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    親子チョコ💗(400冊以上の良質な書籍のご紹介)

    子どもたちの教育のため、また、その親である私たち自身が学ぶための、読まれるべき良質な書籍のみをご紹介させていただきます。

     >  支那 >  「日本」「日本人」というアイデンティティが誕生したのは、いつ頃でしょうか?

    「日本」「日本人」というアイデンティティが誕生したのは、いつ頃でしょうか?

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    本日のキーワード : 団結、アイデンティティ



    団結(だんけつ)とは多くの人が共通の目的のために一つにまとまること「チームの団結が固い」「団結して中国と闘う」



    本日の書物 : 『この厄介な国、中国』 岡田 英弘 ワック



    戦後の日本人は、正しい歴史を学校で教わって来ませんでした。

    そして、現代のメディアもまた、嘘の情報を流し続けています。

    私たち日本人は、親日的な立場に立ち、正しく認識し直し、

    客観的に情勢を判断する必要があります。

    それでは、この書物を見ていきましょう!




    『 「日本」という国家が誕生する前、つまり倭国の時代の日本列島にはさまざまな人間が暮らしていた。もとから日本列島に住んでいた人もあれば、朝鮮半島や大陸から移り住んできた人々もいた。そうした人たちが渾然(こんぜん)と暮らしていたのが倭国であって、そこには当然のことながら【日本人という意識はない】。なにしろ、【国境という概念もない】のだから、それは無理もない話である。また、倭王の朝廷にしても、日本列島が自らのテリトリーであるという明確な意識もなかったことであろう。

     ところがそのような曖昧な状況に終止符を打たざるをえない状況海の向こうで起こった。それは【唐帝国の出現】である。隋を滅ぼした唐は朝鮮半島に勢力を伸ばし、新羅(しんら)をまず属国にした。そして、その新羅は唐からの軍事介入を得て百済(ひゃくさい)、高句麗(こうくり)を滅ぼし、ついに【676年、朝鮮半島全体が唐 = 新羅の支配下になった】のである。

     ここに至って、「倭国」はついに二者択一の選択を迫られることになるつまり、朝鮮半島同様、唐の支配を受けるかそれとも独立を保って彼らに抵抗するか ―― 。

     当初、倭国は唐に対する接近策を採った。「倭国」としての最後の遣唐使が持って行ったのは、その2年前の668年に新羅=唐の連合軍が高句麗を滅ぼしたことへの祝辞であった。それまで倭国は、百済と結んで新羅=唐の侵略に対抗していたわけだから、祝辞を出した背景に、唐帝国に対して低姿勢を採ることで、倭国への侵略を防ごうという意図があったことは明白である。

     しかし、誰が考えても分かるように、そうした「お世辞」を言ったところでを、唐の姿勢が変わるわけではない。その一方、【日本列島にいた人々】は、【大陸や朝鮮半島からの移住組も含めて、自衛のために団結することに衆議一決した】【それが702年の遣唐使が「日本」からの使者を名乗った理由である】というのが、私の解釈である。』

    日の丸

    アイデンティティをめぐる構築主義と本質主義の、非常にくだらない対立


    いかがでしょうか?

    今回ご紹介させていただく書物は、およそ20年前に出版されたものですが、そこから現在に至るまで相も変わらず「中国」というものを正確に理解できない(=トンチンカンな幻想を抱く)日本人が数多く存在していて、開いた口が塞がらない状況にあるのですが、そのような方々にまさに“打って付け”の内容となっており、是非とも正しい「中国」理解を広く一般国民に知らしめるべく当ブログが自信を持ってお勧めする良書になります。学校教育で教え込まれる「中国」のイメージが、如何に実態とかけ離れているのかが非常によく理解できると思います(笑)

    読書 女性 4-19

    それでは本日も、いつものように、直近の「致死率」を確認しておきましょう。

    (死亡症例数)÷(感染症例数)=(致死率)

    ※(  )内は前回の数値

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    Coronavirus COVID-19 Global Cases by Johns Hopkins CSSE

    アメリカ : 571,812(570,611)÷32,034,323(31,950,831)=0.0178・・・(0.0178) 「1.78%(1.78%)」
    twydsppl1.jpg

