2019-04-11 (Thu)

鹿鳴館における舞踏会を描いた浮世絵
本日のキーワード : 心、自然科学
西洋かぶれ(せいようかぶれ)とは、自身の所属する文化より西洋文化を良しとして、振る舞いや服装などを西洋文化のそれに似せること、あるいはそのように振る舞う人物を指す蔑称。
本日の書物 : 『日本の国という水槽の水の入れ替え方―憂国の随想集』 岡潔 成甲書房
戦後の日本人は、正しい歴史を学校で教わって来ませんでした。
そして、現代のメディアもまた、嘘の情報を流し続けています。
私たち日本人は、親日的な立場に立ち、正しく認識し直し、
客観的に情勢を判断する必要があります。
それでは、この書物を見ていきましょう!
『 日本人は応神天皇以後、【外国の文化】を【無批判にそっくりそのまま採り入れ】て【その中の住むというやり方】ばかりをしてきている。

最初【中国の文化】を採り入れ、次いで【仏教】を採り入れ、明治以後は【西洋の文化】――昔はギリシャ、今は欧米を西洋といっているのだが――を採り入れている。そして【終戦後その度合いは著しく濃くなって今日に至っている】。

かように【今の日本】には【千五百年来の外国の思想や言葉がごちゃごちゃに入っている】が、もっとも、【明治以後に入った文化が強く外部にあらわれている】ので、それ以前に入った文化は比較的隠れているようである。

いろんなことが【雑然として入った結果】として、【同じ言葉】が【違った内容を表わす】というような事態が生じてきた。

例えば【「心」】という言葉の内容は【日本と中国と、および仏教と西洋とでは皆違う】のに、それを日本人は「心」と同じ一つの言葉でよんで平気な顔をしている。

今は、【日本は深海の底にいる】のだというような気がする。

それで日本の人々に代わってここで一度だけ批判というものをしてみようと思う。
【西洋の思想の基礎】になっているのは【自然科学】であるから、まずこれをよく調べてみよう。
【自然科学の先端】は【素粒子論】である。素粒子論は次のように言っている。
自然は物質も、質量のない光も電気も、みな素粒子によって構成されている。

☆素粒子原子核研究所HP
素粒子は非常に種類が多い。しかし、これを安定な素粒子群と不安定な素粒子群とに大別することができる。不安定な素粒子群は非常に寿命が短い。あらわれてはまたすぐ消えてしまっている。その寿命は、最も普通にみる不安定な素粒子についていえば、百億分の一秒くらい。このようの短命ではあるが、非常に速く走っているから、生涯の間には一億個の電子を歴訪する。電子は安定な素粒子群の代表である。いったい、何がどうなっているのだろう。
人は古来、自然はじっとあるものとのみ思ってきた。しかし、【素粒子論によると、自然の一半はあらわれてはまたすぐ消えていってしまっている】。それならば、【存在ではなくて映像である】。

他半はどうだろう。
安定な素粒子の代表である【電子】をとってみてみると、電子は絶えず不安定な素粒子の訪問を受けている。それならば【安定していると確実にいえるのは外形だけ】であって、内容については全くわからない。やはり、【あらわれてはまたすぐ消えていってしまっているのかもしれない】。むしろ、【多分そうであろう】。それならば、【他半も映像である】。かように、【自然は完全に映像であるか、そうでなければ半映像(映像のようなもの)であって、ともかく存在ではない】。

【西洋人】は、【五感でわからないものはないとしか思えない】、まことに【珍しい人種(思想的人種)】である。

それで自然を調べるときも、五感でわからないものはないと暗々裡(あんあんり)に仮定して調べていたことになる。

そうすると、不安定な素粒子というものが発見された。不安定な素粒子の生まれる前の状態および消えていってしまってからの後の状態は、明らかに五感ではわからないものである。かように【五感でわからないものはないと仮定して調べていくと、結果は多量に五感ではわからないものが出てしまった】。これは【明らかに出発点の仮定が間違っていたということ】だから、【一切を御破算にして初めからやり直さなければならない】。すなわち、【自然科学というものは無いのである】。

素粒子論は出て既に久しく、もはやポピュラーな知識となっている。これをみれば私が今述べてきたことは自明であるのに、【西洋人は一人としてこれがわからない】のである。…
【自然】が【存在でない】なら、【存在は心のうちに求めなければならない】。』

「心」は何て読む?
いかがでしょうか?
今回ご紹介させていただく書物は、日本を代表する天才数学者である著者による書物で、これまでにも何冊がご紹介をさせて頂いておりますが、明治時代の途中から様相の変化が現れ、大東亜戦争の敗戦、さらには屈辱的な占領期を経て、いわゆる戦後から現代に至る私たち日本の問題点を正しく指摘されている良書であり、その一方で、それら諸問題について一向に改善されていないという現実を知ることや、これからの私たち日本人が何をしなければならないのかを学ぶことが、本書を通じて可能となります。

さて、著者ならではの「哲学」が非常によく書き表された本文となっていますが、少し補足をさせて頂きますと、まず、「日本人は応神天皇以後、外国の文化を無批判にそっくりそのまま採り入れてその中の住むというやり方ばかりをしてきている」という部分がありましたが、これはその後にある「最初中国の文化を採り入れ」と同じことを言っていて、要するに「漢字」という記号に過ぎない文字の輸入を指しています。
詳しくはこちらをご参照💗
↓
☆偉大な日本国に「帰化」させてもらった漢の皇帝の末裔たち ~ 正方形に内接する円の面積

