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     >  世界史 >  “無神論” のソビエト連邦とユダヤ人

    “無神論” のソビエト連邦とユダヤ人

    A storm is coming 179

    本日のキーワード : 無神論、ソビエト連邦、ユダヤ教



    Atheism vs. Judaism
    無神論 vs.ユダヤ教

    In the 20th century, the atheistic Soviet Union persecuted Soviet Jews.
    20世紀、無神論のソ連はソ連のユダヤ人を迫害した。

    In addition, the Soviets played a crucial role in arming the Arab states and instigating the Six-Day War against Israel. Israel was victorious in the Six-Day War. To explain their humiliating defeat, the Arab leaders Gamal Abdel Nasser and King Hussein of Jordan together concocted a lie that US and British forces aided Israel by joining in the war.
    また、ソ連はアラブ諸国を武装化し、イスラエルとの六日間戦争 (第三次中東戦争) を扇動する重要な役割を果たした。六日間戦争では、イスラエルが勝利した。アラブの指導者ナセルとヨルダンのフセイン王は、自分たちの屈辱的な敗北を説明するために、米英軍が戦争に参加することでイスラエルを支援したという嘘を一緒に作り上げたのである。

    Soviet Union vs. Soviet Jewry
    ソビエト連邦 vs. ソ連邦ユダヤ人

    According to the Jewish Virtual Library:
    以下、ユダヤ教仮想図書館による。

    The protest movement on behalf of Soviet Jewry, which spread throughout the United States and other Jewish communities during the 1960s and 1970s, was in large measure a response to the Holocaust. The revelations of what the Nazis had done to the Jews, coupled with the revelations of the general inactivity and indifference of much of the Western world's leadership to their fate, left world Jewry (particularly that of America) with a deep sense of anger and guilt (the latter because of their own relative passivity during the years of the Holocaust). Thus, when news started to spread of the Soviet Union's attempts to destroy the Russian-Jewish community, American Jews were outraged and determined to do something.
    1960 年代から 70 年代にかけて、アメリカをはじめとするユダヤ人社会に広がったソ連邦ユダヤ人のための抗議運動は、ホロコーストに対する大きな反応であった。ナチスがユダヤ人に何をしたかが明らかになり、さらに西側世界の指導者たちの多くがユダヤ人の運命に無関心であったことが明らかになり、世界のユダヤ人 (特にアメリカ) は深い怒りと罪悪感 (後者はホロコーストの間、自分たちが比較的受身でいたことに起因する) を抱くようになったのである。そのため、ソ連がロシア系ユダヤ人社会を壊滅させようとしているというニュースが流れると、アメリカのユダヤ人は憤慨し、何かしなければと決意した。

    Of course, the Russian government was not seeking to annihilate the Jewish community (though in the early 1960s, well over one hundred Jews were executed on trumped-up charges of economic crimes). However, the government systematically closed down synagogues and published a large number of anti-Semitic books, some of which accused Judaism of being a Nazi-like religion. Cartoons of Israeli General Moshe Dayan routinely appeared in Soviet newspapers showing him wearing an armband with the Nazi swastika.
    もちろん、ロシア政府はユダヤ人社会を消滅させようとはしていなかった (ただし、1960 年代初頭には経済犯罪のでっち上げの罪で 100 人を超えるユダヤ人が処刑された)。しかし、政府はシナゴーグを組織的に閉鎖し、ユダヤ教をナチスのような宗教だと非難する反ユダヤ主義的な書物を大量に出版した。また、イスラエルのダヤン将軍がナチスの鉤十字の腕章を付けている漫画が、ソ連の新聞に日常的に掲載された。

