2016-07-23 (Sat)
老王ダビデを温めるアビシャグ。ペドロ・アメリコ(1879年)
アビシャグ(英: Abishag、ヘブライ語 אֲבִישַׁג (ab-ee-shag')、ギリシア語 Αβισάγ)は、紀元前10世紀ごろの古代イスラエルの美少女。
列王記上第1章第1節~第4節によると、晩年のダビデ王は老齢のため服を重ね着しても体が温まらなくなったため、臣僕たちはダビデに若い処女を抱かせて体を温めようと考え、イスラエルの四方に美しい処女を求めた。その結果、見いだされたのが、シュネム(英: Shunem)の美少女アビシャグであった。彼女はダビデの左右に侍してつかえたが、性交することはなかったという。
列王記上第2章第14節~第25節によると、ダビデ王の死後、ソロモン王が後を継いだ。ソロモンの異母兄であったアドニヤは、美しいアビシャグと結婚したいと思い、ソロモンの母であったバト・シェバに対して、ソロモンの許可が得られるよう取りなしを頼んだ。バト・シェバは快諾し、ソロモンのところに行き、異母兄の婚姻を認めてやるように頼んだ。ソロモンは、アドニヤは王位に対する野心を抱いているからこんなことを言い出すのだと憤慨し、その日のうちに人をやって、アドニヤを殺させた。
☆【2016都知事】高木美保「鳥越さんは女性スキャンダルで出馬できない筈なのに」東国原「僕が聞いているスキャンダルは別の女性」文春砲本命は会社経費で囲う高輪愛人?
戦後の日本人は、正しい歴史を学校で教わって来ませんでした。
そして、現代のメディアもまた、嘘の情報を流し続けています。
私たち日本人は、親日的な立場に立ち、正しく認識し直し、
客観的に情勢を判断する必要があります。
それでは、この書物を見ていきましょう!
『 ざっくりとオリエントの歴史を見ると、【オリエント全域を最初に支配したのは、アッシリア】だった。
アッシリアの版図の変遷
いまのイラク北部に都をおく、この【メソポタミア由来の王国】は紀元前680~前670年ごろに一帯の勢力をおさえ、一大帝国を築き、【紀元前600年頃には滅亡】した。
そのあとを【アケメノス朝ペルシア】が継いだ。
アケメネス朝の版図 紀元前500年時点
キュロス大王の旗
そしてそのアケメノス朝ペルシアは【紀元前300年、ギリシア人のマケドニア王国、そのアレクサンダー大王の東方遠征】によって追いやられ、代わって【ギリシア由来のヘレニズム諸国が分立】した。
マケドニア王国(アレクサンドロス3世時代)の最大版図
もちろんこの周辺では同時並行でさまざまな国家、集団が現れては消えているが、【ヘレニズム成立に至るまでの時代の一区画を一般的に「古代オリエント」と呼ぶ】。
この中で様々な文化が生み出され、時代は作られていくのだが、それは古代ローマのことわざ「光は東方より」がしめすように、【「オリエント」なくしては今日の文明はなかった】といっても過言ではない。
そこで、教科書のおさらいのようだが、オリエント源流の文明の例を少し挙げてみよう。
【「太陽暦」と「幾何学」はエジプト】に生まれ、【「天文学」「12進法(緯度・経度・時計)」はバビロニア】に端を発する。
また【「アルファベット」も、現在のシリア周辺に住んでいたフェニキア人のフェニキア文字にその源流】を求めることが出来る。
そして何よりも、【紀元前1200年頃にはここから、一神教のユダヤ教が生まれている】。
そして、この【ユダヤ教からはキリスト教が派生し、さらにはイスラムもまたオリエントから誕生した】ことを考えれば、今日の世界をわける価値観が、いずれも一つの“屋根”のもとに生まれ育ったことは、実に興味深い。…
ところで、「光は東方より」にちなんで、【オリエントを表すもう一つの言葉として「レヴァント」がある】。
レヴァントの範囲の例
レヴァントは、フランス語の「ルヴェ(lever′昇る)」から派生した言葉で、【「太陽が昇る地域=東」という意味】であり、歴史的には東地中海地域を指してきた。
十字軍の遠征後の12世紀、現在のレバノンのスールやサイダー(いずれも首都ベイルート南部の沿岸都市)と交易関係を築いたヴェネツィア商人たちも「レヴァント」を用いていた。非常に曖昧に使われてきたことは確かで、小アジア(トルコ、アナトリア半島)やシリア、時にはギリシアからエジプトに至る地域も「」レヴァントといわれることもあれば、第一次世界大戦後にフランスが統治したシリアとレバノンに限って使われることもある。いずれにせよヨーロッパの国々には文明をもたらす、まさに輝かしい地域として見られていたことの証左であろう。
ただ残念なことに、現在はもっぱら「イスラム国(IS)」の別称、
「ISIL=Islamic State in Iraq and the Levant」 (イラクとレヴァントのイスラム国)
で見ることが多い。』
いかがでしょうか?
