2016-11-02 (Wed)

モーガン 1963年型
モーガン(Morgan Motor Company )は、イギリスの少量生産スポーツカーメーカーである。
1913年、イングランド、ウスターシャーのマルヴァーンに設立され、現在も同地にて創業者一族らによる家族経営がなされている。従業員は約150名。

モーガン・エアロ8
モーガン社の車は1910年、オリンピアモーターショーにて公開展示された3ホイーラーによってなされ、この車の販売面、モータースポーツでの成功が、モーガン社の経営の地盤を築いた。
1936年、市場の影響、要求に沿い、3ホイーラーの水冷直列エンジンモデル(フラットラジエター)を4輪に仕立て上げた4/4が登場。以来、モーガンは現在まで、基本的構造が同じこの車を生産し続けている。
モーガン社の特徴は、4/4になってからは、メインモデルが一度としてフルモデルチェンジされない、伝統を引き継ぎ続ける精神にある。エクステリアに目立った変更はなく、現代にはありえない木材によるフレーム(現在は内装の部分のみに木材使用)、

車体の一部は木製で作られる
手作業による裁断が行われるレザーシートなど、ボディや内装などのほぼ全てがハンドメイドによって仕立て上げられている。

☆【ジュネーブ・モーターショー】モーガン、「3ホイーラー」の電気自動車版「EV3」を発表!
戦後の日本人は、正しい歴史を学校で教わって来ませんでした。
そして、現代のメディアもまた、嘘の情報を流し続けています。
私たち日本人は、親日的な立場に立ち、正しく認識し直し、
客観的に情勢を判断する必要があります。
それでは、この書物を見ていきましょう!
『 インターネットは、怖いものだ。
インターネットは、便利なものだ。
あなたの感覚は、どちらに近いでしょうか。

およそ250年前、1769年に【人類史上最初の自動車が生まれた】時、大抵の人はこう言ったでしょう。
「馬車があるのに、なぜそんな不格好なものに乗らなければいけないの?」

フランス陸軍の技術大尉が1760~70年代に開発したキュニョーの砲車のレプリカ
確かに自動車は怖いものです。誰も耳にしたことのなかった異様なエンジン音を聞いて、よく慣れた馬車の方がと考えた人が多いことは、想像に難くありません。
「人を轢(ひ)いたらどうする?」
「排気ガスが臭いんだけど」
「すぐ壊れるし」
「馬車の仕事がなくなるからやめようよ」
【自動車の歴史は、様々な批判や不具合と戦った歴史】です。

現代でも、自動車の「怖い」側面が完全に解決できたとは言えません。巨大な鉄の塊がものすごいスピードで走り抜けるのです。WHO(世界保健機関)の調査によると交通事故による死者の数は全世界で年間およそ125万人(2015年発表、調査対象は2013年)。驚くべき数字です。

しかし、世の中から「車をなくそう」という声は、ほとんど聞こえることはありません。いまさら、馬車の時代に戻ろうと本気で考える人がどれだけいるでしょうか。

【自動車は、大きく世界を変えました】。たとえば、未開の地で生活水を汲(く)むために毎日何時間も苦労をしている人がいたとします。それが、自動車を使えば、何十分の一にも負担が減るのなら、一体誰が「いや自動車を使うな」と言えるでしょうか。

極端な例かもしれませんが、自動車が人類の行動範囲を広げ、人類に多くの「ゆとりのある時間」を与えた事実は、誰にも否定できないでしょう。人はみな、この便利な道具を使いこなすために、交通ルールを覚え、基本的な操作方法を学び、様々な用途に応用範囲を広げてきたのです。
【インターネットも、同じ】です。
確かに、テレビや新聞のニュースでは連日のように、インターネットを悪用した振り込め詐欺や個人情報の流出を報じています。
「よく知らない人は騙される」
「変なボタンをクリックしたらお金を請求された」
「難しいから使えない」
「なんとなく怖いからやめようよ」
まるで【自動車の歴史をなぞるかのように批判的な意見が噴出】しています。

だからと言って、それならインターネットは使わないべきでしょうか。自動車は世界の距離と時間を縮めました。私はインターネットはそれ以上に、もっともっとケタ違いに、人類の距離と時間を縮める大発明であると確信しています。』

