2021-04-28 (Wed)

本日のキーワード : 演出、コマーシャル、中国、朝貢
演出(えんしゅつ)とは、物事を表現するときに、それを効果的に見せること。またはその役割を担当する者のこと。また、機械などの動作の装飾的な動きも演出と呼ばれる。

☆「朝貢」 Wikipedia
本日の書物 : 『この厄介な国、中国』 岡田 英弘 ワック
戦後の日本人は、正しい歴史を学校で教わって来ませんでした。
そして、現代のメディアもまた、嘘の情報を流し続けています。
私たち日本人は、親日的な立場に立ち、正しく認識し直し、
客観的に情勢を判断する必要があります。
それでは、この書物を見ていきましょう!
『 この【中国人の性質を最大限に利用】したのが、歴代皇帝が行った【朝貢(ちょうこう)使節の謁見】である。つまり、国内だけではまとまらないから、【皇帝は外国人を味方に付けたがる】。そうすると、家臣たちは「ハハーッ」とかしこまるのである。【朝貢】は、【従来、中国の「属国」がその服従を誓うために行うものと説明されてきた】。しかし、【それは見当違いである】。

そもそも、【諸外国が中国皇帝に朝貢するのは自らの意思ではない】。皇帝の出先機関が、【ひとつ朝貢してくれませんかと頼み込むから】である。だから、【朝貢使節団の滞在費】は【すべて皇帝の出費となる】。
第一、【朝貢】というのは【外交関係とは異質なもの】で、【皇帝】と【外国の代表者】の間の【単なる個人的な関係の表現にすぎない】。だからこそ、【国の代表者が代替わりするごとに】、「私の代になりましても、友好を継続いたしたいと存じます」と言って、【その関係を更新する必要があった】。【国と国との関係ならば、一度友好関係を結べば更新の必要などない】はずである。
だから、【朝貢】は【あくまでも皇帝個人のために行われていたもの】である。…
【朝貢の「朝」】とは【朝廷で朝礼に出席すること】。【「貢」】とは【手土産を持って行くこと】を意味している。たが、その手土産は目立つもの、つまり【特産品でさえあれば、ほとんど価値のないようなものでもかまわなかった】。また、朝貢は外国使節に限った言葉ではなく、地方長官が皇帝に謁見するのも、朝貢と呼ばれた。
【朝貢】は言ってみれば【「なれあい」】であって、「お前たち中国人はどう思っているか知らないけれど、外国人はわしを最高権力者と認めておるんだぞ」ということを知らしめるための、【国内向けの宣伝】としてわざわざ【演出されたもの】だった。だから、【これを外交と考えてはいけない】。
【この伝統】は言うまでもなく、【今日の中国に受け継がれている】。その端的な例が、鄧小平が権力を回復するためにアメリカとの関係をフルに利用した事実である。…
つまり、【皇帝にせよ北京の共産党政権にせよ、それほどまでに、絶えず外国からの承認があるということを、庶民に宣伝しつづけなければならない宿命にある】わけである。』

“アイデンティティ”という現代の社会問題
いかがでしょうか?
今回ご紹介させていただく書物は、およそ20年前に出版されたものですが、そこから現在に至るまで相も変わらず、「中国」というものを正確に理解できない(=トンチンカンな幻想を抱く)日本人が数多く存在していて、開いた口が塞がらない状況にあるのですが、そのような方々に、まさに“打って付け”の内容となっており、是非とも正しい「中国」理解を広く一般国民に知らしめるべく、当ブログが自信を持ってお勧めする良書になります。学校教育で教え込まれる「中国」のイメージが、如何に実態とかけ離れているのかが、非常によく理解できると思います(笑)

それでは本日も、いつものように、直近の「致死率」を確認しておきましょう。
(死亡症例数)÷(感染症例数)=(致死率)
※( )内は前回の数値

☆Coronavirus COVID-19 Global Cases by Johns Hopkins CSSE
アメリカ : 569,185(567,966)÷31,847,389(31,783,960)=0.0178・・・(0.0178) 「1.78%(1.78%)」

