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    親子チョコ💗(500冊以上の良質な書籍のご紹介)

    子どもたちの教育のため、また、その親である私たち自身が学ぶための、読まれるべき良質な書籍のみをご紹介させていただきます。

     >  科学・数学 >  文系・理系の“ヘンテコな区別”をしているのは日本だけなんです!!!

    文系・理系の“ヘンテコな区別”をしているのは日本だけなんです!!!

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    本日のキーワード : 哲学



    哲学(てつがく)は、語義的には「愛智」を意味する学問的活動である

    『人類に恥を知らせるため井戸から出てくる〈真実〉』 ジャン=レオン・ジェローム
    『人類に恥を知らせるため井戸から出てくる〈真実〉』 ジャン=レオン・ジェローム

    本日の書物 : 『文系のための理数センス養成講座』 竹内 薫 新潮社



    戦後の日本人は、正しい歴史を学校で教わって来ませんでした。

    そして、現代のメディアもまた、嘘の情報を流し続けています。

    私たち日本人は、親日的な立場に立ち、正しく認識し直し、

    客観的に情勢を判断する必要があります。

    それでは、この書物を見ていきましょう!




    『―――あなたは【文系】ですか? それとも【理系】ですか?

     【日本】では、日常的な会話の中でも【よく使われるセリフ】ですね。

    文系と理系

     でも、私は20代から30代にかけて、8年ほど【カナダ】で学究生活をおくったのですが、キャンパスの中でも外でも、【「あなたは文系? 理系?」といった質問を受けた憶えが一度もありません】。留学先は、マギル大という東海岸の老舗大学だったので、ヨーロッパはもちろん、アジア、アフリカ、オセアニアなど、世界各地から研究者や学生が集まっていましたが、【誰もそんなことは気にしていない】のです。つまり、【グローバルな視点】からすると、【「理系・文系」という区分にはあまり意味がない】ということです。

    女性 ポイント ひとつ

     欧米にも、高度の数学を用いるかどうか、実験室を使うかどうか、といった理系・文系の垣根がまったくないわけではありません。だけれども、【欧米】にはすべてを理系と文系に整然と分けてしまうような【絶対的な区分が存在しない】のです。というか、【そうした「分類マインド」がはじめからとても希薄】なのです。

     しかし、そうは言っても、欧米を基準にして日本の理系・文系の分類には意味がないなどと、一方的に否定できるわけでもないでしょう。

    ――【なぜ、こうした違いが生まれたのか?】

    ということをまず考えたいのですが、これには【歴史的な理由がある】ようです。

    ポイント 女性

    【現代の科学】は、【17世紀の科学革命】をきっかけにして【ヨーロッパで生まれた近代科学を礎】にして育まれてきたものですが、【日本】はこれを【明治時代】にいきなり【“完成形”で輸入】しているという【違い】があります。

    ポイント 21

     【ヨーロッパの文化】が、【古代ギリシャに源流】を持つことはご存じのとおりですが、あらゆる知について通じていたあの哲人【アリストテレス】などを思い浮かべてもらえばわかるように、【ヨーロッパには科学が「哲学」の一分野として発展してきたという歴史的かつ文化的な背景がある】のです。

    アリストテレスの講義を受けるアレクサンドロス
    アリストテレスの講義を受けるアレクサンドロス

     だから、17世紀の科学革命を担ったガリレオニュートンの力学に関する研究も、その当時は「物理学」ではなく自然現象を探求する【「自然哲学」】とされていました。実際、今でも欧米では化学であれ生物であれ【科学者が博士号を取ったとき】にはみんな【「哲学博士」(Ph.D./ドクターオブフィロソフィー)という称号】を与えられます。

     【科学者のルーツは哲学者】だったのです。これは自然科学だけでなく、経済学などの社会科学や心理学などの人文科学でも同じです。つまり、【あらゆる学問のルーツは一つ】だという観念が、欧米社会には深く根付いているということですね。

    ポイント 23

     一方【日本】【特徴的】【文系・理系にこだわった区分方法】は、じつは【明治政府が帝国大学を作った際に】、実験や実習で教育に金のかかる理学、医学、工学などを【理系】、金のかからない文学や法学などを【文系】と分け、大学生の予備軍である【旧制高校の学生までも、入学時から理系と文系にコース分けしてしまったことが発端】だと言われます。…

     その当時の政策としては利点もあったにせよ、こうした【明治政府の都合】が、【現代日本の教育制度にまでこれほど色濃く残ってしまっている】のです。』

    日の丸

    文系も理系も教えてもらえなかった本当の中東の歴史を学ぶ!


