2021-05-05 (Wed)

本日のキーワード : 庶民、日本人、中国人
庶民(しょみん)とは、人口の多数を占める一般的な人々のことである。
庶民には、通例、平民などが該当し、貴族などの特権階級に対して、一般階級の人々を指すことが多い。現代社会においては、一般市民とも呼ばれることも多い。また庶民と言う言葉を大衆と同義で用いられることもあるが、厳格に区別して用いられることもある。庶民は、風俗の担い手でもあり、民俗学や文化人類学などにおいても注目されている。
古代中国では、士大夫以上の階級に対して「庶民に落とす」という処罰が存在し、これを恥辱として自殺した例もあった。
本日の書物 : 『この厄介な国、中国』 岡田 英弘 ワック
戦後の日本人は、正しい歴史を学校で教わって来ませんでした。
そして、現代のメディアもまた、嘘の情報を流し続けています。
私たち日本人は、親日的な立場に立ち、正しく認識し直し、
客観的に情勢を判断する必要があります。
それでは、この書物を見ていきましょう!
『 話が長くなってしまったので、ここで整理しておこう。
【日本人の「中国および中国人理解」なるものの基本】は、こうした【中国人の漢文を読むことによって築き上げられてきた】。【日本人】は、【中国人の書いた文章】が【「真実を写している」と考えて、無数の漢籍に取り組んできた】。だが、【漢文】とは、【そういうメディアではなかった】わけである。
漢文が表現できるのは、あくまでも中国古典の枠内に入るものだけであった。新しい出来事、過去に例のない変化…そういったものは漢文では表現できない。また、そんなことは中国人にとって「表現するに値する」ものでもない。【中国人】が【漢文で表現】するのは、【過去から連綿として変わらぬ「正統の世界」だけ】なのである。
【中国史の研究】において【最も困難なジャンル】のひとつは、【庶民生活の実態】である。皇帝の暮らしぶり、高級官吏の生活、そういったことを知るための史料は(真実かどうかはさておき)、無数に存在する。しかし、【一般の庶民たちの暮らしについては、まったくと言っていいほど知る手がかりがない】。なぜなら、【庶民の生活】など、【中国人にとっては漢文によって記録するに値しないもの】だからである。庶民は、天下とか正統などとは無縁の存在である。
しかも、漢文を自由に操れるのは、ごく一部の階級だけであるから、庶民自身が日記や文学の形で、その生活や感情を記録することなども、ほとんどありえない。【日本】には、【庶民階層の人々が書き残した日記や文学が無数に残っている】が、そのようなものは【中国には皆無に近い】。要するに、【漢文】は【中国人のものではなく、皇帝とその組織に関係する支配者たち専用のコミュニケーション手段】でしかなかった。
では、【皇帝や王朝の歴史記録なら信用できるか】と言えば、【これもまた違う】。前にも書いたように、【正史を記す人たちにとっては、正統こそが重要】である。自分たちが仕えている皇帝の治世が、過去の皇帝の治世と同様であったということなら喜んで書くが、それ以外のことは書こうとしない。前代未聞の事態が起こっていても、それが公的な記録から抜け落ちている例は枚挙に暇がない。』

アイデンティティを基盤とする連帯
いかがでしょうか?
今回ご紹介させていただく書物は、およそ20年前に出版されたものですが、そこから現在に至るまで相も変わらず、「中国」というものを正確に理解できない(=トンチンカンな幻想を抱く)日本人が数多く存在していて、開いた口が塞がらない状況にあるのですが、そのような方々に、まさに“打って付け”の内容となっており、是非とも正しい「中国」理解を広く一般国民に知らしめるべく、当ブログが自信を持ってお勧めする良書になります。学校教育で教え込まれる「中国」のイメージが、如何に実態とかけ離れているのかが、非常によく理解できると思います(笑)

それでは本日も、いつものように、直近の「致死率」を確認しておきましょう。
(死亡症例数)÷(感染症例数)=(致死率)
※( )内は前回の数値

☆Coronavirus COVID-19 Global Cases by Johns Hopkins CSSE
アメリカ : 574,280(573,201)÷32,225,012(32,161,109)=0.0178・・・(0.0178) 「1.78%(1.78%)」

イタリア : 120,256(119,912)÷3,994,894(3,981,512)=0.0301・・・(0.0301) 「3.01%(3.01%)」

日本 : 10,052(10,031)÷580,666(576,870)=0.0173・・・(0.0173) 「1.73%(1.73%)」


☆【日本語訳】 U.S. DEPARTMENT of STATE / Fact Sheet : Activity at the Wuhan Institute of Virology (米国務省 / ファクトシート : 武漢ウイルス研究所での活動)
さて、これまで、「キリスト教神智学(Christian theosophy)」または「ベーメ神智学(Boehmian theosophy)」として知られる、ヤーコプ・ベーメ(ヤコブ・ベーメ)から始めて、それを受け継いできた人々についてその流れを追ってまいりました。彼らが言っていたことを、簡単に表現したものを列挙致しますと、次のようになります。

ヤーコプ・ベーメ(ヤコブ・ベーメ)
世界は本来壊れているものであり、それを直すことができるのは正しい者だけである

イマヌエル・カント
たとえ世界を直すことができなくても、私たちは常に世界を直すことができると仮定して行動しなければならない

ゲオルク・ヴィルヘルム・フリードリヒ・ヘーゲル
世界が固定されていたとしても、私たちは無意識のうちに分裂を起こし、世界が再び崩壊し始めることになる

カール・マルクス
私たちには、世界を壊したいという衝動はない。もし私たちが世界を壊すとすれば、それは私たちが社会とその主人たちからそうすることを学んだからである。

ウラジミール・レーニン
われわれは、世界を固定するために、意識の統一を強行しよう

W・E・B・デュボイス(1918年)
世界のことは忘れて。 私はどうなるの? 私は二つ意識の一部です。 助けて!