いかがでしょうか?
本書の著者は、世界で初めて「指紋認証システム」を作った天才で、現在、安倍内閣のブレーンの一人ですが、とても解り易く、かつ面白く、お話を展開されます♥ ダイヤモンド・オンラインでも、コーナーがありますので、ぜひ、ご参考になさってみてください。

☆DIAMOND online 「日本の欠落、日本の勝機」
著者は、本書の冒頭で、自動車が歩んだ歴史と、現代のインターネットに対する批判的な態度をとるメディアの報道姿勢とを、比較しています。
「人類史上最初の自動車が生まれた」のは、1769年のことで、もともとは馬の代わりに大砲を引っ張って運ばせるために考案された道具でした♥
つまり、戦争の道具として発明されたんです♥

以下は、Wikipediaからの抜粋です。
↓
「 キュニョーの砲車(キュニョーのほうしゃ)は、フランス陸軍砲兵部隊のためにルイ15世の陸軍大臣であった宰相ショワズールがキュニョーに製作させた三輪蒸気自動車の試作車である。1769年と1770年の2年間に2台が製作された。馬の代わりに蒸気機関を使い、大砲の牽引に使えるかどうか検討するために試作され、2台目は全長7メートルを超える大型運搬車だった。これは世界初の自動車と認定され、1台目(1号車)が製作され試運転で走行した1769年が自動車誕生の年とされている。2台目(2号車)は現存する最古の自動車として保管展示されており見学が可能である。」
当時のヨーロッパは、戦争ばかりやっている時代で、しかも、その期間は、約300年間にも渡ります。一方で、私たちの日本は、200年以上もの平和が続いた、江戸時代の真っ最中でした♥

「 江戸時代というと何を思い浮かべますか。封建社会。士農工商。そんなところではないでしょうか。
士農工商の身分、階級が定まっていて、大名、代官、大地主たちが町民や農民を苦しめ、それに耐えかねて人々はしばしば一揆を起こした――実際、こんなふうに述べている歴史書もたくさんあります。しかし、最近は研究が進んで、人々は意外に自由で、身分に縛られて経済的に苦しめられるような立場ではなかったという江戸時代の姿が明らかになってきています。
考えてみれば、もし人々が不自由で苦しい生活を強いられていたのならば、…豊かな庶民文化など花開くはずはないのです。
近代以前の封建的な暗黒の時代。そういう観念が江戸時代の暗いイメージをつくり上げているのでしょう。歴史を観念で見てはなりません。イデオロギーで思い込んではなりません。

将軍や大名は決して大土地所有者ではないのです。領内から徴税して、それでもって行政に当たる、そういう立場でした。土地を所有していたのは町人や農民でした。その土地を自由に売買することができました。土地を売ってその代金を資金にし、たとえば酒造や織物の仕事をすることもできました。人々は農奴のように身分を固定されていたわけではなく、資本家として活動することもできたのです。
少数ながら、土地をもたない小作人もいないわけではありませんでした。しかし、彼らは収穫の二分の一を取得する権利をもっていたのです。努力して収穫を上げれば、小作人をやめることができました。…
幕府の政治も将軍の独裁などではなく、評定(会議)によって行われました。「百姓は大御宝(おおみたから)」という農民重視の思想が根底にあって、さまざまな施策がとられました。…
農民は副業を営むことができ、それは課税されませんでした。だから、幕末の寛永のころには、農民が納める年貢率は全収入の一割、多くて三割になっていました。
その年貢は主に、人々の暮らしをよくするための公共施設の基盤整備に使われました。大河川の氾濫に備えた堤防の構築や、物資輸送のための道路整備や港湾施設の拡充などです。…
百姓一揆が起こっても、それが一方的に抑えられ、処断されるようなことはありませんでした。事情やいきさつがくわしく調べられ、原因をつくった責任者は罷免や没収などの改易に処せられました。一揆を起こした側も、首謀者以外は無罪放免になるのがほとんどでした。
士農工商は当初、社会安定のために設けられました。しかし、実際は流動化していきました。人々はそれぞれにさまざまな生き方をしているのですから、そうなっていくのは当然です。…
身分は絶対的なものではなかったのです。
文化の面ではどうしても上方が中心でしたが、18世紀後半になると、上方にかわって江戸でその花が開くことになります。特に美術においては、世界的な創造がなされた時代といえると思います。
浮世絵では「錦絵」という多色刷りの版画が生まれ、絵として人気を得るようになりました。

