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    親子チョコ💗(300冊以上の良質な書籍のご紹介)

    子どもたちの教育のため、また、その親である私たち自身が学ぶための、読まれるべき良質な書籍のみをご紹介させていただきます。

     >  日本 >  財政再建には名目成長率引き上げが不可欠なのに、消費増税で名目成長率を引き下げるという愚かな行為

    財政再建には名目成長率引き上げが不可欠なのに、消費増税で名目成長率を引き下げるという愚かな行為

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    本日のキーワード : 国内総生産(GDP)



    国内総生産(こくないそうせいさん、英:Gross Domestic Product、GDP)は、一定期間内に国内で産み出された付加価値の総額のことである。国内総生産は「ストック」に対する「フロー」をあらわす指標であり、経済を総合的に把握する統計である国民経済計算の中の一指標で、GDPの伸び率が経済成長率に値する

    本日の書物 : 『なぜデフレを放置してはいけないか 人手不足経済で甦るアベノミクス』 岩田規久男 PHP研究所



    戦後の日本人は、正しい歴史を学校で教わって来ませんでした。

    そして、現代のメディアもまた、嘘の情報を流し続けています。

    私たち日本人は、親日的な立場に立ち、正しく認識し直し、

    客観的に情勢を判断する必要があります。

    それでは、この書物を見ていきましょう!




    『 この章の最後に、アベノミクスの成果の一つである【税収の増加】を示し、次章で述べる【財政再建】のためには【何よりも名目GDPを増やすこと】、言い換えれば【名目成長率を引き上げること】が重要であることを示しておきます。

    女性 ポイント ひとつ

     アベノミクスの期間(13年度から17年度まで)に、一般政府の税収累計で14・9兆円増加しました。この増加には14年度の消費増税も貢献しています(とくに14年度)。しかし【消費増税は名目成長率を引き下げる】ことによって、その後の税収増を鈍化させた可能性があります。アベノミクスの期間【税収増に最も貢献】したのは、10~12年度までの0・02%という【ほぼゼロの年平均名目成長率を2・1%に引き上げたこと】です。

    ポイント 32

    税収は名目GDPが1兆円増えれば、0.3兆円増える(1997年度~2017年度)

     図表3-24は、名目GDPと一般政府の税収の組み合わせをプロットしたものです。直線は両者の関係を線形近似させたものです。

     図表3-24は97年度から17年度までのあいだ、少なからぬ税制改正があったにもかかわらず、【名目GDPが増えると税収も増える】、という【安定的な関係が存在している】ことを示しています。図表3-24のなかに示された一次方程式のxの係数0・3は、【名目GDPが1兆円増えると税収は0・3兆円増える】、という近似関係があることを意味します。

    ポイント 女性

     以上から、【名目GDPを増やす政策を採用すること】が、【税収を増やすことを通じて財政政策に大きく貢献する】ことを理解された、と思います。』

    日の丸

    税収と名目GDPの関係


    いかがでしょうか?

    今回ご紹介させていただく書物は、我が国長期間に渡ってデフレから抜け出せない根本原因が、①日本銀行の金融政策の失敗、と、②財務省が主導する緊縮財政&増税、と、③世界の主流である経済・金融政策の理論とは異質の主張をする日本の経済学者、と、④民意を問うことなく勝手に増税を決めてしまう日本政府にあるということが、非常に分かりやすく丁寧に解説されていて、このタイミングで消費税率引き上げを実施することが、「自滅の特攻攻撃」に等しい愚策であるということを、嫌というほど分からせてくださる良書になります。

    読書7-87

    さて、本文をご覧頂きますと、

    (当期・名目GDP - 前期・名目GDP) × 0・3 = 税収増減額

    という単純化された式が導き出されることがご理解頂けると思います(約8割程度の相関)。

    ということは、

    (当期・名目GDP - 前期・名目GDP)

    の部分を、出来るだけ高い正の値に持っていけば自ずと税収が増える(約8割程度の相関で、その3割程度の税収増になるということ)と言えることになります。

    実際、2012年の名目GDP約495兆円2017年の名目GDP約545兆円で、アベノミクスの5年間名目GDPは約50兆円増加していますが、さきほどの式に代入してみますと、