    In 1964, the Student Struggle for Soviet Jewry (SSSJ) was founded in New York by Jacob Birnbaum, who has headed it ever since along with Glenn Richter. Since its inception, SSSJ has been assertive in demanding the Jews' right to live as Jews within Russia, and to leave the country if they so wish. Other Soviet Jewry support groups were quickly founded around the country: Many of them eventually joined together to create the Union of Councils for Soviet Jewry. In 1971, the leading Jewish organizations in the United States founded the National Conference on Soviet Jewry. And in its early years, the Jewish Defense League, headed by Meir Kahane, used to follow and harass Soviet diplomats stationed in the United States.
    1964 年、ニューヨークでヤコブ・ビルンバウムが 「ソ連邦ユダヤ人学生闘争 (SSSJ) 」 を設立し、グレン・リヒターとともにその代表を務めている。SSSJは設立以来、ユダヤ人がロシア国内でユダヤ人として生きる権利と、彼らが望むなら国外に出る権利を主張し続けている。他のソ連邦ユダヤ人支援団体もすぐに各地に設立された。その多くは、最終的に 「ソ連邦ユダヤ人評議会連合」 を設立するまでに至った。1971 年には、アメリカの主要なユダヤ人団体によって 「ソ連邦ユダヤ人全国会議」 が設立されました。また、メイル・カハネが率いるユダヤ防衛同盟はその初期に、アメリカに駐在するソ連外交官を尾行し、嫌がらせをしたことがある。

    The combined reach of the various Soviet Jewry protest organizations was extensive…
    ソ連邦ユダヤ人に対するさまざまな抗議団体の活動範囲は広範囲に及んでいたのです…

    The Russian government, however, wanting to discourage large-scale Soviet-Jewish migration, often imprisoned leaders of the Jewish movement. These prisoners of conscience became the new focus of the international Soviet-Jewish protest movement...
    しかしロシア政府は、ソ連とユダヤ人の大規模な移住を阻止するために、しばしばユダヤ人運動の指導者を投獄した。これらの良心の囚人たちは、国際的なソ連邦ユダヤ人抗議運動の新たな焦点となった…

    By the late 1980s, the Soviet-Jewish protest movement had achieved far more than its founders had expected. On December 6, 1987, the eve of a summit between Mikhail Gorbachev and Ronald Reagan, 250,000 people marched on Washington in solidarity with Soviet Jewry. The march included activists from across the United States, and was organized by the National Conference for Soviet Jewry (NCSJ), the Council for Jewish Federations (CJF), and other smaller groups. It was expected that 150,000 or less people would attend, and the overwhelming participation sent a clear message to the Russian Premier: end the forced assimilation of Russian Jews, and allow them to emigrate from the USSR.
    1980 年代後半になると、ソ連・ユダヤ人抗議運動は、創設者の予想をはるかに超える成果を上げるようになった。198 7年 12 月 6 日、ミハイル・ゴルバチョフとロナルド・レーガンの首脳会談の前夜、25 万人の人々がソ連邦ユダヤ人と連帯してワシントンをデモ行進した。この行進には全米の活動家が参加し、ソ連邦ユダヤ人全国会議 (NCSJ)、ユダヤ人連合評議会 (CJF)、その他の小規模団体が組織した。参加者は 15 万人以下と予想され、圧倒的な参加者はロシア首相に 「ロシア系ユダヤ人の強制同化をやめ、ソ連からの移住を許可せよ」 という明確なメッセージを発した。

    By the end of the 1980s, the large majority of Soviet Jews applying to emigrate were being permitted to do so, and inside the Soviet Union, for the first time since the Communist revolution of 1917, a yeshiva was established.
    1980 年代末には、移住を希望するソ連系ユダヤ人の大多数が移住を許可され、ソ連国内では 1917 年の共産主義革命以来、初めてイェシーバーが設立されたのである。

    “Atheism vs. Judaism” Conservapedia



    本日の書物 : 『米国共産党調書 外務省アメリカ局第一課作成』 江崎 道朗 扶桑社



    戦後の日本人は、正しい歴史を学校で教わって来ませんでした。

    そして、現代のメディアもまた、嘘の情報を流し続けています。

    私たち日本人は、親日的な立場に立ち、正しく認識し直し、

    客観的に情勢を判断する必要があります。

    それでは、この書物を見ていきましょう!




