2019-06-18 (Tue)

ラッサールのデスマスク(1864年)
本日のキーワード : 国家社会主義、フェルディナント・ラッサール
フェルディナント・ヨハン・ゴットリープ・ラッサール(Ferdinand Johann Gottlieb Lassalle、1825年4月11日 - 1864年8月31日)は、プロイセンの政治学者、哲学者、法学者、社会主義者、労働運動指導者。
ドイツ社会民主党(SPD)の母体となる全ドイツ労働者同盟の創設者である。社会主義共和政の統一ドイツを目指しつつも、ヘーゲル哲学の国家観に強い影響を受けていたため、既存のプロイセン王政(特に宰相オットー・フォン・ビスマルク)に社会政策やドイツ統一政策を取らせることも目指した。
本日の書物 : 『保守の心得』 倉山満 扶桑社
戦後の日本人は、正しい歴史を学校で教わって来ませんでした。
そして、現代のメディアもまた、嘘の情報を流し続けています。
私たち日本人は、親日的な立場に立ち、正しく認識し直し、
客観的に情勢を判断する必要があります。
それでは、この書物を見ていきましょう!
『 自称「保守」言論人の誰が、長すぎる不況で苦しんでいる若者たちのために戦ったのでしょうか。いわゆる保守言論人のなかには、いまだに経済を「ゼニカネの問題」と蔑(さげす)む人たちがいます。彼らは、【直接的な軍事衝突が減った現在、経済の比重がどれほど大きくなっているのか】を【理解していません】。

かつてソ連という地球の半分まで覇を広げた超大国がありました。この国を倒したのは、ロナルド・レーガン米国大統領ですが、レーガンがソ連を倒した武器は、【レーガノミクスという経済政策】です。軍事的な直接衝突を起こすことなく、最終的には【「ゼニカネの問題」で冷戦に片をつけた】のです。

ソ連の最大勢力圏(1960年)
こういった歴史認識が似非保守の方々は異様に甘い。レーガノミクスとアベノミクスを比較した人が保守論壇に何人いたことでしょうか。
たとえば、【日本の戦国時代】、【代表的な戦国大名は、皆、経済大国の主】でした。目立った活躍のない朝倉義景ですら経済大国である越前を治めています。乱世で生き残るためには、豊かな財源というバックボーンが必要不可欠です。経済的に不安が残るようでは、合戦のひとつもできません。【幕末】でも、【薩長土肥】といった雄藩は、【すべて藩政改革に成功】しています。経済的に富裕な藩でなければ、京都で政治活動をする余裕などないからです。

【安倍首相】は第一次内閣が退陣したあとに全国を回り、【「『美しい国』なんてキレイごとじゃ食えない」と言われ、思い知った】と聞きます。
彼は猛省し、経済を何とかしなければ、国民は聞く耳を持ってくれない。海外に対しても発言力が持てない。【すべてに優先すべきは経済】だと気づいたからこそ、アベノミクスがスタートしたのです。

首相の決断によって金融緩和は成功し、円安が進みました。株価につられて支持率も上昇するという好サイクルが生まれたのですが、【景気を腰折れさせる消費税増税】を【財務省に呑まされてしまいます】。【景気回復が頓挫】すれば、日本を立て直そうとする安倍首相のシナリオは、すべて崩れてしまいます。

【日本の未来を左右する重大な問題】だったにもかかわらず、「ゼニカネの問題にすぎない」と決めつけて知らん顔をし冷笑を浴びせた似非保守の言論人たちがいました。
【日本のエスタブリッシュメントと呼ばれる人々】も、【ほぼすべてが増税派】でした。官僚機構はもちろん、自民党の9割以上、公明党、経団連を筆頭にした財界、連合に代表される労働界、テレビや新聞などのマスメディア。揃いも揃ってアベノミクスを潰そうとしているのか、あるいは【事の本質がわかっていない】のか、頭のいい人たちが集まって【トンチンカンな議論】を繰り広げる展開は、さながら【対米開戦に至った当時の日本のよう】でした。
国際連盟脱退、支那事変に突入、対米開戦の決定。どれも一緒です。
社会全体の雰囲気が盛り上がってしまい、誰も逆らえなくなってしまう。そして、【あとになってから「当時は空気が変だった」と言いだす】。そして【「じつは内心では反対だったのだ」などと責任逃れを始める】のです。
今回も皆で声を揃えているうちに、【国民】は【「増税しないと若者が困るんでしょう?」】【「日本の財政は破綻してしまうんでしょう?」】と【信じ込まされ】てしまいました。

