ユダヤ人を救ったイラン人の救世主 ~ 一神教が生み出された理由

    キュロス2世の墓
    キュロス2世の墓

    キュロス2世(紀元前600年頃 - 紀元前529年)は、アケメネス朝ペルシアの初代国王(諸王の王:紀元前550年 - 紀元前529年)。

    ヘロドトスは著書『ヒストリアイ』の中で、キュロスは、トミュリス女王率いるマッサゲタイ人との戦いで戦死したという説を伝えている。キュロスの墓は、王都パサルガダエに築かれたとされ、現在でも残っている。

    マッサゲタイ女王トミュリス(ティアラをした左から6人目の女性)とキュロスの生首。
    マッサゲタイ女王トミュリス(ティアラをした左から6人目の女性)とキュロスの生首




    戦後の日本人は、正しい歴史を学校で教わって来ませんでした。

    そして、現代のメディアもまた、嘘の情報を流し続けています。

    私たち日本人は、親日的な立場に立ち、正しく認識し直し、

    客観的に情勢を判断する必要があります。

    それでは、この書物を見ていきましょう!




    『 バビロニア国家も決して長くは続かず、紀元前1600年頃、北方からやって来たとされる【インド・ヨーロッパ語族の諸民族の一つ、ヒッタイト族】によって征服されてしまった。

    赤:ヒッタイト帝国の最大勢力圏 緑:古代エジプトの勢力圏
    赤:ヒッタイト帝国の最大勢力圏 緑:古代エジプトの勢力圏

    地中海からペルシア湾までその支配を広げた【ヒッタイトが軍事的に成功した理由はなんといっても人類においてはじめて鉄を利用したこと】であろう。

    ポイント 女性

    だが、そのヒッタイトも、理由は定かではないが、紀元前12世紀に滅んでしまった。この後、紀元前9世紀アッシリアが現れるまで、軍事力でメソポタミアを支配する勢力は現れなかった。

     これを見ると、【古代メソポタミアの文明は民族の絶え間ない移動と交流、また、それに伴う争いによって築かれていった文明】ということが分かるだろう。…

    アッシリアに関連した都市と国の位置関係
    アッシリアに関連した都市と国の位置関係

     さて、古代メソポタミアを概観した次に【エジプト文明】をみてゆくが、エジプト文明もまた、「エジプトはナイルの賜物」(ヘロドトス『歴史』)という言葉が示すように、大河によって育まれた文明である。

    紀元前3150年から紀元前30年までの王朝時代における主要都市及び場所を示した古代エジプトの地図
    紀元前3150年から紀元前30年までの王朝時代における主要都市及び場所を示した古代エジプトの地図

    【紀元前5000年ごろに初期の王朝】が築かれ、その後、幾多の王朝の興亡を経て【紀元前332年…アレクサンダー大王に征服されるまでを一般的に「古代エジプト」とする】

    「アレクサンドロス帝国」の最大領域
    「アレクサンドロス帝国」の最大領域

    ただ【エジプトはメソポタミアとちがって、さまざまな民族、国家が交錯することはなかった】

    ポイント 女性

    それには様々な理由が挙げられるが、端的に言えば【エジプトが地形的に文明の行き止まりになっていた】ということである。メソポタミアは…さまざまな民族、国家がこの地を行き交ったが、エジプトの東西には広大な砂漠が広がり、南に向かえばナイル川の大瀑布(だいばくふ/大きな滝)があり、容易に人びとを寄せ付けなかった。それゆえに、エジプトにおいては大きな変動が起こらなかった。結果として、ピラミッドに象徴される、時間を要する巨大な建造物の文明が作り上げられた。

    ギーザの三大ピラミッド
    ギーザの三大ピラミッド

     とはいえ、メソポタミアのバビロニア国家と時期的に重なる【紀元前14世紀から前13世紀の、いわゆる「アマルナ時代」、航行の技術も発達し、メソポタミアとの交流が盛んになる】。アマルナとはナイル川中流域にあった都市の名前で、ここに都をおいたエジプト新王国第18王朝後期アメンホテプⅣ世から、その娘婿、有名なツタンカーメン王の時代を指す。この頃のエジプトは、ヒッタイト、ミタンニ、カッシートといったメソポタミア諸国との間で活発な交易をおこなっていた。