    『 政府諸機関および産業別組合会議内における左翼ユダヤ人

     【現在の社会機構を破壊し、新世界の建設を終局の目的とする共産主義】ユダヤ人とは、現制度を混乱に陥れ、これを破壊する工作に関する限りにおいては、本来【自然の同盟関係にある】ことは一般に主張されるところであるが、このような主義上の問題はこれを別としても従来【ヒトラーソ連およびユダヤ人の共同の敵である関係で共産党およびユダヤ人が相互に援助利用の関係にある】ことは当然のことである

     しかしこの前提より直に【一切のユダヤ人、特に政府部内のユダヤ人がすべて共産党の政策を弁護または支持する者であると断じるのはもちろん早計である】が、他面【これらのユダヤ人の大部分はニューディール政策の実施により採用され、概ねこの熱心な信奉者である】ためこの政策支持を現在における党是としている共産党と一脈相通ずるところがある】のは当然である

     【現に政府の有力な地位にある数百名のユダヤ人】の中には共産党と判然とした関係がある団体に属する者が多数あるのは事実】であり、政府の左翼政策の攻撃者がこれをユダヤ人に帰する根拠も、この事実に基づくものである。

     そして例えば政府救済事業 (雇用促進局および公共事業局) 内における共産党員の活動およびその勢力をルーズヴェルト政府が寛大に黙認して来たのは、この事実に基づくものであると主張する。また National Labor Relations Board および労働者が産業別組合会議内における共産党員の活動およびその勢力を看過している理由もまたしかりである。

     また産業別組合会議内において一般ユダヤ人およびユダヤ人党員が比較的多数存在し、特にその組織員および幹部の地位に多数いることは、反ユダヤ運動に攻撃の資料を提供するものである。もっとも官公吏の地位にあるユダヤ人に対し、米国人の大部分は公正な態度をとり、確証がない限り共産党と関係ありとの断定は差し控える傾向にある。

     要するに【政府内のユダヤ人総数が、米国内におけるその全人口に比べて遥かに多数あること】および【たまたま共産党内においてもその全国本部および各州支部主要人物等の 60 %、全党員数の約半数がユダヤ人であること】が相俟って【世間の疑惑の因をなしている】のである

     反ユダヤ・反共団体たるシルバー・シアーツは、政府諸機関および産業別組合会議内における知名のユダヤ人の氏名を印刷配布し、これらの人物が共産党と関連あることを暗にほのめかせたが、【これら政府部内のユダヤ人がすべて共産党に関係あると断ずるのは不当である】

     【だが他面、だいたいにおいてこれらの多数はニューディール支持の他共産党の根本政策の一つである反ファシズム政策に対し共鳴、援助もしくは唆 (そそのか) しているとみて大過ない】また【産業別組合会議内のユダヤ人に関してはだいたいにおいて共産党の政策に追随していると断じて間違いない】。』

    日の丸

    ヒトラーによるナチ・ドイツ官吏のナチ化


    いかがでしょうか?

    今回ご紹介させていただく書物は、かつての我が国が保持していたインテリジェンス能力の高さが示されている良書で、大東亜戦争突入前にすでにアメリカ合衆国内において世界中の共産党の親玉・ソ連を護るべくアメリカ共産党が様々な浸透工作を行っていてその結果本来であれば全人類の敵である 「共産主義」・「社会主義」・「全体主義」・「独裁主義」の国家であるソ連 から目を逸らさせソ連にとって脅威以外の何ものでもなかった大日本帝国やドイツに攻撃の目を向けさせることに成功し悲惨な大戦が引き起こされたつまり 「共産主義者」 が引き起こした戦争であったという歴史的事実を認識することができるお薦めの書物になります。その卑劣な 「共産主義者」 たちの系譜が今なお続いていることは現在のアメリカの惨状をみれば明々白々で、今こそ人類にとっての敵である 「共産主義」・「社会主義」・「全体主義」・「独裁主義」 といった危険な思想 (その亜流も含めて) を地球上から葬り去らなければならないその必要性を認識しなければならない、と当ブログでは考えております。

    読書6-16

    それでは本日も、いつものように、直近の「致死率」を確認しておきましょう。

    (死亡症例数)÷(感染症例数)=(致死率)

    ※(  )内は前回の数値

    hplcsbew.jpg
    Coronavirus COVID-19 Global Cases by Johns Hopkins CSSE

    アメリカ : 879,988(877,203)÷73,662,706(73,108,945)=0.0119・・・(0.0119) 「1.19%(1.19%)」
    hplcsbew1.jpg

    イタリア : 145,537(145,159)÷10,683,948(10,539,601)=0.0136・・・(0.0137) 「1.36%(1.37%)」
    hplcsbew2.jpg

