2020-02-03 (Mon)

本日のキーワード : 汎トルコ主義(汎テュルク主義)
汎テュルク主義(はんテュルクしゅぎ: Pan-Turkism)は、ユーラシア大陸に広範に分布するテュルク系諸民族に対して、言語的、文化的、歴史的な共通性を根拠に、政治的、経済的な統合を目指すイデオロギーを指す。日本語で「汎トルコ主義」と呼称する場合があるが、同様のイデオロギーを指す。
本日の書物 : 『陰謀と虐殺』 柏原 竜一 ビジネス社
戦後の日本人は、正しい歴史を学校で教わって来ませんでした。
そして、現代のメディアもまた、嘘の情報を流し続けています。
私たち日本人は、親日的な立場に立ち、正しく認識し直し、
客観的に情勢を判断する必要があります。
それでは、この書物を見ていきましょう!
『 【中東】という地域が【存在感を見せ始めた】のは、【1973年】と【1979年】のことであった。

1861年〜2007年の原油価格。
1973年の場合は、【第四次中東戦争】をきっかけとしていた。【エジプト】が第三次中東戦争での失地回復のため、【シリア】とともに【イスラエルに先制攻撃を仕掛けた】のである。

ムハンマド・アンワル・アッ=サーダート
エジプトの大統領はナセルから【サダト】に代わっていたが、彼は緒戦で勝利をおさめたことで、後に【イスラエルから政治的勝利を引き出すことに成功】した。それが1978年の【キャンプデービッド合意】である。

サーダート、カーター、ベギン 1978
その次の契機が、1979年であった。1979年2月には【イラン】で【イスラム革命】が勃発し、【パーフレヴィー朝が打倒される】。

そして、…【ソビエト】による【アフガニスタン侵攻】が始まる。

ソ連軍によって破壊されたアフガニスタンの村の廃墟
アフガニスタンでは、【イスラム義勇兵】による【ソビエト軍に対する抵抗活動】が開始され、最終的に89年には、【アフガニスタンから撤退】しただけでなく、【ソビエト自身も崩壊を迎える】。

中東が独自のリズムに従って動き始めるのは、まさに、1979年以降なのである。…

【イラン革命】の結果成立した【新国家】は、【ヴェラーヤテ・ファギーフ】と呼ばれる【イスラム法学者が国家全体を指導・監督する体制】を採用した。【イスラム聖職者による独裁国家】といってもよい。

現在では不十分ながらも選挙は行われており、イラン国民の民意もある程度は反映されるようになっている。

☆BBCニュース - イラン各地のデモ、流血の鎮圧 映像流出でネット遮断



しかし、革命政権樹立直後は、【ホメイニ率いるイラン共和党】や、【イスラム人民戦士機構(Mojahedin-e-Khalk:MEK)】、それに、【共産主義政党であったツデー党】が混在する状態がつづいていた。そこで、【ホメイニ率いるイラン共和党が他の勢力を追い落として、権力を握った】のである。少し説明しておけば、【イスラム人民戦士機構(MEK)】とは、イランの国内多数派【シーア派の教義】と【マルクス主義】を【融合】させた【独自の反米的なイデオロギー】に基づく【武装闘争を展開していた政党】であった。その後、【MEKはことあるたびにイラン政府から弾圧を受けることになる】。

話を元に戻せば、【イスラム共和党が政権を握り、1994年に再び政党が結成されるまで】は、【イランはイスラム教聖職者の独裁政権】であった。
したがって、【革命後のイランの情報機関の最大の目的】は、革命後の混乱のなかにあった【イランイスラム共和国を、あらゆる脅威から守ること】にあった。その脅威のなかにはアメリカ流の帝国主義はもちろん、ソビエト流の共産主義からの脅威も含まれていた。』

エジプトの汎アラブ主義、トルコの汎トルコ主義
いかがでしょうか?
今回ご紹介させていただく書物は、複雑なうえに、まともな報道がなされない中東の情勢について、理解していくために必要となる「手掛かり」が数多く、整理された上で書かれている書物であり、現代の中東世界を見る際に、お手元に置いて参考にされるべき良書となります。

