2019-04-08 (Mon)

ナーガールジュナの黄金像
本日のキーワード : ナーガールジュナ、中観派
縁起(えんぎ)とは、他との関係が縁となって生起するということ。全ての現象は、原因や条件が相互に関係しあって成立しているものであって独立自存のものではなく、条件や原因がなくなれば結果も自ずからなくなるということを指す。仏教の根本的教理・基本的教説の1つであり、釈迦の悟りの内容を表明するものとされる。因縁生、縁生、因縁法、此縁性ともいう。
本日の書物 : 『日本の国という水槽の水の入れ替え方―憂国の随想集』 岡潔 成甲書房
戦後の日本人は、正しい歴史を学校で教わって来ませんでした。
そして、現代のメディアもまた、嘘の情報を流し続けています。
私たち日本人は、親日的な立場に立ち、正しく認識し直し、
客観的に情勢を判断する必要があります。
それでは、この書物を見ていきましょう!
『 【日本民族】はいまから逆にさかのぼって、歴史時代、神武天皇時代、うがやふきあえずの尊(みこと)時代、ひこほほでみの尊時代、ににぎの尊時代までいくと、十万年ぐらい前になると思う。
日本列島に来たのは一万二千年ぐらい前、うがやふきあえずの尊時代の終わりと思う。日本民族は来るものは拒まず式にふえてきたのだから、【同一種族ではない】。

十万年くらい前から【この民族の中でのみ生死してきた人たち】、といっても【中核は個】であるから、量であって数ではないのだが、【二つの個の関係は「不一不二」(ふいつふに)】であるから、十万年も【志向するところを一つにしてともに暮らしている】と、【情緒の基調の色どり】は【同じもの】になってしまっている。これを【日本的情緒】ということにする。

これももちろん【時とともに変わる】のであるが【一番変わりにくい】と思う。また【ここが同じであればすぐわかる】し、【ここが違っていてもすぐわかる】。ここについては【中核以外の人たちは次第に同化されていく】のである。

私は、【日本的情緒】の中から生まれてきて、【そのとおりに行為】し、また【そこへ帰っていく】ということを繰り返してきたのだと思っている。【本来の日本人】は【みな本質的にはそう思っている】と思う。

ところで【人の知、情、意】は、向上するためには、【情は浄化】し(自他弁別本能の濁りがとれること)、【知は顕現】し(働きを表してくる)、【意志は霊化】する(生きようとする盲目的意志が常に善の方向を示すようになること)のであるが、このうち【根本的なものは意志霊化】であって、これに恐ろしく【ながい時間がかかる】のである。
禅ではよく法器(ほうき)というが、それは意志が霊化し切っている人という意味である。
【典型的な日本人】は生々世々(しょうじょうせぜ)の実践によって【意志霊化が非常によくできている】のである。
人があるというのは、意思の霊化した人が多いという意味である。
法があっても人がなければ何もできない。釈尊御一代の御事蹟を見ればわかる。それで山崎辨栄上人は光明主義をもって日本へ初めて生まれておいでになったのである。これで日本には、人があり法がある。』

これがあるとき、あれがある
いかがでしょうか?
今回ご紹介させていただく書物は、日本を代表する天才数学者である著者による書物で、これまでにも何冊がご紹介をさせて頂いておりますが、明治時代の途中から様相の変化が現れ、大東亜戦争の敗戦、さらには屈辱的な占領期を経て、いわゆる戦後から現代に至る私たち日本の問題点を正しく指摘されている良書であり、その一方で、それら諸問題について一向に改善されていないという現実を知ることや、これからの私たち日本人が何をしなければならないのかを学ぶことが、本書を通じて可能となります。

さて、昨日ご紹介させて頂きました本文のところで、「平等性智」(びょうどうしょうち)という仏教の言葉が登場していましたが、本日も同様に、「不一不二」(ふいつふに)という言葉が登場しています。
また、昨日のところでも書かせて頂きましたが、一人ひとり、個人個人は、あくまでも他人とは違った別個の存在である、という思い込み、それが「小我」であり「自他弁別本能」の本質で、分かりやすく言えば「自我」であり、「真我」は著者の言葉を借りますと、「自分」と思っているものは「自分」であり、「他人」と思っているものは「非自非他」であり、「自然」と思っているものも「非自非他」であって、自他の区別がなされない、それが「平等性智」(びょうどうしょうち)の本質になります。
さきほどの、「不一不二」(ふいつふに)という言葉は「非自非他」と同じ意味になりますが、一体、何を言っているのかということを理解するためには、「仏教」の「空(くう)」・「空観(くうがん)」を知る必要があります。

で、以前に書かせて頂いた「ギリシャ論理学」と「インド論理学」が激突した昔話へと繋がっていくわけですが、
詳しくはこちらをご参照💗
↓
「小我」に囚われているのが左翼リベラルです