    日本 : 18,692(18,648)÷2,514,804(2,433,094)=0.0074・・・(0.0076) 「0.74%(0.76%)」
    hplcsbew3.jpg













    さて、これまで、ドイツで生まれた「キリスト教神智学(Christian theosophy)」「ベーメ神智学(Boehmian theosophy)」出発点として、その後人為的に造り出された “幻想” であるところのマルクス主義・共産主義・社会主義という類の妄想を経て、ソ連崩壊とともに死滅したかに思われたものの現在に至るまで一貫して受け継がれていく “信仰” が存在していて、その根底にあるユダヤ・キリスト教的な 「贖罪(しょくざい)」 の意識により、さまざまな “アイデンティティ” を次から次へと粗製濫造することによって、「贖罪」の対象物として “罪” を創り出し自らの罪に対する償(つぐな)い・贖(あがな)いを果たそうと躍起になっているそんな 「極左おパヨク」 に繋がる一連の系譜について確認して参りました。



    ここで御理解頂きたいのは、そんなおバカな 「極左おパヨク」 は、飽くまでも、ある連中が果たそうとしている、ある目的の達成のための道具でしかないということです。

    その目的とは、さまざまな “アイデンティティ” を意図的に粗製濫造することで、社会分断を行い到底達成不可能な目標である “平等 (equality)” を強要(←全人類の均一化・同質化などは不可能であることは自明です!)し、多くの人々に対して自己抑圧的な態度の徹底を促し(←これが、ポリコレw)、人々の “自由” を奪う極めて権威主義的な統制社会の再構築を目指す、というものです。

    では、なぜそれを目指そうとするのでしょうか?

    それは、「寡頭制 (oligarchy/オリガルキー)」のもとである連中にとって非常にコントロールしやすい社会が構築できるからです。

    ポイント 女性

    その「寡頭制 (oligarchy/オリガルキー)」については、これまたドイツ出身の社会学者・歴史学者であり、マルクス主義者で、エリート理論の信奉者で、ファシズム(全体主義者)でもあったロベルト・ミヒェルス(ロベルト・ミヘルス)提唱した仮説である 『寡頭制の鉄則』 (iron law of oligarchy)について確認をしてきましたが、そこにもやはり「キリスト教神智学(Christian theosophy)」「ベーメ神智学(Boehmian theosophy)」の影響を見ることができました。

    ロベルト・ミヒェルス(ロベルト・ミヘルス)
    ロベルト・ミヒェルス(ロベルト・ミヘルス)

    また「寡頭制 (oligarchy/オリガルキー)」同根の言葉である「オリガルヒ(oligarch)」につきましても、ロシアやウクライナの事例を参照して、それがいまから数十年前にマルクス主義が生み出した “社会主義・共産主義の幻想” が瓦解・崩壊する過程で作り出されたものであることを確認し、そこには少なからぬ 「ユダヤ人 (=ユダヤ教徒)」 が存在していることも判明いたしました。さらにはウクライナとユダヤ人 (=ユダヤ教徒) と特異な関係をウマン (ウーマニ) 巡礼の形成の歴史を通じて確認することができました。



    そこで、現在 “ユダヤ人” (民族としては定義され得ない、単なる宗教信者のグループ) という存在に着目し、より一層理解を進めるために、次の論文を見ているところとなります。

