2021-04-30 (Fri)

本日のキーワード : 主体思想、主体、チュチェ、アイデンティティ
主体思想(しゅたいしそう)またはチュチェ思想(チュチェしそう)とは、朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)及び朝鮮労働党が創作した架空の “アイデンティティ” である。
「主体(チュチェ)」は、哲学およびマルクス主義の用語の日本語である「主体」を朝鮮語に変換したもので、さらに北朝鮮では歴史的に支那の属国であり続けたこともあり「自主独立」や「自立精神」を意味する場合も多い。主体思想は、現トランプ政権のアメリカ・ファーストよろしく、「常に朝鮮の事を最初に置く」との意味でも使われている。金日成は、主体思想は「人間が全ての事の主人(→つまり神)であり、全てを決める」という信念を基礎としている、とした。
日本が授けたハングルの表現では「주체사상」、漢字では日本語の表記に倣って「主體思想」と表記され、そもそも自分たちのオリジナルな文字で表現できない(=主体的に表現できない)という根本的矛盾を抱えている。
本日の書物 : 『この厄介な国、中国』 岡田 英弘 ワック
戦後の日本人は、正しい歴史を学校で教わって来ませんでした。
そして、現代のメディアもまた、嘘の情報を流し続けています。
私たち日本人は、親日的な立場に立ち、正しく認識し直し、
客観的に情勢を判断する必要があります。
それでは、この書物を見ていきましょう!
『 【日本人は建国以来】、【真の中国に接した期間がほとんどない】、と私は書いた。これはけっして文学的な比喩として述べた表現ではない。
【歴史的事実】を指摘すれば、【日中間に国交関係が樹立】されるのは、【1913年以降のこと】であり、【それ以前には、ただの一度も日中間に国交関係がなかった】。1871年に日本が日清修好条規を結んだ相手は満洲人の清朝で、中国を支配してはいたが、中国人の国ではなかった。
つまり、【日本人が中国ときちんと接触するのは20世紀に入ってからのこと】であり、日本人が中国を「知る」ようになって、わずか90年間しかたっていないということなのである。これは【言うまでもなく、日英関係、日米関係よりも短い】。ましてや、【共産中国の成立(1949年)から日中国交が正常化するまでの23年間は、実質的には絶縁状態だった】のだから、【日本人が中国を知らないのは、きわめて当然のこと】と言わねばならない。

日本と中国の正式な関係が20世紀まで存在しなかったと言うと、たいていの人は「そんな馬鹿な」という反応を見せる。たしかに日本の歴史教育では、古代の朝廷は【遣唐使】を通じて日本が中国と国交を持っていたと教えているのだから、そう思うのも無理はない。
しかし、【事実は違う】のである。【日本】は【建国以来】、20世紀に入るまで【中国と正式に国交を持ったこともない】し、【持とうと思ったことすらない】。
まず遣唐使のことから説明したい。
ご存じのように、【遣唐使は631年から始まった】。そして、【菅原道真(すがわらのみちざね)】の献策により【894年に廃止】されるまで、数十回の使節が派遣された。
さて、この250年あまりの間に、【日本列島においては重大な変化が起こっている】。それは【「倭国」から「日本」への変化】であった。
中国の記録を丁寧に検証してみればただちに分かることだが、当初の遣唐使は「倭国」からの使者であった。ところが702年、つまり文武(もんむ)天皇の大宝二年に唐に到着した使節は「日本からの使者」と名乗ったとある。その直前の670年の遣唐使までは、たしかに倭国からの使者であったから、その32年の間に【「日本」という国家が成立した】ことになる。
もちろん、倭国から日本への変化が起きたといっても、そこでクーデターが起きて政権の主体が変わったわけではない。同じ倭王の朝廷が「倭国」という名称を廃して、【対外的に「日本」を名乗ることに決めたということ】である。
しかし、これは単なる名称の変更というだけのことではない。この「倭国」から「日本」への変更には、重要な意味が秘められていた。それはなにかと言えば、【独立国家としての「日本の誕生」】であり、それは同時に、【中国に対する「絶縁」を宣言】しているということでもあった。』

