2019-06-07 (Fri)

本日のキーワード : 赤旗事件
赤旗事件(せっきじけん/あかはたじけん)とは、1908年(明治41年)6月22日に社会主義者が引き起こした事件である。別名「錦輝館事件(きんきかんじけん)」、「錦輝館赤旗事件(きんきかんせっきじけん)」。
明治期の日本では、労働組合期成会が結成されるなど、「社会主義運動」が不穏な高まりを見せていた。これに対し、政府側は1900年に治安警察法を制定して「社会主義運動」の規制に乗り出した。
本日の書物 : 『日本人として知っておきたい世界史の教訓』 中西輝政 扶桑社
戦後の日本人は、正しい歴史を学校で教わって来ませんでした。
そして、現代のメディアもまた、嘘の情報を流し続けています。
私たち日本人は、親日的な立場に立ち、正しく認識し直し、
客観的に情勢を判断する必要があります。
それでは、この書物を見ていきましょう!
『 以上は、次に挙げる、【共産主義に源】を発する三つ目の脅威にも関連します。それは【レーニン以来の、強度な謀略体質】です。

第二次世界大戦終了時、【ソ連】は【東欧各国の政府に「トロイの木馬」という形で工作員を送り込んだり抱えたり】し、次々と東欧各国の【それまでの自由主義体制を転覆させ】て【「人民革命」を演出】し【人為的に共産体制に取って代わらせた】のでした。
実は、こうした【政治工作】は【コミンテルン】(1919年に世界革命をめざして設立された国際共産主義組織)が【得意としたもの】で、とくに工作対象である自由主義国の【メディアを使った宣伝工作】は、【戦間期のコミンテルン時代から「洗練」された手法を確立】していました。

アーサー・ケストラー
自らの共産党入党の体験などをもとに、スターリン体制の非人間性を、いち早く暴いたハンガリー生まれの作家【アーサー・ケストラー】は、戦間期にベルリンにあった【コミンテルン所属の秘密のプロパガンダ工作機関「ミュンツェンベルク・トラスト」】で自らの活動体験を自伝『目に見えぬ文字』(邦訳・彩流社)で明らかにしています。

「ミュンツェンベルク・トラスト」とは、【資本主義国に対するコミンテルンによる秘密プロパガンダ工作の司令塔】で、ワイマール時代といわれる第一次と第二次世界大戦の狭間の時代のベルリンに本部がありました。

ヴィリー・ミュンツェンベルク
リーダーの【ヴィリー・ミュンツェンベルク】は、【日本にも多くの地下組織をもった「反帝同盟」など共産主義のフロント組織】(本来の所属を隠して、比較的無害な存在として世論にアピールし人々を勧誘する表の組織)を世界中に組織したことで知られる【宣伝工作の天才的な専門家】で、【1920~1930年代】に世界の共産主義革命をめざす【コミンテルンの秘密工作の一環】として、【西側各国でメディア工作を展開】していました。
上述のケストラーの自伝『目に見えぬ文字』によると、【1925~1926(大正十四~十五)年】頃の【日本】で、「ミュンツェンベルク・トラスト」が秘密裏に、その【論調を操作するなどの対日メディア工作】を【「直接間接手がけていた(影響下においていた日本の)雑誌や新聞は19に上って」いた】といいます。

「ミュンツェンベルク・トラスト」による【日本のメディア工作の端緒】は、【関東大震災(1923年)】でした。

当時、「被災者救援のため」続々と来日した国際支援団体、今で言う「国際NGO」の中に、【たくさんのコミンテルンや英米情報部の要員がまぎれ込んでいた】のです。

とくに【コミンテルン】は「移動食堂」や「無理スープ接待所」の設営などの【“慈善活動”】を大々的に行い、【その活動の一環として労働組合結成や社会主義を推進するためのパンフレットを発行】したり、【日本国内の組織に潤沢な資金を供給】したり【内々の戦術指導を行った】りしていました。さらに、実質的に【「ミュンツェンベルク・トラスト」が秘密裏に関与する出版社や学校、シンクタンクなどの教育研究機関を日本で大幅に増やしていった】のです。
そのうち目立ったものは、ソ連の救援船「レーニン号」などをめぐって、日本政府も内々に警戒、監視を試みてはいましたが、コミンテルン側はその網の目を巧妙にスルーして日本での恒久的な活動拠点作りにも携わっていました。もちろん、【ソ連・コミンテルン関係の工作だけでなく、アメリカ、イギリス、中国の対日工作も震災援助に名をかりて活発に行われた】ことは当然でした。とりわけ、アメリカ大使館付武官の【バーネット】が震災下の日本で「救援」を名目に展開した【対日諜報活動】は大変活発なものでした。
ちなみに【コミンテルン】はその後、1943年に「解散した」とされますが、【1940年代後半、少なくとも1950年前後から、東アジアでは主に中国と北朝鮮が日本や韓国に対する地下工作、秘密プロパガンダ工作(真の宣伝主体が誰かはわからない形でのプロパガンダ活動)を続けてきました】。』

