2016-07-24 (Sun)

「バーニーの浮彫」。紀元前1800年~紀元前1750年頃の物と推定。イラク南部出土。テラコッタ製。
イシュタルは、古代メソポタミアのメソポタミア神話において広く尊崇された性愛、戦、金星の女神。イシュタルは新アッシリア語名であり、シュメール神話におけるイナンナに相当する。
イシュタルは出産や豊穣に繋がる、性愛の女神。性愛の根源として崇拝されていた一方、勃起不全など性愛に不具合をもたらす女神としても恐れられていた。性同一性障害とも関係付けられ、その祭司には実際に性同一性障害者が連なっていた可能性も指摘されている。また、娼婦の守護者でもあり、その神殿では神聖娼婦が勤めを果たしていた。




戦後の日本人は、正しい歴史を学校で教わって来ませんでした。
そして、現代のメディアもまた、嘘の情報を流し続けています。
私たち日本人は、親日的な立場に立ち、正しく認識し直し、
客観的に情勢を判断する必要があります。
それでは、この書物を見ていきましょう!
『 まずはメソポタミア文明…それはチグリス川とユーフラテス川によって育まれた文明であり、【シュメール、バビロン、アッシリアなどの古代国家】を生んできた。


☆メソポタミアの大地を悠然と流れるフラット(ユーフラテス)川
いずれも【今のイラク、イラン、クウェートあたりにあった国家】として知っておきたいが、【これら国家はいずれも、河川の洪水を止める努力と、そこで行われる灌漑によって文明を発達させた】。
灌漑によって発達した農業により余剰の生産物が生まれ、そここら集団での生産体制、さらには国家の原型ができた。

まず生まれたのは「シュメール」だった。シュメールとは南部メソポタミアの古代名であり、今のイラク、クウェートあたりにあった都市文明をいう。いつの時点で文明を形成した移住者たちがこの地域に到達したかは定かではないが、【紀元前3000年ごろには、先住民と様々な地域から多様な言語を持つ移住者たちによってシュメール人が構成された】といわれている。

シュメール人たちは、変化を続けるチグリス川やユーフラテス川の様々な条件に対応するため【灌漑技術からさらに、天文学、文学などを発展させた】。また彼らは、【最初に筆記技術をコミュニケーション手段にした人々】といわれている。筆記で記録を残すことによって複雑な農業技術を後世に伝えたのである。

楔形文字でギルガメシュ叙事詩の一部が刻まれた粘土板
また、【シュメール人は宗教を持っていた】。その宗教は、すべての事象は神のあらわれとする【汎神論の立場】をとり、政治的性格も帯びていた。有力な聖職者が土地の貸し借りから、農業や貿易、戦争の決定などをとり行い、【ズィグラットと呼ばれる寺院】から国家の重要事項について宗教的判断を下した。

ウルのジッグラトの復元図
ズィグラットは日干しレンガでできた山の形状をした建造物で、その頂きに祭壇があった。【旧約聖書『創世記』に記される「バベルの塔」もこのズィグラットがモデル】だといわれている。

ピーテル・ブリューゲル『バベルの塔』(1563年)
シュメールは、【紀元前2334年に、セム語族の都市国家「アッカド」(イラク南部周辺)のサルゴンⅠ世(在位前2350年~前2295年)によって統一】され、ここに【サルゴン朝】が開かれた。

サルゴン
事実上、【メソポタミアにおける最初の領土国家】である。サルゴンⅠ世は、遠くエジプト、エチオピアにまで軍隊を派遣し、都市国家間の抗争を止めさせたり、政教分離の政治を行ったりした。彼らは【弓矢の発明によって軍事的な力を獲得】していた。

紀元前2300年頃のアッカド帝国
しかし、このアッカドの支配も200年間しか続かなかった。【サルゴンの曾孫の王朝が、東部山岳民族のグティによって滅ぼされた】のである。だが、このグティも【シュメール人が再興した国家「ウル」(チグリス、ユーフラテス河口周辺)の王によって破られ、シュメールの支配を回復】させた。とはいえ、この復活したシュメールの支配も長続きはせずに紀元前2000年までに滅んだ。