昨日に引き続きまして、古代から現代に至るオリエント・イスラム世界の通史ともいえる秀逸なこの書物を参考にしながら、同時に私たち日本の歴史を並行してみてまいりたいと思います♥
学校の授業では、世界史と日本史とを、分けて、別々に教えているため、「日本のこの時代に世界がどうだったのか?」「イギリスのこの時代に日本はどうだったのか?」という風に聞かれても、ピンとこないというのが正直なところではないでしょうか♥
さて、本文にもございましたとおり、メソポタミア由来の王国である「アッシリア」が、「メソポタミア+エジプト」、つまり「オリエント」を統一したのが、紀元前680~前670年頃です♥
この「アッシリア」は、いわゆる「肥沃な三日月地帯」に位置する要衝でした♥
以下はWikipediaからの抜粋です。
「 「アッシリア」はアッシュルの地を意味するギリシア語表記に由来するヨーロッパにおける呼称で、本来のアッカド語北方方言であるアッシリア語による名称はアッシュル(Asshur)。アッシュルの名はチグリス川上流にあった国土とその中核となった首邑の名であり、かつそれらを神格化した神の名でもあった。
アッシュルの地はバビロニアの北西に位置するチグリス川沿いの高原地帯であり、クルディスタンやアルメニアの山岳地帯を北の背に、メソポタミアの低地をはるか南方に望む場所に位置している。この土地はバビロニアのようなメソポタミア低地域と異なり、年間降水量が200mm以上あり、農業に灌漑を必要としない。いわゆるドライファーミング(天水農業)地帯である。そのため、バビロニアが常に悩まされてきた農地の塩類集積とは無縁であり、年毎の降水量に左右されて収量が不安定な側面は否めないものの、塩分に弱い小麦を豊富に産した。また、いわゆる肥沃な三日月地帯の中央部でもあるため、メソポタミアとアナトリア半島、シリア、イラン高原といったオリエント各地を結ぶ交易の中継地でもあった。」
肥沃な三日月地帯と呼ばれる地域
で、この頃の位置関係を示すち地図がこちらになりますが、地中海東沿岸に、古代イスラエルがありました。
アッシリアに関連した都市と国の位置関係
ユダヤ人が、もともと無かったところに、勝手に国家を建設し、20世紀から現代に至る問題を数多く引き起こしている地域ですね♥
自分たちの国があった場所だって、ユダヤ人が数千年も前のことを持ち出して。。。
まるで今の支那が「南シナ海は古来より中華帝国の領土だ!」って強弁するように♥
その彼らユダヤ人が歴史の根拠としているものの、多くが旧約聖書からとなりますが、実際のところは、どうなんでしょうか?
