2021-05-12 (Wed)

本日のキーワード : 太平道、道教、黄巾の乱
太平道(たいへいどう)は、後漢末の華北一帯で民衆に信仰された道教の一派。『太平清領書』を教典とし、教団組織は張角が創始した。教団そのものは黄巾の乱を起こしたのち、張角らの死を以て消滅した。
本日の書物 : 『この厄介な国、中国』 岡田 英弘 ワック
戦後の日本人は、正しい歴史を学校で教わって来ませんでした。
そして、現代のメディアもまた、嘘の情報を流し続けています。
私たち日本人は、親日的な立場に立ち、正しく認識し直し、
客観的に情勢を判断する必要があります。
それでは、この書物を見ていきましょう!
『 さて、こうした【秘密結社】が【中国の歴史の表面に登場する最初の例】が、紀元一八四年の【黄巾の乱】を起こした【太平道(たいへいどう)】と呼ばれる結社である。この結社の特徴も、【宗教の衣を着た互助組織】であったという点である。

創価学会旗
黄巾の乱直前の後漢は、経済が成長して好景気となり、都市の人口が急増していた。だが、その繁栄に取り残された下層階級の人々の間には社会に対するさまざまなストレスが蓄積し、【終末論】的な気分が行き渡っていた。つまり、漢朝の寿命はすでに尽きており、やがて新しい時代がやってくるという考え方である。こうした時代思潮をうまく取り込み、組織を飛躍的に拡大したのが【張角(ちょうかく)を首領とする太平道】であった。彼は河北全域にわたって数十万の“信徒”を持ったと言われている。
後漢の寿命が尽きたと見た張角は、「蒼天(そうてん)はすでに死せり、黄天(こうてん)はまさに立つべし」、つまり【いまや新しい世界が始まった、永遠の平和が来るのだ、その前に古い秩序をすべて掃除しなければならない】、というスローガンを掲げて【黄巾の乱】を起こしたわけである。
実は、【道教の源流】はこの【黄巾の乱】に遡ることができる。【しかしながら、太平道が道教の本流を作ったわけではない】。正規軍によってすぐに鎮圧されてしまったからである。』

“中国人アイデンティティ” と似ている “イタリア人アイデンティティ”
いかがでしょうか?
今回ご紹介させていただく書物は、およそ20年前に出版されたものですが、そこから現在に至るまで相も変わらず、「中国」というものを正確に理解できない(=トンチンカンな幻想を抱く)日本人が数多く存在していて、開いた口が塞がらない状況にあるのですが、そのような方々に、まさに“打って付け”の内容となっており、是非とも正しい「中国」理解を広く一般国民に知らしめるべく、当ブログが自信を持ってお勧めする良書になります。学校教育で教え込まれる「中国」のイメージが、如何に実態とかけ離れているのかが、非常によく理解できると思います(笑)

それでは本日も、いつものように、直近の「致死率」を確認しておきましょう。
(死亡症例数)÷(感染症例数)=(致死率)
※( )内は前回の数値

☆Coronavirus COVID-19 Global Cases by Johns Hopkins CSSE
アメリカ : 579,122(578,208)÷32,544,460(32,499,987)=0.0177・・・(0.0177) 「1.77%(1.77%)」

イタリア : 122,005(121,738)÷4,070,400(4,059,821)=0.0299・・・(0.0299) 「2.99%(2.99%)」

日本 : 10,501(10,441)÷617,890(613,819)=0.0169・・・(0.0170) 「1.69%(1.70%)」


☆【日本語訳】 U.S. DEPARTMENT of STATE / Fact Sheet : Activity at the Wuhan Institute of Virology (米国務省 / ファクトシート : 武漢ウイルス研究所での活動)
さて、これまで、「キリスト教神智学(Christian theosophy)」または「ベーメ神智学(Boehmian theosophy)」として知られる、ヤーコプ・ベーメ(ヤコブ・ベーメ)から始めて、それを受け継いできた人々についてその流れを追ってまいりました。彼らが言っていたことを、簡単に表現したものを列挙致しますと、次のようになります。

ヤーコプ・ベーメ(ヤコブ・ベーメ)
世界は本来壊れているものであり、それを直すことができるのは正しい者だけである

イマヌエル・カント
たとえ世界を直すことができなくても、私たちは常に世界を直すことができると仮定して行動しなければならない

ゲオルク・ヴィルヘルム・フリードリヒ・ヘーゲル
世界が固定されていたとしても、私たちは無意識のうちに分裂を起こし、世界が再び崩壊し始めることになる

カール・マルクス
私たちには、世界を壊したいという衝動はない。もし私たちが世界を壊すとすれば、それは私たちが社会とその主人たちからそうすることを学んだからである。

ウラジミール・レーニン
われわれは、世界を固定するために、意識の統一を強行しよう

W・E・B・デュボイス(1918年)
世界のことは忘れて。 私はどうなるの? 私は二つ意識の一部です。 助けて!

