2020-02-05 (Wed)

本日のキーワード : オスマン帝国下のアラブ
汎アラブ色(はんアラブしょく)とは、アラブ諸国の国旗に用いられる配色の名称である。イスラム・アラブ色とも言われる。フサイン・イブン・アリーがアラブの反乱で用いたアラブ反乱旗に起源を持つとされ、赤、黒、白そして緑を基調とするのが普通である。
本日の書物 : 『陰謀と虐殺』 柏原 竜一 ビジネス社
戦後の日本人は、正しい歴史を学校で教わって来ませんでした。
そして、現代のメディアもまた、嘘の情報を流し続けています。
私たち日本人は、親日的な立場に立ち、正しく認識し直し、
客観的に情勢を判断する必要があります。
それでは、この書物を見ていきましょう!
『 第二次大戦後、【イラン】は冷戦における【西側の主要なプレイヤー】であった。その結果、イランは【アメリカや英国から支援】を受け、北方で国境を接している【ソビエトに対して秘密作戦を遂行】していた。

1957年には、【アメリカとイスラエル】が、当時のイラン国王モハマド・レザー・パーフレヴィーと協力して【SAVAK】と呼ばれる【イランの国家公安情報組織】を設立した。その目的は体制を【国内の反対勢力から守ること】であった。また、【共産主義や左派政党のメンバーが軍や政府組織のなかに浸透しないようにする責任】も負っていた。…

モハンマド・レザー・シャー・パフラヴィー
SAVAKがモデルとしたのはアメリカのCIAであった。53年のクーデター直後に、CIA長官であったアレン・ダレスはイランに5名の専門家を派遣している。それに引きつづいてイスラエルのモサドが情報機関の形成に協力している。…

SAVAK(サヴァク)のロゴ
1960年初頭、SAVAKの主要な関心は、まず【ソビエトと関連したツデー党】であり、次いで、その他の反対勢力であった。そのなかには、民族主義者、世俗政党、自由主義政党が含まれた。

モハンマド・モサッデク
1950年代初頭、【ツデー党はモハメッド・モサデク首相を支援】していた。それは彼が【イランの石油産業を国有化】しようと努力していたためだ。しかし、【石油利権を取り戻すことを目的】としたアメリカのCIAと英国の支援を受けた【1953年のクーデター】により、【ソビエトの支援はなくなり】、シャーは権力を取り戻した。

勝利を祝うクーデター支持者たち(1953年)
1960年代初頭には、シャーの政府は、シャーの反対勢力により増大していた抗議活動を抑圧することに成功した。それはSAVAKが彼らの組織に潜入し、彼らを逮捕することで黙らせたためであった。1963年以降、シャーの体制に対してゲリラ工作を仕掛けた学生たちの場合も同様に抑圧された。パレスチナ解放人民戦線やパレスチナ解放機構に関連する組織から訓練を受けた共産主義のグループであるファダイ・ゲリラに関しても同様であった。SAVAKは海外の反体制派の学生も監視し、亡命中の反体制派の人物の暗殺を企てていた。』

オスマン帝国を滅ぼすために利用された、「アラブ民族」という幻想
いかがでしょうか?
今回ご紹介させていただく書物は、複雑なうえに、まともな報道がなされない中東の情勢について、理解していくために必要となる「手掛かり」が数多く、整理された上で書かれている書物であり、現代の中東世界を見る際に、お手元に置いて参考にされるべき良書となります。

本日は、まず、次の地図をご覧頂きたいのですが、これは今から約100年ほど前の1918年頃の世界地図になります。

1918年頃の世界地図
第一次世界大戦が終了するのが1918年ですが、戦勝国の連合国側であったロシア帝国は、ドイツによって送り込まれた共産主義者らによる「ロシア革命(ユダヤ革命)」によって滅亡し、すでに内戦状態にあります。やがて、共産主義者らの手によって、史上初となる社会主義国家のソビエト連邦が誕生することになります。

一方、敗戦国である中央同盟国は、ドイツ帝国、オーストリア=ハンガリー帝国、オスマン帝国、ブルガリア王国の4カ国で、敗戦後に、ドイツでは「ドイツ革命」(1918年11月)が勃発し、ドイツ帝国が滅亡(→ワイマール共和国樹立)し、オーストリア=ハンガリー帝国は分裂し、「オーストリア革命」(1918年11月)によってオーストリア共和国が樹立、「アスター革命」(1918年10月)によってハンガリー人民共和国が樹立(→ただし、1920年3月には、ハンガリー王国が樹立します)、オスマン帝国は「トルコ革命」(1922年~1923年)によって滅亡(→トルコ共和国樹立)します。

