FC2ブログ

    親子チョコ💗(500冊以上の良質な書籍のご紹介)

    子どもたちの教育のため、また、その親である私たち自身が学ぶための、読まれるべき良質な書籍のみをご紹介させていただきます。

     >  支那 >  中国の革命は、ほぼ「ギャグ漫画」だったと判明♥

    中国の革命は、ほぼ「ギャグ漫画」だったと判明♥

    unnamed.png
    〈教科書を比べる〉

    日本―人物コラムで掘り下げる

     辛亥革命は、日本の教科書では、日露戦争後に中国や朝鮮で起きた重大な変化の一つという位置づけだ。東京書籍の「新しい社会 歴史」は、その説明に約1ページを割く。
     《中国では、帝国主義列強の圧迫に対抗する動きが強まり、清をたおして民族の独立と近代国家の建設をめざす運動が始まりました。その中心となったのが、三民主義を唱えた孫文です》
     こう書き出した後、「アジア最初の共和国」である中華民国が建国されたものの、袁世凱の独裁的な政治を経て、軍閥が割拠するようになったことを概説している。

     (省略)

    (吉沢龍彦)

    ↑記事はこちらから♥

    thumb5.jpg

    長野朗(ながのあきら)

    戦前を代表する秀れた【シナ通、中国通】で…

    GHQに焚書された本は18冊もあり…

    没収された本の多い著者としては3番目にランクされる人物です。

    …1975年までご存命でしたから、戦後も中国共産党に関する本を出しておられます。

    洞察力も鋭いしシナという国に愛情を持ちつつも

    知的に冷徹に【この民族の本性を見抜いて】います

    しかも、扱う事象の幅が広い

    14383.jpg

    (解説)
    まず軍閥とは、軍事力を背景とした私兵集団のことで、簡潔に言うと武装した暴力団。清朝滅亡後(1912年)、中国では各地で武装暴力団である軍閥が割拠していた。その様な中、蒋介石の軍閥(国民党)が「北伐」(1926~28年)と称して、南から北へ侵軍する事になる。そのきっかけは、北方の軍閥における内争であって、内争により南北軍閥間のバランスが崩れたのが基本的な流れ。


    china_gunbatu.png
    1910年代末の軍閥勢力図/『中国革命とソ連 抗日戦までの舞台裏【1917-37年】』

    1911年の辛亥革命(しんがいかくめい)によって三百年続いた清朝が倒れると、

    翌1912年に【中華民国(現在の台湾)】が生まれました

    元首に当たる「臨時大総統」には【孫文】が就任しましたが、彼は国内統一を図るため、

    清朝の武力を握っていた北洋軍閥軍閥とは武装暴力団)のボスである【袁世凱】

    「臨時大総統」の座を譲ります。革命勢力の力では国家統一はとても無理だったからです。

    ところが袁世凱はトップの座に就くと

    孫文らの「打倒清朝、回復中華、樹立民国、地権平等」というスローガン裏切り

    専制政治をはじめます

    20100630_584052.jpg

    そして翌13年に、自ら正式に「大総統」に就任して、

    さらには「皇帝」になるために帝政復活まで宣言したのです。

    辛亥革命は袁世凱に乗っ取られてしまったといっていいでしょう。

    しかし、袁世凱もまた最終的に…1916年になくなっています

    それを機に勃発したのが【南北の戦い】でした。

    支那大陸南部を基盤とする【孫文の中国国民党】と、

    北京一帯を地盤とする【北洋軍閥】との内乱です。』

    朝日新聞 辛亥革命
    ↑記事はこちらから♥

    (「中国国民党vs北洋軍閥」その戦いの様子)

     租界(外国人居住安全区域)からは側面から両軍が見えるので、

    日本の居留民は皆戦争見物をやったものである

    その戦いたるや至極呑気なもので

    朝もゆっくり起きて飯を食って九時か十時頃から始める

    昼頃になると止めて双方共に昼食、昼休み

    二時か三時頃から叉ぽつぽつ始めるが、

    日が暮れると止めて後に退(さが)って寝る

    翌日始める夜襲等と不徳義なことはしない。極めて紳士的である。

    鉄砲撃つが勿論あたらない

    数日の激戦双方の死傷たった三人といふ所だが、

    無茶に撃つから見物人の方に飛んできて

    日本租界では

    日本人の豆腐屋のお神さん(奥さん)が流れ弾にあたって死んだ

    lgf01a201312281200.jpg

    かうした戦いは革命軍南京城攻撃の時にも行はれた。

    日本人の顧問が付いていて、南京城壁近くまで攻めつけて日が暮れる

    もう一息だから明日は陥(おと)せると思って(日本人の軍事顧問が)翌日行ってみると

    革命軍兵士たちは夜のうちに最初の位置に引き返して寝ている

    そこで翌日叉攻め立ててもう一息といふ所まで来て日が暮れる

    喧(やかま)しく言ひつけて帰って翌日行ってみると叉元の所に帰っている

    こんな事が何日か続いて日本人の方で愛想が尽きて勝手にしろと放り出していると、

    そこは支那流何時の間にか南京は陥落した

    o0481032002f974a34dd9f416d3817198adf57c62.jpg

    思わず、笑ってしまいますね♥



    ランキング参加中で~す^^ ポチっとお願いします♥
    ↓↓↓↓↓↓↓

    にほんブログ村 本ブログへ
    にほんブログ村


    人気ブログランキング



    関連記事

    コメント






    管理者にだけ表示を許可する