以下はWikipediaからの抜粋です。
「 イスラエルの古代史は、文書資料としての旧約聖書が圧倒的な存在感をもっていたために、長らくこれに倣うか、神話的な部分を合理的に解釈しなおしたものを史実としてきた。しかしながら、同時代の文書や考古学的資料によって裏づけされた事柄はさほど多くない。
「ヘブライ人(=ユダヤ人)」(Hebrews)という名称は、一説には、ヘブライ語の「イブリー」(עִבְרִי)に由来し、語根となっている「通る、そばを通る、過ぎ越す、渡る」という意味の動詞「アーヴァル」(עָבַר)が転じたもので、「河(=境界)の向こうから河を越えて来た者」という意味とされている。
紀元前2千年紀初頭の楔形文字の記録には、アッカド語(アッシリア・バビロニア語)の「ハビル」または「ハピル」という語が出てくる。「ハビル人」または「ハピル人」は、南部メソポタミア、小アジア、ハラン・マリ地方で活動していた。
紀元前14世紀頃のエジプトの文書では、「アピル」と呼ばれる集団がパレスチナ(カナン)で略奪行動を行っていたことが確認できている。このアピル(シリアやメソポタミアの文書では「ハピル」ないしは「ハビル」とも呼ばれた)は民族名を指すものではなく、奴隷や傭兵にもなった非土着系の無法者やならず者といった社会階層を指す言葉であった。多くの学者がこのアピルとその後のヘブライ人(ユダヤ人)のカナン進出に何らかの関係があったと考えているが定かなことは分かっていない。」
ここに書かれているポイントを抜き出しますと。。。
①イスラエルの古代史は、裏づけされた事柄はさほど多くない。
②「ヘブライ人(=ユダヤ人)」とは、「河(=境界)の向こうから河を越えて来た者」という意味。 つまり「よそ者」♥
③紀元前2千年紀初頭、「ハビル人(ハピル人)」は、南部メソポタミアなどで活動していた。
④紀元前14世紀頃、「アピル」と呼ばれる集団がパレスチナ(カナン)で略奪行動。
⑤アピル(=「ハピル」・「ハビル」)は、奴隷や傭兵にもなった非土着系の無法者やならず者といった社会階層を指す言葉。
⑥アピルとユダヤ人に何らかの関係があった。 つまり「アピル」=「ユダヤ人」!?♥
では、そのユダヤ人は、何処から来たのでしょうか?
「 イスラエル人たちが始祖とするアブラハムは、旧約聖書によれば「カルデアのウル」からカナンの地へ移住してきたことになっている。この「カルデアのウル」を南部メソポタミアのウルとするのはレオナード・ウーリーによって始められてから考古学者や歴史学者に支持されてきたものの、バビロニアからの移住は考えにくくメソポタミア北西部からの移住だとする見方もある。
彼らの出自としてはこの他にも、カナン諸都市の周辺部に居た半遊牧民達が山地に逃れて定住したとする説、カナンの諸都市の奴隷や下層民が都市を逃れて定住したとする説、アラム地方から移住してきたとする説など様々である。おそらくは多様な出自を持つ人々であり、この中からヤハウェ神信仰を共有する部族がまとまってイスラエル部族連合が形成されたのであろうと考えられている。また、イスラエルという語源はヘブライ語で「秘密+神」を意味し、前1200年前後のエジプト文書においてエジプトに属する一地方の民とされていることから、イスラエル人はエジプト人の一部で、移住後もエジプトであり、民族としての共同体はあっても国家はなかったとする説もある。」
ここに書かれているポイントを抜き出しますと。。。
①イスラエル人(ユダヤ人)、メソポタミア北西部からの移住ではないか。
②旧約聖書では「カルデアのウル」からカナンの地へ移住だが。つまりは、やっぱり「よそ者」♥
③エジプトに属する一地方の民。移住後もエジプトで、共同体はあっても国家はなかったかも。
で、ユダヤ人が根拠とする「国家」、つまり「統一イスラエル王国」が、やがて「ダビデ王」によって作られます。
ダビデ
イスラエル王国は、紀元前11世紀から紀元前8世紀まで、古代イスラエルに存在したユダヤ人の国家とされるモノです♥ さきほどの記述でご理解いただけるとおり、「よそ者」が移住してきて出来た「半国家」です♥
分裂前のイスラエル王国(紀元前11世紀~紀元前8世紀)
どの程度の広さだったのかを、私たちの日本と比較してみますと、こんな感じです♥ ほんとに「国」だったの?ってレベルなんですけど。。。
で、そもそもの「イスラエル王国」の最初の王が、「サウル」という人物でした。
サウル
この「サウル」と「ダビデ王」を繋ぐ線上にいるのが、「サムエル」です♥
