2020-02-09 (Sun)

本日のキーワード : イスラエル、イシュマエル、冷戦
冷戦(れいせん、英: Cold War、露: Холодная война)もしくは冷たい戦争(つめたいせんそう)は、第二次世界大戦後の世界を二分した西側諸国のアメリカを盟主とする資本主義・自由主義陣営と、東側諸国のソ連を盟主とする共産主義・社会主義陣営との対立構造。米ソ冷戦や東西冷戦とも呼ばれる。

1959年の世界の様子
ワインレッド = ワルシャワ条約((WT)加盟国
朱色 = ソ連の他の同盟国(東側諸国)
青紺色 = 北大西洋条約((NATO)加盟国
空色 = アメリカの他の同盟国(西側諸国)
緑 = 植民地
灰色 = 非同盟諸国

『砂漠のハガルとイシュマエル』 グリゴリー・アグリーウムーブ 1785年
本日の書物 : 『陰謀と虐殺』 柏原 竜一 ビジネス社
戦後の日本人は、正しい歴史を学校で教わって来ませんでした。
そして、現代のメディアもまた、嘘の情報を流し続けています。
私たち日本人は、親日的な立場に立ち、正しく認識し直し、
客観的に情勢を判断する必要があります。
それでは、この書物を見ていきましょう!
『 【オサマ】が、1979年12月20日の【ソビエト軍のアフガニスタン侵攻】のニュースを聞くと、【アフガニスタンでの「聖戦」への協力を決意】するのに時間は掛からなかった。

ウサーマ・ビン・ムハンマド・ビン・アワド・ビン・ラーディン
オサマの親族は、オサマの決意を一様に歓迎した。サウジアラビアを出発する前、オサマは、一族の年長者グループから呼び出された。彼の叔父アブドッラー・アッワード・ビン・ラーディンは、支援を申し出て、「神にかけて言うが、オサマ、お前を支えるのはわしらの務めじゃ。この高貴なる大義のために必要なものがあれば、それがなんであろうとも、それを求めよ。一切躊躇してはならんぞ」と彼を励ました。…つまり、【オサマ】は、単独で行動したわけではなく、【一族の期待を一身に背負ってアフガニスタンに乗り込んだ】のである。
ここで【サウジアラビア】が【アフガニスタンでの聖戦】を【積極的に推進】するに至った理由について考えておこう。

【サウジアラビア】は、【メッカとメディナ】という【イスラム教の二大聖地】を擁し、【ワッハーブ派】という【原理主義的なイスラム教スンニ派】が深く信仰されている国家である。全世界に広がるイスラム教団のなかでも、【サウジこそがイスラム教の中心なのだという意識も強烈】なのだ。


しかし、79年には【イランでイスラム革命が勃発】した。そのため、従来は影の薄かった【イランのシーア派の存在感がこれまでになく増大】していた。イランの反米プロパガンダを前に、【サウジアラビアはアメリカの同盟国として劣勢に立たされる】ことになったのだ。

ルーホッラー・ホメイニー

実際、サウジアラビア国内でも、イラン・イスラム革命の情熱は伝染していた。

1979年11月、【狂信的なイスラム教徒に率いられた反逆者数百名】が【メッカの大モスクに立てこもるという事件が勃発】した。反逆者のなかには、多数のサウジアラビア人も含まれていた。彼らは、信者たちに、【サウド家を転覆させ、西洋国家とのあらゆる妥協を断罪するよう求めた】。イスラム教に改宗したわずか数名のフランス人兵士によってこの騒動は鎮圧されたものの、数百名の死傷者を出した。

事件の主犯ジュハイマーン・アル=ウタイビー

逮捕された実行犯たち
この惨劇の後、【サウジアラビアの体制を攻撃】するようになったのが【リビアのカダフィ大佐】であった。「イスラム教が辱(はずかし)められ、イスラム教徒が卑(いや)しめられ、そして神の家が占領されるというのに、これらの聖地から聞こえてくる祈りについていったいどんな意味があるというのだろうか?」。こう言って、【リビアの指導者はサウジを痛烈に批判した】のである。

