遣隋使や遣唐使よりも、はるかに多かった「遣日使」

    正倉院
    正倉院(宮内庁 正倉院HPはこちら)

    正倉院(しょうそういん)は、奈良県奈良市の東大寺大仏殿の北北西に位置する、校倉造(あぜくらづくり)の大規模な高床式倉庫聖武天皇・光明皇后ゆかりの品をはじめとする、天平時代を中心とした多数の美術工芸品を収蔵していた建物で、1997年(平成9年)に国宝に指定され、翌1998年(平成10年)に「古都奈良の文化財」の一部としてユネスコの世界遺産(文化遺産)に登録されている。


    戦後の日本人は、正しい歴史を学校で教わって来ませんでした。

    そして、現代のメディアもまた、嘘の情報を流し続けています。

    私たち日本人は、親日的な立場に立ち、正しく認識し直し、

    客観的に情勢を判断する必要があります。

    知っているようで、実はキチンと知らない私たち日本の「国史」。

    私たち日本人の祖先が、どのようにして歴史を紡いできたのでしょう。

    それでは、この書物を見ていきましょう!




    『 奈良東大寺大仏殿南西にある正倉院は、高床式校倉(あぜくら)造りの壮大な倉庫で、聖武天皇光明皇后の御物を納める、文化財の宝庫です。

     その御物には唐や西城、さらに遠くペルシャから渡ってきた品々が数多く含まれています。そこから正倉院を「シルクロードの東の終点」といったりします。

     この呼び名には間違いはありません。確かに多くの文物が大陸から直接に、あるいは朝鮮半島を経て日本に流れ込みました。しかし、それだけなのでしょうか。日本から向こうに渡っていったものはないのでしょうか

    悩む女の子2

     日本のこの時代に対する歴史観には、日本は文化が遅れていて、中国や朝鮮に学び、向こうの文化を取り入れて発展してきたという観念が抜きがたくあります特に戦後この見方が浸透しました。

     その代表例は【遣隋使、遣唐使】です。

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     推古天皇十五(607)年に【小野妹子】が遣隋使として派遣されました。遣唐使の最初の派遣は舒明(じょめい)天皇二(630)年です。以後、途中で船が難破したりしているので数え方にもよるのですが、いずれにしろ日本からたびたび唐に出かけて向こうの進んだ文化を学びそれによって日本は発展したという文脈で語られています

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    小野妹子墓(大阪府南河内郡太子町の科長神社南側の小高い丘の上にある)

     しかし【事実はまったく違う】のです。

    驚き 2

     たとえば小野妹子の遣隋使のときですこちらから行っただけでなく随からも裴世清(はいせいせい)をはじめ位の高い役人などが32艘もの船を連ねてやってきています。いわば「遣日使」です。

    驚き 2

     唐の時代になるとさらに頻繁に日本にやってきていますその人数がまたすごいのです

    驚き 2

     たとえば、天智天皇八(669)年には2千余人が来ています。天智天皇十(671)年にも2千人来日、という具合です。

    驚き 2

     ほかにも、当時新羅は日本に高い関心を抱いていたようで、三十数回も来ています

    韓国人が自分達の起源と思い込んでいる新羅については、こちらもご参照♥

    『中国人の王』と『日本人の首相』が治めた国♥



     いまの中国の満州から朝鮮北部、そしてロシアの沿海州まで版図を広げた渤海という国がありましたが、ここからも33回来ているのです【遣隋使、遣唐使よりも遣日使のほうがはるかに多かった】のです

    驚き 2

     では彼らは何のために日本にやってきたのでしょうか

    悩む女の子2

     ほかでもありません。【日本の文化を摂取するため】に来たのです。経済的には日本の産出する銀、絹などの高い需要がありました。八世紀後半になると日本は金も産出するようになり、日本への関心はさらに高くなりました文化的には日本の仏教、それに聖徳太子の思想を学ぶということもありました。

    聖徳太子

     鑑真(がんじん)が日本への渡航に5回も失敗し、6度目にようやくたどり着いた話は有名てすが、鑑真がなぜこれほど日本に執着したのか。

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    鑑真和上像 鑑真(がんじん、旧字体:鑑眞、688年〈持統天皇2年〉 - 763年6月25日〈天平宝字7年5月6日〉)は、奈良時代の帰化僧。日本における律宗の開祖。俗姓は淳于。

     聖徳太子の思想をはじめ日本に定着している仏教を高く評価していたということが根底にあるのです。鑑真だけではありませんインド人、ヴェトナム人、ソグド人の僧も日本の仏教を学びに来ています。』

    日の丸

    いかがでしょうか?

    世界中の人々が、私たちの日本に学びに来ていたんですね♥

    これが、本当にあった、歴史なんですね^^

    日本って、素晴らしいですね♥

    ところが、世界には、「日本に学ぶ」というチャンスを、自ら捨ててしまった国もあるようですけどw

    詳しくは、こちらをご参照♥

    韓国自らの手で、その芽を摘み取ってしまったもの



    続きは次回に♥




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    Category: 国史
    Published on: Mon,  06 2015 00:05
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