日本初の社会主義政党
いかがでしょうか?
今回ご紹介させていただく書物は、学校の授業で覚えさせられる世界史とは違って、主に第一次世界大戦の前までの大英帝国の覇権、そして第一次世界大戦の最中に勃発した1917年の「ユダヤ革命(Jewish Revolution)」(→教科書の記載では「ロシア革命」)後のソ連を中心とした社会主義・共産主義勢力、そして2つの大戦間に確立した現在に至るアメリカの覇権を軸に、ここ100年ほどの世界の流れを大きく読み解く能力が身につく良書となります。

本文中に登場したアーサー・ケストラーはハンガリー系ユダヤ人で、その著作である『真昼の暗黒』 (岩波文庫) について書かれた書物は以前にもご紹介させて頂いておりますが、

詳しくはこちらをご参照💗
↓
☆真昼の暗黒 ~ 共産主義に傾倒した知識人による「共産主義批判」
☆「ユダヤ人」ではないユダヤ人の誕生

その他に、もう一冊、ケストラー著作のお勧めが、こちら(↓)になります。
詳しくはこちらをご参照💗
↓
☆アーサー・ケストラー ユダヤ人とは誰か―第十三支族・カザール王国の謎

さて、昨日までのところまでで、戦後のアメリカ軍占領期における日本共産党の動きについて、少し確認してきましたが、それでは戦前はどうだったのでしょうか?
もちろん、私たち日本人は、社会主義・共産主義といった危険思想について、その歴史を学校教育で教えられることがありませんので、知る由(よし)もないのですが、なぜ、教えられることがないのかというと、その行為が自己否定になってしまい、困ってしまう連中がたくさん存在しているから、です(笑)
そこで、自分自身で学んでいく必要があるのですが、まずは、大まかな歴史の流れを把握しておく必要があります。


まず、1901年、日本初の社会主義政党である「社会民主党」が結成されます。創立者は、片山潜(かたやません)、安部磯雄(あべいそお)、木下尚江(きのしたなおえ)、幸徳秋水(こうとくしゅうすい)、河上清、西川光二郎(にしかわみつじろう)の6名で、幸徳を除く5人が社会主義者のキリスト教徒でしたが、結成2日後、実際には届け出を出して「即日禁止」の処分を受けます(笑)

左から安部磯雄、河上清、幸徳秋水、木下尚江、片山潜、西川光二郎(1901年)
詳しくはこちらをご参照💗
↓
☆メキシコの共産党、アメリカの共産党、そして日本人

この1900年頃の私たち日本周辺の東アジア情勢は、大英帝国とロシア帝国という2つの巨大な帝国の覇権争いに巻き込まれているところで、そこに格好の口実を与えたのが支那における「義和団の乱」(1900-1901年)で、諸外国からの徹底的な干渉を誘発し粉砕されることになり、他方でロシアの勢力圏の拡大に寄与したため、ロシアの侵略を懸念した大日本帝国と大英帝国による「日英同盟」の締結(1902年)へと至ります。

義和団の乱(1900-1901年)の鎮圧後の東アジアの情勢
詳しくはこちらをご参照💗
↓
☆北朝鮮が怯えているもの、支那が怯えているもの

☆あの日露戦争でさえ、キチンと説明できない「東京書籍の歴史教科書」と「東京書籍のやり方」
☆モンゴル人が失ったのは、植民地でしかなかった「支那」だけです


1901年頃の片山潜
日本初の社会主義政党(「社会民主党」)の結成に頓挫した片山潜は、再びアメリカへと渡ります(1903年)。この頃のアメリカ大陸の歴史も知っておかなければならないのですが、それはまた別の機会に書かせて頂きます。
日露戦争の開戦止む無しとするする世論に対し、あくまでも戦争反対を唱えるために、幸徳秋水と堺利彦(さかいとしひこ)によって、

