2020-01-22 (Wed)
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本日のキーワード : 国際石油資本
国際石油資本(こくさいせきゆしほん)または石油メジャーとは、資本力と政治力で石油の探鉱(採掘)・生産・輸送・精製・販売までの全段階を垂直統合で行い、シェアの大部分を寡占する石油系巨大企業複合体の総称。1975年にアンソニー・サンプソンが著した「セブン・シスターズ」で一躍存在が知られることになった。寡占体制となるまでの歴史においてはシュルンベルジェが地球規模で油田探査に活躍し、影の石油メジャーと呼ばれている。石油メジャーのうち、第二次世界大戦後から1970年代まで、石油の生産をほぼ独占状態に置いた7社は セブン・シスターズ(Seven Sisters)と呼ばれてきた。資源ナショナリズムにより石油輸出国機構(OPEC)が主導権を握るまで、世界の石油のほぼ全てを支配していた。セブン・シスターズのうち、5社がアメリカ資本で、残りの2社が、イギリス資本系のBP(ブリティッシュ・ペトロリアム)と、イギリスとオランダ資本系のロイヤル・ダッチ・シェルである。

『プレイアデス』(エリュー・ヴェッダー)1885年
本日の書物 : 『イスラム教の論理』 飯山 陽 新潮社
戦後の日本人は、正しい歴史を学校で教わって来ませんでした。
そして、現代のメディアもまた、嘘の情報を流し続けています。
私たち日本人は、親日的な立場に立ち、正しく認識し直し、
客観的に情勢を判断する必要があります。
それでは、この書物を見ていきましょう!
『 【イスラム教】において【人間は全知全能の神が創造した被造物】とされており、【創造者たる神は主人、被造物たる人間は奴隷】と位置づけられています。

人間は奴隷ですから、主人である神の命令には絶対に従わなければなりません。しかし神は、その都度人間ひとりひとりに命令を下すような存在ではありません。神は【ムハンマド】を【最後の預言者】として選び、人間に伝えるべきことは【コーランの啓示】によってすべて伝えつくしたと述べています。…

「人間は神の奴隷」などというと、それを聞いただけで拒否反応を示す人も多いでしょうが、【イスラム教徒】にとってはこれは全く屈辱的なことではなく、彼らは【自分たちが神の奴隷であることをむしろ誇らしく思っています】。それ以前に、イスラム教徒はまず自分が神の奴隷であることを知り、奴隷たる自分の立場を認識しなければならないとされています。その上ではじめて、神が今この瞬間、自分に対して行うよう求めている行為は何かと常に考える、イスラム教特有の思考が成立しえます。

イスラム教徒男性には【アブド】とつく名前の人が多くいますが、アブドとは【アラビア語で奴隷の意味】です。【アブダッラー】という名前は【「神の奴隷」という意味】ですし、【アブドゥルアズィーズ】という名前は【「力強いお方(=神)の奴隷」という意味】です。

サウジアラビアの前の国王の名前は【アブダッラー・ブン・アブドゥルアズィーズ】ですが、これを日本語に直訳すると【「神の奴隷の息子の神の奴隷」】となります。この名前は、お父さんも「神の奴隷」、自分も「神の奴隷」という意味であり、ここにはイスラム教徒にとって自分が神の奴隷であること、そしてそれを外に知らしめることの重要性、意義深さが象徴されています。彼らは「私は『神の奴隷』です」と名乗ることにより、自分は自分の意思ではなく神の意思に従って生きているのだ、と表明しているのです。これは、自分は地上のどんな人間も価値も「主」として崇めたりはしないという、実に堂々たる宣言なのです。』

7大メジャーズの誕生
いかがでしょうか?
今回ご紹介させていただく書物は、そのタイトルにあります通り、「イスラム教の論理」について書かれた書物になりますが、その「イスラム教の論理」とは、「イスラム教の教え」や、それに基づいた「イスラム法」を遵守しようとすればするほど、どうしてもイスラム教徒の方々にとっては避けることができない“巨大な障壁”が目の前に現れることになってしまうのですが、そんなイスラム教徒の方々にとっての「苦悩」や「覚悟」といったものが何であるのかを理解することができる良書となります。

さて、本日は早速、昨日の続きに入らせて頂きたいと思います。20世紀の初頭、世界の2大石油勢力は、アメリカの石油資源に基盤をおく米ロックフェラーのスタンダードグループと、東南アジアとロシアの石油資源に基盤をおく蘭英シェルグループでした。
ところが、1908年、イラン南西部のマスジェデ・ソレイマーンで、中東のペルシア(現イラン)で最初の近代的掘削により「石油」が発見されます。

