2021-08-28 (Sat)
本日のキーワード : 自閉症、ドイツ、アンティファ、日当
自閉症とは主に先天的な原因により、対人関係の特異性やコミュニケーションの質的な障害などが見られる障害である。 英国の児童精神科医ローナ・ウイングによると、自閉症は「社会性」「社会的コミュニケーション」「社会的イマジネーション」のそれぞれに質的な偏りが見られる障害と定義されている。
本日の書物 : 『 「アメリカ」 の終わり “忘れられたアメリカ人” のこころの声を聞け』 山中 泉 方丈社
戦後の日本人は、正しい歴史を学校で教わって来ませんでした。
そして、現代のメディアもまた、嘘の情報を流し続けています。
私たち日本人は、親日的な立場に立ち、正しく認識し直し、
客観的に情勢を判断する必要があります。
それでは、この書物を見ていきましょう!
『 欧州発の過激左派 「アンティファ」
【アンティファ】は、1932 年から 33 年にかけて、ヴァイマル共和政下の【ドイツ】に存在した組織 「反ファシスト行動」 が起源と言われるが、アメリカでは 2016 年の大統領選でトランプ支持派との衝突を繰り返した頃から知名度を上げていった経緯がある。反ファシストという建前とは反対に、彼らじたいが【社会転覆を掲げる思想】を持って、【BLMデモや暴動と一緒に活動】している【テロ組織】だ。このヨーロッパからアメリカに来てBLMにまぎれ込んでいる活動家の多くは白人の若者が多いことが知られている。
私の身近な女性に実際にあった話を披露したい。
彼女には19 歳になる【自閉症の息子さん】がいるのだが、この【アンティファにリクルート】されて、【 1 日 100 ドルの日当】で【デモに駆り出された】。【アンティファ】はこのような【白人で自閉症という障害を持つ若者をリクルート】して、【警察官の目の前に立たせた】という。
彼は警察官に対峙しても病気のため何も言えないのだが、【BLMやアンティファ】は、白人も怒っているという画像がメディアを通じて発信されると、白人からのシンパシーを得やすいことを計算して、【わざと白人を目立つところに配置する傾向がある】。また【BLM運動】は黒人がほとんどだろうと日本人は思うかもしれないが、【実態はかなり白人の若者が多い】。これらは、【アンティファのような組織が、日当を払ってデモ参加者を募り、白人の若者を多く見せかけている結果】だろう。
ご存知のようにこのコロナ禍でアメリカの大学もこの 2020 年 3 月からまったく対面授業がなく、オンライン授業である。【大学生】も暇を持て余している。【 1 日 100 ドルの日当は御の字】だろう。さらに大学生は昔からそうであるが、【リベラルな傾向が強い】。何よりも【大学の教職にある教員たちの左傾化】が、ここ最近かなり激しい勢いを持って進んでいる傾向がある。
また、民主党で今回の予備選と、前回の対ヒラリーとの闘いでもいいところまで行ったバーニー・サンダースの強力なサポーター部隊も、この学生たちが主流である。【サンダースは社会主義者】でさまざまな政策を掲げているが、その目玉の政策は大学の学費免除と学生ローンの減額もしくは支払い免除で、学生たちから熱烈な支持を集めている。』
ユダヤ教徒の内ゲバ
いかがでしょうか?
今回ご紹介させていただく書物は、現在のアメリカで起こっている現実について、非常に正しく理解されている方々の御一人である著者が、主要メディアの “素っ惚け” “しらばっくれ” によって多くの人々が知らない事実を列挙している書物で、また、主要メディアの “歪曲” “捏造” によって多くの方々が事実誤認している出来事の真実を明らかにされている書物になります。2016 年から始まった本物の「陰謀」について理解する上でも、まずはアメリカの現実を正しく把握することが必須となりますが、まさにそのために打って付けの御薦めの良書です。
それでは本日も、いつものように、直近の「致死率」を確認しておきましょう。
(死亡症例数)÷(感染症例数)=(致死率)
※( )内は前回の数値
☆Coronavirus COVID-19 Global Cases by Johns Hopkins CSSE
アメリカ : 621,199(619,662)÷36,623,835(36,402,782)=0.0169・・・(0.0170) 「1.69%(1.70%)」
イタリア : 128,413(128,379)÷4,435,008(4,427,827)=0.0289・・・(0.0289) 「2.89%(2.89%)」
日本 : 15,413(15,396)÷1,130,783(1,110,632)=0.0136・・・(0.0138) 「1.36%(1.38%)」
☆【日本語訳】 U.S. DEPARTMENT of STATE / Fact Sheet : Activity at the Wuhan Institute of Virology (米国務省 / ファクトシート : 武漢ウイルス研究所での活動)
さて、これまで、ドイツで生まれた「キリスト教神智学(Christian theosophy)」・「ベーメ神智学(Boehmian theosophy)」を出発点として、その後、人為的に造り出された “幻想” であるところのマルクス主義・共産主義・社会主義という類の妄想を経て、ソ連崩壊とともに死滅したかに思われたものの、現在に至るまで一貫して受け継がれていく “信仰” が存在していて、その根底にある、ユダヤ・キリスト教的な 「贖罪(しょくざい)」 の意識により、さまざまな “アイデンティティ” を次から次へと粗製濫造することによって、「贖罪」の対象物として “罪” を創り出し、自らの罪に対する償(つぐな)い・贖(あがな)いを果たそうと躍起になっている、そんな 「極左おパヨク」 に繋がる一連の系譜について確認して参りました。
ここで御理解頂きたいのは、そんなおバカな 「極左おパヨク」 は、飽くまでも、ある連中が果たそうとしている、ある目的の達成のための道具でしかないということです。
その目的とは、さまざまな “アイデンティティ” を意図的に粗製濫造することで、社会分断を行い、到底達成不可能な目標である “平等 (equality)” を強要(←全人類の均一化・同質化などは不可能であることは自明です!)し、多くの人々に対して自己抑圧的な態度の徹底を促し(←これが、ポリコレw)、人々の “自由” を奪う極めて権威主義的な統制社会の再構築を目指す、というものです。
では、なぜ、それを目指そうとするのでしょうか?