    50兆円 × 0・3 = 15兆円

    となり、本文中の記載にあった「一般政府の税収は累計で14・9兆円増加」と合致しています。

    ポイント 000

    ですので、税収を増やして財政再建を目指す(政府債務を少なくしていく)のであれば、単に“税率”を引き上げる(例:10月に予定されている消費税率の引き上げ)のではなくこれまで通り名目GDPの成長率を高めてゆくことが、正しい政策となります。

    税収 111
    国の税収が初めてバブル超え 所得税収入増で60兆円超:朝日新聞デジタル

    日本の名目GDP(自国通貨)の推移(1980~2019年)
    日本の名目GDP(自国通貨)の推移(1980~2019年) 世界経済のネタ帳

    そして、その名目GDP成長率、つまり名目経済成長率は、マネー供給量(=マネーストック)の伸び率と7割程度の強い相関があります。

    ちなみに、「1990年代、2000年代の日本のマネー伸び率は世界で最下位」で、これこそが「失われた20年」の原因ということは、ハッキリとしていて、世界の主流経済学者らの常識になっています。

    詳しくはこちらをご参照💗

    「経済政策」は何のため? ~ 『働かないで「年金」を貰える老人』 と 『働いて「給料」を貰う若者』

    日本を救う最強の経済論 

    何度も繰り返し書かせて頂きますが、我が国の「デフレの元凶」は、「マネーストック」の低さにあるんです。

    マネーストック 1

    詳しくはこちらをご参照💗

    ボリシェビキとニューヨークと片山潜

    経済で読み解く日本史① 室町・戦国時代 

    それでは、昨日同様に参考となるある書物をご紹介させて頂きます。もちろん、この(↓)要注意人物のお話に繋がってゆくことになります。

    都留重人
    都留重人

    『 近衛が具体的に死ぬ手だてを確保したのが、昭和二十年一月二十日前後であろう…それからおよそ三週間後の二月十四日、近衛は実に三年ぶりに天皇に拝謁が叶った。自死の腹を括っての上奏である。かつて拝謁してきた明治宮殿は、前年五月の空襲で焼け落ちていた。いま、近衛が鉄扉をくぐった「御文庫(おぶんこ)」と呼ばれる天皇・皇后の居所はコンクリートで固められた地下壕で、大型爆弾にも耐え得るよう陸軍が極秘裏に造営したものだ。屋根にはカモフラージュのために土が盛られ、ツツジなどの常緑植物が植え込まれていた。御文庫とは、暗号として付けられた名称である。

    木戸幸一
    木戸幸一

     二十年二月、これまで統帥部以外の者を天皇の側に近づけなかった木戸内府が、ようやく重臣たちの上奏を許した

     統帥権を盾に、木戸は「陛下にお目に掛かりたい」という重臣はもちろんのこと、高松宮、賀陽宮(かやのみや)など皇族方の拝謁も拒んできたのだ。戦局は逼迫していた。…十四日、モーニングで身支度を整えた近衛は、謁見所に入ると一礼した。

    「近頃、お目にかかれませんでしたが、いかがでいらっしゃいますか」

     天皇が勧める前に、近衛はどっかりと椅子に腰を下ろした。

    「近衛はいかがか」

    「恐れ入ります。お陰様で元気にしております」

    とだけ答えると起立し、モーニングのポケットから和紙の束を取り出して読み上げた。

     近衛自書の墨筆で、八枚あった。その概要は以下のとおりだが、長文なので要点のみに絞って引用する。

    「 敗戦は遺憾ながら最早必至なりと存候(ぞんじそうろう)。

     以下、此の前提の下に申述べ候。

     敗戦は我国体の瑕瑾(かきん)たるべきも、英米の輿論(よろん)は今日までのところ、国体の変更とまでは進み居らず、(勿論一部には過激論あり、又将来いかに変化するやは側知し難し)、随(したが)って敗戦だけならば、国体上はさまで憂うる要なしと存候。国体護持の立前より最も憂うべきは、敗戦よりも敗戦に伴うて起こることあるべき共産革命に候。

     つらつら思うに我国内外の情勢は、今や共産革命に向かって急速度に進行しつつありと存候。…

     ソ連は欧州に於て、其の周辺諸国にはソビエット的政権を、爾余(じよ)の諸国には少なくとも親ソ容共政権を樹立せんとし、着々其の工作を進め、現に大部分成功を見つつある現状に有之(これあり)候。…