発見したのは、イギリス人のウィリアム・ノックス・ダーシー(William Knox D'Arcy)で、翌1909年に「アングロ・ペルシャン・オイル・カンパニー(APOC/Anglo-Persian Oil Company)」が設立されます。

ウィリアム・ノックス・ダーシー
その頃、アメリカにおいて、新しい油田が発見され、米ロックフェラーのスタンダードグループ以外の大きな石油会社が誕生してくるようになります。それが、1901年設立の「テキサス燃料会社(Texas Fuel Company)」と1907年設立の「ガルフ石油会社(Gulf Oil Corporation)」です。

スピンドルトップのルカス1号油井
1911年になると、シャーマン反トラスト法(Sherman Antitrust Act of 1890)の適用によって、スタンダードグループを構成していた30を超える石油会社が、それぞれ独立した石油会社となり、互いに競争し合うようになります。その中から発展したのが、「ニュージャージー・スタンダード石油会社(Standard Oil Company of New Jersey)」、「カリフォルニア・スタンダード石油会社(Standard Oil Company of California)」、「ニューヨーク・スタンダード石油会社(Standard Oil Company of New York)」でした。
さて、ここまで登場した国際的な石油会社として、次の7社がありますが、これを「7大メジャーズ(Majors)」と呼びます。
【アメリカ】
〇ニュージャージー・スタンダード石油会社
〇カリフォルニア・スタンダード石油会社
〇ニューヨーク・スタンダード石油会社
〇テキサス燃料会社
〇ガルフ石油会社
【蘭英】
〇ロイヤル・ダッチ・シェル
【英】
〇アングロ・ペルシャン・オイル・カンパニー
で、これら「7大メジャーズ(Majors)」は、「東洋市場」を巡って、より一層激しい販売競争をするようになります。

そうなりますと、「東洋市場」への輸送コストが非常に問題となってきます。現代においても、船舶による輸送は大量の貨物輸送を低コストで行うことができるのですが、出来る限り安全に最短距離で輸送することができることが望まれるわけです。


☆公益財団法人 日本海事広報協会HP
そう考えますと、「スエズ運河」の支配権が、特にヨーロッパから見て、非常に重要になってくることが理解できると思います。

☆動画:米空母エーブラハム・リンカーン、スエズ運河を通過 ペルシャ湾へ

ちなみに、「パナマ運河」は、当時はまだ建設中でした。当初はフランス主導で始められた(1880年)のですが、のちにアメリカによって進められるようになります。

ところで、その頃、我が国は、一体何をしていたのでしょうか?

答えは、「日韓併合」(1910年)で、朝鮮半島を支配下に治めました(笑)
主体性が全くない、事大主義でグダグダな朝鮮人を放置しておけば、我が国の安全保障上、危険性を増大させるため、私たちの国の国益のために必要な事でした💗 もし、それが嫌であったならば、朝鮮人は実力で抵抗すればよかったのですが、何故か、朝鮮人は大喜びでした(笑)
詳しくはこちらをご参照💗
↓
☆百田尚樹 今こそ、韓国に謝ろう

1912年7月30日、明治天皇が崩御なされ、同日(←ここが重要です!!!)、皇太子さまの嘉仁親王が践祚(せんそ)なされ、「改元の詔書」を公布、即日施行となったために、1912年7月30日が「大正元年7月30日」となりましたが、今回(平成→令和)は、果たして如何だったでしょうか?


