2021-05-04 (Tue)

本日のキーワード : 模倣、創造、文化
模倣(もほう)とは、
・他のものをまねること。似せること。
・他者の行動と同様・同類の行動をとること。
学習、さまざまな技能の習得、社会的流行など、多くのことが基本的にこのかたちをとる。 対義語は創造。
本日の書物 : 『この厄介な国、中国』 岡田 英弘 ワック
戦後の日本人は、正しい歴史を学校で教わって来ませんでした。
そして、現代のメディアもまた、嘘の情報を流し続けています。
私たち日本人は、親日的な立場に立ち、正しく認識し直し、
客観的に情勢を判断する必要があります。
それでは、この書物を見ていきましょう!
『 どんな文化においても、【古典の模倣時代】というのは【必ず起きること】である。日本の和歌の世界においても、古今集こそが絶対の尺度と見られていた時代があった。しかし、たいていの文化においては、そうした【模倣を超えて新しい表現を産み出そうというムーブメントが起きるもの】である。
ところが【中国】では、20世紀に魯迅たちが「白話(はくわ)運動」(口語の中国語に基づいた文章表現運動)を始めるまで、【まったくと言っていいほど、それが起きなかった】。秦の始皇帝から計算すれば、ざっと二千年以上、漢文時代はつづき、科挙も連綿として行われてきたのである。これは、たしかに【異常なこと】であった。
だが【「古典を繰り返す」という作業】は、【中国人にとってはあまり苦痛ではなかった】。と言うよりも、【むしろ古典を繰り返すことは、彼らの世界観にマッチすること】でもあった。
なぜなら、そもそも【中国人にとっての世界】とは【「永遠に変わることのない存在」】なのである。中国人の世界観、歴史観においては、世界も時間もひとつの秩序に従って動く。そこには【新しい出来事はなく、すべては過去の繰返し】だと彼らは考える。だから、彼らは文章表現においても、【古典を繰り返すのは当然だと思っている】。それが退屈で、非生産的な行為だとは、けっして思わなかったのである。
この【中国人の世界観、歴史観の根底にある】のは【「正統」という理論】である。
ご承知のとおり、中国の歴史観においては、中国大陸の支配者である【皇帝には「天命」が下される】とされる。
すなわち、【皇帝は実力によって、その位を摑むのではない】。前王朝の「徳」(一種のエネルギー)が衰えたために、「天」が新しい皇帝に「命」を与えるから、王朝の交代が行われる――これがいわゆる【「易姓革命」の思想】である。そして、【その天命を受けた皇帝こそが正統であると彼らは考える】のである。
こうした考え方においては、人間の努力だとか、創意工夫などは微々たるものでしかない。それよりもずっと大きいのが、「天」あるいは「天下」というものの存在である。中国の神話時代から「天下」なるものは存在し、それが今日まで連綿としてつづいている。【歴史の主人公は人間ではなく、この「天下」なのだというのが彼らの思想】なのである。
そして、この「天下」が人間に下すのが「正統」というわけだが、天下も正統も、いわば宇宙の真理、法則のようなものである。すなわち、天下も正統も人知によって変えることはできないし、いくら時代が変わろうとも、この法則は揺るがない。
【現在の中国においても、この発想は基本的には変わらない】。【中国共産党】もまた、【正統を受け継いだ政権である】(ただし、【共産党の場合、それはマルクス、レーニン、毛沢東と繋がる共産主義思想の「正統」という建前】になっているが)。
彼らが、【外交というものに本質的に興味がなく】、【中国(イコール「天下」)の内政にしか目が行かない】というのも、中国流「正統」の概念からすれば、まことに当然のことなのである。』