イタリア : 117,997(117,633)÷3,904,899(3,891,063)=0.0302・・・(0.0302) 「3.02%(3.02%)」

日本 : 9,735(9,682)÷547,759(542,467)=0.0177・・・(0.0178) 「1.77%(1.78%)」


☆【日本語訳】 U.S. DEPARTMENT of STATE / Fact Sheet : Activity at the Wuhan Institute of Virology (米国務省 / ファクトシート : 武漢ウイルス研究所での活動)
さて、これまで、「キリスト教神智学(Christian theosophy)」または「ベーメ神智学(Boehmian theosophy)」として知られる、ヤーコプ・ベーメ(ヤコブ・ベーメ)から始めて、それを受け継いできた人々についてその流れを追ってまいりました。彼らが言っていたことを、簡単に表現したものを列挙致しますと、次のようになります。

ヤーコプ・ベーメ(ヤコブ・ベーメ)
世界は本来壊れているものであり、それを直すことができるのは正しい者だけである

イマヌエル・カント
たとえ世界を直すことができなくても、私たちは常に世界を直すことができると仮定して行動しなければならない

ゲオルク・ヴィルヘルム・フリードリヒ・ヘーゲル
世界が固定されていたとしても、私たちは無意識のうちに分裂を起こし、世界が再び崩壊し始めることになる

カール・マルクス
私たちには、世界を壊したいという衝動はない。もし私たちが世界を壊すとすれば、それは私たちが社会とその主人たちからそうすることを学んだからである。

ウラジミール・レーニン
われわれは、世界を固定するために、意識の統一を強行しよう

W・E・B・デュボイス(1918年)
世界のことは忘れて。 私はどうなるの? 私は二つ意識の一部です。 助けて!

御覧のように、その根底に存在しているのは、ユダヤ・キリスト教的な「贖罪(しょくざい)」の意識になります。キリスト教ならば、イエス・キリストが磔刑に処せられたことを以て、人類の罪に対する償(つぐな)い・贖(あがな)いであるとし、人類に救いをもたらす(もたらした)とする、そんな意識です。ですから、これは明確に宗教的な思考・思想であり、これら一連の流れ・系譜は、なんらかの“ひとつの宗教”であると考えることで、より一層理解し易くなります。
マルクス主義・共産主義・社会主義という類の妄想も、“とあるひとつの宗教”から生み出された「贖罪」の意識であり、それは“物質的”なものでしかありませんでした。だからこそ、大失敗に終わったとも考えられるわけですが。。。

しかし、その“とある宗教”の信者らは、大失敗のあと、さまざまな“アイデンティティ”を次から次へと粗製濫造することによって、「贖罪」の対象物としての“罪”を創り出し、自らの罪に対する償(つぐな)い・贖(あがな)いを果たそうと躍起になることとなります。

そこで現在、次の論文を参考にさせて頂きながら、その“アイデンティティ”について、果たしてそれは一体どのようなものであるべきなのかについて考えているところになります。