    いかがでしょうか?

    今回ご紹介させていただく書物は、本来であれば、「学問」のルーツは一つである、という西洋的な考え方に立ち、その上で、日本の学校教育における「文系」と「理系」という区分が、如何に時代遅れであるのかが理解できる書物で、それぞれの思考の違いを比較することで、「文系」であろうと「理系」であろうとそのどちらもが必須であるという「当たり前」のことが納得できるようになる良書となります。

    読書 10-141

    さて、“買春”事務次官として歴史上にその名を残すことになる、元文部科学省のトップだった前川喜平という変態がいますが、

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    ビーチ前川2

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    <援交おじさん外交を語る>前川喜平「アメリカよりも日本よりも、イランは大人の外交をやってるように見える」〜ネットの反応「鳩山病の末期ですね」「マジか!じゃあイランを見習って核と弾道ミサイル作ろうぜw」「イランで貧困調査したら死刑やからな」

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    東京新聞・望月衣塑子記者「前川喜平前文科事務次官の出会い系バー通いに対しては『教育者としてあるまじき行為!』を盛んに連発していたのに!」〜ネットの反応「訂正しろ!貧困調査(若い女性限定)だ!」「出会い系バー通い」は認めるんだwww」

    子ども 笑う

    三流官庁と揶揄される文部科学省が主導する現在の学校教育では、たとえば、「文系」であれば、こんな馬鹿馬鹿しい問題現実に宿題として出されています

    これ 女性

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    他方、「理系」でも同様に、こんな馬鹿馬鹿しい問題出題されていて、何がどう間違っているのかがキチンと説明することができない状況にあります(笑)

    これ 女性

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    #超算数 秋の味覚「掛け算の順序」、今年も豊漁 - Togetter

    驚き

    ちなみに、日本国民が信頼できない組織・団体として、「国会議員」(つまり、立憲民主党や日本共産党などの特定野党と呼ばれる政党)「マスコミ」(つまり、朝日新聞・NHK・毎日新聞等)筆頭に挙げられますが、それに続くのが「教師」(つまり、日教組・全教等)で、

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    <日本経済新聞/世論調査>「日本の組織・団体で信頼できるのは?」→1位:自衛隊 60% 「日本の組織・団体で信頼できないのは?」→マスコミと国会議員が46%で同率1位

    朝日新聞 1203

    それもそのはずで、北朝鮮の「チュチェ思想」に毒されているからです💗

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    【日教組】拉致問題DVD「めぐみ」上映は「在日コリアンを傷つける」 一部で上映反対意見~ネットの反応「北朝鮮に対する憎悪を煽るような描写はないぞ?批判している人はちゃんとこの映画を観たのか?」「日教組はクソだな、前から知ってたけど」


    実は、戦後の我が国「自衛隊」が必要になったのもその連中に対抗し治安を維持するするためでした(笑) だから「自衛隊」は信頼されているわけです(→“「朝鮮総連」と「自治労」と「日教組」のために創られた”のが、実は「自衛隊」なんです!!!)。

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    女性 ポイント これ

    それでは、ここからは昨日の続きに入りたいと思いますが、20世紀の初頭国際石油資本の原型となる、「7大メジャーズ(Majors)」が、「東洋市場」を巡ってより一層激しい販売競争をするようになります。

    【アメリカ】
    〇ニュージャージー・スタンダード石油会社
    〇カリフォルニア・スタンダード石油会社
    〇ニューヨーク・スタンダード石油会社
    〇テキサス燃料会社
    〇ガルフ石油会社
    【蘭英】
    〇ロイヤル・ダッチ・シェル
    【英】
    〇アングロ・ペルシャン・オイル・カンパニー