    イタリア : 119,021(118,699)÷3,949,517(3,935,703)=0.0301・・・(0.0301) 「3.01%(3.01%)」
    twydsppl2.jpg

    日本 : 9,888(9,825)÷563,977(558,368)=0.0175・・・(0.0175) 「1.75%(1.75%)」
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    egdusyed.jpg
    【日本語訳】 U.S. DEPARTMENT of STATE / Fact Sheet : Activity at the Wuhan Institute of Virology  (米国務省 / ファクトシート : 武漢ウイルス研究所での活動)

    さて、これまで、「キリスト教神智学(Christian theosophy)」または「ベーメ神智学(Boehmian theosophy)」として知られる、ヤーコプ・ベーメ(ヤコブ・ベーメ)から始めて、それを受け継いできた人々についてその流れを追ってまいりました彼らが言っていたことを、簡単に表現したものを列挙致しますと、次のようになります

    ヤーコプ・ベーメ(ヤコブ・ベーメ)
    ヤーコプ・ベーメ(ヤコブ・ベーメ)

    世界は本来壊れているものであり、それを直すことができるのは正しい者だけである

    イマヌエル・カント
    イマヌエル・カント

    たとえ世界を直すことができなくても、私たちは常に世界を直すことができると仮定して行動しなければならない

    ゲオルク・ヴィルヘルム・フリードリヒ・ヘーゲル
    ゲオルク・ヴィルヘルム・フリードリヒ・ヘーゲル

    世界が固定されていたとしても、私たちは無意識のうちに分裂を起こし、世界が再び崩壊し始めることになる

    カール・マルクス
    カール・マルクス

    私たちには、世界を壊したいという衝動はない。もし私たちが世界を壊すとすれば、それは私たちが社会とその主人たちからそうすることを学んだからである。

    1895年のレーニン
    ウラジミール・レーニン

    われわれは、世界を固定するために、意識の統一を強行しよう

    W・E・B・デュボイス(1918年)
    W・E・B・デュボイス(1918年)

    世界のことは忘れて。 私はどうなるの?  私は二つ意識の一部です。 助けて!

    ポイント 女性

    御覧のように、その根底に存在しているのは、ユダヤ・キリスト教的な「贖罪(しょくざい)」の意識になります。キリスト教ならば、イエス・キリストが磔刑に処せられたことを以て、人類の罪に対する償(つぐな)い・贖(あがな)いであるとし、人類に救いをもたらす(もたらした)とする、そんな意識です。ですから、これ明確に宗教的な思考・思想であり、これら一連の流れ・系譜は、なんらかの“ひとつの宗教”であると考えることでより一層理解し易くなります

    マルクス主義・共産主義・社会主義という類の妄想も、“とあるひとつの宗教”から生み出された「贖罪」の意識であり、それは“物質的”なものでしかありませんでした。だからこそ大失敗に終わったとも考えられるわけですが。。。

    女性 ポイント これ

    しかしその“とある宗教”の信者らは、大失敗のあとさまざまな“アイデンティティ”を次から次へと粗製濫造することによって、「贖罪」の対象物としての“罪”を創り出し自らの罪に対する償(つぐな)い・贖(あがな)いを果たそうと躍起になることとなります。





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    BREAKING: Egypt Just Seized The Ever Given!

    Mark Zuckerberg is at Little St James Island

    そこで現在、次の論文を参考にさせて頂きながら、その“アイデンティティ”について、果たしてそれは一体どのようなものであるべきなのかについて考えているところになります。

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    『アイデンティティ概念の再構築の試み : イタリア人アイデンティティという事例とともに』 宇田川 妙子

    それでは早速、昨日の続きを見て参りましょう。

    『 近代的なるものは、差異からアイデンティティを構成するのではなく、アイデンティティから差異を構成する。(クロスバーグ1998: 162)

    自分にさわって自分の手を握りしめるたびに、そう、 「私」 と私は言った。しかし私は誰にそう言ったのだろうか。そして誰にとっての「私」なのか。私はひとりきりだった。(Pirandello 1992: 126)