     ソ連のこの意図は、東亜に対しても亦同様にして、現に延安にはモスコーより来れる岡野(引用者注:野坂参三(のさかさんぞう))を中心に日本解放連盟組織せられ朝鮮独立同盟朝鮮義勇軍台湾先鋒隊等と連絡日本に呼びかけ居り候


    中国共産党幹部時代の野坂参三
    中国共産党幹部時代の野坂参三

    野坂参三 新聞 共産党

     かくの如き形勢より推して考えうるに、ソ連はやがて日本の内政に、干渉し来る危険十分にありと存ぜられ候。…

     特に憂慮すべきは、軍部内一味の革新運動に有之候。少壮軍人の多数は、我国体と共産主義は両立するものなりと信じ居るものの如く、軍部内革新論の基調も亦ここにありと存じ候。皇族方の中にも、此の主張に耳を傾けらるる方ありと仄聞(そくぶん)いたし候。職業軍人の大部分は、中以下の家庭出身者にして、その多くは共産主義を受け入れ易き境遇にあり…

     これら軍部内一味の者の狙いは、必ずしも共産主義に非ずとも、これを取巻く一部官僚及び民間有志(之を右翼というも可、左翼というも可なり、所謂右翼は国体の衣を着けたる共産主義者なり)は、意識的に共産革命にまで引きずらんとする意図を包蔵しており、無知純粋なる軍人、これに踊らされたりと見て大過なしと存候。

     戦局への前途につき、何らか一縷(いちる)でも打開の望ありというならば格別なれど、敗戦必至の前提の下に論ずれば勝利の見込みもなき戦争をこれ以上継続するは全く共産党の手に乗るものと存候。

     此の一味を一掃し、軍部の立て直しを実行することは、共産革命より日本を救う前提先決条件なれば、非常の御勇断をこそ望ましく奉存候(ぞんじたてまつりそうろう)。」(矢部貞治『近衛文麿』下)…


    近衛文麿
    近衛文麿

     「我国内外の情勢は、今や共産革命に向かつて急速度に進行しつつあり」と上奏され、天皇はおそらく驚愕するほどの衝撃を受けたに違いない。… 多くの重臣はおおむね、「本土決戦のようなことはお避け遊ばされたい」という程度で済ませていた。近衛のように、「我国内外の情勢は、今や共産革命に向かつて急速度に進行しつつあり」などと上奏した者はいない。「非常の御勇断を」とは「すぐに降参なさい」との意味だが、天皇にそう簡単に言えるものではない。青酸化合物を懐中に忍ばせていた近衛にして初めて言上(ごんじょう)できる言葉である。』

    『 近衛上奏文この上奏文こそ、…共産主義と日本の皇室は同居できるものと考えた一部陸軍統制派や革新官僚・学者の「敗戦革命」戦略を看破した卓見といって差し支えない。近衛は上奏文のなかで、天皇に自らの政治的過失を詫びている。ゾルゲ一味だった尾崎秀実(ほつみ)を身辺に近づけたからである。

    「 不肖は…彼等の主張の背後に潜める意図を十分看取する能(あた)わざりしは、全く不明の致す所にして、何とも申訳無之(これもうしわけなく)、深く責任を感ずる次第に御座候」(矢部貞治『近衛文麿』下)…

     天皇は聞き終わると一、二、質問を発したが、最後に、

    「 もう一度、戦果を挙げてからでないと、話はなかなか難しいと思う」

    と言葉を継いだ。

     近衛は、

    「 そのような戦果がいまから挙げられるとは、とても思えません」

    と言って退出した。

     上奏が終わった近衛木戸内府の部屋を覗き、「本日の上奏文はこれだ」といって和紙八枚の綴りを手渡した。侍立(じりつ)してメモまで取っていた木戸への嫌味でもあったが、この和紙八枚が、やがて大騒動を引き起こす発端となる。

     近衛の上奏から二カ月経った四月十五日の早朝である。大磯の吉田別邸を憲兵隊の一群が取り巻き、その場で吉田は逮捕された。吉田茂と近衛の間に入って「和平工作」グループをまとめていた岩淵辰雄(元国民新聞、読売新聞記者、政治評論家)の調査によればこうだ。「近衛はその(→上奏の)帰りに、宮中の木戸の部屋に寄って、書簡箋十枚ほどの箇条書きにしたものをおいてきた。それが木戸から梅津参謀総長の手に渡ったのだ」 (畠山清行『秘録 陸軍中野学校』)

