2015-04-22 (Wed)
玄界灘(提供:福岡市 撮影者:Fumio Hashimotoさん)
戦後の日本人は、正しい歴史を学校で教わって来ませんでした。
そして、現代のメディアもまた、嘘の情報を流し続けています。
私たち日本人は、親日的な立場に立ち、正しく認識し直し、
客観的に情勢を判断する必要があります。
それでは、この書物を見ていきましょう!
古代史の謎は「海路」で解ける (PHP新書) (2015/01/16) 長野 正孝 商品詳細を見る |
『 現代の海と古代の海は同じではない。1800年という時間は、地球の悠久の歴史の中では一瞬だが、海の姿を見事に変化させてきた。…
当時、今より全国の海面が数メートル、場所によっては十数メートル近く高かった。いわゆる「縄文海進」である。
「常陸風土記」では、当時の海は利根川中流域の古河付近まで広がっていた…
現在の海抜
+7メートルの海抜
今日の考古学・地理学からの結論であるが、現在の大都市の沖積平野は古代では海の底であったのである。黎明期から三世紀まで、私たちの祖先は、手漕ぎの小船で、これらの海や、海に注ぐ川や潟・内海で活動していたらしい。
九州北部の海岸線は、ほぼ東西に真っ直ぐに続いており、…大小河川がほぼ直角に流入し、現在の海岸の内側に大きな潟、内湾をつくり、繋がって、荒い玄界灘と隔絶した穏やかな内海を形成し、縄文人はその海と川を丸木舟で行き来していた。…
現在の平野は海の中、九州北部の海も、呼子、唐津、博多湾から宗像、遠賀川付近まで内海であった。糸島半島は半島ではなく島で、内海、潮が入る暖かい潟があった…
+7メートルの海抜
この玄界灘は一度荒れると、現在でも小さな船が難破する恐ろしい海である。…
九州倭国の海が冬場や荒天時で漁ができなくても、穏やかな潟や内海での素潜り漁や丸木舟を使った漁が可能であった。倭人が年間を通して生きられる豊穣の海があったのである。…
現在宗像大社という場合、…辺津宮(へつぐう)を指すが、正確には、宗像大社とは、この辺津宮と少し沖の宗像大島にある中津宮、そしてそこから距離にして40キロ沖にある沖ノ島にある沖津宮の三つを総称する。辺津宮は市杵島姫(いちきしまひめ)神、宗像大島にある中津宮には湍津姫(たぎつひめ)神、そして、沖ノ島にある沖津宮には田心姫(たごりひめ)神を祀っている。この三神を「宗像三女神」といい、海上交通の守り神として全国の宗像神社の総本社として崇敬を集めている。 』
いかがでしょうか?
私たち日本人の大多数が住んでいる平野が、古代は海の底だったんですね♥
海抜が上昇すると、どうなるか。簡単にイメージをつかむには「Flood Maps」がお薦めです。
こちらです♥⇒Flood Maps
ところで、現在の私たち日本人の「女神さま♥」といえば・・・
そうそう♥ 佳子内親王殿下ですね^^
国内外で人気沸騰中♥
笑顔がとっても素敵ですね^^
私たち日本人の女神さま、万歳♥
続きは次回に♥
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