「中納言朝忠(文読み)」 鈴木晴信
鈴木晴信は美人画に詩情を与え、鳥居清長は女性画の華麗なる世界をつくり上げたのです。喜多川歌麿は女性の何気ない仕種を表現し、絵画の自立性を高めました。東洲斎写楽は役者絵で人物の特徴の性格、表情をとらえました。
実は、この写楽は謎の人物でした。でも最近の研究によって、それまで役者絵を描いていた勝川春朗こと葛飾北斎が、10ヶ月だけ名を変えた画家であることが明らかになっています。
北斎はこの時期以後風景画に転じ、世界的な質の高い作品をつくりました。名高い『富嶽三十六景』はじめ、『百人一首乳母が絵解き』『諸国滝廻り』など、奇抜な構図と色彩で人々を引きつけました。…
歌川広重は『東海道五十三次』で、北斎に学びながら情緒的な風景画を描きました。
これらの浮世絵が19世紀後半、万国博などの機会に西洋に渡り、「ジャポニズム」として西洋絵画形成に大きな影響を与えたことは、いまや通説になっています。」
詳しくはこちらをご参照♥
↓
☆世界に影響を与える「ジャポニズム」 ~ 「ヘンリー&ジューン/私が愛した男と女」の場合
「 日本が世界の手本になるという話をする時には、何よりも江戸時代を、取り上げなければならない。
もちろん、人間の世界に理想郷が存在することは、ありえない。しかし、江戸時代の日本社会は、やや誇張していえば、もっとも理想郷に近かったといってよい。

それでも、多くの日本人までが、江戸時代というと、階級差別がひどく庶民が虐げられた「暗い時代」だったと思い込んでいる。
だが、そのような事実は、まったくない。
日本独自の文化が円熟したのは、徳川時代とも呼ばれている、江戸時代だった。
江戸時代は260年以上も途切れることなく平和が続いた。このような平和な時代が長く続いた例は、世界のどこにも、まったく見られない。
江戸時代は、当時の世界のなかで、庶民がもっとも恵まれた社会を形成していた。

…江戸時代に、日本の庶民は世界のどこよりも、自由で、豊かな生活を謳歌していた。犯罪率が驚くほど低く、世界のなかでもっとも教育水準が高かった。 あのころの世界で、日本ほど人権が尊重されていた社会はなかった。
欧米では日本に対する無知から、江戸時代というと、西洋とまったく同じように、支配階級であった武士(サムライ)が庶民を抑えつけて、民衆の幸せを思いやることなく、勝手気儘に振る舞っていた「封建時代(フューダル・ソサエティー)」だったと、思い込んでいる。」
詳しくはこちらをご参照♥
↓
☆☆日本が世界の手本です ~ 人間世界でもっとも理想郷に近かった江戸時代
「 18世紀は、ヨーロッパの大国がアジアの四大帝国に優越していく時代です。その主役は、ロシアとイギリスです。ロシアは、スウェーデンよりもはるかに強力な、かつてのモンゴルや今のアメリカをも凌ぐ人類史上最強最大のイギリス帝国と対峙していくことになります。