「アイデンティティ ≠ 主体」 「アイデンティティ = 主体 + ?」
いかがでしょうか?
今回ご紹介させていただく書物は、およそ20年前に出版されたものですが、そこから現在に至るまで相も変わらず、「中国」というものを正確に理解できない(=トンチンカンな幻想を抱く)日本人が数多く存在していて、開いた口が塞がらない状況にあるのですが、そのような方々に、まさに“打って付け”の内容となっており、是非とも正しい「中国」理解を広く一般国民に知らしめるべく、当ブログが自信を持ってお勧めする良書になります。学校教育で教え込まれる「中国」のイメージが、如何に実態とかけ離れているのかが、非常によく理解できると思います(笑)

それでは本日も、いつものように、直近の「致死率」を確認しておきましょう。
(死亡症例数)÷(感染症例数)=(致死率)
※( )内は前回の数値

☆Coronavirus COVID-19 Global Cases by Johns Hopkins CSSE
アメリカ : 573,201(572,361)÷32,161,109(32,100,846)=0.0178・・・(0.0178) 「1.78%(1.78%)」

イタリア : 119,912(119,539)÷3,981,512(3,971,114)=0.0301・・・(0.0301) 「3.01%(3.01%)」

日本 : 10,031(9,968)÷576,870(571,904)=0.0173・・・(0.0174) 「1.73%(1.74%)」


☆【日本語訳】 U.S. DEPARTMENT of STATE / Fact Sheet : Activity at the Wuhan Institute of Virology (米国務省 / ファクトシート : 武漢ウイルス研究所での活動)
さて、これまで、「キリスト教神智学(Christian theosophy)」または「ベーメ神智学(Boehmian theosophy)」として知られる、ヤーコプ・ベーメ(ヤコブ・ベーメ)から始めて、それを受け継いできた人々についてその流れを追ってまいりました。彼らが言っていたことを、簡単に表現したものを列挙致しますと、次のようになります。

ヤーコプ・ベーメ(ヤコブ・ベーメ)
世界は本来壊れているものであり、それを直すことができるのは正しい者だけである

イマヌエル・カント
たとえ世界を直すことができなくても、私たちは常に世界を直すことができると仮定して行動しなければならない

ゲオルク・ヴィルヘルム・フリードリヒ・ヘーゲル
世界が固定されていたとしても、私たちは無意識のうちに分裂を起こし、世界が再び崩壊し始めることになる

カール・マルクス
私たちには、世界を壊したいという衝動はない。もし私たちが世界を壊すとすれば、それは私たちが社会とその主人たちからそうすることを学んだからである。

ウラジミール・レーニン
われわれは、世界を固定するために、意識の統一を強行しよう

W・E・B・デュボイス(1918年)
世界のことは忘れて。 私はどうなるの? 私は二つ意識の一部です。 助けて!

御覧のように、その根底に存在しているのは、ユダヤ・キリスト教的な「贖罪(しょくざい)」の意識になります。キリスト教ならば、イエス・キリストが磔刑に処せられたことを以て、人類の罪に対する償(つぐな)い・贖(あがな)いであるとし、人類に救いをもたらす(もたらした)とする、そんな意識です。ですから、これは明確に宗教的な思考・思想であり、これら一連の流れ・系譜は、なんらかの“ひとつの宗教”であると考えることで、より一層理解し易くなります。
マルクス主義・共産主義・社会主義という類の妄想も、“とあるひとつの宗教”から生み出された「贖罪」の意識であり、それは“物質的”なものでしかありませんでした。だからこそ、大失敗に終わったとも考えられるわけですが。。。

しかし、その“とある宗教”の信者らは、大失敗のあと、さまざまな“アイデンティティ”を次から次へと粗製濫造することによって、「贖罪」の対象物としての“罪”を創り出し、自らの罪に対する償(つぐな)い・贖(あがな)いを果たそうと躍起になることとなります。


☆『Federal Government Caught Buying ‘Fresh’ Flesh Of Aborted Babies Who Could Have Survived As Preemies』

そこで現在、次の論文を参考にさせて頂きながら、その“アイデンティティ”について、果たしてそれは一体どのようなものであるべきなのかについて考えているところになります。

