2015-10-18 (Sun)

少女時代のマリア・テレジア
マリア・テレジア (独: Maria Theresia, 1717年5月13日 - 1780年11月29日)は、神聖ローマ皇帝カール6世の娘で、ハプスブルク=ロートリンゲン朝の同皇帝フランツ1世シュテファンの皇后にして共同統治者、オーストリア大公(在位:1740年 - 1780年)、ハンガリー女王(在位:同じ)、ベーメン女王(在位:1740年 - 1741年、1743年 - 1780年)で、ハプスブルク君主国の領袖であり、実質的な「女帝」として知られる。
オーストリア系ハプスブルク家の男系の最後の君主。
それまでハプスブルク家はサリカ法に基づく男系相続を定めていた。しかし彼女の兄が夭折して以後、カール6世に男子が誕生せず、成人したのもマリア・テレジアと妹のマリア・アンナ(マリアンネ)のみであったことから後継者問題が表面化してくる。
相続問題の見通しの甘さはカール6世の崩御後すぐに露呈する。1740年10月20日、カール6世が崩御すると、国本勅諚の「ハプスブルク家の領地は分割してはならない」を公然と無視し、周辺諸国は娘の相続を認めず、領土を分割しようと攻め込んできた。これがオーストリア継承戦争(1740年 - 1748年)である。フランス、スペインの列強のみならず、(カール6世が王国に昇格させた)プロイセン、バイエルン選帝侯、ザクセン選帝侯らも叛旗を翻した。彼女は当時23歳(しかも第4子を妊娠中)で、いかなる政治的教育も受けていなかった。各国の大使は本国に彼女が無知だと報告したが、英国のみが「毅然とした態度や落ち着きに非凡の才あり」と注意を促した。
1740年12月16日、プロイセン王フリードリヒ2世が最初に、自領の南にあるハプスブルク家領のシュレージエンに侵攻した。プロイセン王は、孤立しているハンガリー女王マリア・テレジアを守護するための出兵であるとして、代償として300万グルテンとシュレージエン割譲を求めた。これに対して動揺する老臣らに、マリア・テレジアはシュレージエン防衛の決意を明らかにし、第一次シュレージエン戦争、オーストリア・ザクセン戦争が勃発した。さらに、バイエルン選帝侯カール・アルブレヒトもオーストリアの敵に回った。マリア・テレジアはバイエルンとの戦いを決意したものの、オーストリアは度重なる戦争のため戦費も援軍もすでになく、宮廷の重臣たちは冷ややかで窮地に追い込まれた。
1741年3月13日に待望の男児ヨーゼフが誕生し、国内の士気は大いに上がる。しかし4月10日にはモルヴィッツの戦いで大敗する。西側を包囲された四面楚歌の状況にあって、マリア・テレジアは東方のハンガリーに救いを求める。ハンガリーは異民族であり、心情的には長年対立していた。マリア・テレジアは夫と子供たちを伴いプレスブルク(ブラチスラヴァ)へ赴き、6月25日にハンガリー女王として即位した。美しく力強い女王の姿は、好印象を与えた。ここでハンガリー議会(等族議会)と交渉を開始する。9月には幼いヨーゼフを抱き「この子を抱いた私を助けられるのはあなたがただけなのです」と演説。数か月にも及ぶ折衝の末、ハンガリーは「我々は我が血と生命を女王に捧げる」と誓約し、特権と引き換えに資金と兵力を差し出した。ハンガリーは、後世までオーストリア軍の主力として勇名を馳せることとなる。
1742年5月、コトゥジッツの戦いにはフランツの弟カール・アレクサンダーを指揮官に抜擢した。このことも遠因で敗北し、7月に英国の仲介でプロイセンと一時的に休戦する。シュレージエンの割譲も容認せざるを得なかったが、これをもって占拠していたフランス・バイエルン連合軍がプラハから撤退してボヘミア(ベーメン)王位を奪還し、1743年5月12日、マリア・テレジアは同地でボヘミア女王として戴冠する。この時、何度も態度を豹変させるベーメン人に対し彼女の怒りはただならぬものがあった。カール・アルブレヒトに協力した貴族の一部と資金を工面したユダヤ人を追放した。カトリックの守護者としてユダヤ人には容赦がなかった。後に経済面への打撃から撤回している。
戦後の日本人は、正しい歴史を学校で教わって来ませんでした。
そして、現代のメディアもまた、嘘の情報を流し続けています。
私たち日本人は、親日的な立場に立ち、正しく認識し直し、
客観的に情勢を判断する必要があります。
それでは、この書物を見ていきましょう!
『 18世紀は、ヨーロッパの大国がアジアの四大帝国に優越していく時代です。その主役は、【ロシアとイギリス】です。ロシアは、スウェーデンよりもはるかに強力な、かつてのモンゴルや今のアメリカをも凌ぐ【人類史上最強最大のイギリス帝国】と対峙していくことになります。