     吉田はすでに妻の雪子(牧野伸顕の長女)を病で亡くしており、娘・和子が嫁(か)した麻生太賀吉(実業家、政治家)の永田町の持ち家を借りて東京の本宅としていた。近衛が吉田の本宅で上奏前夜に書いた和紙の上奏文は、その晩のうちに屋敷内で盗写されていたのだ。少し前から雇われていたマキという女中がスパイとして送り込まれていたのを、吉田は知らなかった。大磯の吉田別邸には吉田の内妻・小りんが住まっていたが、戦時中のことで何かと男手が足りないというので書生を雇っていたのだが、実はこれも中野学校から送り込まれた諜報員だった。永田町の女中スパイから大磯の書生スパイの手に文書が渡り、吉田逮捕となったのである。…当時の中野学校を使った陸軍上層部の「和平派潰し」工作が、非常に緻密で手が込んだものだったことがうかがえる事例である。

     もう一方、木戸の手に渡った上奏文本体はその日のうちに、こともあろうに梅津美治郎(うめづよしじろう)参謀総長に直接渡されていたという。なぜ、参謀総長が近衛上奏文を必要としていたのか。また、なにゆえに木戸内府から梅津に手早く渡されたのか。


    梅津美治郎
    梅津美治郎

     木戸幸一(※木戸 孝允 =桂 小五郎の又甥)と梅津美治郎の二人は、「特に憂慮すべきは、軍部内一味の革新運動に有之候。少壮軍人の多数は、我国体と共産主義は両立するものなりと信じ居るものの如く」「我国内外の情勢は、今や共産革命に向かって急速度に進行しつつあり」と上奏した近衛とその仲間である吉田たちを極度に警戒し、自らに甚だ都合が悪かったためと考えるのが自然ではないか。 そこで浮かんでくるのは梅津にかかわる一人の人物への疑念である。

     近衛の身辺を探っていたのは、中野学校や憲兵隊だけではなかった。…第一次近衛内閣で書記官長を務めた風見章(かざみあきら)は、「信濃毎日」記者時代から生粋のマルクス主義者だった。


    風見章
    風見章

     その風見を近衛に「なかなかできる男」として強く推したのは、当時、陸軍省軍務課長だった柴山兼四郎(しばやまけんしろう)大佐(最終階級は陸軍中将)である。その柴山の後ろ盾となっていたのが、当時の陸軍次官、梅津美治郎だった。柴山大佐は、参謀本部で支那研究員を経験した実績を提げて昭和三年十一月には満州へ赴任張学良(ちょうがくりょう)の顧問補佐官を務めた前歴を持つ人物である。革新軍人の中核的存在だった。この時期、張学良はつい半年前まで父・張作霖(ちょうさくりん)の政敵だった国民党に秘密入党し、「易幟(えきし)」(旗を国民政府の青天白日満地紅旗に変更)を敢行する。半年前の六月四日には、コミンテルンと共謀して父親を爆殺した疑いが濃いと思われる張学良である。その側近を務めていた柴山が、事件の背景を仄聞(そくぶん)していないはずがない。共産党分子と張学良の間を往き来していた可能性は否定できない。柴山はその後、天津特務機関長、漢口特務機関長といった諜報畑を経たうえで、陸軍省軍務局軍務課長という出世コースの椅子に座る。柴山と風見の裏には、もともと同じ茨城県出身という懇意な関係もあった。梅津参謀次長(当時)はこの二人の関係を見知っていて、柴山を使って風見を近衛内閣の書記官長に押し込んだと考えられる。あるいは陸軍中央、とりわけ梅津に早くから接近していた尾崎秀実が梅津に仕掛けた可能性も否定できない。いずれにせよ、近衛が上奏文で憂えた「軍部内一味の革新運動」が、嘘や誇張ではないことは紛れもない事実なのだ。陸軍内部に蔓延(はびこ)る共産主義情勢を天皇に言上(ごんじょう)された参謀総長は、その日のうちに憲兵隊と中野学校に指示を出した。直ちに吉田茂などの「和平グループ」を粛清する手筈(てはず)が整えられ、逮捕の時間を見計らっていた。』

    詳しくはこちらをご参照💗

    昭和天皇 七つの謎 


    続きは次回に♥




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