「チュチェ思想 (主体思想)」という北朝鮮の妄想アイデンティティ
いかがでしょうか?
今回ご紹介させていただく書物は、およそ20年前に出版されたものですが、そこから現在に至るまで相も変わらず、「中国」というものを正確に理解できない(=トンチンカンな幻想を抱く)日本人が数多く存在していて、開いた口が塞がらない状況にあるのですが、そのような方々に、まさに“打って付け”の内容となっており、是非とも正しい「中国」理解を広く一般国民に知らしめるべく、当ブログが自信を持ってお勧めする良書になります。学校教育で教え込まれる「中国」のイメージが、如何に実態とかけ離れているのかが、非常によく理解できると思います(笑)

それでは本日も、いつものように、直近の「致死率」を確認しておきましょう。
(死亡症例数)÷(感染症例数)=(致死率)
※( )内は前回の数値

☆Coronavirus COVID-19 Global Cases by Johns Hopkins CSSE
アメリカ : 570,611(569,928)÷31,950,831(31,903,230)=0.0178・・・(0.0178) 「1.78%(1.78%)」

イタリア : 118,699(118,357)÷3,935,703(3,920,945)=0.0301・・・(0.0301) 「3.01%(3.01%)」

日本 : 9,825(9,778)÷558,368(553,258)=0.0175・・・(0.0176) 「1.75%(1.76%)」


☆【日本語訳】 U.S. DEPARTMENT of STATE / Fact Sheet : Activity at the Wuhan Institute of Virology (米国務省 / ファクトシート : 武漢ウイルス研究所での活動)
さて、これまで、「キリスト教神智学(Christian theosophy)」または「ベーメ神智学(Boehmian theosophy)」として知られる、ヤーコプ・ベーメ(ヤコブ・ベーメ)から始めて、それを受け継いできた人々についてその流れを追ってまいりました。彼らが言っていたことを、簡単に表現したものを列挙致しますと、次のようになります。

ヤーコプ・ベーメ(ヤコブ・ベーメ)
世界は本来壊れているものであり、それを直すことができるのは正しい者だけである

イマヌエル・カント
たとえ世界を直すことができなくても、私たちは常に世界を直すことができると仮定して行動しなければならない

ゲオルク・ヴィルヘルム・フリードリヒ・ヘーゲル
世界が固定されていたとしても、私たちは無意識のうちに分裂を起こし、世界が再び崩壊し始めることになる

カール・マルクス
私たちには、世界を壊したいという衝動はない。もし私たちが世界を壊すとすれば、それは私たちが社会とその主人たちからそうすることを学んだからである。

ウラジミール・レーニン
われわれは、世界を固定するために、意識の統一を強行しよう

W・E・B・デュボイス(1918年)
世界のことは忘れて。 私はどうなるの? 私は二つ意識の一部です。 助けて!

御覧のように、その根底に存在しているのは、ユダヤ・キリスト教的な「贖罪(しょくざい)」の意識になります。キリスト教ならば、イエス・キリストが磔刑に処せられたことを以て、人類の罪に対する償(つぐな)い・贖(あがな)いであるとし、人類に救いをもたらす(もたらした)とする、そんな意識です。ですから、これは明確に宗教的な思考・思想であり、これら一連の流れ・系譜は、なんらかの“ひとつの宗教”であると考えることで、より一層理解し易くなります。
マルクス主義・共産主義・社会主義という類の妄想も、“とあるひとつの宗教”から生み出された「贖罪」の意識であり、それは“物質的”なものでしかありませんでした。だからこそ、大失敗に終わったとも考えられるわけですが。。。

しかし、その“とある宗教”の信者らは、大失敗のあと、さまざまな“アイデンティティ”を次から次へと粗製濫造することによって、「贖罪」の対象物としての“罪”を創り出し、自らの罪に対する償(つぐな)い・贖(あがな)いを果たそうと躍起になることとなります。

☆BREAKING: Egypt Just Seized The Ever Given!