イギリス 植民地

ロシア 植民地
18世紀前半、ヨーロッパはまだ世界のローカル地域でした。1700年から1721年、東欧でスウェーデン対モスクワ(ロシア)・ポーランド・デンマーク・ザクセンの【大北方戦争】が行われているとき、西欧では、1701年から1714年までフランス対オーストリア・オランダ・イングランド・プロイセン・ポルトガルの【スペイン継承戦争】が戦われていました。

ご覧のとおり、ヨーロッパの主な国々はすべて戦争に参加しています。この中で、【オーストリアとフランスが大国として生き残り、イングランド、ロシア、プロイセンが新興大国として伸長】していきます。なお、この戦争中に【イングランドはスコットランドを併合してブリテン島を統一】します(以後、イギリスと呼びます)。

スコットランドと国旗
残りの国々は没落することになるのですが、「日の沈まない国」と言われたスペインに至っては、フランスと同じブルボン家の国になってしまいました。スペイン継承戦争とは、それまでハプスブルク家が継承していたスペイン王家を、直系皇嗣が絶えたのを機にフランス・ブルボン家が占めようとしたので、それをさせまいとした西欧諸国が干渉したという戦争です。まさに「盛者必衰の理をあらわす」です。

大北方戦争とスペイン継承戦争は同時期に行われたまったく別の戦争ですが、外交的には関係しています。真ん中にいるオーストリアは、たたでさえ戦争に弱いので、二正面作戦などやりたくありません。だから、「東のほうでこうなっているから、西のほうに介入しても大丈夫だろう」という判断が働いてスペイン継承戦争に介入する、ということになります。逆に西端にいるイギリスやフランスは、自分に火の粉が飛んでくることはありませんから、外交的に口先介入をしたりします。イギリスは最後までスウェーデン王カール12世への“モラルサポート”を惜しみませんでしたが、「国運を賭して戦争に介入!」などは絶対にしませんでした。直接助けにこられない国の支援など、こんなものです。

ではロシアはというと、西欧の国々はロシアにとって手ごわい相手ですから、下手な介入はしません。…

1740年から1748年にはハプスブルク家の皇位継承をめぐり、【オーストリア継承戦争】が勃発します。

少女時代のマリア・テレジア
23歳で国を継いだ【マリア・テレジア】に対し、宿敵のフランスやプロイセンが情け容赦なく襲いかかってきました。

オーストリアは、戦争の天才といわれたプロイセンのフリードリッヒ大王に対し善戦し、大工業地帯のシュレジェンこそ奪われたものの、草刈り場になることは回避しました。

フリードリヒ2世
ロシアはこの戦争の最終局面で介入し、火事場泥棒を試みましたが、フランスやプロイセンがさっさとアーヘン和約を結んだために失敗しました。

しかし、戦争が終わったわけではありません。マリア・テレジアはシュレジェン奪還に燃えます。

神聖ローマ皇后 マリア・テレジア 1759年
彼女は、同盟国でありながらプロイセンに好意的で、自分に冷たかった【イギリスとの決別を決意】します。そして、三百年の【宿敵であったフランスと手を組みます】。「外交革命」です。

