2021-05-10 (Mon)

本日のキーワード : 秘密結社、イルミナティ、道教
秘密結社(ひみつけっしゃ)とは、結社の一形態。一般に団体結社の存在や、組織内の活動などを外部の人間に対して秘匿しているクラブや団体、会を指す。
秘密結社とは、結社の存在そのものが構成員により秘匿される、又は、結社の存在は公になっていても、その構成員であることが、組織や構成員自身の許諾によらないで、第三者等により公開されることが禁じられている組織、あるいは、結社の活動目的や活動内容を構成員以外の第三者等に公開することが禁じられている組織などが秘密結社であると指摘される。
イルミナティ(ラテン語: Illuminati、ドイツ語: die Bayerischen Illuminaten, Illuminatenorden、英語: the Illuminati of Bavaria, the Bavarian Illuminati)は、イエズス会の修道士だったインゴルシュタット大学教授のアダム・ヴァイスハウプトが1776年に創設した秘密結社である。ドイツ南部とオーストリアにおいて一世を風靡し、特にバイエルンで急激に発展した。しかし、その無政府主義的な傾向からバイエルン政府によって1785年に禁圧された。
イルミナティは啓蒙思想の影響を受けており、キリスト教に代わる自由思想や理性宗教の普及を図った。イデオロギー的にイルミナティはフランス唯物論的な急進的啓蒙主義を立脚点とした。イエズス会からの攻撃を受けて地下に潜って以降は、ピタゴラス教などの古代の秘儀と結びついた。設立者のヴァイスハウプトはジャン=ジャック・ルソーやドゥニ・ディドロの思想に大きく影響を受け、自由と平等を何よりも重視した。そして、すべての人は「王」となる素質を潜在的に備えており、教皇・王侯・君主を頂点とする封建制は不要であるから、大衆の霊性を飛躍的に向上させ平等を重んじたユートピア社会を復活させようと考えたのである。イルミナティは理性とキリスト教の隣人愛とに根ざしたユートピア思想を追い求め、世界市民的共和制のなかで自由・平等な人間の自然状態を理性によって再建しようとした。儀礼を重視する秘教的共同体たるフリーメイソンとは異なり、イルミナティはイデオロギー的・政治的目的を有していたため政治的秘密結社にも分類できる。
本日の書物 : 『この厄介な国、中国』 岡田 英弘 ワック
戦後の日本人は、正しい歴史を学校で教わって来ませんでした。
そして、現代のメディアもまた、嘘の情報を流し続けています。
私たち日本人は、親日的な立場に立ち、正しく認識し直し、
客観的に情勢を判断する必要があります。
それでは、この書物を見ていきましょう!
『 この【後漢の国教】となって以後の約200年が、【儒教】が歴史上で最も光輝く時代であった。しかし、前述したように【黄巾の乱】で【後漢王朝が失墜】すると、【同時にこの儒教の権威もなくなってしまった】のである。
それに取って代わって興隆を見せたのが、【黄巾の乱】を起こした【秘密結社の宗教】であった【道教】と、中央アジアからの居留民の宗教であった【仏教】である。
当初、仏教はかなりの信者を獲得し、皇帝の中にも仏教に帰依する人が現れたりしたが、結局、【庶民に根差した道教】が優勢となった。そして隋、唐の時代には【道教を中心】にして、【仏教や儒教の要素を取り入れた“新道教”】とでも呼ぶべき総合的な宗教が完成した。そして道教はかつての儒教のように、唐の皇帝のほとんどが道教の信者となるまでに成長することになる。
さて、この【道教】についても、【儒教同様、多くの誤解】が広まっている。【その最大のものが、道教が老子の教えに基づくという概念】であろう。【老子思想の根本】は、言うまでもなく【「無為自然」】である。無欲の境地に達して自然の道に従えと老子は言うのであるが、【道教には、そうした考えはまったくない】。この章の冒頭で述べたように、【道教の信者が願うのは、ひとえに現世の利益】である。
では、【道教の実態とはなにか】 ―― それは【秘密結社】なのである。すなわち、【道教は秘密結社の宗教から生まれたものだった】のである。
【「秘密結社」】と聞くと、多くの読者は、革命やテロといった目的のために作られた組織と思われるかもしれないが、【中国】の場合、そうではない。むしろ【互助組織】と言ったほうがその実体をよく示している。
【「バルネラビリティの原理」】が支配する【中国人社会】で、【個人が生き延びていくのは至難の業】である。そこで生まれたのが【互助を目的とする秘密結社】だった。』