さて、本文中に書かれていたお話の時代というのが、まさに1960年代の、リベラルを掲げるアメリカ民主党政権が推進した、残虐な「ベトナム戦争」における失態のためにもたらされた、1960年代末から1970年代末にかけてのおよそ10年間の「米ソデタント」という東西冷戦における緊張緩和期になります。

民主党(アメリカ)ロゴ
ところが、1979年に、「イラン革命」が勃発し、「ソビエト軍によるアフガニスタン侵攻」が行われ、それと同時に、「イスラム過激派」が生み出されることになります。
これは後になってから判明するのですが、要するに、アメリカは「米ソデタント」という幻想を抱きながら、まんまと、ソビエト連邦に騙されていたんです(笑)(→☆ナセルのアラブ民族、習近平の中華民族、金正恩のアイヌ民族and琉球民族(笑))

昨日のところで、エジプトのガマル・アブドゥル・ナセルが目指していたものが、幻想に基づいた「汎アラブ主義」の「アラブ世界」の統一であったということを書かせて頂きましたが、それを一言で言い表しますと「汎アラブ主義(Pan-Arabism)」になります。

エジプト・ナーセル大統領(中央)、ソ連・フルシチョフ首相(右)
その「汎アラブ主義(Pan-Arabism)」は、「アラブ民族主義」(→ただし、実際にはアラビア人とかアラビア民族などは存在しないため、単なる幻想に過ぎませんがw)と、「社会主義」を足し合わせたものになります。
汎アラブ主義 = アラブ民族主義 + “社会主義”
このパターンは、現代史を理解する上で、非常によく登場してくる必須パターンになりますので、ぜひ、この際、丸暗記しておいてください💗
尤(もっと)も、それほど難しいという訳ではなく、ここで皆さんに覚えておいていただきたいのは「民族主義+社会主義」というパターンです。


アラブ諸国とされる主な国々

昨日も書かせて頂きましたが、アラブ世界とされる地域には、「トルコ」と「イラン」は含まれず、アラブ世界のマシュリクで中心となる国が「エジプト」と「サウジアラビア」になります。

マシュリク
「エジプト」も「サウジアラビア」も「アラビア語」を公用語とするイスラム教のスンニ(スンナ)派の国ですが、「サウジアラビア」はより原理主義的なスンニ(スンナ)派の分派であるワハーブ派が王家であるサウード家と結びついている国で、この2つの国はアラブ世界の指導的立場を巡って角逐する関係にあります(→☆イスラム原理主義の始まりは、サウジアラビアの歴史にあります)。
「イラン」は、イスラム教のシーア派(ムハンマドの直系血族重視)の国であり、公用語はペルシア語になります(→☆文系・理系の“ヘンテコな区別”をしているのは日本だけなんです!!!)。
また、「トルコ」はトルコ語を公用語とし、イスラム教スンニ(スンナ)派が多いとされる国です。
で、エジプトは、「汎アラブ主義(=アラブ民族主義+社会主義)」をナセルの時代に掲げていたということは御理解頂けたと思いますが、アラブ世界ではない「トルコ」においても、「汎トルコ主義(汎テュルク主義/Pan-Turkism)」の動きが生じます。それが「青年トルコ人革命」(1908年)で、その中心となった「統一と進歩委員会」が第一次世界大戦前後の1913年から1918年まで、内閣を組閣し、政権を握っていました。

世界のテュルク系民族の分布

青年トルコ人革命によるミドハト憲法復活を祝うリトグラフ(1908年)

オスマン帝国のミレットの指導者らによる「青年トルコ人革命の宣言」1908年
その革命の結果、スルタン(イスラム世界における君主号のひとつ)であった、オスマン帝国の第34代皇帝の「アブデュルハミト2世」が失脚します。

晩年のアブデュルハミト2世(1908年)
そして、このあと、いわゆる「第一次世界大戦」によって、オスマン帝国は滅亡することになります。
結局、「青年トルコ人革命」(1908年)というのは、イスラム教という宗教色よりも、「我々は、同じトルコ民族(テュルク系民族主義)である!」ということを主張して、その国家ごと滅亡させられてしまった、という結果をもたらしたことになります。

続きは次回に♥
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