御覧のように、その根底に存在しているのは、ユダヤ・キリスト教的な「贖罪(しょくざい)」の意識になります。キリスト教ならば、イエス・キリストが磔刑に処せられたことを以て、人類の罪に対する償(つぐな)い・贖(あがな)いであるとし、人類に救いをもたらす(もたらした)とする、そんな意識です。ですから、これは明確に宗教的な思考・思想であり、これら一連の流れ・系譜は、なんらかの“ひとつの宗教”であると考えることで、より一層理解し易くなります。
マルクス主義・共産主義・社会主義という類の妄想も、“とあるひとつの宗教”から生み出された「贖罪」の意識であり、それは“物質的”なものでしかありませんでした。だからこそ、大失敗に終わったとも考えられるわけですが。。。

しかし、その“とある宗教”の信者らは、大失敗のあと、さまざまな“アイデンティティ”を次から次へと粗製濫造することによって、「贖罪」の対象物としての“罪”を創り出し、自らの罪に対する償(つぐな)い・贖(あがな)いを果たそうと躍起になることとなります。
そこで現在、次の論文を参考にさせて頂きながら、その“アイデンティティ”について、果たしてそれは一体どのようなものであるべきなのかについて考えているところになります。

☆『アイデンティティ概念の再構築の試み : イタリア人アイデンティティという事例とともに』 宇田川 妙子
それでは早速、昨日の続きを見て参りましょう。
『 近代的なるものは、差異からアイデンティティを構成するのではなく、アイデンティティから差異を構成する。(クロスバーグ1998: 162)
自分にさわって自分の手を握りしめるたびに、そう、 「私」 と私は言った。しかし私は誰にそう言ったのだろうか。そして誰にとっての「私」なのか。私はひとりきりだった。(Pirandello 1992: 126)
関係は完全な全体性からではなく、完全性を構成することの不可能性から生じる。(ラクラウ&ムフ2000: 199)
4 イタリア人アイデンティティ
4.1 「弱い」イタリア人アイデンティティ
「イタリアは成った。次はイタリア人を作らなければならない」。
これは、1861 年イタリアがローマ帝国の崩壊以来の分裂を経てイタリア王国として統一されたとき、時の政治家ダゼーリオが言った台詞として伝えられているものである。もっとも、現在ではそうした事実はなかったとされている (藤澤1997: 313)。にもかかわらず、この言葉が今でも頻繁に引用されるのは、それが、まさにイタリア人アイデンティティの脆弱さを、その歴史的な原因とともに鮮やかに示唆していると考えられているからだろう。イタリアは、イタリア王国という近代国家が成立した際、その経緯ゆえイタリアという統一国家全体を十全に象徴するものを持たず、その十分な創造も浸透も果たしえなかったという。しかもその状況は、ナショナリズムの異常な高揚期とも言えるファシズム期を経た現在でも基本的に続いていると言われ、そうしたイタリア人アイデンティティの弱さを、イタリアの近代国家史の特徴と関連させながら考察していこうとする議論は枚挙に暇がない (Dickie 1996; Porciani 1993)。
また、イタリア人アイデンティティの弱さとは、先述の 「イタリアにはイタリア人はいない。いるのはローマ人、ミラノ人、ヴェネチア人、ナポリ人等々だ」 という言説に代表されるように、しばしばイタリアの地域的な多様性をめぐる議論と表裏一体をなしている。言語、歴史、料理や祝祭等の民俗、自然環境等のあらゆる側面においてイタリア内部の多様性を指摘する議論はすでに数多く見られる。たとえば、72 年に刊行が始まった 『イタリア史』 の第 1 巻 『基本的特徴』 (Romano & Vivanti eds.1972) でもその基調が貫かれ、その議論は、しばしば、中世のコムーネ時代から続いた都市国家の歴史や、それに起因すると言われる強固な地域主義の存在とも関連させて語られている。特に国民国家の枠組が大きく揺らいでいる近年では、地域主義への関心はさらに高まり、政治的にも各州の自治権を拡大して将来的には連邦制を導入しようとする動きが加速化しており、新たなる段階に入っているという見方もある (Levy ed. 1996,Nevola ed. 2003)。
さらにイタリアの多様性は、地域というよりも、各自が生まれ育った町の次元で考える必要があるという指摘も少なくない。イタリアではしばしば、丘の上に非常に密集して町を形成するという集落形態 (アグロ・タウン) が見られる。この集落の単位性が、政治的 ・経済的 ・社会的 ・文化的 ・物理的等のあらゆる側面で高いことは、特に人類学の業績によって明らかになってきた (Filippucci 1996,宇田川1998)。実際、近隣の町同士でも、言葉やさまざまな慣習に違いが見られることは少なくない。心情的にも彼らの町に対する愛着は強く、その愛着を彼ら自身はカンパニリズモ campanilismo という言葉で表現している。これは、どの町でもその中心に建設され、町の象徴となっている教会の鐘楼 (カンパニーレ campanile) に由来する言葉である。
彼らは、町の名前を形容詞化して互いに 「○○人 (○○は町名)」 と呼び合い、特に近隣同士の町のあいだでは、慣習的な差異をことさらに強調したり、時には儀礼的な誹謗合戦を行ったりして、自らの 「○○人」 としての意識や矜持を日頃からかき立てている。もちろん近年では、人も物も情報も町を越えて行き交い、町の単位性はあらゆる意味で低下してきている。しかし彼らの生活意識は、いまだ町に置かれており、「○○人」 という言説も有効性を保っている。町 (パエーゼ paese) は、彼らにとって、その帰属意識、共同体意識を最も強く感じるところなのである。』
ということで、本日はここまでとさせて頂きます。
続きは次回に♥
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