新しいアイデンティティ概念の模索
いかがでしょうか?
今回ご紹介させていただく書物は、およそ20年前に出版されたものですが、そこから現在に至るまで相も変わらず、「中国」というものを正確に理解できない(=トンチンカンな幻想を抱く)日本人が数多く存在していて、開いた口が塞がらない状況にあるのですが、そのような方々に、まさに“打って付け”の内容となっており、是非とも正しい「中国」理解を広く一般国民に知らしめるべく、当ブログが自信を持ってお勧めする良書になります。学校教育で教え込まれる「中国」のイメージが、如何に実態とかけ離れているのかが、非常によく理解できると思います(笑)

それでは本日も、いつものように、直近の「致死率」を確認しておきましょう。
(死亡症例数)÷(感染症例数)=(致死率)
※( )内は前回の数値

☆Coronavirus COVID-19 Global Cases by Johns Hopkins CSSE
アメリカ : 577,384(577,077)÷32,454,484(32,415,345)=0.0177・・・(0.0178) 「1.77%(1.78%)」

イタリア : 121,433(121,177)÷4,050,708(4,044,762)=0.0299・・・(0.0299) 「2.99%(2.99%)」

日本 : 10,391(10,342)÷609,620(605,150)=0.0170・・・(0.0170) 「1.70%(1.70%)」



☆【日本語訳】 U.S. DEPARTMENT of STATE / Fact Sheet : Activity at the Wuhan Institute of Virology (米国務省 / ファクトシート : 武漢ウイルス研究所での活動)
さて、これまで、「キリスト教神智学(Christian theosophy)」または「ベーメ神智学(Boehmian theosophy)」として知られる、ヤーコプ・ベーメ(ヤコブ・ベーメ)から始めて、それを受け継いできた人々についてその流れを追ってまいりました。彼らが言っていたことを、簡単に表現したものを列挙致しますと、次のようになります。

ヤーコプ・ベーメ(ヤコブ・ベーメ)
世界は本来壊れているものであり、それを直すことができるのは正しい者だけである

イマヌエル・カント
たとえ世界を直すことができなくても、私たちは常に世界を直すことができると仮定して行動しなければならない

ゲオルク・ヴィルヘルム・フリードリヒ・ヘーゲル
世界が固定されていたとしても、私たちは無意識のうちに分裂を起こし、世界が再び崩壊し始めることになる

カール・マルクス
私たちには、世界を壊したいという衝動はない。もし私たちが世界を壊すとすれば、それは私たちが社会とその主人たちからそうすることを学んだからである。

ウラジミール・レーニン
われわれは、世界を固定するために、意識の統一を強行しよう

W・E・B・デュボイス(1918年)
世界のことは忘れて。 私はどうなるの? 私は二つ意識の一部です。 助けて!