インドの仏僧である「ナーガセーナ」は、インド・グリーク朝の王メナンドロス1世(ミリンダ王)と一騎打ちの問答をするのですが、その遣(や)り取りの中で「仏教」の「空(くう)」・「空観(くうがん)」の考え方が出てきます。
その「仏教」には、「小乗(しょうじょう)」と呼ばれる(→これは大乗側が貶めるために用いた表現になります)「個人の解脱(げだつ)を目的」とするものと、「大乗(だいじょう)」と呼ばれる、「利他行(りたぎょう)」、すなわち「自分の解脱よりも他者の救済を優先する」ものがあるのですが、その「大乗仏教」の初期の頃の僧である「ナーガールジュナ」が「インド論理学」、つまり「仏教の論理」を劇的に発展させることになります。

簡単に申し上げますと、「仏教の論理」の基本は、「因果応報」です。

詳しくはこちらをご参照💗
↓
☆双六(すごろく)は、宗教の考え方を教えるためのものでした

で、その「因果応報」という考え方は、もともとは、何らかの原因があって、その原因に「縁(よ)って」、もろもろの結果が生じる、というものでしたが、この考え方をもっと拡大したのがナーガールジュナ(龍樹)で、『中論』と呼ばれる著作にまとめられています。

つまり、「小乗仏教」において、「因縁(いんねん)」や「縁起(えんぎ)」について、全てのものは原因から現れる、と単純因果(線形因果)の意味で説かれていて、また、それらをもう少し広義に捉えたもの(複線系因果関係)であっても、根本的な考え方は変わっていませんでしたが、ナーガールジュナ(龍樹)を祖師とする「大乗仏教」の「中観派(ちゅうがんは)」の「縁起」の解釈は、相互依存関係、同時因果関係であって、それまでと全く異なるものでした。
それを分かりやすく表現しているものとして、中観派のチャンドラキールティ(月称)の言葉として、次のようなものがあります。
≪ これがあるとき、あれがある。あたかも短があるとき長がある如くである ≫

チャンドラキールティ(月称)
一例を挙げますと、「母と子」の関係で、小乗仏教の考え方は、「母があって子が生まれる」というものであり、「その逆はあり得ない」と説いているのですが、中観派のそれは、「母は子を生まないうちは母ではあり得ない」、「子を生むことによって初めて母と言える」、つまり「母と子は互いに依存している関係である」、だから「それぞれを独立したものとして母と子を別個に捉えることはできない」、と説いているわけです。
ここまで来ると、「不一不二」とか「非自非他」とかが、何を言っているのかが、御理解頂けるのではないでしょうか?
≪ どんな縁起でも、それをわれわれは空と説く。それは仮に設けられたものであって、それはすなわち中道である。≫ ~ ナーガールジュナ

ナーガールジュナ(中央の大きな人物)
本日の課題 : 自分が知りたいものが何であるのかを考えよ!
それでは、ここからは昨日の続きである「微分積分学」を自ら発明する、という無謀なチャレンジの続きに入りたいと思います。
「微分積分学」のエッセンスは、何度も繰り返しますが、
『「曲がった」ものも、どんどん拡大すると、「まっすぐ」に見えてくる』
ということになります。

さて、昨日のところでは、円周(「r」は半径)が、

であることを応用して、「水平方向(h)」と「垂直方向(v)」を決め、長さ「ℓ」の線分が、正の水平軸から「反時計回り」に「角度(α)」を成しているとし、

どれくらい水平方向で、また、どれくらい垂直方向であるのかを、それぞれ次のように表現することにします(勝手に決めました!)。

しかし、まだ、それがどういったものなのか良く分かっていませんので、本日は、もう少し考えてみたいと思います。
例えば、線分の長さを2倍に伸ばした時、

大きな三角形の底辺と垂直な辺の部分に注目して、どれくらい水平方向で、また、どれくらい垂直方向であるのかを次のように表すことができます。

これは、計算式ではありませんので、図を眺めるだけでご理解頂けると思いますが、数字の「2」に注目してみますと、左辺が「2ℓ」の問題として表現しているのに対して、それを変換した右辺では「ℓ」の問題として表現されていることに気付きます。しかも、ここでは「2」には特に意味がなく、「3」であっても、どんな整数「n」であっても、分数であっても同じ変換が可能となります。つまり、どんな数に対しても同じことが言えるのですから、「ℓ」を「1・ℓ」と考えますと、

と表現することができます。これは、長さ「ℓ」を隔離して、「H(1,α)」と「V(1,α)」が何であるのかという、いま自分が知りたい部分を浮き彫りにしているわけです。
知りたい部分がハッキリと分かりましたので、これをもう少し簡単な次のような略号で表現することに致します。

それでは、次回以降、これらの略号を使って、先へと進みたいと思います。
続きは次回に♥
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