ウル第3王朝とその勢力圏
【シュメールを滅ぼしたのは砂漠の民としてしばしば都市を襲ったアモライト(アムル)人】だった。アモライト人もまたチグリス・ユーフラテス川沿いに諸都市を建設したが、そこで【築いた首都がバビロン(イラクの首都バグダードの南方)】である。

17世紀のヨーロッパ人が描いたバビロン想像図。左側にバベルの塔が描かれている
この【バビロニア国家は、第六代ハンムラビ王の時代(在位前1724~前1682年)に、ペルシア湾からチグリス・ユーフラテス川周辺のほとんどの地域をその支配下に置いた】。

ハンムラビ バビロニア, 紀元前1792年 - 紀元前1750年
ハンムラビ王の業績として知られるのは、やはり、『ハンムラビ法典』であろう。今でもその一節【「目には目を…」を用いて、特に報復を正当化するときなどに使われるが、実はこの用法は誤っている】。

本来は【ある一定の罪を犯した者には、それに対応した罰しか与えてはならないという意味】で、いわば【報復の連鎖、無限報復を禁ずるための条文】なのである。

したがって【『ハンムラビ法典』とは、悪を懲らしめ、正義をその支配地域に普及させ、強者が弱者を抑圧しないことを主旨】とするきわめてすぐれた法典としてみなければならない。

そして、【この法の精神、哲学は…ペルシアの法体系やイスラム法にも、しっかり息づいていて、その社会形成を援(たす)けている】。』

いかがでしょうか?
昨日に引き続きまして、古代から現代に至るオリエント・イスラム世界の通史ともいえる秀逸なこの書物を参考にしながら、同時に私たち日本の歴史を並行してみてまいりたいと思います♥
学校の授業では、世界史と日本史とを、分けて、別々に教えているため、「日本のこの時代に世界がどうだったのか?」「イギリスのこの時代に日本はどうだったのか?」という風に聞かれても、ピンとこないというのが正直なところではないでしょうか♥
それでは、昨日からここまでの流れを、参考年表で示しますと、このようになっています。

本文中に出てきました「バベルの塔」は、旧約聖書の「創世記」に登場する巨大な塔です。
以下はWikipediaからの抜粋です。
「 旧約聖書(きゅうやくせいしょ)は、ユダヤ教およびキリスト教の正典である。また、イスラム教においてもその一部(モーセ五書、詩篇)が啓典とされている。「旧約聖書」という呼称は旧約の成就としての『新約聖書』を持つキリスト教の立場からのもので、ユダヤ教ではこれが唯一の「聖書」である。そのためユダヤ教では旧約聖書とは呼ばれず、単に聖書と呼ばれる。『旧約聖書』は原則としてヘブライ語で記載され、一部にアラム語で記載されている。
上記3宗教の文化圏では近代の考古学によって古代文明の詳細が明らかになるまで、世界最古の文献と信じられてきた。」
この旧約聖書は、その冒頭で、神さまが宇宙を造ったところから始まります。
「 旧約聖書の冒頭が創世記である。その冒頭では神が7日間で世界を創り、楽園に男と女を住まわせたが、彼らが蛇の誘惑によって禁忌を犯したので楽園を追放されたという、神による天地創造と人間の堕落が語られる(創世記1-3)。」

星の創造 : ミケランジェロによるシスティーナ礼拝堂の天井画より
神が世界を創世した日とされる紀元は、紀元前3761年10月7日とされていて、これがユダヤ暦の紀元になっています♥ つまり、今からたったの5800年前のことになります。
「 とりわけ目を見張ったのは、青森県にあるという三内丸山(さんないまるやま)遺跡だった。まず、巨大な木の柱を組んでつくられた四階建ての建築物である「大型堀立柱建物」がある。もちろん、復元されたものだ。遺跡では直径2メートル、深さ2メートルの柱の穴が、4・2メートル間隔で6つ発見された。その柱の穴から推定して、復元した建物の高さは15メートルある。その想定が正しければ、現在の建物で一階分が約3メートルとすると、【三内丸山遺跡の建物は、五階建てのマンションの高さに相当】する。