    ツタンカーメン王の黄金マスク
    ツタンカーメン王の黄金マスク

     この時代で特筆すべきは、【音を表す文字(表音文字)であるアルファベットの原型が、フェニキア人によってつくられたこと】である。エジプトとメソポタミアの狭間に拠点を持つフェニキア人、アラム人の小王国などが繁栄し、その商人たちの活動によって【オリエント世界の一体化は一気に進んだ】

    ポイント 女性

     【アルファベットは、紀元前2000年頃にシリア・パレスチナで発明されたセム系文字に起源をもつとされる文字】である。特に【北セム系のフェニキアのアルファベットは紀元前1000年から前700年頃、ギリシア人に伝えられ、ギリシア人はこの文字に母音を加えて、ギリシア・アルファベットをつくり、それがラテン文字やロシア文字となっていった】
    表音文字

    また【東方へは、「陸のフェニキア人」と形容されるほど活発に商業活動に従事したアラム人商人たちによって、アラム語がアッシリア帝国の公用語として広大な範囲に広まっていった】。』

    日の丸

    いかがでしょうか?

    昨日に引き続きまして、古代から現代に至るオリエント・イスラム世界の通史ともいえる秀逸なこの書物を参考にしながら、同時に私たち日本の歴史を並行してみてまいりたいと思います♥

    学校の授業では、世界史と日本史とを、分けて別々に教えているため、「日本のこの時代に世界がどうだったのか?」「イギリスのこの時代に日本はどうだったのか?」という風に聞かれても、ピンとこないというのが正直なところではないでしょうか♥

    それでは、まず昨日までの流れを、参考年表で示しますと、このようになっています。

    歴史区分 9

    紀元前13世紀頃に活躍したと“される”古代イスラエルの民族指導者モーセに導かれ、エジプトを脱出したヘブライ人は、神との約束である「十戒」を授かり、この十戒を基にして神はイスラエル人全体と契約を結びました。ここにユダヤ教が誕生します♥ 当初は、12部族からなるイスラエル民族が繁栄し、やがて王を立て、紀元前11世紀イスラエル王国が成立します。

    ダビデ王の後を継いだ、三代目の王、ソロモン王の死後(紀元前922年ごろ)、イスラエル王国は南北に分裂10部族による北王国(イスラエル王国)と、残り2部族からなる南王国(ユダ王国)に分かれてしまいます♥

    紀元前830年代のユダ王国(黄色)
    紀元前830年代のユダ王国(黄色)

    紀元前722年北王国(イスラエル王国)は、アッシリアによって滅ぼされます

    アッシリアの版図の変遷
    アッシリアの版図の変遷

    で、もう一つの王国南王国(ユダ王国)どうなったのかといいますと。。。

    以下は、Wikipediaの抜粋です。

    「 アッシリア帝国が勃興すると紀元前722年北のイスラエル王国はシャルマネセル5世に占領されてしまった。その後ユダ王国アッシリアに服属する形で存続していたが、紀元前609年にメギドの戦いの敗北によってエジプトの支配下に入り、紀元前605年にカルケミシュの戦いでエジプト第26王朝のネコ2世が新バビロニアのネブカドネザル2世に敗れ、最終的に紀元前597年新バビロニアのネブカドネザル2世の前にユダ王国も屈した。なおしばらくは独立国としての存在が許されていたが、結局エジプトと結んでバビロニアと対抗しようという企てが失敗し、紀元前586年エルサレム全体とエルサレム神殿が破壊され支配者や貴族たちは首都バビロニアへ連行されることになった。これをバビロン捕囚という。」

    バビロン捕囚
    バビロン捕囚

    このように、ユダヤ人たちは国を滅ぼされたわけですが、数十年後に救世主が現れます。現代のイラン人から「イラン建国者」として讃えられているアケメネス朝初代国王キュロス2世です♥