堺利彦
非戦論を訴え、社会主義思想の宣伝・普及を行うために、社会主義運動の中心組織となる平民社が結成されます。

平民社
その新聞である『平民新聞』第53号(1904年(明治37年)11月13日)では、新聞創刊1周年の記念として、堺・幸徳の共訳で『共産党宣言』が訳載され、これが日本における最初の『共産党宣言』の翻訳となりますが、その頃には、すでに日露戦争の火蓋が切って落とされていた(1904年2月8日開戦~1905年9月5日終戦)状況であったことを知っておく必要があります。
まあ、当時と同じように私たち日本人の感覚とはズレている輩と言うモノが、いつの時代にも居るのですが。。。


☆【日韓防衛相会談】「韓国と日本は隣接する友好国として、緊密に協調し、互いを助ける必要性がある」意見が一致 ⇒百田尚樹氏「何、笑顔で握手しとんねん!」

☆日韓防衛相、レーダー照射問題を事実上棚上げ ~ネットの反応「事実上の敵対行為を不問にする?」「結局、韓国が何やろうが日本が折れるから、あいつらいつまでたっても反日侮日活動にやめないんだろうに」

☆岩屋防衛相 『瀬取り』などの北朝鮮監視強化を韓国にも連携呼びかけ~ネットの反応「何の連携するんだ? 瀬取り相手にw」「岩屋を辞めさせるって一点でも衆院解散の大義名分がある」

☆レーダー照射問題で韓国さん「今回の問題の原因を認めない日本が後からまた異なる話をしかねない」~ネットの反応「ほら見ろ岩屋」「こんな連中と握手して媚びて岩屋ってどんだけカスなんだよ」
1906年2月、西川光二郎らが「日本平民党」を結党、堺利彦らが「日本社会党」を結党、同月、両党が合流して「日本社会党」が結成されます。しかし、1907年1月に党則第1条を「社会主義の実行を目的とす」に改変したため、「安寧秩序ニ妨害アリト認ムル」として治安警察法の適用による結社禁止命令が出され、またしても解散します。
で、その「日本社会党」の中で、暴力革命を主張する「直接行動派(硬派)」に属する危険な連中がいたのですが、1908年6月、社会主義者数十名が集っていた場所で、「直接行動派(硬派)」の連中が、突如、「無政府共産」「社会革命」「SOCIALISM」などと書かれた旗を翻(ひるがえ)しながら、革命歌を歌い、「無政府主義万歳」などと絶叫するという奇行を起こします。それを警官隊が取り押さえ、荒畑寒村(あらはたかんそん)とその妻・管野スガ(かんのすが)らが逮捕されます。これが「赤旗事件」になります。

荒畑寒村

管野スガ
このあと、荒畑寒村は禁固1年の刑となり投獄され、他方、妻の管野スガはいったんは投獄されるものの、間もなく無罪として釈放されます。
そこへ、暴力革命を主張する「直接行動派(硬派)」の中心人物である幸徳秋水(こうとくしゅうすい)が現れて、荒畑寒村が獄中にいる期間に、その妻・菅野スガを寝取ります。

幸徳秋水
幸徳秋水は、社会主義者であり、無政府主義者(アナキスト)でもあり、尚且つ暴力革命を主張する「直接行動派(硬派)」の中心人物でしたが、御覧の通り、社会秩序の破壊、国家の破壊、さらに他人の家庭までも破壊してしまう凶暴さを持っているのですが、このあと、さらにトンデモナイことをやらかします。
ということで、本日はここまでとさせて頂きますが、ソ連・コミンテルン日本支部として、戦前の日本に「非合法」の「日本共産党(=コミンテルン日本支部)」が1922年7月15日に結党されますが、このとき、委員長を堺利彦とし、堺利彦、山川均(やまかわひとし)、荒畑寒村、近藤栄蔵(こんどうえいぞう)、高津正道(たかつまさみち)、橋浦時雄(はしうらときお)、徳田球一(とくだきゅういち)の7名を中央委員に選出しています。
おや? 幸徳秋水は、何処に行ったのでしょうか? また、片山潜は、その後どうなったのでしょうか?

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Re: No Subject * by みっちゃん
ハゲと言えば、他にも、ユニクロとか日本電産とかズブズブですね。奥様はとっても良い方なんですけれどもw
6月4日付の「足湯でよもやま話」というブログにありました。
記事中に、岩谷氏の妻が韓国人との記載もあります。
ぜひご覧ください。