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    1912年我が国大正時代迎えた頃の世界の状況次のような感じになります。

    1912年頃の世界地図0
    1912年頃の世界地図

    1912年頃の世界地図1

    1912年頃の世界地図2

    この頃要衝であるエジプトの「スエズ運河」は、オスマン帝国の主権下からエジプトを保護国とするイギリスの支配下へと移行する時期(というか、イギリスが分捕ったのですがw)にありました。


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    動画:米空母エーブラハム・リンカーン、スエズ運河を通過 ペルシャ湾へ

    スエズ運河1

    ここで少し時計を戻してご説明させて頂きますと、このエジプトの統治は、それまでもかなり複雑な構造をしていました。

    ポイント 32

    まず、そもそもエジプトは1517年マムルーク朝(スンニ派)が、オスマン帝国(スンニ派が中心)滅ぼされた後その主権下にあり、「エレヤト(州)」と呼ばれる行政区分の一つとして、名目上は、イスタンブールから派遣される「ワーリー(総督)」によって統治されるという形式をとっていました。

    1609年のエジプト・エヤレト
    1609年のエジプト・エヤレト

    18世紀の後半に入ると、エジプトのワーリー(総督)の配下であり、ギリシァ正教会の司祭の息子で、誘拐された上、カイロで奴隷として売られたマムルーク(奴隷身分の騎兵のこと)アリー・ベイ・アル=カービルと、その義理の息子ムハンマド・アブー・アッ=ザハブが、エジプト・エヤレト(州)の独立を求めて反乱を起こします。

    アリー・ベイ・アル=カービル
    アリー・ベイ・アル=カービル

    アリー・ベイの反乱(1768~1774年)
    アリー・ベイの反乱(1768~1774年)

    この反乱結果的には鎮圧された(1775年)のですが、ここで、上の地図の中のアラビア半島西岸部分を拡大致しますと、「イスラム教最大の聖地」である「メッカ(マッカ)」、正式名称で「マッカ・アル=ムカッラマ(栄光あるマッカ)」を、その影響圏に一時的にせよ置いていたことが理解できると思います。イスラム教徒の方々が、1日5回礼拝を捧げる方角にあるのが、この「メッカ」です。ちなみに、「メディナ(マディーナ)」、正式名称で「アル=マディーナ・アル=ムナウワラ」は、イスラム教徒の第2の聖地となります。

    メッカ ヒジャーズ

    で、この一帯「ヒジャーズ」と呼ばれ、アラブやイスラムにとって歴史的・宗教的・政治的に重要な地域でした。

    ヒジャーズ
    ヒジャーズ

    何故ならばこの地域こそ「イスラム帝国の発祥地」だったからです。

    そして、その聖地「メッカ(マッカ)」において13世紀以降からのエジプトの政権やオスマン帝国の宗主権の下でも、自治を行っていたのが「ハーシム家」になります。

    アラブ民族のクライシュ族であるハーシムの曾孫「預言者ムハンマド」「イスラム教の創始者」になりますが、ムハンマドは、最初は身近な人々(クライシュ族)へ布教活動をするのですが、危険視されて追い出され一転してクライシュ族を攻撃します(笑)

    これは、以前も書かせて頂いているのですが、預言者ムハンマドの従兄弟で、かつムハンマドの娘婿である第四代カリフのアリーの血族を重視(=つまり、ムハンマドの直系血族重視)するのが「シーア派(もともとはアリー派と呼ばれていました)」で、他方「スンニ派(スンナ派)」は、ムハンマドとの血縁の近さは必ずしも絶対的なものではないクライシュ族であれば多少血縁が遠くても良いとする立場になります(→イスラム教の分裂 ~ スンニ派とか、シーア派とかって何が違うの?)。

    それでは、本日はここまでとさせて頂きますが、そのアラビア半島には、オスマン帝国ですら手を焼く国家が存在していたのですが、次回以降、その辺りについて書かせて頂きたいと思います。


    続きは次回に♥




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