それは、「寡頭制 (oligarchy/オリガルキー)」のもとで、ある連中にとって非常にコントロールしやすい社会が構築できるからです。
その「寡頭制 (oligarchy/オリガルキー)」については、これまたドイツ出身の社会学者・歴史学者であり、マルクス主義者で、エリート理論の信奉者で、ファシズム(全体主義者)でもあったロベルト・ミヒェルス(ロベルト・ミヘルス)が提唱した仮説である 『寡頭制の鉄則』 (iron law of oligarchy)について確認をしてきましたが、そこにもやはり「キリスト教神智学(Christian theosophy)」・「ベーメ神智学(Boehmian theosophy)」の影響を見ることができました。
ロベルト・ミヒェルス(ロベルト・ミヘルス)
この「寡頭制 (oligarchy/オリガルキー)」と同根の言葉に 「オリガルヒ(oligarch)」 というものがあります。現代のロシアに見られるもの(ロシアに限ったものではありませんがw)ですが、いまから数十年前に、マルクス主義が生み出した “社会主義・共産主義の幻想” が瓦解・崩壊する過程で作り出されたもので、その理解を一層深めるために、少し視点を変えて、ウクライナにおけるユダヤ人に焦点をあてて、次の論文を参照しながら考えているところとなります。
☆『ウマン巡礼の歴史 : ウクライナにおけるユダヤ人の聖地とその変遷』 赤尾 光春
それでは早速、続きを見て参りましょう。
『 3.ウマン巡礼の歴史
3 - 1 確立期 (1811 - 1917)
・・・前述したように、ナフマンは同時代の最高の義人としての自覚を生涯持ちつづけただけでなく、ハシディズムの発生から数世代を経過した今、義人たちが初心を忘れて、自らの 「宮廷」 の安定と、物質的逸楽に甘んじていることに対し警鐘を鳴らし、同世代のハシディズムの全般的堕落を歯に衣着せず批判した。こうした要因が重なって、ブレスラフ・ハシディームは、ハシディズム史上でも最も仮借なき論争に巻き込まれることになった (94)。ナフマンの死後、ブレスラフ・ハシディームに対する論争は一旦鎮まったかに思われたが、やがてナフマンの教えが広まるにつれて再燃する。ブレスラフ・ハシディームに対する迫害は、日常的な悪態や投石に始まって、流血沙汰にまで発展することも珍しくなかった。「反対派」 (95) は、ブレスラフを消滅させるためには手段を選ばず、ロシア当局に密告し、賄賂も辞さなかったほどである (96)。
その結果 1835 年、ラビ・ナタンは、禁じられていた出版事業の嫌疑で逮捕された。このときのナタンを救ったのも、前回同様、啓蒙主義者であった。彼らが支払った莫大な保釈金のお蔭で、ナタンは無事に釈放されたものの、その後活動の拠点であったブラツラフからは追放された上、生まれ故郷であるネミーロフで自宅軟禁を余儀なくされた。しかしナタンは屈しなかった。「剣やナイフが道にばら撒かれていようとも、いかなる犠牲を払ってでも新年にウマンへ行かなければならぬ」。そう覚悟を決めたナタンは、持ち前の機転を利かして移動許可証を手配し、危険を顧みずにその年も新年のウマン巡礼を果たした(97)。
ナタンにとって最後の新年となった 1844 年、彼は体の不調を理由に、弟子たちには一言も教えを垂れずに済ませた。それは例年の彼に似合わぬことであったが、後日、その真の理由を弟子の一人に打ち明けた。
「 この集いは救世主の到来まで行われる、と確信している。だがこの確信を強めるために、敢えて今年は教えを垂れるのをよした。訪れる者の中には、私の教えを聞くのが目的になっている者がある。『新年に我が墓を訪れよ』、それが師ナフマンの願いだ、師の願いを成就させることが本来の教えであるにもかかわらず、それを忘れる者が出ることを危惧している。教えを垂れる者がいなくとも、必ず新年にウマンに来るべきことを、ハシディームの意識に植え付けなくてはならぬ。」
この言葉から、ナタンが、その生涯を通じて、いかにキブツの存続を重視していたかがわかる。ナタンは、いわばナフマンの教えと遺言の忠実な執行者として、ウマン巡礼という制度を確立しただけでなく、その永続化への道を切り開いたのである (99)。