御覧のように、その根底に存在しているのは、ユダヤ・キリスト教的な「贖罪(しょくざい)」の意識になります。キリスト教ならば、イエス・キリストが磔刑に処せられたことを以て、人類の罪に対する償(つぐな)い・贖(あがな)いであるとし、人類に救いをもたらす(もたらした)とする、そんな意識です。ですから、これは明確に宗教的な思考・思想であり、これら一連の流れ・系譜は、なんらかの“ひとつの宗教”であると考えることで、より一層理解し易くなります。
マルクス主義・共産主義・社会主義という類の妄想も、“とあるひとつの宗教”から生み出された「贖罪」の意識であり、それは“物質的”なものでしかありませんでした。だからこそ、大失敗に終わったとも考えられるわけですが。。。

しかし、その“とある宗教”の信者らは、大失敗のあと、さまざまな“アイデンティティ”を次から次へと粗製濫造することによって、「贖罪」の対象物としての“罪”を創り出し、自らの罪に対する償(つぐな)い・贖(あがな)いを果たそうと躍起になることとなります。


☆『Federal Government Caught Buying ‘Fresh’ Flesh Of Aborted Babies Who Could Have Survived As Preemies』

そこで現在、次の論文を参考にさせて頂きながら、その“アイデンティティ”について、果たしてそれは一体どのようなものであるべきなのかについて考えているところになります。

☆『アイデンティティ概念の再構築の試み : イタリア人アイデンティティという事例とともに』 宇田川 妙子
それでは早速、昨日の続きを見て参りましょう。
『 近代的なるものは、差異からアイデンティティを構成するのではなく、アイデンティティから差異を構成する。(クロスバーグ1998: 162)
自分にさわって自分の手を握りしめるたびに、そう、 「私」 と私は言った。しかし私は誰にそう言ったのだろうか。そして誰にとっての「私」なのか。私はひとりきりだった。(Pirandello 1992: 126)
関係は完全な全体性からではなく、完全性を構成することの不可能性から生じる。(ラクラウ&ムフ2000: 199)
2 アイデンティティ論の現在
2.3 異同は関係性か
・・・実際、これまでにも、アイデンティティとは 「個人のさまざまな欲求がある形へと統合された 『パーソナリティ』 が、社会・文化とどう関わっているかを表す概念」 (草津1995: 86) であり、ゆえに両者を 「関連させつつ考察する手がかりをあたえるものである」 (草津1993: 3) 等々の指摘がなされている。エリクソンも、「アイデンティティとは、個々人が個人の核のみならず共同体・文化の核へと位置するプロセスのことであり、それは、実際、この二つのアイデンティティのアイデンティティを確立するプロセスである」 (Erikson 1979: 265–6) と述べている。
また、アイデンティティの語が、先にも触れたように、昨今主体という語に代わって流布するようになったのも、このためであると言えるだろう。現代は、流動化・多様化が進み 「差異と承認の政治」 が激化・複雑化している時代である。このため、主体性を確立・主張しようとするならば、他との関係がいっそう不可避になっている。なかでも、特に近代的な主体概念によって他者化されてきた者たちにとっては、自らの主体性を立ち上げるためにもまず必要になるのは、互いの連帯であった。近年流通するようになった集団的アイデンティティやアイデンティティ政治という言葉には、こうした連帯としての側面が強く意識されている。
しかしながら、アイデンティティのこの側面 (あるいは、アイデンティティに期待されていたはずのこの側面) が、十分に理解され咀嚼されているかと言えば、残念ながら、今のところはそうではないと言わざるを得ない。周知の通り、連帯という問題も、少なくとも現況に即してみるならば、主体と同様きわめて厳しい批判にさらされている。連帯とは、同じ者同士の関係は深める一方で、しばしば他者を排除する論理ともなり、むしろ、異なる者を排除することによって自分たちの同一性を作り出し強化する機制(※しくみ、機構)であることが明らかになってきたからである。アイデンティティを基盤とする連帯は、しばしばアイデンティティの異なる者たちを排除・差別し、彼らとの争いを激化させてしまう。

とするならば、この議論は先の主体問題と同じ地点へと戻ってしまい、連帯・関係性という側面を導入したとしても問題解決には何ら貢献しないように見えるかもしれない。しかし、こうした状況に陥っていること自体が、我々がその意義を的確に理解しえていないことの証であると考えることもできる。たとえば、上記の論法では、連帯をするための最も重要な基準は、同一か否かという点におかれていることは明らかだが、連帯とは果たして同一という指標に還元しつくされるものなのだろうか。』
ということで、本日はここまでとさせて頂きます。
続きは次回に♥
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