御覧のように、その根底に存在しているのは、ユダヤ・キリスト教的な「贖罪(しょくざい)」の意識になります。キリスト教ならば、イエス・キリストが磔刑に処せられたことを以て、人類の罪に対する償(つぐな)い・贖(あがな)いであるとし、人類に救いをもたらす(もたらした)とする、そんな意識です。ですから、これは明確に宗教的な思考・思想であり、これら一連の流れ・系譜は、なんらかの“ひとつの宗教”であると考えることで、より一層理解し易くなります。
マルクス主義・共産主義・社会主義という類の妄想も、“とあるひとつの宗教”から生み出された「贖罪」の意識であり、それは“物質的”なものでしかありませんでした。だからこそ、大失敗に終わったとも考えられるわけですが。。。

しかし、その“とある宗教”の信者らは、大失敗のあと、さまざまな“アイデンティティ”を次から次へと粗製濫造することによって、「贖罪」の対象物としての“罪”を創り出し、自らの罪に対する償(つぐな)い・贖(あがな)いを果たそうと躍起になることとなります。
そこで現在、次の論文を参考にさせて頂きながら、その“アイデンティティ”について、果たしてそれは一体どのようなものであるべきなのかについて考えているところになります。

☆『アイデンティティ概念の再構築の試み : イタリア人アイデンティティという事例とともに』 宇田川 妙子
それでは早速、昨日の続きを見て参りましょう。
『 近代的なるものは、差異からアイデンティティを構成するのではなく、アイデンティティから差異を構成する。(クロスバーグ1998: 162)
自分にさわって自分の手を握りしめるたびに、そう、 「私」 と私は言った。しかし私は誰にそう言ったのだろうか。そして誰にとっての「私」なのか。私はひとりきりだった。(Pirandello 1992: 126)
関係は完全な全体性からではなく、完全性を構成することの不可能性から生じる。(ラクラウ&ムフ2000: 199)
3 新たなアイデンティティの語り
3.2 理論と現実との懸隔
以上、関係性という問題を積極的に評価することによって、我々はようやく新たなアイデンティティ概念を具体的に模索しうる準備ができたと言えるかもしれない。ゆえに、これまでの議論をまとめながら、その暫定的な見通しを素描しておくことにしよう。
それはまず、徹底的に構築主義的な姿勢にたつことによって他者をけっして対象化しえない 「 敵/友 」 と見なし、その他者との多義的な関係性を、そのつど具体的に決定し実践していこうとするアイデンティティである。もちろんそこにはさまざまな対立や連帯が生まれるだろうが、いずれも 「 敵/友 」 関係に貫かれているため、それはけっして固定化 ・規則化することはない。また、だからといって社会の無秩序化や主体の完全な消滅へと結びつくこともなく、むしろ、そうした多義的で偶発的な関係性の場における決定という問題が重要となってくる。つまり、このとき主体は、他者との関係性を起動しうる地点として積極的に位置づけられ、同時にそれは、他との関係性を産み出す必要があるからこそ常に多義的であり、時々の決定を通して再構築されるという意味では永遠に不完全なものとして設定されていくのである。ここからは、さまざまな他者との関係の歴史のなかで構築してきた位置を、自らの基点および起点として他者に向かい合うと同時に、その関係性の歴史を、さらに自らに節合して変化していくアイデンティティのあり方が浮かび上がってくる。
また、この議論からは、近年の構築主義的なアイデンティティ論をめぐる批判 (すなわち、本質の虚構性を暴いてきた一方で、主体や連帯をも脅かしてしまうのではないかという危惧) は、むしろいまだ構築主義が徹底されていないがゆえであったことも浮かび上がってくるであろう。本稿の関係性の議論とは、多義性や偶発性そして歴史性のなかにこそ、既述のような新たな主体や連帯のあり方が見出されるというものである。もちろんそれは、「ゆっくり休めるような夜」 を保証するものではない。しかし、そうした安定的な主体や社会が、他者の排除と表裏一体であることが明らかになっている今、我々は、アイデンティティという言葉を、むしろ不安定さのなかにこそ立脚するものとして語り直し、新たな社会のあり方を創出していこうとする作業を避けることはできないのである。
とはいえ、以上の議論はあくまでも抽象論であって、果たしてそれを、現実社会のなかで適用できるのかという疑問も出てくる。さもなければ、この議論は、単なるユートピア、机上の空論に終わってしまう可能性もある。』
ということで、本日はここまでとさせて頂きます。
続きは次回に♥
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