19 世紀末になると、ハシディームによる出版活動のたゆみなき努力で、ナフマンの教えはウクライナを越えてポーランドに及んで数多くの信奉者を生み出した一方、移住した者を通して聖地イスラエルでも知られるようになった。こうした新たな信奉者の多くは、地理的な距離をものともせず、毎年新年には必ずウーマニを訪れるようになり、そこに住み着くものも多く出はじめた (100)。その中に、第一次世界大戦による混迷の真っ只中、ポーランドからやって来た二人の新しいブレスラフ門下生がいた。後に、エルサレムのブレスラフ共同体の確立と発展において、指導的な役割を果たすことになる、ラビ・イツァーク・ベンデル [Rabbi Yitzhak Levi Bender 1897-1989] とラビ・エリヤフ・ローゼン [Rabbi Elijahu Chaim Rozen 1899-1984] の二人である。二人はそれぞれ、ポーランドにおいて、偶然の重なりからナフマンの教えに触れ、熱烈な信奉者になるや否や、ウーマニを目指した。しかし時代は戦争と革命の最中、ウーマニ入りは果たせども、二人はポーランドに戻ることはできず、その後 20 年以上もの間この土地で暮らすことを余儀なくされた。だが、ブレスラフ・ハシディームの生きた伝統に触れ、それを後の世代に伝える上で、彼らのウーマニ滞在が果たした役割は計り知れない。このように、ウーマニへの巡礼は、ポーランドから訪れる新参のハシディームにとって、文字通りの通過儀礼となったばかりか、そこに長期的に滞在した経験は栄光のオーラを彼らに与え、後の世代にとっての鑑となるべき意義をもつようになったといえる。
注 (6)
ハシディズムは、ユダヤ教神秘主義カバラ [kabbala] の流れを汲み、祈り、歌、踊りといった非知性的な活動に重きを置く一方、禁欲主義的な生活を送ることで知られる。この性格は、リトアニアを中心に東欧で主流だったラビ・ユダヤ教の、タルムードの解釈を最重要視する知性偏重型とは著しい対照をなす。当時のラビ・ユダヤ教については、権力機構との癒着やエリート主義など信仰の形骸化がしばしば指摘されるが、ハシディズムの出現は、その批判・対抗勢力であった側面が強い。一方、「ヴィルナの碩学」 [Vilna Gaon] ことRabbi Elijah ben Solomon Zalman (1720 - 1797) 率いるリトアニア系ユダヤ人 [Litvakes] は、ハシディズムに対する 「反対派」 [Misnagdim] 陣営を形成し、ハシディズムをその発生以来異端視し、度々破門宣告を出したばかりでなく、帝政ロシア当局に密告することも辞さなかった。
注 (94)
論敵の頭目は Shpolaの 「爺」 [zeyde] こと Arie Leyb であり、ナフマンとその弟子たちに対する敵意は、迫害ともいえるほど執拗な攻撃に発展した。こうした敵愾心の直接的理由は不明であるが、ナフマンの言動にしばしば表れた 「偽義人」 批判が、その理由の一つであることは間違いない。Green, Tormented Master, pp.94-134.
注 (95)
ハシディームにとって 「反対派」 とは普通、リトアニアを中心としたラビ・ユダヤ教の追随者のことを指すが、ブレスラフ・ハシディズムの伝統においては、彼らの運動を潰そうとする他のハシディームを総称する言葉としても使われる。注 6 を参照。
注 (96)
次なる論敵は Savran のレベ、Moshe Tsvi であり、レベの名で経済制裁が宣告されると、ブレスラフ・ハシディームの多くは生計の道を失い赤貧の生活を強いられた。ウマン巡礼は格好の標的となり、しばしばクロイズへの襲撃にまで発展した。
注 (97)
Kramer, Be’esh uvemayim, pp.428-445.逮捕期間も含めて、ラビ・ナタンが新年にウマンに行けなかったのは、後にも先にもイスラエル巡礼を果たした 1823 年だけであった。
注 (99)
ナタン亡き後、衣鉢をついだ Tul’chin の Rabbi Nachman (1813 - 1884) は、始めブラツラフに居を構えた後、1866 年にはウーマニへ引っ越し、それ以降はウーマニが共同体の中心と巡礼地としての機能を併せもつようになった。
注 (100)
例えば、世紀の移り目にかけてブレスラフの精神的指導者の一人だった Rabbi Abraham Hazan (1849 - 1917) などは、1894 年エルサレムに移住したにもかかわらず、その後約 20 年もの間(!)、毎年新年には必ずウマン巡礼を果たした。滞在中に勃発した第一次世界大戦により彼はウクライナに留まることを余儀なくされ、三年後にウーマニで死去した。 』
ということで、本日はここまでとさせて頂きます。
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