    キュロス2世
    キュロス2世

    キュロス大王の旗
    キュロス大王の旗

    新バビロニアを征服(紀元前539年)したキュロス2世は、バビロン捕囚にあったユダヤ人をはじめ、強制移住をさせられていた諸民族を解放します。

    「 キュロスは、被征服諸民族に対して寛大であったので、後世に理想的な帝王として仰がれ、ユダヤ人を解放して帰国させたことから旧約聖書ではメシア(救世主)と呼ばれている(イザヤ書45章1節)。」 

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    「 バビロニアを征服したペルシア人(アケメネス朝ペルシア、キュロス王)は、ユダヤ人を彼らの愛する都へ帰し、神殿の再建を許した。それは、ペルシア人がユダヤ人を高く評価し、彼らの信仰する宗教を心から尊重しようとしたためではない。中央アジアにまで版図を広げていたペルシア帝国にとって、エルサレムはほとんど関心も利害関係もない辺境の町だと考えられていたからである。」

    アケメネス朝の版図 紀元前500年時点
    アケメネス朝の版図 紀元前500年時点

    詳しくはこちらをご参照♥

    昔のイランは、広かったんです♥



    ただし、国家としての「イスラエル」が復活するわけではなく、あくまでも巨大な帝国の“一つの属領”でしかありませんでした♥

    ギリシアのマケドニア王国のアレクサンダー大王が、イランのアケメネス朝ペルシアを征服し、さらにエジプトも支配します(紀元前332年)。

    アレクサンダー大王の死後、部下のプトレマイオスが、紀元前306年プトレマイオス朝エジプトを築きます♥
     
    プトレマイオス朝の領域(紫)
    プトレマイオス朝の領域(紫)

    また、一方で、アレクサンダー大王の家臣、セレウコス1世が、紀元前312年に、イラク・イラン・シリアなどを支配するセレウコス朝シリアを築きます♥

    セレウコス朝の最大領土
    セレウコス朝の最大領土

    これらの大国の狭間に位置する「イスラエル」国家再建のチャンスが訪れます。

    「 ペルシア帝国(アケメネス朝ペルシア)も、エルサレムを含めて、アレクサンドロス大王軍に敗北し、その子孫たちはエルサレムとその住民にギリシア文化と思想を吹き込んだ。

     紀元前323年、アレクサンドロス大王が思いがけなく若死すると、エルサレムはまもなく、プトレマイオス朝に戦利品として渡され、
    短期間ではあったが遠いエジプトから支配された。


    紀元前3世紀のヘレニズム諸国。アンティパトロス朝(緑)、リュシマコス朝(オレンジ)、セレウコス朝(黄)、プトレマイオス朝(青)。

     紀元前198年、エルサレムはセレウコス朝シリアのアンティオコス大王によって、プトレマイオス朝の支配下から取り戻され、その息子アンティオコス・エピファネスが、自分こそ神の化身であると名乗って、エルサレムでのユダヤ人の神の崇拝を金輪際、強硬に禁止する措置をとった。

     ユダヤ人はエピファネスの冒涜行為に対し、剛胆なハスモン家のマタティアの息子たち(マカバイ一族)が率いる執拗なゲリラ戦によって抵抗し、紀元前164年、この聖都(エルサレム)をセレウコス朝シリアから奪回し、400年間で初めて、ユダヤ全土にユダヤ人の支配権を復活させた。」


    詳しくはこちらをご参照♥

    祝!聖都の奪還♥



    しかし、やはり長くは続きませんでした

    「 ユダヤ全土にユダヤ人の支配権が復活した紀元前164年から100年間、ハスモン家はしたたかな手段によって神に与えられた土地(エルサレム)をしっかり支配した。彼らは大祭司兼国王であって、歴代統治者はユダヤ人の王と神殿の大祭司を兼任した。だが、ヒルカノスとアリストブルス兄弟の間で王座の争奪をめぐる内紛が起きると、それぞれが愚かにもローマに支援を求めた。