☆『アイデンティティ概念の再構築の試み : イタリア人アイデンティティという事例とともに』 宇田川 妙子
それでは早速、昨日の続きを見て参りましょう。
『 近代的なるものは、差異からアイデンティティを構成するのではなく、アイデンティティから差異を構成する。(クロスバーグ1998: 162)
自分にさわって自分の手を握りしめるたびに、そう、 「私」 と私は言った。しかし私は誰にそう言ったのだろうか。そして誰にとっての「私」なのか。私はひとりきりだった。(Pirandello 1992: 126)
関係は完全な全体性からではなく、完全性を構成することの不可能性から生じる。(ラクラウ&ムフ2000: 199)
1 はじめに
・・・さてこうしてみると、アイデンティティとは、現代の社会問題を糧として流通するようになったばかりでなく、近年では、社会問題そのものを産出し増殖させている概念である。その意味では、それ自体が現代の社会問題の一つであるとも言える。本稿は、このように近年ますます混迷の度を深めているアイデンティティという言葉を、ただ諸問題の根源として切って棄てるのではなく、むしろ、たとえ暫定的ではあっても定位し直すことはできないか、という問題意識から出発するものである。
たしかにアイデンティティは、今や既述のように深刻な問題を抱えている。しかし、だからといってこの言葉を避けるだけでは、そこに凝集されている問題自体は置き去りにされたままで何の解決にもならないに違いない。また、以上のようなアイデンティティ批判に対しても、近年反発が大きくなっている。人々は、アイデンティティに重大な問題が潜んでいるとしても、この言葉を完全に手放してしまうことには大きな躊躇と危険性を感じているからである。とするならば、そうした反 ― 批判をあまりにもナイーブであると退けてしまうのではなく、その逡巡にこそアイデンティティ問題の複雑さが象徴されていると見なしていく必要もあるだろう。そもそも、アイデンティティという言葉をめぐる問題とは、それが実在するのか否かではなく、後に詳しく見ていくように、その語られ方にある。つまり、この語がこれだけ人口に膾炙(かいしゃ)している現状を見るならば、それを忌避するのではなく、その語り方を異化していくことこそが求められていると、筆者は考えるのである。
では、従来のアイデンティティ概念を異化する新たな語り方とはどんなものか ― 本稿は残念ながら、この問いに満足な回答を与えることはできない。しかしながら、そのための試論として、後半では、筆者自身の調査地であるイタリアにおけるイタリア人アイデンティティという事例の考察をとおして、その可能性の一端を提示していきたい。
イタリア人であるという彼らの意識がきわめて希薄なことは、世界的にもかなりよく知られている。しかし、だからといって彼らは 「イタリア人である」 ことを手放そうとはせず、実はさまざまな場面で用いており、ここからは、むしろ、彼らのイタリア人アイデンティティを、 弱い/強い という形容詞で説明しようとする語り自体がもつ問題点が浮かび上がってくる。
そもそもイタリア人アイデンティティを弱いとみなす際の基準となっていたのは、近代国家の成立とともに醸成されてきたナショナル・アイデンティティのモデルである。また、そのナショナル・アイデンティティとは、アイデンティティ全般のなかでも、その問題性を最も象徴的に体現するものである。ところが、彼らの用いる 「イタリア人」 には、後述のように、いわゆるナショナル・アイデンティティ的なものとは異なる位相を見て取ることができるのである。とするならば、彼らのイタリア人アイデンティティをもう一度詳細に振り返ってみることは、それが大抵はナショナル・アイデンティティの枠内でしか語られてこなかった概念であるがゆえに、アイデンティティ概念をその内部から異化しうるという意味でも、いっそう興味深い試論となるに違いない。
では、まずは、現在アイデンティティが抱える問題とはいったい何なのか、現在のアイデンティティの語りに見られる問題点を整理することから議論を出発させていこう。』
ということで、本日はここまでとさせて頂きます。
続きは次回に♥
ランキング参加中で~す^^ ポチっとお願いします♥
↓↓↓↓↓↓↓

にほんブログ村

人気ブログランキング


- 関連記事
-
- 日本の庶民階層と中国の庶民階層との違い (2021/05/05)
- ただひたすらに “模倣” を繰り返す中国人が持つ、その世界観 (2021/05/04)
- 20世紀になるまで、自前の「文字」がなかった中国人 (2021/05/03)
- 「漢文 = 中国語」 と勘違いしている日本人 (2021/05/02)
- 「日本」「日本人」というアイデンティティが誕生したのは、いつ頃でしょうか? (2021/05/01)
- 建国以来、20世紀に入るまで日本は、中国と正式に国交を持ったこともありませんし、持とうと思ったこともありません! (2021/04/30)
- 日本人は中国や中国人のことをなにも知らない (2021/04/29)
- 現代まで受け継がれている支那伝統の “朝貢(ちょうこう)” ~ 権力者による 「国内向けのコマーシャル」 (2021/04/28)
- もしも、13億人の中国人が一緒になったら、どうなるの? ~ 日本人と中国人では結果がまったく異なる『三本の矢』 (2021/04/27)
- いわゆる “中国語” の実態は、てんでばらばら(笑) (2021/04/26)
- 「ありがとう」 ~ 中国人社会で他人には絶対使うことがない言葉 (2021/04/25)
- 同じ移民でありながら、アメリカ化する人々とアメリカ化しない人々 (2021/04/24)
- 古い「漢族」、新しい「漢族」 ~ 今から1800年前に地球上から姿を消した人々 (2021/04/23)
- 学校では決して教えてもらえない、“三国時代”の実態(笑) (2021/04/22)
- 「国家概念」も「民族概念」も持たなかった中国の民衆たち (2021/04/21)