2020-01-29 (Wed)

本日のキーワード : イスラム原理主義、ワッハーブ派
ワッハーブ派(アラビア語: وهابية, Wahhābiyyah、英: Wahhabism)は、18世紀にアラビア半島内陸のナジュドに起こったイスラム教の改革運動による宗派である。宗派としてはスンナ派に属するが、その下位宗派に数えられる場合もある。法学的には、イスラム法学派のうち厳格なことで知られるハンバル派に属する。 また、ワッハーブ主義は第一次ワッハーブ王国(または第一次サウード王国)などによるアラビア半島諸国の統一とオスマン帝国への反発に貢献した。
創始者はムハンマド・イブン・アブドゥルワッハーブ(ワッハーブ)。一般にイスラム原理主義と呼ばれて知られている復古主義・純化主義的イスラム改革運動の先駆的な運動であると評価される。
本日の書物 : 『陰謀と虐殺』 柏原 竜一 ビジネス社
戦後の日本人は、正しい歴史を学校で教わって来ませんでした。
そして、現代のメディアもまた、嘘の情報を流し続けています。
私たち日本人は、親日的な立場に立ち、正しく認識し直し、
客観的に情勢を判断する必要があります。
それでは、この書物を見ていきましょう!
『 本書は、【中東】という地域を【インテリジェンスという側面から考察】することを目的としている。
イスラム国の急速な台頭とその残虐な行為は、中東という地域への関心をこれまでになくかき立てたといえる。しかし、その後現れた【一連の書物には失望】を覚えざるをえなかった。なかには、表向きはテロを否定しながらも、実際には【テロを賞賛しているのではないかと思われる著作も見受けられた】。

なによりも、【イスラム国に関する著作】を読み進むにつれて、【なにかいいようのない不満を感じる】ようになった。それらの説明には、人の心を突き動かすような【説得力にまるで欠けていたため】である。一言で言えば、【外交インテリジェンスという視点がかけている】のだ。

そのようななかで出会ったのが、【オーウェン・L・シールス】による【『エジプト情報機関100年史』(未邦訳)】であった。この著作は、1910年から2009年までの100年間のエジプト情報機関の変遷を扱っていた。【英国の統治時代】から、【自由将校団によるクーデター】を経て、【ナセル、サダト、ムバラク】という三代の大統領の下での情報活動を扱ったこの著作は、【エジプトの外交・内政の実情】を非常に説得力のある形で提示していた。なにより驚かされたのは、【エジプトの情報活動の幅広さと質の高さ】であった。…


カイロで群衆に歓迎される自由将校団メンバー(1953年1月)
中東のインテリジェンスといえば、【イスラエルのモサド】の活動に焦点が当てられることが多い。しかし、【エジプトも、イスラエルに対抗しうるほどの高度なインテリジェンス能力を備えていた】。エジプトに限らず、【イスラエルの周辺国】も、常にイスラエルに苦しめられる【弱小国などではなく】、【高いインテリジェンス能力を備えた、強力でしたたかなアクターだった】のである。これは新鮮な衝撃であった。

だとするならば、アラブの春からイスラム国に至るストーリーを、【中東諸国のインテリジェンスという観点から再構成できる】のではないかと考えたのが、本書の執筆動機であった。…

本書の目的をもう一つ挙げるならば、読者が【複雑怪奇な中東の情勢】を【自分なりに分析】できる枠組みを提示すること。本書は、それぞれの章が他の章と反響するように作られている。たとえば、第二章と第三章を比較することで、【エジプトとイランの国柄の相違、それに、情報活動の共通性を確認できる】だろう。また、特定の固有名詞、たとえば、【ヒズボラのテロリスト】である【イマード・ムグニヤ】、そして、【サウジアラビア】の【トゥルキー・アル・ファイサル】王子や【バンダル・ビン・スルタン】王子といった人名に注目すれば、【中東諸国の隠された関係】を発見することができるだろう。

イマード・ムグニヤ

トゥルキー・アル・ファイサル

バンダル・ビン・スルタン
そのうえで、本書が、今後も世界各地で頻発するであろうテロを回避する一助になれば、筆者としてこれ以上の喜びはない。』

イスラム原理主義の国、サウジアラビア
いかがでしょうか?
今回ご紹介させていただく書物は、複雑なうえに、まともな報道がなされない中東の情勢について、理解していくために必要となる「手掛かり」が数多く、整理された上で書かれている書物であり、現代の中東世界を見る際に、お手元に置いて参考にされるべき良書となります。

さて、本文中に、イスラム国について書かれた多くの本が、「説得力にまるで欠けていた」「外交インテリジェンスという視点がかけている」と書かれていましたが、要するに、「リアリティが欠けている」ものがほとんどで、空想・願望で書かれた劣悪本が非常に多いということになります。