どうも【日本の保守層】には、江戸時代の新井白石や水野忠邦、あるいは大日本帝国の浜口雄幸など【連綿と続く】、【「質素倹約すれば景気がよくなる」という間違った思い込みがある】ようです。彼らは、【経済と経営の違いをわかっていません】。


岡本薫明(おかもと しげあき)
おそらく【アダム・スミスを読んだことがない】のでしょう。

最初の近代経済学者とされるアダム・スミスですが、【彼の『国富論』は国家経営学】です。


経済のことも考えなければ、これからの国家経営はままならない。「あとからどうにでもなる」は通用しなくなりますよ、と警告しています。…アダム・スミスはとにかく経済について真剣に考えるべきである。さもないと、フランスが敷いた対英包囲網によってアメリカ独立戦争に破れてしまった大英帝国は生き残れない。巻き返すには近代経済学の理論と実践が不可欠だ、と説いたわけです。』

ユダヤ人・マルクスと、ユダヤ人・ラッサール
いかがでしょうか?
今回ご紹介させていただく書物は、2014年3月に発刊されたものですが、私たち日本人が、本当の意味で“保ち守らなければならないもの”が何であるのか、それを考える上での根本的な指針が示された良書で、その上で、一体何をどのようにしてゆけば良いのか、どのように考えてゆけば良いのか、その基本軸を身に着けることができる書物になります。

さて、昨日の続きになりますが、いま、ベースとなる「社会主義」に、「母国をも否定する」という破滅的な思想、つまり「サタニズム(悪魔崇拝)」が加わった、人類の滅亡を最終目的とするマルクス由来の「共産主義」が、どのようにして世界に拡散し、私たちの日本にもやって来たのか、を確認しているところなのですが、「第一インターナショナル」の解散(1876年)後、社会主義者や悪魔崇拝の共産主義者らの革命運動の根拠地は、「スイス」と「ニューヨーク」の2カ所が中心となってゆきます。
1876年、アメリカ各地からフィラデルフィアに集まった社会主義者らの会議で、
「合衆国労働者党(Workingmen's Party of the United States/WPUS)」が創設されます。主に外国生まれの労働者で構成された組織で、「極左の社会主義」としてのマルクス信奉者と、「極右の社会主義」としてのラッサール信奉者の大きく2つのグループが存在していました。

フェルディナント・ラッサール
フェルディナンド・ラッサールは、マルクスと同じプロイセンのユダヤ人で、お金持ちの「お坊ちゃま」でユダヤ人迫害経験をほとんど体験しなかったマルクスとは違い、ユダヤ人蔑視が強く、貧しいユダヤ人の多くがゲットーに押し込めらている中、そのゲットーの外側で絹商人の息子として裕福な家庭に生まれたラッサールは、激しいユダヤ人差別を間近に見ながら育ちました。
かつては、マルクスと交流もあったラッサールですが、やがて、マルクスと決別し、マルクスから次のように評されるほどでした。
「(ラッサールは)モーセがユダヤ人を連れてエジプトから脱出した際に同行したニグロの子孫だろう。(略)この男のしつこさは紛れもなくニガーのそれである」




