである。
     リベラリズムを懐疑するネオコンの第一世代もそれを全面的に放棄するわけではない彼らのナチズムへの反発という基本姿勢や当時の共産主義との対決という時代情勢からすればそれも当然のことであると言えよう。しかし、それにもかかわらず、リベラリズムに対して問題意識をもち、それを近代への懐疑というところまで掘り下げて問い直そうとした試みは、従来のアメリカにおける保守主義にはなかったものであり、その点ではヨーロッパにおける本来の保守主義に通じるものがあったと言える。』


    ということで、本日はここまでとさせて頂きます。







    続きは次回に♥




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