2015-06-30 (Tue)
仁徳天皇陵(にんとくてんのうりょう) 大阪府堺市堺区大仙町にある前方後円墳。墳丘長は日本最大で、墓域面積は世界最大である。周囲の古墳と共に百舌鳥古墳群を構成している。
戦後の日本人は、正しい歴史を学校で教わって来ませんでした。
そして、現代のメディアもまた、嘘の情報を流し続けています。
私たち日本人は、親日的な立場に立ち、正しく認識し直し、
客観的に情勢を判断する必要があります。
知っているようで、実はキチンと知らない私たち日本の「国史」。
私たち日本人の祖先が、どのようにして歴史を紡いできたのでしょう。
それでは、この書物を見ていきましょう!
『 日本最大の墳墓は第十六代天皇の【仁徳天皇陵】です。この前方後円墳の長辺の底辺部は486メートルもあり、エジプト最大のクフ王のピラミッドや秦の始皇帝の墳墓より大きいのです。
日本最大どころではありません。【世界最大】です。濠(ほり)は三重にめぐらされていました。
この古墳を築くには1日2千人が働いて、16年かかるといわれています。多くの人々が協力していたということから、それだけの人をまとめる力があったことがわかります。さらに、まだ文字の使われていない時代に、これだけの墳墓を計画的につくる技術力があったことにも驚かされます。祖先信仰を伝えるばかりでなく、技術も口承でしっかり伝えられていたのです。
仁徳天皇については『古事記』に記述があります。この時代、天皇という称号はまだありませんでした。「すめらみこと」とか「おおきみ」とか呼ばれていました。
仁徳天皇(にんとくてんのう、神功皇后摂政57年 - 仁徳天皇87年1月16日)は、日本の第16代天皇(在位:仁徳天皇元年1月3日 - 同87年1月16日)。名は大雀命(おほさざきのみこと)(『古事記』)、大鷦鷯尊(おほさざきのみこと)・大鷦鷯天皇(おほさざきのすめらみこと)・聖帝(『日本書紀』)・難波天皇(『万葉集』)。
その「すめらみこと」である仁徳天皇は、こういわれました。
「私が高台にのぼって遠くを望み見ると、国の中に立ちのぼる煙が見えない。百姓が非常に貧しくて、家で飯を炊く者がいないのではないか」
そして、こう命じられました。
「いまより以後、三年の間、すべての課役をやめ、百姓の苦しみを除け」
この日より天皇は御衣とお履き物が破れてだめになってしまうまで新調せず、ご飯やお吸い物が酸味を生じて食べられなくなるまで取り替えることはなかったといいます。
その後三年を経て、仁徳天皇はふたたび高台にお立ちになりました。はるかに遠くを望むと、あちらにもこちらにも飯を炊く煙が立ちのぼり、百姓が豊かになった様子がよくわかりました。天皇を褒め称える声が満ちています。
それでも、仁徳天皇は中止していた宮殿の建設にすぐには取りかかりませんでした。それからさらに10年を経て、ようやく宮殿建設を再開されたのです。このとき百姓はこぞって進んで働き、期日よりも早く完成させたそうです。
「そもそも天が君(天皇)を立てるのは、まったく百姓のためです」
と仁徳天皇はおっしゃっています。【天皇という地位は人々に奉仕するものだという原則】がこの時代にすでにできていたことがわかります。「権力は人民を搾取するものだ」などという考えは、【近代になってつくられたもの】なのです。
こちらもご参照♥
↓
昔話の「民のかまど」って、ご存知ですか?
実は、日本最大の前方後円墳が仁徳天皇の御陵であることを疑う考古学者が多いのですが、その大きさと、仁徳天皇が人々から非常に慕われていたことがよくわかる『古事記』の記述を見れば、巨大な前方後円墳を仁徳天皇に結びつけることは、大いにうなずけることだろうと思います。』
こちらもご参照♥
↓
竹田 恒泰 現代語古事記: 神々の物語
いかがでしょうか?
エジプトのクフ王や秦の始皇帝よりもスゴイんですね♥
大阪府堺市のホームページに詳しいことが書かれていますので、御覧になってください^^
詳しくはこちらから♥ ⇒ 堺市HP 仁徳天皇陵古墳百科
『 今から1,700年程前の西暦3世紀から7世紀の約400年間、大王や王(豪族)が亡くなると、土と石を使って高く盛った大きな墓を造りました。今、この墓を古墳とよび、造っていた時代を古墳時代とよんでいます。全国に20万基以上はあるといわれる古墳のなかで、日本最大の古墳が堺市にある仁徳天皇陵古墳です。
墳丘の大きさでは全長486メートルと、エジプト・ギザのクフ王のピラミッドや中国の秦の始皇帝陵よりも大きく、世界三大墳墓の一つに数えられる世界に誇る文化遺産です。
古墳の陵域は濠を含めて47万平方メートルと、甲子園球場が12個も造れる広さです。古墳を造るには、毎日2,000人の人々が働いても15年以上かかったといわれています。
古墳を上空から見ると、円と四角を合体させた前方後円墳という日本独自の形で、墳丘の周りには水を湛えた濠が三重に巡り、大仙の名にふさわしい神秘的な悠久の仙山として、地元では大仙陵と呼んで親しんできました。
古墳は、東アジア世界に進出した「倭の五王」の中の一人を葬った墓といわれ、古代史を解明する上で最も重要な文化遺産です。しかし、古墳は北の反正天皇陵古墳と南の履中天皇陵古墳とともに、百舌鳥耳原三陵として宮内庁が管理しているため中に入ることはできません。それでも濠の外からその巨大さは十分に実感して頂くことができます。また、堺市博物館には、仁徳天皇陵古墳に関する資料を展示しています。ぜひお越しください。』
続きは次回に♥
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Re: こんにちは * by みっちゃん
ありがとうございます♥
本当に私もまったく同じ気持ちです。世界中で共有していきたい話が、私たちの日本にはあり過ぎて困っちゃいます♥地道に広げていくしか、今は方法がないんですけどw 皇室は私たちの誇りですね♥ 誇りを持ち続けていきましょう^^
本当に私もまったく同じ気持ちです。世界中で共有していきたい話が、私たちの日本にはあり過ぎて困っちゃいます♥地道に広げていくしか、今は方法がないんですけどw 皇室は私たちの誇りですね♥ 誇りを持ち続けていきましょう^^
改めて日本人の素晴らしさを感じております。学校ではこうしたことを教わりませんね、なぜかどうしてか外国の素晴らしさばかりで。確かに外国にもすごいものはありますがまず我が国のことから学びたい・学ばせたいものです。
民のかまどのお話は大好きで、何度読んでも感動に身が震えます。「中国」にこんな素晴らしい皇帝がいたでしょうか?
その点からも我が国の皇室を誇りにしたいです。