イギリス 植民地
18世紀前半、ヨーロッパはまだ世界のローカル地域でした。1700年から1721年、東欧でスウェーデン対モスクワ(ロシア)・ポーランド・デンマーク・ザクセンの大北方戦争が行われているとき、西欧では、1701年から1714年までフランス対オーストリア・オランダ・イングランド・プロイセン・ポルトガルのスペイン継承戦争が戦われていました。
ご覧のとおり、ヨーロッパの主な国々はすべて戦争に参加しています。この中で、オーストリアとフランスが大国として生き残り、イングランド、ロシア、プロイセンが新興大国として伸長していきます。なお、この戦争中にイングランドはスコットランドを併合してブリテン島を統一します(以後、イギリスと呼びます)。
残りの国々は没落することになるのですが、「日の沈まない国」と言われたスペインに至っては、フランスと同じブルボン家の国になってしまいました。スペイン継承戦争とは、それまでハプスブルク家が継承していたスペイン王家を、直系皇嗣が絶えたのを機にフランス・ブルボン家が占めようとしたので、それをさせまいとした西欧諸国が干渉したという戦争です。まさに「盛者必衰の理をあらわす」です。
大北方戦争とスペイン継承戦争は同時期に行われたまったく別の戦争ですが、外交的には関係しています。真ん中にいるオーストリアは、たたでさえ戦争に弱いので、二正面作戦などやりたくありません。だから、「東のほうでこうなっているから、西のほうに介入しても大丈夫だろう」という判断が働いてスペイン継承戦争に介入する、ということになります。逆に西端にいるイギリスやフランスは、自分に火の粉が飛んでくることはありませんから、外交的に口先介入をしたりします。イギリスは最後までスウェーデン王カール12世への“モラルサポート”を惜しみませんでしたが、「国運を賭して戦争に介入!」などは絶対にしませんでした。直接助けにこられない国の支援など、こんなものです。
ではロシアはというと、西欧の国々はロシアにとって手ごわい相手ですから、下手な介入はしません。…
1740年から1748年にはハプスブルク家の皇位継承をめぐり、オーストリア継承戦争が勃発します。
23歳で国を継いだマリア・テレジアに対し、宿敵のフランスやプロイセンが情け容赦なく襲いかかってきました。

少女時代のマリア・テレジア
オーストリアは、戦争の天才といわれたプロイセンのフリードリッヒ大王に対し善戦し、大工業地帯のシュレジェンこそ奪われたものの、草刈り場になることは回避しました。
ロシアはこの戦争の最終局面で介入し、火事場泥棒を試みましたが、フランスやプロイセンがさっさとアーヘン和約を結んだために失敗しました。
しかし、戦争が終わったわけではありません。マリア・テレジアはシュレジェン奪還に燃えます。彼女は、同盟国でありながらプロイセンに好意的で、自分に冷たかったイギリスとの決別を決意します。そして、三百年の宿敵であったフランスと手を組みます。「外交革命」です。
これにロシアのエリザヴェータ女帝も加わりました。

エリザヴェータ (ロシア皇帝)

ポンパドゥール夫人(フランソワ・ブーシェ、1756年)
フランスでは「外交革命」を国王ルイ15世の愛妾であるポンパドール夫人が主導しましたので、「貴婦人たちの同盟」とも言われます。」
詳しくはこちらをご参照♥
↓
☆ヨーロッパの「外交革命」 ~ 貴婦人たちの同盟

フランス陸軍の技術大尉が1760~70年代に開発したキュニョーの砲車のレプリカ
世界で初めて、自動車が誕生した1769年当時の、私たちの平和な日本と、戦争に明け暮れるヨーロッパとの違いが、ご理解いただけましたでしょうか♥
この当時の、いわゆる「七年戦争」の結果、世界を支配しようとする2つの覇権国家、すなわち「イギリス」と「ロシア」が、歴史の主役に躍り出るんです♥
詳しくはこちらをご参照♥
↓
☆愛人の子を宿し、産気づくと火を放ち、夫が火事見物に行っている間に出産した女傑 ~ エカチェリーナ2世
この自動車の誕生の7年前に、「個人の自由」を唱え始めたのが、『社会契約論』で有名なジャン=ジャック・ルソーです♥

ジャン=ジャック・ルソー
私たちの平和な日本とは正反対に、当時のヨーロッパで厳然と存在していた「身分制度」、つまり中世封建制度、「フューダリズム(Feudalism)」に抵抗する動きでした。
もちろん、見落とされがちなのですが、白人キリスト教徒による「ユダヤ人差別」に対するユダヤ人の抵抗でもありました♥
で、この「個人の自由」を主張する動きが、直後の「フランス革命」に繋がり、やがてユダヤ人による「マルクス主義」が生成され、2度にわたる世界戦争を引き起こします。つまり、戦争は「左翼ユダヤ人」が引き起こしてきたものなんです♥ この辺りは、別の機会に書かせて頂きます♥
こちらもご参照♥
↓
☆ヨーロッパで個人が自由を獲得したのは、たったの230年前なんです ~ リベラルの原点「フランス革命」

