教会で「内陣」が東端に配置される理由 ~ 西洋人の憧れの国 「日本」

内陣 1
内陣(ないじん)は、
1.寺院の本堂内部において本尊を、神社の本殿内部において神体を安置する場所。外陣(げじん)と対置される。
2.上の語をキリスト教の教会建築におけるbema, chancelの訳語として用いたもの。

教会建築における内陣(ギリシア語bema, chancel)は、身廊の東端部に設られ、イコノスタシスやテンプロンなど、正面仕切りなどで身廊と隔てられた空間。
内陣は主祭壇を安置するための聖職者専用の空間である。主祭壇のある部分は特に至聖所と呼ばれる
ベマ(bema)はギリシア語で説教段や演台を意味し、正教では、主祭壇が置かれ、イコノスタシスで区切られた空間を差す。ユダヤ教ではモーセの五書を朗読するための演壇のことである。
Chancelは、身廊と分けるための仕切りを意味するラテン語カンケルス(cancellus)に由来するもので、より広義に交差部より東の部分全体を意味することもある。初期キリスト教では、アプスにプレステビリが設けられ、これが内陣として機能していたが、西ヨーロッパでは大祭壇をアプスに移し、その前の方形の空間(アンテクワイアまたはクワイア・スクエア)にプレステビリを設けて内陣とした。9世紀になると、プレステビリの前に聖職者聖歌隊席が設けられ、この空間と側廊、周歩廊、祭室も含めて内陣とされる。

内陣 2



戦後の日本人は、正しい歴史を学校で教わって来ませんでした。

そして、現代のメディアもまた、嘘の情報を流し続けています。

私たち日本人は、親日的な立場に立ち、正しく認識し直し、

客観的に情勢を判断する必要があります。

それでは、この書物を見ていきましょう!




『 現代の都市の原型はほとんど12~13世紀にでき上がっています。それは、【ルネサンス時代のイタリアのフィレンツェが典型的な例】なので、以下に取り上げてみたいと思います。

フィレンツェ 2

 フィレンツェの都市の形をご覧になればわかるように、中央にはシニョーリア広場があります。そこにパラッツォ・デル・シニョーリアという市庁舎があり、人々が集まって会議をしています。政治形態は時代によって変化しますが、【中央に市庁舎がある】ということが、【ヨーロッパ都市の典型】です。

フィレンツェ

 広場には人々が集まるのと同時に、軍隊も集結させることができます。そういう広場から少し歩くと大きなカテドラーレという【教会堂】があります。これが非常に大きくて、中には洗礼堂があります。洗礼堂は、子どもが生まれたときそこに行って洗礼を受ける場所、つまり【市民として認知される場所】です。

 そして教会と市庁舎の間には【市場】があります。商業と政治とそれから教会文化が三つ結合して都市ができるのです。こうして11~12世紀に都市が形成されますが、それが決してフィレンツェだけではなくてイタリアの他の都市、あるいはフランスそしてドイツといまのヨーロッパが開けていくわけです。

フィレンツェ中央市場

 ほとんどいまでもこの形式は変わっていません。ですから、近代において初めて国家ができて民主主義が生まれたようなことをいう人がいますが、そういう考え方は、【近代至上主義あるいは進歩主義といわれるヘーゲル以降の考え方】であって、【現実的ではありません】

ゲオルク・ヴィルヘルム・フリードリヒ・ヘーゲル
ゲオルク・ヴィルヘルム・フリードリヒ・ヘーゲル

こちらもご参照♥

「古代」「中世」「近世」「近代」という左翼の進歩史観



 実際は、中世とよばれる時代にこそ、ヨーロッパの原型ができたのであって、それはそれ程変わっていないのです。いまはもちろん都市よりも国家がはるかに強くなり、地方分権は小さくなりましたが、いずれにしてもそういう政治形態は、この都市国家から発達したものです。政治、商業、教会という三つの柱は変わらないのです。

こちらもご参照♥

マルクス主義は、キリスト教の鬼っ子



 その後、フィレンツェは、イスラム経由でモンゴル、あるいは中国からの絹織物を導入し、やがて絹織物から毛織物へと、織物工業で栄えるのです。最初は東方から輸入していた絹織物を、次第にフィレンツェでつくることになったのです。

 そして毛織物は、北方、特にベルギーから生地を輸入することで毛織物の服飾を中心とした産業を成り立たせていきました。また、さまざまな貿易取引をするようになり、代表的なのはペルツ家やアルディ家といった家族経営の、現代でいえば商社でした。そうした中で有名になったのが15世紀のメディチ家でした。メディチ家が勃興して、フィレンツェを支配するようになりました。

 ジョット、シモーネ・マルティーニ、ロレンツェティ兄弟のような画家たちの作品の中に、中国の絹織物の模様やいろいろな刺繍類、目のつり上がったアジア系の人物が描かれています。ですからおそらくこの時代には、アジアの影響が大きかったことがわかるのです。

 ちょうど同じ時代にマルコ・ポーロの『東方見聞録』が出て(1299年頃)、1300年代にヨーロッパに広まり、中国や日本の存在が知られるようになります。特に【日本が黄金の国】だということで、そこに【東方への憧れが生まれてくる】のです。

 東方への憧れというのがヨーロッパの一つのテーマになっていくということを見逃してはなりません。これは【教会が内陣をすべて東にもっている】ということとも無関係ではありません

驚き顔

聖書に書かれた【エデンの東のパラダイス】は、西方ではなくて東方にあり、そこにキリスト教の宣教師がいるという、プレスター・ジョン伝説が生まれるわけです。

1558年に作成された世界地図上に描かれたプレスター・ジョン(プレステ・ジョアン)
1558年に作成された世界地図上に描かれたプレスター・ジョン(プレステ・ジョアン)

 東方には5、6世紀にキリスト教のネストリウス派という一派が伝わっていて、モンゴルのチンギス・ハンの頃にはすでにネストリウス派が定着していたのです。

 元の皇帝の奥方にネストリウス派の人がいたりしたことで、それが誇張されてプレスター・ジョンの伝説になったのでしょう。『東方見聞録』にも出てきますけれども、荒唐無稽(こうとうむけい)に書かれています。』

日の丸

いかがでしょうか?

キリスト教の教会で、内陣と呼ばれる特殊な空間が、何故、東端に配置されているのかがお分かり頂けましたでしょうか^^

東方への憧れ、特に「黄金の国」への憧れですね♥

マルコポーロがヨーローッパにもたらした「黄金の国」の情報。

これこそ、ヨーロッパ・白人・キリスト教徒が、東洋・アジアを侵略する究極の目的でした♥

ヨーロッパ・白人・キリスト教徒によって、アフリカ大陸やアメリカ大陸、さらにインドが侵略されたのも、フィリピン、そして支那が侵略されたのも、一連の流れです♥

こういった大きな流れを理解することが、とても重要ですね♥

重要ポイント

続きは次回に♥




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Category: 世界史
Published on: Wed,  07 2015 00:00
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