ムアンマル・アル=カッザーフィー

イラン革命の炎は、シーア派、スンニ派を問わず中東全域に広まりつつあった。そしてその激情の炎が、サウジアラビアにも達していた。あくまでイスラム教の本流を自認するならば、【アフガニスタンでの聖戦を支援する以外、サウジアラビアには道は残されていなかった】のである。』

社会主義のソビエト連邦が活用した、「弱小国家」による反米活動
いかがでしょうか?
今回ご紹介させていただく書物は、複雑なうえに、まともな報道がなされない中東の情勢について、理解していくために必要となる「手掛かり」が数多く、整理された上で書かれている書物であり、現代の中東世界を見る際に、お手元に置いて参考にされるべき良書となります。

さて、本文をご覧頂きまして、サウジアラビア、イラン、アフガニスタン、リビアという国々の名前が登場していたことはお分かりだと思いますが、何だか、それらの関係がサッパリと分からないと感じられる方々も多いのではないでしょうか。
そこで、まず、下の地図を参照し、社会主義国家のソビエト連邦の視点に立って考えてみたいと思います。

1945年、大東亜戦争の敗戦によって、大日本帝国は滅ぼされ、その後の約7年間の占領期間中に、占領基本法である「日本国憲法」が占領軍によって制定され、その間、様々な「社会主義的な国家制度の改造」が占領軍の手によってなされ、ようやく、1952年のサンフランシスコ講和条約(「日本国との平和条約(Treaty of Peace with Japan)」)の効力発生によって、我が国は「主権を回復(占領下からの解放)」を果たします(→☆ほんの少し前の私たちの日本は、実は、とても広大な領土を持っていました!!!)。
そして、その占領期間中の1950年6月25日に、金日成(きんにっせい)率いる北朝鮮軍が、ソビエト連邦の許可を得た上で、韓国に侵略戦争を仕掛けます。これが、現在休戦中の「朝鮮戦争」(1950年~1953年)です。
なぜ、ソ連の許可を得る必要があったのかと申しますと、それは金日成は、もともとソ連軍の軍人だったから(→☆朝鮮のネズミ小僧と「自由朝鮮(Free Joseon)」、☆ユーラ(夕羅)=ユーリイ・イルセノヴィチ・キム ⇒ この意味わかる?)、です(笑)

ただし、ソ連は、北朝鮮軍による韓国に対する侵略戦争を認めたものの、ソ連軍を派兵することはしませんでした。あくまでも、下っ端に過ぎない(=つまりは、鉄砲玉扱い)、そんな北朝鮮に単独でやらせたわけです(本当に困って助けに来たのが、中華人民共和国の人民解放軍になります)。そして、その頃、占領下の日本において、ソ連の手下(や共産主義者・社会主義者ども)が活発に活動し、いわゆる「二段階革命論」に基づき、敗戦後の混乱の中で「日本の社会主義国化」を狙っていました。

上の地図をご覧頂きますと、我が国が、もし、社会主義国化すれば、韓国は北朝鮮と我が国に挟まれている格好となり、ソ連にとっては安全な極東が実現することになります。
そこで、占領軍であるGHQは、ポツダム政令を発令し、「警察予備隊令」(昭和25年政令第260号)によって、すでに北朝鮮による侵略戦争が始まっていた1950年(昭和25年)8月10日に「警察予備隊」を設置します。これが後の「陸上自衛隊」です(→☆なぜ、日本の自衛隊の軍艦は、「護衛艦」と呼ばれるの? ~ 護衛艦が守っているもの)。
これは、占領下の日本において活発に活動していたソ連の手下(や共産主義者・社会主義者ども)を、「警察予備隊」によって封じ込め(=治安維持)、占領軍の軍事力を朝鮮戦争に投入する必要があったから、です。
で、日本国内で尖兵となって活動していたのが朝鮮総連で、連携していたのが、自治労や日教組でした(→☆“「朝鮮総連」と「自治労」と「日教組」のために創られた”のが、実は「自衛隊」なんです!!!)。
こうして、アメリカを中心とする西側と、ソ連を中心とする東側とによる勢力争いが形成されてゆくことになり、「ベトナム戦争」(1955年11月~1975年4月)が勃発します。
で、ちょうどこの時、第三極となる勢力が芽生え始めるのですが、その舞台が中東で、アラブ社会主義を掲げ、全中東世界の統一を目論んだ、エジプトのナセルが主人公になります(→☆ナセルのアラブ民族、習近平の中華民族、金正恩のアイヌ民族and琉球民族(笑))。