三内丸山遺跡 全景
私が日本に来たころにいだいていた、古代日本のイメージといえば、狩猟生活の縄文時代をへて、稲作が始まり、人々が定住するようになった弥生時代あたりから文明が始まるというものだった。… そうした時代は二世紀とか三世紀とか、いずれにしても紀元前ではなく、西暦の紀元後のことだと思い込んでいた。英文の解説書にも、そう書かれている。狩猟採集時代は、もっと遡るかもしれないが、いずれにしても、日本で文明がはじまったのは、二、三世紀と思い込んでいた。それでも、イギリスやアメリカと比べたら、はるかに古い歴史をもつことになる。
ところが、日本の歴史はもっと古いのだ。いや、エジプトや、メソポタミアや、黄河といった世界史の最古の文明と競うものだと分かってきた。
私は・・・、三内丸山遺跡の存在を、はっきりと認識した。その年代は、「今から5500年前から4000年前ごろまでの約1500年」と、書かれている。さらっと書かれているが、このことは日本文明の起源が世界史から見ても、とんでもないものであることを意味している。
ユダヤ教にとって唯一の聖書(トラ)は、キリスト教にとっての旧約聖書だが、そこに描かれていた歴史は、およそ6000年と言われる。2015年10月が、イスラエル国家が公式の暦としているユダヤ暦の5776年の新年に当たった。ユダヤ暦のゼロ年は、全能の神がこの宇宙を6日をついやして、創造された時から始まっている。もちろん、神話であるが、ユダヤ教によれば、この宇宙が誕生してから、5776歳でしかないのだ。
ところが、三内丸山遺跡は聖書時代のはじまりのころに、五階建てマンションと同じ高さの建物を、建築していた。まさに「文明」である。古代の日本文明が建てた「バベルの塔」ならぬ、「アオモリの塔」なのだ。
遺跡という物的証拠が、証明している。」
詳しくはこちらをご参照♥
↓
☆日本にあった「バベルの塔」 ~ 三内丸山遺跡のスゴイところ
で、旧約聖書の「創世記」は、今からたったの5800年前に、神さまが宇宙を創ったあと、さらにこのように続いていきます。
「 創世記には最初の殺人であるカインとアベルの兄弟の話(創世記4:1-16)、ノアの箱舟(創世記6:5-9:17)、バベルの塔(創世記11:1-9)などの物語が続いていく。」
カインとアベルは、アダムとイヴの息子たちで兄がカイン、弟がアベルです。

アベルを殺すカイン(ピーテル・パウル・ルーベンス画)
「 カインとアベルは、アダムとイヴがエデンの園を追われた(失楽園)後に生まれた兄弟である。また、この二人の弟にセトがいる。カインは長じて農耕を行い、アベルは羊を放牧するようになった。
ある日2人は各々の収穫物をヤハウェに捧げる。カインは収穫物を、アベルは肥えた羊の初子を捧げたが、ヤハウェはアベルの供物に目を留めカインの供物は無視した。嫉妬にかられたカインはその後、野原にアベルを誘い殺害する。その後、ヤハウェにアベルの行方を問われたカインは「知りません。私は弟の監視者なのですか?」と答えた。これが人間のついた最初の嘘としている。しかし、大地に流されたアベルの血はヤハウェに向かって彼の死を訴えた。カインはこの罪により、エデンの東にあるノド(「流離い」の意)の地に追放されたという。この時ヤハウェは、もはやカインが耕作を行っても作物は収穫出来なくなる事を伝えた。また、追放された土地の者たちに殺されることを恐れたカインに対し、ヤハウェは彼を殺す者には七倍の復讐があることを伝え、カインには誰にも殺されないための刻印をしたという。カインは息子エノクをもうけ、ノドの地で作った街にもエノクの名をつけた。」