☆【イラク】拘束された「イスラム国」幹部、体重250キロ超のため移送車に収容できず…トラックの荷台で移送〜ネットの反応「脂肪確認」
また、日本のメディアは、上に見られるような、お茶の間向けのお笑いネタみたいな報道はするのですが、もっと重大な報道、例えば、下にあるような「イスラム国」の新指導者に関しての報道は、ほとんど関心を持っていないようです(笑) そんな感じで、日本のメディアは、どこまでもズレているんです💗

アミル・モハメド・アブドル・ラーマン・マウリ・サルビ(Amir Mohammed Abdul Rahman al-Mawli al-Salbi)

☆ダーイシュ(IS)新指導者はサルビ容疑者=ガーディアン紙:

☆IS新指導者の素性特定、ヤジディー奴隷化を指揮 英紙報道
それでは、本題に入りたいと思いますが、自由将校団によるクーデターは、1952年のエジプト革命と呼ばれるもので、これによって、「ムハンマド・アリー朝」(1805年~1953年)が滅亡することになります。以降、後に大統領となるガマール・アブドゥル=ナーセル(ナセル)が中心人物になりますが、その辺りのことは別の機会に書かせて頂きます。

ガマール・アブドゥル=ナーセル

緑と薄緑がムハンマド・アリー朝の版図(黄緑、斜線部分が一時的な占領地)
で、これは先日のところで書かせて頂きました(→文系・理系の“ヘンテコな区別”をしているのは日本だけなんです!!!)が、そもそもエジプトは、1517年にマムルーク朝(スンニ派)が、オスマン帝国(スンニ派が中心)に滅ぼされた後、その主権下にあり、「エレヤト(州)」と呼ばれる行政区分の一つとして、名目上は、イスタンブールから派遣される「ワーリー(総督)」によって統治されるという形式をとっていました。

1609年のエジプト・エヤレト
そして、18世紀後半に、マムルーク(奴隷身分の騎兵のこと)のアリー・ベイ・アル=カービルと、その義理の息子ムハンマド・アブー・アッ=ザハブが、エジプト・エヤレト(州)の独立を求めて反乱を起こしますが、鎮圧されます。

アリー・ベイ・アル=カービル

アリー・ベイの反乱(1768~1774年)
その頃、アラビア半島には、オスマン帝国ですら手を焼く国家が存在していました。それが、「第一次サウード王国(第一次サウード朝)」(1744年~1818年)です。

第一次サウード王国(1744年 – 1818年)
この王国は、イスラム教スンナ(スンニ)派系の分派であるワッハーブ派の創始者かつ宣教師であった「ムハンマド・イブン=アブドゥルワッハーブ」と、現サウジアラビア王国の首都リヤドがあるアラビア半島中央部の高原地帯「ナジュド」の豪族であった「ムハンマド・イブン=サウード」が“同盟”を結び成立した国になります。

サウジアラビア内のナジュドの位置

サウジアラビア内のリヤド(Riyadh)の位置
その同盟の目的は、2人の次の会話から理解できます。
ムハンマド・イブン=サウード
「 このオアシスはあなたのものです、敵を怖がりなさいますな。たとえ全ナジュドにあなたを追い出せと、号令がかけられたとしても、神の御名にかけて、私たちは決してあなたの追放には与しませんぞ。」
ムハンマド・イブン=アブドゥルワッハーブ
「 オアシスの長にして賢明なるあなたに、一つお願いがあります。あなたがカーフィル(不信心者)どもへのジハードを実行に移すという誓いを、ここでわたしに立ててください。そうすればあなたはきっと、ウンマ(共同体)のイマーム(指導者)になるでしょう。わたしは神の教えに関わる問題に関してのイマーム(指導者)となりましょう。」
すなわち、サウード家が、ワッハーブ主義(→イスラームの純化を唱えるもの。イスラム原理主義。)の保護者となり、その運動の拡大に力を貸す代わりに世俗支配者として君臨し、その正統性を、宗教的権威を持つイブン=アブドゥルワッハーブの子孫と弟子たちが担保する、というもので、まさに、ギブ・アンド・テイクの関係となっています。中世ヨーロッパの王様とローマ教皇の関係に似ていますね💗

そして、この関係を現在でも維持しているのが、あの「サウジアラビア王国」(第三次サウード朝)です。

それでは、本日はここまでとさせて頂きますが、オスマン帝国ですら手を焼く国家であった「第一次サウード王国(第一次サウード朝)」(1744年~1818年)を滅ぼしたのが、オスマン帝国がエジプトに派遣した部隊の一人であった「ムハンマド・アリー・パシャ」で、1952年のエジプト革命で滅亡するまで存在した「ムハンマド・アリー朝」(1805年~1953年)の創始者になります。

ムハンマド・アリー・パシャ
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