☆『アイデンティティ概念の再構築の試み : イタリア人アイデンティティという事例とともに』 宇田川 妙子
それでは早速、昨日の続きを見て参りましょう。
『 近代的なるものは、差異からアイデンティティを構成するのではなく、アイデンティティから差異を構成する。(クロスバーグ1998: 162)
自分にさわって自分の手を握りしめるたびに、そう、 「私」 と私は言った。しかし私は誰にそう言ったのだろうか。そして誰にとっての「私」なのか。私はひとりきりだった。(Pirandello 1992: 126)
関係は完全な全体性からではなく、完全性を構成することの不可能性から生じる。(ラクラウ&ムフ2000: 199)
2 アイデンティティ論の現在
2.3 異同は関係性か
ところでこの問題は、近年、アイデンティティという言葉が主体という語以上に用いられるようになってきた状況とも、若干逆説的ではあるが、実は密接に関連している。
筆者は、これまで主体とアイデンティティという語についてその違いを明確にしないまま議論を続けてきた。一般的にも、主体、アイデンティティ、さらには自己、個人等々という言葉 (英語で言えば subject, identity, self, person, individual など) の定義は曖昧で、時には互換的に使用されたり、論じられている分野や文脈によって定義が異なったり、さらには歴史的に変化することも少なくない。たとえば、人類学の視点を社会中心主義から個人へと転換しようとする試みとして評価されたコーエンの著作 Self Consciousness : An Alternative Anthropology of Identity (Cohen 1994) においても、self と identity とは何のためらいもなく同義として用いられている。そして、こうした状況が現在、必要以上の混乱を招いていることは、ハリス (Harris 1989) にも指摘されているとおりである。
もちろんここでは、これらの定義を整理し明確化するという困難な作業を行う余裕も能力もない。しかし、特にアイデンティティという語が隆盛してきた経緯を振り返ってみると、少なくともアイデンティティと主体のあいだには、微妙ではあるがきわめて重要な違いが浮かび上がってくる。アイデンティティとは、主体という言葉では不十分にしか含意できなかった何かを表現しうるものとして期待されてきたのであり、その何かとは、関係性あるいは連帯という考え方ではないか、と考えられるのである。
そもそもアイデンティティとは、たとえば栗原 (栗原1998) がまとめているように複数の語義が絡み合っている概念だが、その主たる語義は、リオタール (リオタール1996) が 「同一としてのアイデンティティ」 と 「自己としてのアイデンティティ」 とを区別したように、或るものと或るものが同一であるという意味と、或るものがそれ自身であるという意味の二つに大別して考えることができる。前者は、たとえば、以前の私と今の私は同じか否か、私たちは同じ日本人なのか、そして何をもって 「同じ」 と見なすのか、そもそも 「同じ」 とは何なのか等々、いわば同一律にかかわる問題である。これは、言葉を換えれば、以前の私と今の私との関係、または私たちのあいだの関係という関係性を問うている側面である。一方、後者は、或るものがそのものとして、すなわちそれ自身であると意識・主張し、それ自身として認められるという側面であり、ここで顕わになっているのは、関係性というよりも自己性という問題である。もちろんこの自己性も、或るものがそれ自身であることを意識するという過程では、自らに対する反省的な関係が生じており、その意味では関係性の問題であると言える。しかし、その場合の関係性は、あくまでも自己であることを意識し主張するためのものであり、ゆえに両者は質の異なる問題構制であると見なす必要がある。
さてこのように整理してみるならば、以上の二側面のうち自己性は、すでに論じてきた主体性の問題であるのに対して、同一性の側面が、関係性あるいは連帯という問題につながっていくと考えられるだろう。そして、アイデンティティとはこの二側面をともに有する言葉としてあらためて位置づけることも可能となる。アイデンティティは、主体という言葉に (少なくとも表面上) 不足していた関係性にも関心を払い、それと主体性を積極的に結び付けようとする概念であるとも言い換えられるのである。』
ということで、本日はここまでとさせて頂きます。
続きは次回に♥
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