それでは、本日はここまでとさせて頂きますが、このあと、「石油」という戦略資源の重要性が一気に高まることになります。1914年7月、「欧州大戦(War in Europe)」が勃発します。いわゆる「第一次世界大戦(World War I)」です。
続きは次回に♥
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Re: No Subject * by みっちゃん
4711さん、こんにちは^^
なるほど、難しい問題ですね。考え方としては、現行の日本国憲法という「単なる憲法典」を正統なものとするか否か、で「譲位」に対する見方も変わってくると思います。
まず、ご承知の通り、戦後の占領期につくられた日本国憲法、その第二条・第五条に基づいて、一つの法律として現行の「皇室典範」が位置付けられています。その「皇室典範」には、「譲位の規定」がありません。これは、明治時代に創られた「旧皇室典範」においても同じです。では、両者は何が異なっているのかと申しますと、「旧皇室典範」は「大日本帝国憲法」と同時に公布され、「同等に位置付け」されていたものであり、それはあくまでも「皇室の家法」として皇室の自立性を謳っていました。ですから、「宮中」と「府中」をキチンと分ける、つまり「皇室の事務」は「旧皇室典範」の法律系統(宮務法)で、「国家の事務」は「大日本帝国憲法」の法律系統(国務法)で、という風に明確に区別がなされていたわけで、宮内大臣は内閣の一員ではなく、宮内官もまた一般の官吏とは区別された身分でした。ところが、現在は、日本国憲法の付属品という扱いで、しかも占領期に勝手に中身も削られてしまいました。
一般的に「成文法」と「不文法」や「慣習法」を含めたものこそが『國体(国柄、憲法)』であって、部分的に「成文化」しただけのものを『憲法典』と呼びますが、歴史ある我が国の「皇室」の「不文法」・「慣習法」のうち、ほんの一部を「成文化」したものが「旧皇室典範」・「皇室典範」になります。
で、そもそも「譲位」は、歴代天皇の自由意思で行われてきたものであり、また「改元」も平均すると5年に1回というハイ・ペースで歴代天皇の自由意思で行われてきた(=気分転換)ものです。これは「不文法」や「慣習法」と呼ばれるものであって、我が国の『國体(国柄、憲法)』を為す根幹部分になります。「成文化」された「大日本帝国憲法」や「日本国憲法」は「単なる憲法典」でしかなく、その一部を構成しているだけのものになります。
幕末までは、「譲位」は“天皇の自由意思”で行われていたのですが、「大日本帝国憲法」の制定以降、現代に至るまで、「我慢されていた」のが、むしろ“異例”だと言えます。「改元」についても同じで、天皇一代につき一元号とする一世一元の制が定められたのは明治時代からのことで、たとえば、「天正」「慶長」といった元号の時代がどうだったのかをお調べ頂くと、それまでの実態が良く理解できると思います。
この辺りのお話は、いずれキチンと書かせて頂きたいと思いますが、まず私たち日本国民が自覚しておかなければならないことは、「皇室」が日本国民のために現在でも戦い続けている、ということです。
なるほど、難しい問題ですね。考え方としては、現行の日本国憲法という「単なる憲法典」を正統なものとするか否か、で「譲位」に対する見方も変わってくると思います。
まず、ご承知の通り、戦後の占領期につくられた日本国憲法、その第二条・第五条に基づいて、一つの法律として現行の「皇室典範」が位置付けられています。その「皇室典範」には、「譲位の規定」がありません。これは、明治時代に創られた「旧皇室典範」においても同じです。では、両者は何が異なっているのかと申しますと、「旧皇室典範」は「大日本帝国憲法」と同時に公布され、「同等に位置付け」されていたものであり、それはあくまでも「皇室の家法」として皇室の自立性を謳っていました。ですから、「宮中」と「府中」をキチンと分ける、つまり「皇室の事務」は「旧皇室典範」の法律系統(宮務法)で、「国家の事務」は「大日本帝国憲法」の法律系統(国務法)で、という風に明確に区別がなされていたわけで、宮内大臣は内閣の一員ではなく、宮内官もまた一般の官吏とは区別された身分でした。ところが、現在は、日本国憲法の付属品という扱いで、しかも占領期に勝手に中身も削られてしまいました。
一般的に「成文法」と「不文法」や「慣習法」を含めたものこそが『國体(国柄、憲法)』であって、部分的に「成文化」しただけのものを『憲法典』と呼びますが、歴史ある我が国の「皇室」の「不文法」・「慣習法」のうち、ほんの一部を「成文化」したものが「旧皇室典範」・「皇室典範」になります。
で、そもそも「譲位」は、歴代天皇の自由意思で行われてきたものであり、また「改元」も平均すると5年に1回というハイ・ペースで歴代天皇の自由意思で行われてきた(=気分転換)ものです。これは「不文法」や「慣習法」と呼ばれるものであって、我が国の『國体(国柄、憲法)』を為す根幹部分になります。「成文化」された「大日本帝国憲法」や「日本国憲法」は「単なる憲法典」でしかなく、その一部を構成しているだけのものになります。
幕末までは、「譲位」は“天皇の自由意思”で行われていたのですが、「大日本帝国憲法」の制定以降、現代に至るまで、「我慢されていた」のが、むしろ“異例”だと言えます。「改元」についても同じで、天皇一代につき一元号とする一世一元の制が定められたのは明治時代からのことで、たとえば、「天正」「慶長」といった元号の時代がどうだったのかをお調べ頂くと、それまでの実態が良く理解できると思います。
この辺りのお話は、いずれキチンと書かせて頂きたいと思いますが、まず私たち日本国民が自覚しておかなければならないことは、「皇室」が日本国民のために現在でも戦い続けている、ということです。
昭和天皇はご病気でも最後までその地位を全うされました。
何故お疲れだからと言っての退位を政府は許したのか。
そして、ご自分の退位された後、「徳仁親王→文仁親王→悠仁親王に継がせる」ことを明言してくださっていれば、愛子天皇画策は起きなかったのではないか、と思っています。