これに【ロシアのエリザヴェータ女帝】も加わりました。

エリザヴェータ (ロシア皇帝)

ポンパドゥール夫人(フランソワ・ブーシェ、1756年)
フランスでは「外交革命」を国王【ルイ15世の愛妾であるポンパドール夫人】が主導しましたので、「貴婦人たちの同盟」とも言われます。』

いかがでしょうか?
戦争に下手な介入はせず、戦争の最終局面で介入し、火事場泥棒を試みるというロシアのやり方が、良く分かりますね♥
こちらもご参照♥
↓
☆「民主党、共産党、社民党の議員」と「女性電話交換手」との決定的な違い
で、先月末からの、ロシアによるシリア空爆。
そろそろ最終局面だって、ロシアが見ている証拠かもしれませんね♥
こういった写真を目にすると、本当に胸をえぐられる思いです。


戦乱を避け、ユーロ圏内への疎開を始める人々も、多数に上っていて、また新たな問題を起こす火種にもなっています。

ドイツ西部ドルトムントで、鉄道駅に到着してバスを待ちながら「ありがとう、ドイツ」と書かれた紙を掲げる移民(2015年9月6日)〔AFPBB News〕
で、またまた阿呆な民主党の岡田。
この人は、何ら具体的政策すら持たずに、無責任な発言をしています。

難民や移民といった問題は、そもそも「受け入れようとする先進国」が存在するために生じています。
逆に言えば、断固として受け入れない、そうすれば、この問題は生じえないんです♥
難民の考え方は、すべてとは申しませんが、こちらの考え方が図星です。

すでに私たちの日本でも、問題は顕在化していますね♥

日本の刑務所の中にいる人の国籍を調べてみた…日本人は ?
例えば、左巻きの無能な輩が主導した「中国残留孤児」の問題。

詳しくはこちらをご参照♥
↓
☆始まりは、中国残留孤児でした
最終的に、こうなっちゃいました♥



こんな事件にも・・・

要するに、民主党は、口では綺麗事を言いながら、「在日黒社会とズブズブ」な関係で、当然、支那共産党からの支援も受けちゃっているんです♥
詳しくはこちらをご参照♥
↓
☆中国政府が資金援助する在日黒社会
☆中国政府や人民解放軍が支援する在日黒社会
だから、こういった発言を繰り返し・・・

在日仲間を増やそうとしているんです♥




ですから、安易に、難民や移民を受け入れるのではなく、彼らの母国で、彼らが安全に暮らせるように、教育が受けられるように、それこそ世界中が支援していかなければならないんです♥
これは、私たち日本の一貫した外交政策です。
詳しくはこちらをご参照♥
↓
☆【問題】日本が8万人の警察官の給与の半分を支払っている国は♥
安倍総理も、先般の国連演説で、このように発言しています♥
「私たちの変わらぬ原則とは、いかなる時にも、問題の根元へ赴き、状況を良くしようとすることです」

詳しくはこちらをご参照♥
↓
☆ある難民女性のカバンの中の一枚の写真 安倍総理・国連一般討論演説 ~ machiko の無知
その大前提が、戦争の終結ですね♥
そもそも、戦争が起きたのは、防御できなかった、抑止できる武力がなかったからです。
この人たちの言っているような、「戯言(たわごと)」では、何ら解決できません♥


こんなトンチンカンなデモをやっている暇があれば、できるだけ多くの書物を読んで、不勉強を補うべきなんですけどね~
そもそも、ご存じないんでしょうか?
暴れん坊のテロリストに資金や物資を提供している国々や国連の正体を。。。
詳しくはこちらをご参照♥
↓
☆ホンモノの「戦場ジャーナリスト」 セリーナ・シムさん
☆年間基本給与264億円
続きは次回に♥
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