中央同盟国の4君主
つまり、ブルガリア以外は、すべて革命によって滅ぼされていることになります。

で、問題は、オスマン帝国のその後になるのですが、1849年頃のオスマン帝国の勢力圏を示した地図が次のものになります。

オスマン帝国下の中近東地域 (1849年)
それを現在の地図上に示してみますと次のようになります。

そうすると、イラク、シリア、ヨルダン、クウェート、レバノン、イスラエルといった国家が存在しているところは、オスマン帝国の勢力下に位置している地域であったことが御理解頂けると思います。

アラブ諸国とされる主な国々
また、イスラエル以外のイラク、シリア、ヨルダン、クウェート、レバノンは「アラブ」と称される人々の国でもあります。

フサイン・イブン・アリー
1908年、「青年トルコ人革命」(→☆オスマン帝国を滅ぼした“汎トルコ主義”)を受けて、オスマン帝国皇帝は、フサイン・イブン・アリーをメッカ(マッカ)のアミール(太守)に任じます。これは、「イスラム帝国の発祥地」である「ヒジャーズ」と呼ばれる地域に、「ハーシム家」出身であり、かつ、第4代正統カリフのアリー・イブン・アビー・ターリブの長男であるハサン・イブン・アリー・イブン・アビー=ターリブ(=イスラム教創始者「預言者ムハンマド」の初孫)の子孫である「ハサニー家」の出身でもあった、イスラム教のスンニ(スンナ)派にとってもシーア派にとっても、重要な人物の血筋である者を派遣したことになります(→文系・理系の“ヘンテコな区別”をしているのは日本だけなんです!!!)。
第一次世界大戦の最中であった1915年に、フサイン・イブン・アリーは、イギリスのカイロ駐在高等弁務官のヘンリー・マクマホンと「フサイン=マクマホン協定」を結びます。

サー・アーサー・ヘンリー・マクマホン
その内容は、オスマン帝国に反旗を翻すときにイギリスが支援するというもので、1916年、4人の息子と共にフサイン・イブン・アリーは、オスマン帝国からの「アラブ人」の独立を掲げ(→「アラブ人」などといった人種も民族も実在しない幻想に過ぎませんがw)、「アラブの反乱(Arab Revolt)」を起こしました。
そのときの「アラブ反乱旗」が、次のものになります。

アラブ反乱旗
結局、この蜂起の直前に結ばれていた英・仏・露の密約(「サイクス・ピコ協定」)によって、ハーシム家が主導するアラブ諸部族は、イギリスの支援を受けて中東各地でオスマン帝国軍と戦い、その支配からの脱却には成功したものの、オスマン帝国勢力下にあった多くのアラブ地域は、イギリスやフランスによる委任統治領となり分断され、統一国家を作って独立することはできませんでした。

サイクス・ピコ協定。濃い赤はイギリス直接統治、濃い青はフランス直接統治、薄い赤はイギリスの、薄い青はフランスの勢力圏。紫(パレスチナ)は共同統治領

このフサイン・イブン・アリーの反乱によって、1916年に「ヒジャーズ王国」が建国されましたが、

ヒジャーズ王国の国旗

緑色の部分がヒジャーズ王国の領域
かつて、オスマン帝国によって滅ぼされた「第一次サウード王国(第一次サウード朝)」(1744年~1818年)が、1824年にリヤドに移って再建された「第二次サウード王国(第二次サウード朝)」(1824年~1891年)を経て、

第二次サウード王国の版図
1902年に、アブドゥルアズィーズ・イブン・サウードがリヤドの奪還に成功して建国した「ナジュド及びハッサ王国」(1902年~1921年)、その後継の「ナジュド・スルタン国」(1921年~1926年)によって征服されることになります(「ナジュド及びヒジャーズ王国」の樹立)。のちに「サウジアラビア王国」となる国です(→☆イスラム原理主義の始まりは、サウジアラビアの歴史にあります)。

アブドゥルアズィーズ・ビン・アブドゥルラフマーン・ビン・ファイサル・アール・サウード
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