『民衆を導く自由の女神』(1830年、ウジェーヌ・ドラクロワ画)
さて、長くなりましたので、本日の最後に、自動車にまつわるお話を♥
現在、自動車を造ることができる国家は、非常に限定されています♥
ご存知のように、その中でも、優秀な自動車を造ることができるのは、日米独の3カ国だけです♥

では、自動車が世界に誕生した時代から、世界を席巻してきたイギリスで、なぜ、自動車産業が強くならなかったのでしょうか?

その一つの理由が、「赤旗法」でした♥

以下は、Wikipediaからの抜粋です。
↓
「 赤旗法(あかはたほう、英:Red Flag Act)とは、19世紀後半に英国で施行された法律。正式にはLocomotive Act。
英国の公道における自動車(当時は大多数が蒸気自動車で、ガソリン車はまだ実用化されていなかった)の運用方法について定めた法律であり、同国における自動車産業の発達を妨げ、ドイツやフランスに遅れをとることになる。
●The Locomotives on Highways Act 1861
・車両の重量は12トンに制限する。
・10 mph(16 km/h)、市街地では5 mph (8 km/h)の速度制限を課す。
●The Locomotive Act 1865(赤旗法)
・郊外では4 mph(6 km/h)、市街地では2 mph(3 km/h)の速度制限を定める。
・自動車は、運転手、機関員、赤い旗を持って車両の60ヤード(55メートル)前方を歩く者の3名で運用することを規定する。赤い旗かランタンを持った人は、歩く速度を守り、騎手や馬に自動車の接近を予告する。
●Highways and Locomotives Act 1878(改正法)
・赤旗の必要性は除去。
・未だに必要とされた前方歩行要員の距離が20ヤード(18メートル)に短縮。
・馬に遭遇したら車両は停止しなければならない。
・車両が馬を驚かす煙や蒸気を出すことを禁ずる。
●1896年に廃止。」
「 最初の自動車は蒸気機関で動く蒸気自動車で、1769年にフランス陸軍の技術大尉ニコラ=ジョゼフ・キュニョーが製作したキュニョーの砲車であると言われている。この自動車は前輪荷重が重すぎて旋回が困難だったため、時速約3キロしか出なかったにもかかわらず、パリ市内を試運転中に塀に衝突して自動車事故の第一号となった。
イギリスでは1827年ごろから定期バスとして都市部および、都市間で広く用いられ、1860年ごろにはフランスでも用いられるようになった。1885年に、フランスのレオン・セルボレが開発し1887年に自動車に搭載したフラッシュ・ボイラーにより蒸気自動車は2分でスタートできるまでに短縮された。1900年ごろにはアメリカ合衆国で、石炭の代わりに石油を使った蒸気自動車が作られ、さらに普及していった。この頃は蒸気自動車の方がガソリン自動車よりも騒音が少なく運転が容易だった。アメリカ合衆国では1920年代後半まで蒸気自動車が販売されていた。
1865年にイギリスで赤旗法が施行された。当時普及しはじめた蒸気自動車は、道路を傷め馬を驚かすと敵対視されており、住民の圧力によってこれを規制する「赤旗法」が成立したのである。この法律により、蒸気自動車は郊外では時速4マイル(6.4km/h)、市内では時速2マイル(3.2km/h)に速度を制限され、人や動物に予告するために、赤い旗を持った歩行者が先導しなければならなくなった。その結果、イギリスでの蒸気自動車の製造・開発は、この赤旗法が廃止される1896年まで停滞することになり、それに続くガソリン自動車の開発においても、ドイツやフランスが先行する事になる。」

この「赤旗法」がイギリスの自動車産業の発展を阻害したのは明白な史実なんですが、インターネットにおいても、また、「原子力発電」においても、「赤旗」や「日本共産党」が、規制の強化などで、その発展の阻害しようとしているんです♥
私たち日本にとって、「シロアリ」なのが「日本共産党」なんです♥

共産党をシロアリと表現した民進党の前原誠司氏

続きは次回に♥
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