2014-10-26 (Sun)

軍閥(ぐんばつ) 軍事力を背景に、地方に割拠する集団。国際的な承認や未承認を問わず、ある程度の実効支配地域を持つ。近代以後、地方に割拠する軍事組織の例としては、中華民国が有名である。辛亥革命前の代表的な軍閥領袖として、李鴻章があげられる。李鴻章が私財を投じて兵を募り集め、訓練・組織化した団練からなる淮軍(のちの北洋軍閥)は時の政府(清)に従順であったが、領袖の跡を袁世凱が継承してからは、次第に軍閥組織、ひいては軍閥領袖の利害を最優先として動く様になる。やがて孫文と裏交渉し、清政府に反目し、打倒勢力の中核となる。呉佩孚、張作霖らは衝突や和解を繰り返しながら覇権を競い合った。しかし、中国国民党の北伐戦争で軍閥は打撃を受け、日中戦争や国共内戦で中国国内の状況が変わると、国民党軍や中国共産党軍に編入され、力を失った。

長野朗(ながのあきら)
…戦前を代表する秀れた【シナ通、中国通】で…
GHQに焚書された本は18冊もあり…
没収された本の多い著者としては3番目にランクされる人物です。
…1975年までご存命でしたから、戦後も中国共産党に関する本を出しておられます。
…洞察力も鋭いし、シナという国に愛情を持ちつつも
知的に冷徹に【この民族の本性を見抜いて】います。
しかも、扱う事象の幅が広い。

安房宮(あぼうきゅう、始皇帝の大宮殿)の賦(ふ、詩文)に
「六國(秦以外の六つの大国)を滅するものは秦に非ずして六國なり。秦を滅するものは楚に非ずして秦なり」
とあるやうに、【軍閥(ぐんばつ)を滅するものは軍閥】であった。
北方軍閥(袁世凱後の多数の軍閥、張作霖もその内の一派)が内争をやるまでは
全く歯がたたなかった南方派(蒋介石一派の国民党)も、
大正九年から起った【北方派の内争】に乗じ、南方派は着々として準備を整へて行った。
軍閥の内争は【人民を塗炭の苦に追ひ込み】、
人民怨嗟の的になった。
ために南方派に「打倒軍閥(北方の)」の好題目を与へた。
「民心を得て興り民心を失って滅ぶ」と古人もいって居るが、
殊にこれが支那ではてき面に来るのである。
天命を享(う)けるといふのは民心が帰することである。
(解説)
まず軍閥とは、軍事力を背景とした私兵集団のことで、簡潔に言うと武装した暴力団。清朝滅亡後(1912年)、中国では各地で武装暴力団である軍閥が割拠していた。その様な中、蒋介石の軍閥(国民党)が「北伐」(1926~28年)と称して、南から北へ侵軍する事になる。そのきっかけは、北方の軍閥における内争であって、内争により南北軍閥間のバランスが崩れたのが基本的な流れ。

1910年代末の軍閥勢力図/『中国革命とソ連 抗日戦までの舞台裏【1917-37年】』
今から100年ほど前に、中国では、武装した暴力団(現代風に言えば、ISIS[イスラム国]みたいなものでしょうか)同士の抗争が起こったんですね♥

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