アベルの死を嘆くアダムとイヴ(ウィリアム・アドルフ・ブグロー画)
また、バベルの塔の物語はこんな感じです♥
「 旧約聖書の創世記11章に、言語の分裂の物語「バベルの塔」が記述されている。
大昔、世界を大洪水が襲った。生き残ったのは、船に乗ったノアとその子孫たちであった。ノアの子孫たちはシンアルの平野に住みついた。彼らは「レンガを作り、よく焼こう」と話し合った。…彼らは「さあ、天まで届く塔のある町を建てて有名になろう。そして、(二度と再び洪水で)全域に散らされることのないようにしよう」と言った。
神は人々が作ったこの塔のある町を見て、考えた。
「彼らは一つの民で、みな一つの言語を話している。だから、(人間が神の世界に届く塔を建てるという)このようなことをしたのだ。これでは彼らが何を企てても防ぐことができない。彼らの言語を混乱させ、互いの言語が聞き分けられないようにしてしまおう。」
神は、彼らの言語をバラバラに混乱させてしまい、彼らはそこから全地に散ってしまったので、この町の建設を中止してしまった。
神が彼らの言語を混乱(バラル)させたので、この町の名はバベルと呼ばれた…」
詳しくはこちらをご参照♥
↓
☆縦に長い国って、言葉がバラバラなんですよ♥
そして、旧約聖書の「創世記」は、こう続きます。
「 続いて創世記には、アブラハム・イサク・ヤコブの3代の族長の物語が記されている(創世記12-36)。アブラハムはバビロニアから出発して、カナン(現在のイスラエル/パレスチナ)にやってきた遊牧民の族長であり、神から祝福を受け諸民族の父になるという約束を与えられた(創世記12:2)。イサクはアブラハムの息子であり、彼にも子孫が栄える旨が神から約束されている(創世記26:24)。さらにその息子がヤコブであり、彼と契約を結んだ神はヤコブとその子孫にカナンの土地を与えると約束している。ヤコブはこの契約でイスラエルと改名し、彼の子孫はイスラエル人と呼ばれるようになった(創世記32:29,35:10)。ヤコブは12人の男子および数人の女子をもうけたが、男子それぞれがイスラエル十二氏族の長とされている(創世記29-30)。つまりヤコブがイスラエル/ユダヤ人の始祖である。」
ここで、昨日もご説明のとおり、紀元前11世紀、古代イスラエルに存在したユダヤ人のモノとされる、「よそ者」が移住してきて出来た「半国家」イスラエル王国へと繋がっていくわけです♥

旧約聖書の「創世記」のあとの「出エジプト記」です。
「 ヤコブの末子のヨセフの時代にエジプトに移住していたイスラエル人達は、王朝が変ったために、やがて迫害されるようになる。そこに、エジプト人として教育を受けたモーセが、神から召命を受けて立ち上がりイスラエル人たちを率いてエジプトを脱出し、神が族長ヤコブに約束した「乳と蜜の流れる」カナンの地を目指しながら40年間シナイ半島で放浪する。モーセが数々の奇跡でエジプト王を威嚇し、追跡するエジプト軍を逃れるために海を二つに割ってその間を通っていくシーンなどは有名。」
「 シナイ山でモーセとイスラエル人は神から十戒を授かり、他にも様々な祭儀規定や倫理規定、法律が言い渡される。十戒は多神教の禁止や偶像崇拝の禁止に始まり、殺人・姦淫・窃盗を禁止し、父母への敬愛や隣人愛などの倫理を規定するものであるが、この十戒を基にして神はイスラエル人全体と契約を結ぶ。」

Death of Moses by Alexandre Cabanel
このモーセは、紀元前13世紀頃に活躍したと“される”古代イスラエルの民族指導者です。
「 モーセの実在と出エジプトの物語の信憑性は、論理的矛盾、新たな考古学的証拠、歴史的証拠、カナン文化における関連する起源神話などから考古学者およびエジプト学者、聖書批評学分野の専門家の間で疑問視されている。」
モーセの実在はさておきまして、この時、まさに「ユダヤ教」が成立するんです♥

「 紀元前1280年頃、モーセがヘブライ人をエジプトから脱出させ(出エジプト)、シナイ山で神ヤハウェと契約を結ぶ(十戒、律法)。
カナンに定着後の約200年間は、12部族からなるイスラエル民族が繁栄し、王は神ヤハウェとして人間の王を立てずに、平等な社会を形成する。

分裂前のイスラエル王国(紀元前11世紀~紀元前8世紀)
紀元前1020年頃イスラエル王国が成立し、約400年間は外部からの防衛上必要悪として王を立てるが、平等な関係が崩壊し、支配・被支配の構造が作られ、預言者による王への批判が起こる。ダビデと子のソロモンの時代にあたる。その後イスラエル王国とユダ王国に分裂し、南北に分列する。」
このあとの時代に、古代イスラエル王国は分裂、やがて滅亡に至ります♥
本日は長くなりましたので、ここまでとさせて頂きます♥
最後に、ユーフラテス川の動画を載せておきますね♥
続きは次回に♥
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