法隆寺再建説という捏造 ~ 教育出版の事例

    法隆寺
    法隆寺(ほうりゅうじ)は、奈良県生駒郡斑鳩町にある寺院。聖徳宗の総本山である。別名は斑鳩寺(いかるがでら、鵤寺とも)、法隆学問寺など。法隆寺は7世紀に創建され、古代寺院の姿を現在に伝える仏教施設であり、聖徳太子ゆかりの寺院である。創建は金堂薬師如来像光背銘、『上宮聖徳法王帝説』から推古15年(607年)とされる。金堂、五重塔を中心とする西院伽藍と、夢殿を中心とした東院伽藍に分けられる。境内の広さは約18万7千平方メートルで、西院伽藍は現存する世界最古の木造建築物群である。法隆寺の建築物群は法起寺と共に、1993年に「法隆寺地域の仏教建造物」としてユネスコの世界遺産(文化遺産)に登録された。建造物以外にも、飛鳥・奈良時代の仏像、仏教工芸品など多数の文化財を有する。



    戦後の日本人は、正しい歴史を学校で教わって来ませんでした。

    そして、現代のメディアもまた、嘘の情報を流し続けています。

    私たち日本人は、親日的な立場に立ち、正しく認識し直し、

    客観的に情勢を判断する必要があります。

    知っているようで、実はキチンと知らない私たち日本の「国史」。

    私たち日本人の祖先が、どのようにして歴史を紡いできたのでしょう。

    それでは、この書物を見ていきましょう!




    『 巨大墳墓文化【天皇を中心とした皇祖霊信仰(こうそれいしんこう)の表れ】です。一般の墳墓も死んだ祖先への御霊信仰(みたましんこう)にもとづいています。【氏族という共同体の宗教として神道という日本の宗教がつくられ】ていました。これは縄文時代から古墳文化時代までを通じてずっと形成されてきたのです。

    仁徳天皇陵 1
    仁徳天皇陵(にんとくてんのうりょう) 大阪府堺市堺区大仙町にある前方後円墳。墳丘長は日本最大で、墓域面積は世界最大である。周囲の古墳と共に百舌鳥古墳群を構成している。

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    画像はこちらからお借り致しました♥ ⇒ 弥生ミュージアム

     そこに…インド由来の宗教である【仏教】が入ってきました。『日本書紀』にはこんな話が出ています。

    AsukaBodhisattva.jpg
    菩薩半跏像

     欽明天皇仏像キラキラ輝いているのに驚いて

    「これを敬っていいのだろうか」

    と臣下に聞いています。神道の信仰の対象は御霊や自然です。仏像のような具体的な人間の像ではありません仏教に接したときの驚きが伝わってくる話です。

    驚き顔

     それだけにいろいろな意見があって、仏教を受け入れるかどうかで臣下が二つに割れました。仏教を受け入れるのが蘇我氏で、拒否するのが物部氏です。この二派に分かれて争い、蘇我氏が勝って政治の主導権を握りました。女帝である【推古天皇】が即位し、甥の【聖徳太子】が摂政となり天皇を中心に蘇我氏と協力して仏教を受け入れる政治を行いました。

    聖徳太子
    聖徳太子

     この聖徳太子を、実在しなかったのではないかと疑う学者がいます【聖徳太子の存在は『日本書紀』にしっかりと書かれています】。ですが、現在残されている遺物を調べると、その記述は疑わしいというのです。

    驚き顔

     【法隆寺】は聖徳太子が建てました【そうはっきりと記されています】。天智天皇九(670)年に焼けたという記録もあります。しかしいま、私たちは法隆寺を目の前に見ることができます。すると、いまある法隆寺は白鳳時代に再建されたという説が出されこれが固まって定説になりました【教科書にもそう書かれています】。いまある法隆寺が再建されたものなら、焼ける前にあったという法隆寺も聖徳太子が建立したものかどうかわからない『日本書紀』の記述は疑わしいということになって聖徳太子という人物もいたかどうかもわからないとなっていったわけです

    教育出版



     しかし最近、精密な調査が行われました。年輪年代法というのがあります。樹木の年輪から年代を測定する方法で、現在ではもっとも正確な測定方法です。法隆寺五重塔の中心に立てられている柱、心柱をこの年輪年代法で鑑定しました。すると、【推古天皇二(594)年飛鳥時代に伐採されたものであることがわかった】のです。

    驚き 2

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    画像はこちらから♥

     では、一度法隆寺が焼けたという記録はどうなるのでしょう。これも間違いではありませんでした。焼けた土が出てきたのです。もっともこれは【法隆寺とは別の、そばに建っていた若草伽藍(わかくさがらん)という建物】だったのです。焼けたのはそれだったのです。

    garan1.jpg

     いま私たちが見ることができる【法隆寺は、再建されたものではなく、聖徳太子が建てた法隆寺であることは、もはやまぎれもありません】もちろん、聖徳太子の存在も疑いようがありません
     
     それに、法隆寺の建て方は明らかに飛鳥時代のもので、次の白鳳時代の建て方とは違っています。…

     しかし、【法隆寺再建説に固まっている学者はなかなか信じようとしません】。法隆寺は再建するときにわざと飛鳥様式にしたのだなどと無理なことをいっています

    驚き 4


     歴史は素直に見なくてはなりません。法隆寺は聖徳太子が生きていた時代の建物です。仏教を具体的に受け入れた中心人物が聖徳太子なのです。…

    法隆寺

     法隆寺は【いまに残る世界最古の木造建築】です。調和のとれた五重塔や金堂の形。その独特の配置。息をのむほどの建築美です。ギリシャのパルテノン神殿、イタリアのサン・ピエトロ教会堂に並ぶ、いや、それらに勝るとも劣らない、人類の貴重な財産です。日本人のみならず、世界的にももっと知られるべきものです。…

    パルテノン神殿
    パルテノン神殿

     法隆寺のすべては、聖徳太子の人格の高潔さの反映であるといえるのでしょう。日本人の基礎となるものを培った高い精神性。その精神性によって掲げられた理想の表れである政治的業績。法隆寺はそれらを形に表した結晶であるといっても過言ではありません。指導者の品性が高くないと、その社会の品性も、そして芸術の品性も高くなりません。

     人々が聖徳太子に多大の尊敬を寄せたのは、当然すぎるほど当然のことです。やがて太子信仰が生まれました。像がつくられ、絵が描かれ、お寺でも神社でも祭られるようになりました。それは後代まで及んでいます。

     このような偉大な人物を歴史にもったことは、私たち日本人の誇りといわなければなりません。』

    日の丸

    いかがでしょうか?

    実際の教育現場で使用されている教科書に、捏造がなされたままであることが、良く分かりますね♥

    でも、子どもに聞いてみたところ、社会の担任の先生が、

    「この教科書には、法隆寺が火事で焼けたと書いているけれども、この教科書が間違いで今ある法隆寺は当時のままだ

    って、きちんと訂正したうえで授業をして頂いたようなんです♥

    ちょっと、感動しました^^

    優秀な先生も、まだいらっしゃるんですね♥

    教科書と言えば、特に左傾化が著しいのが、東京書籍日本書籍清水書院教育出版の4社です。

    詳しくは、こちらをご覧ください^^

    ねずさんの ひとりごと 「歴史教科書」

    もうひとつ、オマケです♥

    「清水書院」と「仙台の中学校教師の皆さん」へ



    続きは次回に♥




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    Category: 国史
    Published on: Wed,  01 2015 00:10
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    1 Comments

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    2015/10/26 (Mon) 23:11 | REPLY |   

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