アラブ国家連合
それでは、その「アラブ」というのが何なのかということを、昨日までのところでも書かせて頂きましたが、

アラブ諸国とされる主な国々
「アラブ(=(アラビア人の意))」、いわゆる日本語で表現される「アラブ人」という人種や民族は、これまでの歴史の中で存在したことが一度もないものであり、セム語(アラビア語)という言語的なグループとしてひとまとめにできる人々のことを言い表したり、あるいは、自分たちの祖先は誰であったのかというアイデンティティーを共有している人々のことを言い表しているだけのことになります。

そして、その「アラブ(=アラビア人の意)」の人々は、自分たちの祖先を、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教を信仰する「啓典の民」の始祖である「アブラハム」という、ノアの洪水のあと、神が人間を救済する出発点として選ばれた最初の預言者に求めます。


そこで、昨日のところで書かせて頂きましたように、アブラハムと本妻のサラとの息子である「イサク(Isaac/「彼は笑う」の意)」、そして、アブラハムの孫(=イサクの子)であるヤコブ(のちにイスラエルと改名)に繋がる子孫であると考えている人々のことを、本来のユダヤ人と呼びます。神さまが、ヤコブ(のちにイスラエルと改名)とその子孫に与えると約束したのが、「カナンの地(Promised Land/約束の地)」です。

約束の地(境界線を示す赤線の間の地域)
ところが、ここが非常に由々しき問題となるのですが、「アブラハム」には本妻以外に、“妾(めかけ)”がいたんです(笑)

非常によく知られているように、現在の北朝鮮で、まるで王様の如く振舞っている“おデブ”がいますが、その金正恩は“妾(在日朝鮮人の高容姫)の子”(→☆「活断層」って、いつ頃からのものを呼ぶの?)であることと同じで、


高容姫=ハガル
本妻であるサラの単なる“女中”でしかなかった妾(めかけ)の「ハガル」との間にも息子が生まれていたわけです。

『天使とハガル』 Gheorghe Tattarescu 1870年
キリスト教徒にとっての旧約聖書(ユダヤ教徒にとって唯一の「聖書」(タナハ)、イスラム教徒にとっては内容が異なった形で部分的に啓典とされている)には、次のような記述があります。

