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    子どもたちの教育のため、また、その親である私たち自身が学ぶための、読まれるべき良質な書籍のみをご紹介させていただきます。

     >  国史 >  聖徳太子が最初に気付いたこと

    聖徳太子が最初に気付いたこと

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    戦後の日本人は、正しい歴史を学校で教わって来ませんでした。

    そして、現代のメディアもまた、嘘の情報を流し続けています。

    私たち日本人は、親日的な立場に立ち、正しく認識し直し、

    客観的に情勢を判断する必要があります。

    知っているようで、実はキチンと知らない私たち日本の「国史」。

    私たち日本人の祖先が、どのようにして歴史を紡いできたのでしょう。

    それでは、この書物を見ていきましょう!




    『 神仏習合(しんぶつしゅうごう)という言葉は耳慣れないという人が多いでしょう。仏教の人は仏教を説き、神道の人は神道を語りますが、なぜ二つが共存しているのか、誰も教えてくれません。それは、二種類の宗教が並立しているのではなく補完しあっているからなのです。

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    鳥居と五重塔(日光東照宮)

     日本人の共同宗教としての神道と、個人宗教としての仏教は、役割分担しているのです。お互いに補いあって国民宗教になっていることに、日本人であるならば気づくべきでしょう。神社仏閣が数多くあることの意味はそういうことなのです。それを最初に気づかれたのが【聖徳太子】でした。共同体でお祭りするのが神社個人でお参りするのが仏閣です祖先や自然を共同で祭るのが神社個人の悩みを聞き、葬式をするのがお寺です。混同している人は多いのですが、原則としてはそうです。だから共存しているのです。…

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    聖徳太子

      伝統的価値の尊重美的意識への注目宗教性への回帰、この三つの力が働いているからこそ、【日本人の精神は安定している】のであり、それが、社会、政治、経済の基礎にあるからこそ、私たちは、日本人として世界で生きていけるのです

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    浅草寺
    共存する浅草寺と浅草神社(○印部分)


     これは、【マルクス主義】に代表されるような【経済史観とは違う考え方】です経済史観は人間の行動は物質に限定された「物欲」にもとづく「利己心」によるものだとしています。最初の経済学者といわれるアダム・スミスでさえ、そう思っていました。常に生存競争をしないと生きていくことができないと考える西洋の人々は、それが当然だと思うのでしょう。しかし人間同士が過剰な競争をしなくても生きていける自然環境をもともともっている日本ではそれは二次的なことにすぎません。「物欲」や「利己心」を意識するのは、個人同士が競い争うときだけです。共同体の中では抑制すべきこととされています

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    日本の国旗が太陽であるワケ



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    世界最古の民主主義国家




     歴史学界でも、さすがに現代では、マルクス主義史観をあからさまにいう人は少なくなりました。そのかわり、ひたすら個々の歴史的事実を文献史料を漁りながら実証主義の名のもとにこと細かく詮索しています。しかし、そうした細分化もまたマルクス主義の行きつくところなのです。重箱の隅をつっつくような歴史は、個別史ではあっても、本来の歴史ではありませんその事実が歴史でどういう意味をもちどういう価値があるのかを問うことこそが重要であるはずなのに、そうした大きな視野で見る歴史観が欠落しています。

    驚き顔

     本書では、マルクス主義史観や経済史観ではなく西洋中心史観中国中心史観でもなくできる限り世界的視野での人間性の価値観にもとづく日本の歴史の物語を述べていこうと思います。それは文字史料だけでなく形の遺産を重視しながら、経済よりも文化に中心を置いた国の歴史=「国史」です。

     ここで「日本史」ではなく「国史」というのは、ナショナリズムをあおるためではありません。我が国の歴史のことを、現在は「日本史」といいますが、「日本」という言葉ができたのは七、八世紀のことです。それ以前は「やまとの国」といいました。…そう考えると、「日本史」では、七、八世紀以降の歴史になってしまいます。

     しかもこの「日本史」という言葉には、【外国から客観的に見た歴史という意味】があります。我が国の歴史というアイデンティティーが欠けているのです。従って、【世に出ている「日本史」のほとんどは、亡国の歴史】とさえいえるかもしれません。【そこには歴史を自国の立場で書かなくてもいいという思い込みがある】のです。しかし日本人が書くかぎり、…そうでなければ、そもそも「日本史」など書けるわけがないのです。【国の概念を失った国の歴史などはない】はずです。【多くの日本の歴史家や、歴史出版業者は変な思い込みをしています】。どこの国であれ、自分の国の歴史を述べるときには【ナショナル・ヒストリー】といっています。

     歴史家は世界の歴史を書いていても、自国中心にならざるをえないのです。トインビーならばイギリス中心の「世界史」ですし、マクニールならばアメリカ中心の「世界史」なのです。グローバリゼーションの歴史家など幻想にすぎません地球市民などありえないのですあくまで自国の立場を踏まえた歴史なのです

     では、そろそろ日本の国史物語をはじめるとしましょう。』

    日の丸

    いかがでしょうか?

    私たちの日本では、異なった2つの宗教が、争っているのではなく、「共存」していることが良く分かりますね♥

    もし、私たち日本人と同じように考えることができたなら、イスラム教徒もキリスト教徒もユダヤ教徒も、無駄な争いを無くすことができるかもしれませんね♥

    今も多くの国々が宗教や宗派の違いによって争っていますが、私たち日本人は、そんなものは1,400年ほど昔に「克服」しています。

    私たちの日本の歴史は、その2,600年間のうち、そのほとんどが「安定した平和な時代」です♥

    ところで、日本の近くに存在する特定の国々、特に反日に日々勤しんでいる国々では、宗教はどうなっているのでしょう?

    こちらの書物が参照になりますよ♥

    黄 文雄 石 平 呉 善花 最後の痛言 呉善花(韓国)が黄文雄(台湾)、石平(中国)に真意を問う



    続きは次回に♥




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