    egdhsied.jpg
    『ナチ・ドイツにおける経済の脱ユダヤ化 ― 1938年十一月ポグロムの社会経済的背景 ―』 山本達夫

    それでは早速、続きを見て参りましょう。

    『 第 1 章 職業官吏制度再建法と官吏のナチ化

    2. 3. 職業官吏制度再建法案の完成
     プフントナーの 「国民的政府」 が実現したとき政策担当者たちのあいだで将来の職業官吏制度再建法の輪郭が姿を現したその特徴はつぎの要約できるすなわち同法は① 政治的敵対者,ならびにナチズムの人種主義イデオロギーによって想定された敵を排除するという基本構想を核とし② 官庁の部署や人員の削減による行政の効率化・合理化という目標の達成も視野に入れつつ③ 最終的には強制的同質化政策の重要な一環として機能しナチ政権の安定に資するというものである
     1933 年 3 月 23 日の全権委任法成立から 4 月 7 日の職業官吏制度再建法公布までの局面は,法案作成の主導権とそれへの参画をめぐる担当者間の調整期間である。そこで主導的な役割を演じたのはライヒ内務省とプロイセン内務省である。プロイセン内務省は1932 年 7 月 20 日の 「プロイセンの一撃」 *122 ) によって強制的同質化の先駆けとなっていた。ドイツの総面積の 5 分の 3,総人口の約半数を占め,社会民主党連立政権下で社民党の官吏が多数ポストに就いていたプロイセンの行政については,すでにプフントナーが覚え書きのなかで 「行政機構の浄化と簡素化の問題は,ライヒにおけるよりも,なお少しばかり大きな意義を有している」 と指摘していたところでもあった。 *123 )
     調整期間の前後には複数の部署から複数の草案や構想が提出され,最終的にはライヒ内務省案にもとづいたものが閣議決定される。最終局面で複数の草案が提出されたとはいえ,これをもってモムゼンのいう 「所轄官庁の混沌状態 Ämterchaos」 を想定し,「所轄権の混沌状況 Kompetenzenchaos」 から一定の方向と射程を備えた法律が制定されたと考えるのには無理がある。すでに新官吏法の骨子・核心部分が当事者間で広く共有されていたことを考えるならば,むしろ,「ナチ党および政府筋においては,懸案の例外規定 (社会民主党員,ユダヤ人その他の除外) は,なおいっそう厳しくされるのでなければ無期限に維持されるという合意ができていた」 *124 ) というミュール = ベニングハウスの指摘に耳を傾けるほうが有益である。
     ヒトラー個人が職業官吏制度再建法案の策定作業にいかなる影響を及ぼしたのかという問題は,これまでのところ史料的に跡づけられていない。しかしヒトラーが,① 1933 年 3 月 16 日に全権委任法にもとづいて講じられるべき措置の一覧表の作成を課題とする委員会 *125 ) を発足させ,この委員会の主な仕事に官吏法の検討が含められていたこと *126 ),② ヒンデンブルクあて書簡 ( 4 月 5 日付) のなかで,法案の条文検討作業に自ら関与したことを認めていること *127 ) などの事実からして,ミュール = ベニングハウスは,ヒトラーは少なくとも職業官吏制度再建法の主唱者 Initiator といえるとしている。 *128 )


    *122 ) Preußenschlag とは,ライヒ首相フォン・パーペンによる,社会民主党首班のプロイセン州政府に対するクーデタのこと。パーペンは大統領緊急令によりプロイセン州首相ブラウン (社会民主党) 以下政府の全閣僚とベルリン警察長官,保安警察長官を罷免し,自らプロイセン担当国家全権委員となった。共和国防衛の最後の砦と目されていたプロイセン州政府首脳部が排除されたことで,ナチ党による政権掌握への道が地ならしされたことになる。

    *123 ) Mommsen, op. cit., p. 132, Mühl-Benninghaus, pp. 7-8. プフントナーはその理由として,プロイセン行政府の規模と,社会民主党主導の連立政府によって行なわれた社会民主党員の官吏への大量登用を挙げている。

    *124 ) Mühl-Benninghaus, p. 17.

    *125 ) 委員会の構成員は次の通り。ライヒ内務大臣兼プロイセン内務大臣フリック,ライヒ副首相パーペン,ライヒ財務大臣シュヴェーリン・フォン・クロージク,ライヒ法務大臣ギュルトナー,ライヒ経済・食糧大臣フーゲンベルク,ライヒ無任所大臣兼プロイセン首相ゲーリング,プロイセン財務省ライヒ全権委員ポーピッツ。

    *126 ) Adam, p. 52, p. 55.

    *127 ) 彼はこの中で,「この浄化過程の第一の目標は,ある種の健全で自然な状態を再び作り出し,第二に国家の重要な一定のポストからライヒの存亡を委ねることのできない分子を排除することにすぎない」 と述べている。Mühl-Benninghaus, pp. 24-25.

    *128 ) Ibid., p. 17. 』


    ということで、本日はここまでとさせて頂きます。









    続きは次回に♥




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