『ハガルをアブラハムに捧げるサラ』
〇 アブラハムの妻サラには中々子供が出来ず、サラは自分の女奴隷であったハガルによって、アブラハムが子孫を残せるよう夫に頼んだ(創世記16:2)。
〇 アブラハムはサラの願いを聞き入れ、ハガルを自分のそばめとした(創世記16:3)。
〇 こうしてハガルはアブラハムと関係を持ち身ごもったが、ハガルは自分の主人であるサラの事を侮るようになった(創世記16:4)。
〇 サラが夫にその事に対して苦情を述べると、アブラハムはサラがハガルを自分の思うように扱っても構わないと許可した。それで、サラはハガルを苦しめるようになったので、ハガルは女主人の下から逃げた(創世記16:)。
〇 しかし、シュル街道の泉の所で彼女に御使いが現れ、神はハガルの苦悩をご覧になられたので、ハガルの子孫は多くなる事を約束し、その子供にイシュマエルという名前を付けるよう命令し、サラの下へ帰って服するよう指示された(創世記16:7-12)。
〇 ハガルは神を「エル・ロイ(わたしを顧みられる神)」という名前で呼び、私は神を見た後も生きていると語った(創世記16:13)。
〇 こうして、アブラハムが86歳の時にハガルはイシュマエルを産んだ(創世記16:16)。
〇 それから14年後(創世記17:21、24、25)、サラはイサクを産んだ(創世記21:2、3)。
〇 やがてイシュマエルはイサクをからかうようになり、サラはハガルとイシュマエルを追い出すように夫に懇願した(創世記21:9、10)。
〇 アブラハムにとってそれは不快な事だったが、神がサラの懇願を聞き入れるように命じると、彼はハガルに食料を与えて去らせた(創世記21:11-14)。
〇 ハガルとその息子はベエル・シェバの荒野をさまよい、水が尽きると彼女は息子が死ぬのを見たくないと思い、低木の下に隠して自分は離れた所に座り、声を上げて泣き始めた(創世記21:14-16)。
〇 すると御使いが天から呼びかけ、神は少年の声を聞かれたので彼を大きな国民にすると約束し、ハガルを強めた(創世記21:17、18)。
〇 神がハガルの目を開くと、彼女は井戸を見つけ生き延びる事ができた(創世記21:19)。
〇 こうしてパランの荒野に住み、ハガルはイシュマエルのためにエジプトから妻を迎えた(創世記21:20、21)。

『ハガルとイシュマエル』 フランソワ・ジョセフ・ナベス
このアブラハムと妾(めかけ)のハガルとの息子であるイシュマエルを祖先と考えているのが「アラブ(=アラビア人の意)」の人々になります。

オスマン帝国下の中近東地域 (1849年)
欧州大戦(第一次世界大戦)のあと、オスマン帝国は「トルコ革命」(1922年~1923年)によって滅亡(→トルコ共和国樹立)します。上の地図は、1849年頃のオスマン帝国の勢力圏を示した地図で、それを現在の地図上に示してみますと次のようになります。

そこには、イラク、シリア、ヨルダン、クウェート、レバノンといったアラブの国々と、イスラエルというユダヤの国が建国されています。

フサイン・イブン・アリー
オスマン帝国に反旗を翻すときにイギリスが支援するという密約(フサイン=マクマホン協定)を信じて、大戦の最中の1916年、4人の息子と共に「ハーシム家」出身のフサイン・イブン・アリーは、オスマン帝国からの「アラブ人」の独立を掲げ、「アラブの反乱(Arab Revolt)」を起こしました。

アラブ反乱旗
その時建国した「ヒジャーズ王国」は、長男であるアリー・イブン・フサインに継がせるのですが、

アリー・イブン・フサイン

ヒジャーズ王国の国章

ハーシム家の旗
1920年代半ばに、「サウード家」出身のアブドゥルアズィーズ・イブン・サウードに攻め込まれ、やがてサウジアラビアとして統合されることになります(→☆かつてのイランは、冷戦時代における西側の主要なプレイヤーでした!、☆「薔薇マークキャンペーン」とイランのツデ―党(Tudeh Party of Iran))。

アブドゥルアズィーズ・ビン・アブドゥルラフマーン・ビン・ファイサル・アール・サウード

サウジアラビア王国の国旗

サウード家の大紋章


アブドゥッラー1世・ビン・アル=フサイン
そして、「ハーシム家」のフサイン・イブン・アリーの次男・アブドゥッラー1世・ビン・アル=フサインは、イギリス委任統治領パレスチナにおいて、「トランスヨルダン王国」を建国しますが、

ヨルダンとアラビアの反乱騎兵(1918年)

当初のイギリス委任統治領パレスチナ
イギリスのパレスチナ担当の高等弁務官の管轄下にありました。その初代高等弁務官が、映画『アラビアのロレンス』で有名なトーマス・エドワード・ロレンスです。

トーマス・エドワード・ロレンス
第二次世界大戦後の1946年に独立し、1949年に国名を「ヨルダン・ハシミテ王国」に改めます。

ヨルダン・ハシミテ王国の国旗

ヨルダン・ハシミテ王国の国章

それでは、本日はここまでとさせて頂きます。
続きは次回に♥
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