さて、その「極右の社会主義」としてのラッサールが唱える社会主義が、「国家社会主義」になります。
詳しくはこちらをご参照💗
↓
☆極右と極左の「社会主義」

ちなみに、1901年、私たちの日本で初めての社会主義政党・「社会民主党」が結成されますが、創設メンバーの片山潜(かたやません)や幸徳秋水(こうとくしゅうすい)ら日本の社会主義者たちのアイドルであったのも、そのラッサールです。
(以下は、Wikipediaからの抜粋です)
「 日本における社会主義草創期である明治時代末にはラッサールは日本社会主義者たちのスターだった。幸徳秋水にとってもラッサールは憧れの人であり、明治37年(1904年)にはラッサールの伝記を著している。その著作の中で幸徳は「想ふに日本今日の時勢は、当時の独逸と極めて相似て居るのである。(略)今日の日本は第二のラッサールを呼ぶの必要が有るのではないか」と書いている。また吉田松陰とラッサールの類似性を主張して「若し松陰をして当時の独逸に生まれしめば、矢張ラッサールと同一の事業を為したかも知れぬ」と述べる。社会主義的詩人児玉花外(こだまかがい)もラッサールの死を悼む詩を作っている。後にコミンテルン執行委員となる片山潜もこの時期にはラッサールの国家社会主義に深く傾倒し、ラッサールについて「前の総理大臣ビスマルク侯に尊重せられし人なり。然り、彼は曹てビスマルクに独乙一統の経営策を与え、又た進んでビスマルクをして後日社会主義の労働者制度を執らしめたる偉人物」と評した。しかしロシア革命後には社会主義の本流はマルクス=レーニン主義との認識が日本社会主義者の間でも強まり、ラッサールは異端視されて社会主義者たちの間で語られることはなくなっていった。

逆に反マルクス主義者の小泉信三や河合栄治郎はマルクスの対立者であるラッサールに深い関心を寄せるようになり、彼に関する評伝を書くようになった。小泉は「マルクスは国家と自由は相いれないと考えていたが、逆にラッサールは自由は真正の国家のもとでのみ達成されると考えていた」とし、マルクスの欠陥を補ったのがラッサールであると主張した。河合はビスマルク、マルクス、ラッサールを「19世紀ドイツ社会思想の三巨頭」と定義し、ラッサールが他の二人と違う点として「社会思想家なだけではなく社会運動家」だった点を指摘する。」
詳しくはこちらをご参照💗
↓
☆社会主義者が引き起こした「赤旗事件」

ここで、お話を元に戻しまして、「合衆国労働者党(Workingmen's Party of the United States/WPUS)」は、1880年代後半に「社会主義労働党(Socialist Labor Party/SLP)」に改称し、現在は「アメリカ社会主義労働党(Socialist Labor Party of America)」として存続している政党になります。

☆アメリカ社会主義労働党HP
最下部に見られる「Marxism–De Leonism」とは、「デ・レオン主義(デ・レオニズム/De Leonism)」と呼ばれるもので、「サンディカリスム」と「マルクス主義」を結合したイデオロギーのことになります。
簡単に申し上げますと、「母国をも否定する」という破滅的な思想である「サタニズム(悪魔崇拝)」としてのマルクス由来の「共産主義」の実現のために、階級闘争の「運搬車」として、各企業ごとの労働組合(企業別労働組合)ではなく、職種に関わらず、同じ産業の労働者が組織する「産業別労働組合」の組織化を目指すものになります。
「サンディカリスム」という言葉は、フランス語で労働組合を意味する「Syndicat」(サンディカ)に由来するもので、のちのイタリアのファシズムにも多大な影響を及ぼした思想になります。

で、その「デ・レオン主義(デ・レオニズム/De Leonism)」を唱えた人物がユダヤ人のダニエル・デ・レオンになります。

ダニエル・デ・レオン
そう言えば、レーニンも革命5周年で、次のように発言しています。
『 What we have done in Russia is accept the De Leon interpretation of Marxism, that is what the Bolsheviki adopted in 1917.』
(デ・レオンのマルクス主義の解釈を受け入れ、我々がロシアで為したことは何か? それは、1917年にボリシェビキが採用したものだ)

ウラジーミル・レーニン (本名はウラジーミル・イリイチ・ウリヤノフ)
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