2015-10-16 (Fri)

ドロットニングホルム宮殿(スウェーデン語: Drottningholms slott)は、スウェーデン・ストックホルム郊外のローベン島にある離宮である。この宮殿は、スウェーデン王カール11世の母后ヘトヴィヒ・エレオノーラの命によって1662年に建設が始められ、庭園にバロック様式を採用して1686年に完成した。
「ドロットニングホルム」 はスウェーデン語で 「王妃の小島」 を意味する。「北欧のヴェルサイユ宮殿」 の勇名を馳せる。王家の住居を除いて一般に公開されており、観光地としても有名である。毎年夏には観光客用に演劇やオペラが上演される。
1991年には、ドロットニングホルム宮殿を含む王領地がユネスコの世界遺産に登録された。
戦後の日本人は、正しい歴史を学校で教わって来ませんでした。
そして、現代のメディアもまた、嘘の情報を流し続けています。
私たち日本人は、親日的な立場に立ち、正しく認識し直し、
客観的に情勢を判断する必要があります。
それでは、この書物を見ていきましょう!
『 イヴァン4世のあと、モスクワでは在位年数の短いしょぼい王様が続きます。

このころのモスクワ帝国は、ボチボチ生きていました。【ポーランドにモスクワを焼かれたり、スウェーデンにノヴゴルドを占領されたり】と細かいことはあるのですが、あまりおもしろくないので飛ばします。

日本で、東京が焼き打ちにされたり、大阪が外国に占領されたりすれば大事件ですが、ユーラシア大陸で一々そんなことを気にしていたら生きていけません。ピョートル大帝が出てくるまで我慢してください。

相変わらずヨーロッパには負けながら、東のシベリアには進出して領土を増やしていくのがモスクワ帝国です。
むしろ、【ロシアを理解するには同時代(イヴァン4世崩御の1584年からピョートル大帝即位の1682年)のヨーロッパを理解する必要があります】。

1584年といえば、日本では豊臣秀吉の天下統一が眼前に迫っていたころですが、【ヨーロッパでは絶対主義王様と抵抗勢力の抗争】が続いていました。

豊臣秀吉像(狩野光信筆 高台寺蔵 重文)
アフリカやアメリカ大陸に飛び出していったポルトガルやスペイン、さらにその地位を奪おうとするオランダやイングランド。彼らは地球の裏側の日本にまでやってきます。

こちらもご参照♥
↓
☆日本にポルトガル人が最初にやってきた理由 ~ トルデシリャス条約

三十年戦争時の虐殺を描いたジャック・カロによる版画『戦争の惨禍』
王様に対する抵抗勢力は、【バチカン以下のカトリック教会、神聖ローマ皇帝、貴族、プロテスタントの教団】です。彼らはくっついたり離れたりを繰り返しながら、最後は【1618年からヨーロッパ全土を巻き込んだ三十年戦争】を始めます。
こちらもご参照♥
↓
☆平和な江戸の200年 VS キリスト教内乱の300年
三十年戦争は「最後の宗教戦争」といわれるだけあって、凄惨(せいさん)を極めました。【敵領地の農民に人糞を食わせて殺すという「スウェーデンビール」なる行為が平気で行われた野蛮な戦争】です。なんのためにそこまでするのか日本人には理解しがたいのですが。


画像はこちらからお借り致しました♥ ⇒ 『ねずさんの ひとりごと』 国民国家と三十年戦争

三十年戦争関係図
カトリック陣営は【バチカン・神聖ローマ帝国(オーストリア・ハプスブルク家)・スペイン】、プロテスタント陣営は【オランダ・スウェーデン・デンマーク・イングランド】に分かれて戦いました。敬虔なカトリックの国の【ポーランドは、独自にスウェーデンと戦争】をしています。戦争そのものは【カトリック国のフランスがプロテスタント陣営についたことで、決着】がつきました。以後、ヨーロッパは、相手を皆殺しにするまで終わらない宗教戦争と決別し、王様たちが外交や戦争をゲームのように行う時代になります。