ジョシュア・レイノルズ 『幼きサムエル』1776年
以下はWikipediaからの抜粋です。
「 サムエルは、旧約聖書の『サムエル記』に登場するユダヤの預言者、士師(民族指導者)。名前の語義はヘブライ語で「彼の名は神」。実在の人物である場合、紀元前11世紀の人。
父エルカナ、母ハンナ。サムエルは、長きにわたって子供を望んでハンナがようやく授かった子であった。母はこれに感謝し、サムエルをシロの祭司エリに仕えさせた。エリは自分の息子たちの不品行を恥じ、サムエルを愛した。幼いサムエルは、寝床にあって神の言葉を聞き、成長して主の預言者として認められるようになった。」
ここで、祭司エリについても見ておきましょう。
「 エリはシロの町に住み、ホフニとピネハスという二人の息子がいたが、息子たちは神を軽んじていた。エリはこれを悲しみ、引き取っていた幼いサムエルに愛情を注いだ。エリの息子たちは神に対して罪を犯していたため、ペリシテ人との戦いで二人とも戦死し、民族の誇りである神の箱(契約の箱)までも奪われた。エリはこの知らせを聞くと、椅子から転落し、首の骨を折って死んだ。」
もう一度、サムエルに戻りましょう。
「 サムエルは宗教的指導者(祭司)かつ政治的民族指導者(士師)として活躍した。晩年になって民が王政を望むと、サムエルはその非を説いたが、聞き入れられず、サウルを初めての王として建てた。イスラエルはサウル王のもとで団結し、周囲の民族と戦ったが、神の「アマレク人を殲滅せよ」という命令にサウルがそむいたことから、サムエルは密かにダビデに油を注いだ。
ダビデはペリシテの勇者ゴリアテを討ち、竪琴の名手としてサウルに仕えたが、サウルは彼の人気をねたんで命を狙った。サウルを殺害するチャンスはあったが、「神の選んだ人に手をかけられない」といって手を触れなかった。ダビデの立琴によってサウルから悪霊が出て行った。」
ダビデの弾く竪琴に聞き入るサウル。レンブラント・ファン・レイン画
やがて、サウルが戦死した後を継いで、「統一イスラエル王国」を築いたのが「ダビデ王」です。
「 ダビデ(ヘブライ語: דוד Dāwīḏ (ダーウィーズ), ギリシア語: Δαβίδ, ラテン語: David, アラビア語: داود Dāʾūd)は、古代イスラエルの王(在位:前1000年 - 前961年頃)。ダヴィデ、ダヴィドとも。
羊飼いから身をおこして初代イスラエル王サウルに仕え、サウルがペリシテ人と戦って戦死したのちにユダで王位に着くと、ペリシテ人を撃破し要害の地エルサレムに都を置いて全イスラエルの王となり、40年間、王として君臨した。旧約聖書の『サムエル記』および『列王記』に登場し、伝統的に『詩篇』の作者とされてきた。イスラム教においても預言者の一人に位置づけられている。英語の男性名デイヴィッド(David)などは彼の名に由来する。」
「ダビデとゴリアテ」(Osmar Schindler、1888)
グイド・レーニ『ゴリアテの首を持つダビデ』ウフィツィ美術館 1604年頃
このあとの時代に、古代イスラエル王国は分裂、やがて滅亡に至ります♥
本日は長くなりましたので、ここまでとさせて頂きます♥
ご参考までに、この時代の参考年表がこちらになります。
こちらもご参照♥
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☆悠久の日本 ~ 西洋人なら笑いとばしたくなる話
続きは次回に♥
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Re: タイトルなし * by みっちゃん
七紙さん、こんにちは^^
コメントありがとうございます♥
「支那みたいな社会で生まれたのと王国はあった国の差」は、仰るとおり大きかったのではないでしょうか。
つくづく日本に生まれてきて良かった~って思います♥
これからも宜しくお願い致しま~す^^
コメントありがとうございます♥
「支那みたいな社会で生まれたのと王国はあった国の差」は、仰るとおり大きかったのではないでしょうか。
つくづく日本に生まれてきて良かった~って思います♥
これからも宜しくお願い致しま~す^^
ダビデ王やソロモン王がいた古代イスラエルと違いイスラム教以前にアラブにはまともな国家も民族の象徴になる様な古代アラビア王国が存在しなかった。イスラム教以前は匪賊や馬賊ばかりの支那みたいな社会で生まれたのと一応の王国はあった国の差は今の中東で大きいのかな。