そこで現在、次の論文を参考にさせて頂きながら、その“アイデンティティ”について、果たしてそれは一体どのようなものであるべきなのかについて考えているところになります。

☆『アイデンティティ概念の再構築の試み : イタリア人アイデンティティという事例とともに』 宇田川 妙子
それでは早速、昨日の続きを見て参りましょう。
『 近代的なるものは、差異からアイデンティティを構成するのではなく、アイデンティティから差異を構成する。(クロスバーグ1998: 162)
自分にさわって自分の手を握りしめるたびに、そう、 「私」 と私は言った。しかし私は誰にそう言ったのだろうか。そして誰にとっての「私」なのか。私はひとりきりだった。(Pirandello 1992: 126)
関係は完全な全体性からではなく、完全性を構成することの不可能性から生じる。(ラクラウ&ムフ2000: 199)
2 アイデンティティ論の現在
2.1 構築主義的 「転回」 とは
・・・ところで、以上のような構築主義的視点の隆盛とは、先章でも述べたように、アイデンティティが現在、否定的な評価をされはじめるようになってきているという現状の反映でもある。アイデンティティの主張はしばしば、あまりにも本質主義的な形でなされることによって、外部に対しては他との了解可能性を閉ざして葛藤や排除を引き起し、内部に対しても多様性を抑圧しさまざまな紛争を惹起させてきた。特にグローバル化が促進され、さまざまな差異の主張と承認の要求が高まりつつある現在、 「アイデンティティ政治」 は互いの共生ではなく闘争・憎悪へとつながってしまうことが少なくない。また、そうした本質的なアイデンティティという考え方は、各個人にとっても大きな負荷となっている。アイデンティティの意識化・主張は、往々にして、或る個人を常にそのアイデンティティの枠内に規定し、他のあり方の可能性を閉じてしまうからである。構築主義的パラダイムとは、それらの弊害がアイデンティティの本質視に由来していることを指摘し、その虚構性を徹底的に暴くことによって、処方箋を見出そうとしてきた論法である。
しかしながら、それで問題がすべて解決したかと言えばそうではないことは先にも指摘したとおりである。そして、そこに依然として残されている問題を整理するならば、それは、主体性や連帯という言葉に凝縮されていると考えられる。

アイデンティティは、特にそれが一般に流布しはじめた当初は、主体性とほぼ同義に用いられてきたし、アイデンティティの主張は、それが主体性の獲得・確立につながるとされるからこそ称揚されてきた。なかでも、ホールやバーバ等の議論に代表されるように、アイデンティティをめぐる最も活発な議論がコロニアル批判と密接に結びついてきたことは注目に価する (三浦2004)。コロニアルな状況下で他者化され十全な主体性を認められてこなかった者たちにとって、この語は、自らの主体を主張し、その承認を求めるためには最も有効な概念であり道具であった。そして、そうした主張を支えるものとして重視されたのが、アイデンティティを同じくする者たちの連帯であった。

☆篠原 常一郎、岩田 温 なぜ彼らは北朝鮮の「チュチェ思想」に従うのか
ところが、アイデンティティが、構築主義者の言うように本源的に作られたものなら、これらの営為も、その根拠や正当性を失くしてしまいかねないことになる。また、構築主義的なアイデンティティ観は、個々人の主体性を虚構と見なすがゆえに、あまりに社会還元主義的で、社会変化の余地を奪ってしまうという批判も出てきた。つまり、アイデンティティには積極的に評価すべき側面がある (あった) にもかかわらず、構築主義的なアイデンティティ論は、それをも否定してしまうのではないかという危惧が、現在、次第に大きくなってきているのである。』
ということで、本日はここまでとさせて頂きます。
続きは次回に♥
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