そして、その後が「仏教」、さらに「西洋文化」と続いている、ということを指摘されています。
で、「西洋の思想の基礎」が「自然科学」であって、それを分析することで、実は西洋人に特徴的な欠点が見えてくると例示なされているわけですが、分かりやすい身近な例で言いますと、飛行機が空を飛ぶ原理でさえも、完全には理解できていないという事実からも明らかだと思います。

☆飛行機は飛ぶ原理が解明されていない怪物?! 身のまわりのモノの技術(5)【連載】
詳しくはこちらをご参照💗
↓
☆仏教伝来 ~ 物部氏と蘇我氏

そのようにして、外来のものを、とにかく無批判に受け入れて、その弊害が随所に見られると著者は仰っているのですが、それでは、ここで問題です。
(問) 次の記号の意味するところは何か、答えよ。

ヒント : 支那では臓器としての「心臓」の意味。

それでは解説を書かせて頂きますが、まず、「おも(面)」という和語(やまとことば)は、「顔の正面」を原義としていて、「て(手)」が「方向」を意味し、それらが後に合わさって、「おもて(面・表)」という言葉となります。
一方で、紙や板や布などの表から見えない側を、「うら(裏)」と言い、そこから転じて、モノの内部や建物の背後も意味するようになるのですが、その対義語が「うへ・うは(上・表)」でした。この対義語であった「うへ・うは(上・表)」に代わって、やがて「おもて(面・表)」という言葉が用いられるようになります。
うら(裏) ⇔ うへ・うは(上・表)
↓
うら(裏) ⇔ おもて(面・表)
また、「うへ(上)」の対義語には「した(下)」があって、
うへ(上) ⇔ した(下)
その「した(下)」の類義語が「うら(裏)」と同根の「うら(心)」になります。
うへ(上) ⇔ した(下) = うら(心) ≒ うら(裏)

「うら(心)」は、外から見えない空間である「こころ(心)」を意味していて、もともとは「心臓及びその鼓動」を意味していました。
「鼓動」は「ドキドキ」するアレです💗
その「鼓動」を意識した場合の「こころ(心)」と対比して考えたいのが「おもひ(思ひ)」になります。
「おもひ(思ひ)」とは思考とか思念とか理性的な意味での、いわゆる「西洋的な意味での広範囲な意識の働き」と言えるのですが、

この「おもひ(思ひ)」が基本的には胸の内に秘めて置くべきものであるのに対して、「こころ(心)」は外へと向かって積極的に働きかけるもの、であると言えます。

本日の課題 : 角度を「π(パイ)」で考えましょう。
それでは、ここからは昨日の続きである「微分積分学」を自ら発明する、という無謀なチャレンジの続きに入りたいと思います。
「微分積分学」のエッセンスは、何度も繰り返しますが、
『「曲がった」ものも、どんどん拡大すると、「まっすぐ」に見えてくる』
ということになります。

さて、円周(「r」は半径)が、

であることを応用して、「水平方向(h)」と「垂直方向(v)」を決め、長さ「ℓ」の線分が、正の水平軸から「反時計回り」に「角度(α)」を成しているとし、

どれくらい水平方向で、また、どれくらい垂直方向であるのかを、アレコレと考えた結果、角度(α)に対するH(α)やV(α)の計算方法はサッパリ分からないままで、それぞれ次のような略号で表現するとした時に、

「角度(α)」を次々と変化させていくと、円ができるのですが、

それらを「微分する(導関数を求める)」ことは可能なのかどうかということを考えているのですが、角度(α)に対するH(α)やV(α)の計算方法が分からないままですので、仕方がなく、図で微分できるかどうかを考えることにして、これまでにもやって来た通り、何らかの函数(関数)があって(→ここでは、「H(α)」と「V(α)」)のこと)、そこに何か別のもの(→ここでは「α」のこと)と、その何か別のものをほんのチョコっとだけ増やしたもの(→ここでは「α+dα」のこと)とを入れてみて、その変化を見るわけですが、また、「角度(α)」が4分の1回転した「2分のπ」は「90度(直角)」で、もとの三角形の残りの角の角度を「α´」としておき、

その微分の考え方に従って、式として表現致しますと、

となるのですが、ここで少し考えますと、角度「α」がほんのチョコっと増えて「α+dα」となったとしても、「ℓ」の長さは「1」のままで変化しませんので、考えなければならない部分は、下図の赤い円で囲った部分の変化ということになります。

その部分を拡大してみますと、こんな感じになります。

さて、考えるべき部分が分かったのですが、ここから、どのようにすれば良いのでしょうか?

というのが、昨日までのお話でした。

ここで、ポイントとなるのが、角度が「α」のままである元の「ℓ」と、角度「α」がほんのチョコっと増えて「α+dα」となった「ℓ」は、「ほぼ平行」であると考えても良いということです。
そう致しますと、いま、目の前に見えている三角形と同じ三角形を2つ合わせると長方形になるのですが、そのとき、長方形の4つの角を足し合わせると、

内側の角の合計は、「2分のπ」の「90度(直角)」の4つ分、

「2π」となるのですが、そうすると、元の三角形はその半分、

「π」が内側の角度の合計となるはずです。

ここで、図の垂直な直線の注目致しますと、直線の角度は「π」ですので、分からない角を「x」と致しますと、

となりますが、最初にあった三角形の角の合計を考えますと、


となりますので、さきほどの「x」は「α」であることが分かりました。
ということは、小さな三角形のそれぞれの角は、次のように考えることができるということになります


続きは次回に♥
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