     ポンペイウスは…エルサレムを掌中にする好機と判断し、「神都」のユダヤ人の直接支配を短期間で終わらせた。紀元前63年、ユダヤはローマの保護領となり、ユダヤ人はまたもやその従属民となった。」


    詳しくはこちらをご参照♥

    ユダヤ人、またもや国を奪われる♥



    で、最後に、本題に入りましょう♥

    そもそも古代オリエントの宗教観は、多神教崇拝でした♥ オリエントだけでなく、古代ギリシア古代ローマでも、多神教でした♥ エジプトも多神教ですね♥ 古代ペルシアゾロアスター教も、一神教ではありません

    他にも、仏教ヒンドゥー教、私たち日本の神道も、多神教ですし、インド神話北欧神話などなど、数多くの多神教が見られます。

    しかし、この古代オリエントの地で生まれた「ユダヤ教」に端を発する一神教が、現代の世界で、数多くのもめ事や争い事を起こしているんです♥

    それは、何故なのでしょうか? これが、本日の本題です♥

    悩む女の子2

    「 キリスト教の旧約聖書では、人間の原罪をもとにして人間が争い合うことが常態であるかのごとく歴史を語っているのですが、こうした世界観あるいは歴史観は、四大文明を含めたユーラシア大陸全体に当てはめることができます。そこでは都市は戦争によって生まれてきたのです。

     そういうところに、どういう宗教が生まれてくるのかというと“戦う民族の宗教”ということにならざるをえません

     それは、生活をしていく上で、日本のような豊かな自然環境に恵まれていないため、人々はよりよい自然環境条件を求めて移動することになります。移動の途中で他民族を従えたり、互いが生存競争のもとで戦い合うのです。

     民族の移動があると、宗教もそれにふさわしいものが生まれます。つまり人々の心をまとめるための宗教が生まれるのです。それが一神教というものを生む背景にあるのです。

     一神教は、基本的に移動する民族がつくり出すものです。それというのも、その民族が土地との強固な結び付きをもたないため、土地やその自然に対する依存が少なくなるからです。土地には、山、川、原野、森などがあります。そして人々は、身近にある山や川に愛着を感じます。そこから生まれる、日本の神道のようなものが、元来はユーラシア大陸にありました。

     しかし、民族移動をはじめることで争いが生じてくる中で、言葉が重要になってくるのです。つまり、土地よりも、人々が語る言葉のほうが、その民族にとって重要になってきます。このことが一神教がつくられる上での基本になります。彼らには、その民族を守る象徴としての神が必要になるのです。…

     そうしたことは、パレスチナのヘブライ人の間で、ユダヤ教が成立した経験でわかるように、ユダヤ人の例が典型です。

     紀元前1000年頃、エルサレムにはダビデ王の時代にヘブライ王国がつくられ繁栄していましたが、その子ソロモン王の死後、北のイスラエル王国と南のユダ王国に分裂してしまいました。

     すると、その後は、イスラエル王国はアッシリアによって滅ぼされ(紀元前722年)、ユダ王国も新バビロニアに滅ぼされてしまうのです(紀元前586年)。このためユダヤ人の多くが、捕虜としてバビロンに連れ去られてしまったのです(バビロン捕囚)。

     そうした民族の危機苦難の時代に預言者たちが現れ唯一神ヤーヴェの意志を伝えたのですこれがユダヤ教のはじまりです。

     ユダヤ人たちは、自分たちは神に守られた選民であると思いはじめるのです。そして、救世主の出現を待望する信仰が形成されていきました。約50年後にバビロンが解放されて、エルサレムに帰還したユダヤ人は、ヤーヴェの神殿を再興して、ユダヤ教を確立しました。このユダヤ教の経典としてまとめられたのが旧約聖書で、後にイエス・キリストによってキリスト教へと発展していくのです。

     このユダヤ教という一神教が成立した過程には、ユダヤ人の民族としての苦難の歴史があります。ユダヤ人には民族のアイデンティティーそのものである宗教ですが、これが普遍的な宗教として他の民族にも受け入れられるものとなるには、民族の共同宗教という枠を超えて個人の救済という個人宗教的要素がなければなりません。その民族の枠を超えてその宗教を信じることができるという要素を付加することになったのが新約聖書なのです。ユダヤ教の旧約聖書に新約聖書が加わってできあがったのがキリスト教で、キリスト教ユダヤ人の枠を超えて、その後、大きく広がっていくことになりました。…