さて、モスクワ帝国を荒らし回った【ポーランドやスウェーデンは、当時のヨーロッパの大国】でした。この両国は、北欧と東欧の覇権をめぐるライバルでした。モスクワはそれらに一歩劣る存在ですが、それでも「モスクワを敵に回すと危ない」くらいの存在感はありました。領土は広いのですが、それは無人の荒野に等しいシベリアに向けて拡張しているだけで、軍事強国だったポーランドやスウェーデンには劣ったのです。

グスタフ・アドルフ
当時の【スウェーデン王グスタフ・アドルフは、今なお世界の軍事史で特筆大書される名将】です。神聖ローマ帝国の傭兵隊長・ヴァレンシュタインとの名勝負は世界中の軍人の常識です。グスタフ・アドルフは、歩兵・騎兵・砲兵の「三兵戦術」を巧みに駆使し、ヨーロッパ随一の名将として鳴らしました。対するポーランドも、勇猛果敢で知られた騎士の国です。両国は三十年戦争の真っ最中の1621年~1629年に大戦争を起こしますが、決定的な決着はつかずに終了します。和議を得たグスタフ・アドルフは三十年戦争に本格介入し、プロテスタント陣営は勝利します。グスタフ・アドルフ本人は戦死してしまいますが、【スウェーデンはヨーロッパでもっとも発言力のある大国になります】。

クリスチーナ女王
そして、三十年戦争の和議を話し合う【ウェストファリア会議】で、グスタフ・アドルフを継いだ【クリスチーナ女王】が、人類の歴史に残る大発言をします。
「自分と違うことを考えている人間だって、殺さなくてもいいじゃない♥」
まあ、原文ママでこんなことを言ったわけではないのですが、大まかにまとめるとこんな感じの主張を繰り返し、「キリスト教世界の調和」を強調しました。』
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ミュンスター条約締結の図(ヘラルト・テル・ボルフ画)
ヴェストファーレン条約(ヴェストファーレンじょうやく、羅: Pax Westphalica、独: Westfälischer Friede、英: Peace of Westphalia)は、1648年に締結された三十年戦争の講和条約で、ミュンスター講和条約とオスナブリュック講和条約の総称である。ラテン語読みでウェストファリア条約とも呼ばれる。近代における国際法発展の端緒となり、近代国際法の元祖ともいうべき条約である。
この条約によって、ヨーロッパにおいて30年間続いたカトリックとプロテスタントによる宗教戦争は終止符が打たれ、条約締結国は相互の領土を尊重し内政への干渉を控えることを約し、新たなヨーロッパの秩序が形成されるに至った。この秩序をヴェストファーレン体制ともいう。
『 当時のヨーロッパは、「異端の罪は異教の罪より重い」などと言いながら、【同じキリスト教どうしで殺し合いを続けていました】。

魔女狩りを見ればわかるとおり、「心の中で違うことを考えている【かもしれない】」というのは、「殺さなければ【ならない】」理由になりました。「人は殺しては【いけない】」という現代日本人にとってはついていけない考え方ですが、当時のヨーロッパがそうだったのだから仕方ありません。

ちなみに、モスクワなど【東方正教】はどうかというと、この人たちは「儀式の格好よさ」を何よりも優先するので、意外なことに【宗教戦争とは無縁】です。』

いかがでしょうか?
「自分と違うことを考えている人間だって、殺さなくてもいいじゃない♥」
まさに、現代にも必要な考え方ですね♥
宗教について、外国に口出しをしてはいけない、これが17世紀からの国際的な常識で、ルールです♥
それを理解しない野蛮な国、特に野蛮なのが支那と朝鮮ですね♥

私たち日本人の英霊を祀る「靖國神社」に、ゴチャゴチャと宗教干渉してくるという、とっても野蛮な非文明人です♥

こちらもご参照♥
↓
☆どこの国も外国の宗教には口出ししてはいけないのです♥
私たち日本の総理大臣も、国会議員も、きちんと参拝をしていかなければなりませんね♥
安倍総理、お願いします^^

さて、明日からは、いよいよ秋季例大祭ですよ~^^

詳しくはこちらから♥ ⇒ 靖國神社HP
昨年の模様がこちら♥
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続きは次回に♥
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