    関係は完全な全体性からではなく、完全性を構成することの不可能性から生じる。(ラクラウ&ムフ2000: 199)


    2 アイデンティティ論の現在

    2.1 構築主義的 「転回」 とは

     ・・・実際、現実の社会状況に目を向けるならば、さまざまなマイノリティの権利獲得運動など、依然として承認や連帯は危急の課題であり、そのためには (少なくともとりあえずは) 本質主義的なアイデンティティ概念が有効かつ必要である場面は少なくないこれは構築主義論者も認めるところであり、そうした現状から見れば構築主義とは現実から乖離した空論にすぎないとも言える

     ゆえに近年では、周知のとおり、あたかも両者の立場を調停するような形で 「戦略的本質主義」 という言葉が頻繁に用いられるようになってきた。この言葉は、たとえ構築主義的なアイデンティティ観に立つとしても現実社会において或るアイデンティティの主張が必要な際には本質的なアイデンティティを戦略的に装い互いに連帯していこうとするものである。しかしながらこの 「戦略的本質主義」 も行使の過程においてはやはり次第に本質という考え方に内在している問題が表面化してしまい (Kuper 2003)その乱用は理論と現実との亀裂をより決定的にしてしまう危険すらある現在アイデンティティ論はその致命的な欠陥が顕わになる一方でその有効性や手放し難さもさらに強まりこのように二極化した議論の揺れをもはや調節できない地点にまで来ているのである

     とするならば今我々に最も必要とされているのはその論点が本源的にはどこにあるのかという問いをあらためて掲げていくことではないだろうか

     そもそも構築主義と本質主義の対立は、見かけどおりのものではないと考えられる。たしかにこれまでのアイデンティティ論の最大の問題点は本質という観念にあり構築主義はその虚構性の暴露に積極的に取り組み功績を上げてきたしかしその議論は本質という観念に代わるものを提示する方向には進まなかったため逆にその虚構がいかに現代社会で重視され消し難いものなのかを浮き上がらせるにとどまっているそもそも構築主義的な立場を徹底させ本質もまた言説の一つであるとみなすならばそれが (いかなる形であれ) 我々の社会に存在するという一点においては構築主義と本質主義の差は実際上はほとんどなくなってしまうだろう。構築主義も本質という観念 (の重要性) を本源的に否定しているわけではないのである。

     このことは、上記のように構築主義者たちも現実的な対処療法としてはしばしば 「戦略本質主義」 を採用しているという事実により端的に表れている

     またさらに注目すべきは構築主義者の主たる論点が本質という問題にある一方で、本質主義的 (あるいは反構築主義的) な議論はむしろ主体性や連帯をめぐって展開されており両者の対立は実は論点が噛み合っていないという点である。とするならば我々はそもそも主体性や連帯とは本質がなければ発揮し得ないのかという問いこそを問うべきではないか。

     もちろん、近年の主体批判をふまえるならば、主体性という概念自体も近代の虚構であるがゆえに、主体性に対する積極的評価を前提として問いを設定することそのものに疑義を唱える者もいるに違いない。すでに、エイジェンシーという語を新たに用いて、本質に囚われない新たな主体の可能性を模索していこうとするバトラー (バトラー1999) 等の試みもある。しかしながら、実際には 「戦略本質主義」 という妥協の産物がいまだ効力を持っているように、その試みは十分な成果を上げてはおらず、むしろ新語の採用によって、根源的な問題を回避してしまう危険性も否定できない。

     そもそも、従来の主体概念がいかに問題含みであれその問題は我々が主体性という言葉に託してきたものすべてを否定するものではないだろう。つまりこれまで主体が本質という観念といかに密接に結びついていたとしても主体のあり方には他の選択肢がないのかそもそも主体を本質に結び付けてしまう考え方とは何なのか等々の問題はいまだ真剣には問われていないのである。その意味では構築主義/本質主義という対立図式 (の存続) 自体が実は本質と主体とをあたかも同一線上の問題とする考え方を温存させる装置だったと言えるのかもしれない。』


    ということで、本日はここまでとさせて頂きます。









    続きは次回に♥




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