     そして、6世紀後半にメッカに生まれたムハンマドがつくり出したイスラム教も、アッラーの神を唯一神とする一神教ですが、実はユダヤ教の影響を強く受けて生まれました。

     ユダヤ教イスラム教の成立事情を通してわかることは、一神教が、いかに民族の移動やそれに伴う戦争、殺戮というものを契機として生まれているかということです。人間どうし民族どうしが争う戦争というものが、一神教の宗教を生む大きな原動力となっているのです。新しい文明をつくり出す大きな要因となっているのです。」


    詳しくはこちらをご参照♥

    ユダヤ教のはじまり ~ Yahweh



    ご理解いただけましたでしょうか?

    つまり、ユダ教・キリスト教・イスラム教といった「一神教」は、「戦争」が原動力となって生まれた宗教なんです♥

    私たち日本の神道とはまったくかけ離れた対極にある宗教です♥

    そして、ユダ教・キリスト教・イスラム教には、もっとも根本的な矛盾が存在しています♥

    まず、ユダヤ教の聖書(旧約聖書)に書かれている世界は、彼らが目にすることができた、非常に狭い世界の出来事でしかなく、そこに書かれている宇宙を神様が創った時代よりも古くから、私たち日本人の祖先は、普通に生活をしてました♥

    ですから、ユダヤ教がいう「宇宙を創った全知全能の神」など、存在しないことになります♥ 必然的に、イスラム教も、同じこととなります。

    また、ユダヤ教の聖書(旧約聖書)をもとに、新約聖書なるものを加えて、キリスト教は成り立っていますが、非常に重大な「問題」があります♥

    とんでもない「デタラメ宗教」だっていうことが、すぐにでも理解できますよ♥

    詳しくはこちらをご参照♥

    新約聖書と旧約聖書 ~ 西洋人が自分たちではほとんど指摘しないこと



    それでは、ここまでのお話を、参考年表にしてみますと、こんな感じになります♥

    歴史区分 10

    本野原遺跡については、こちらをご覧ください♥

    関東風の遺跡が九州に存在するナゾ ~  西日本最大級・宮崎県の「本野原遺跡」



    御存知ですか?古代日本の民族大移動



    そして、神武東征については、こちらをご参照ください♥

    「いくたまさん」が伝える真実 ~ 神武東征の証明




    続きは次回に♥




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    Category: 世界史
    Published on: Mon,  25 2016 00:01
    • Comment: 2
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    2 Comments

    七紙  

    イスラム教を調べるとムハンマドから、ユダヤ人やキリスト教に対してはかつてのバビロン捕囚の焼き直しを行っている様に思うんだが。まるであのバビロニアの暴政であるネブカドネザルが形を変えたのがムハンマドになっている。
    中東の宗教の争いもバビロニアの軛なのかな。

    2016/08/28 (Sun) 20:05 | REPLY |   

    みっちゃん  

    Re: タイトルなし

    七紙さん、こんばんは^^
    コメントありがとうございます♥

    卓見ですね♥ 七紙さんの知識の広さと奥行きには、とても感心させられます♥

    で、ここからは私見になりますが、世界の主要な一神教である三宗教(ユダヤ・キリスト・イスラム)の語っている歴史なんて、私たちの日本からすれば、ごくごく最近の話でしかない「浅い歴史」なんですけど、彼らがそれぞれ主張していることは、まるで現代アメリカ人が「ここは俺の土地だ!」って、先住民のことは棚に上げて、「個人の権利を主張」している浅ましい姿とピッタリ重なって見えてしまいます♥ 

    とどのつまり、「実にクダラナイ」考え方でしかないんじゃないかなって、普通に思っています♥

    今後とも、宜しくお願い致しま~す^^


    2016/08/28 (Sun) 21:21 | REPLY |   

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