2017-01-29 (Sun)

ティツィアーノ・ヴェチェッリオ『懺悔するマグダラのマリア』
罪の女(つみのおんな)は、単なる罪人(つみびと)ではなく女性の、とくに性的不品行に結びつけられ、娼婦をも意味する。由来はカトリック教会において、ルカによる福音書に登場する「罪深い女」がマグダラのマリアと同一視されたことによる。ヨハネによる福音書に登場する 姦通の女あるいは姦淫の女も混同されることが多い。他方、正教会にはこのような同一視は存在しない。

ミケランジェロ・メリージ・ダ・カラヴァッジオ『法悦のマグダラのマリア』
戦後の日本人は、正しい歴史を学校で教わって来ませんでした。
そして、現代のメディアもまた、嘘の情報を流し続けています。
私たち日本人は、親日的な立場に立ち、正しく認識し直し、
客観的に情勢を判断する必要があります。
それでは、この書物を見ていきましょう!
『 「ロシア正教」について少しお話してみたいと思います。

なぜ日本人にはあまり馴染みのないロシア正教の話を取り上げるのか。結論から先に申し上げますと、【ロシア正教と私たち日本人の一般的な宗教観とは、非常に似たところがある】からです。

ロシア正教の元である【「正教会(東方正教)」は、同じキリスト教のなかでも他のカトリックやプロテスタントと異なる部分があります】。大きく違う点は、【正教会は「性善説」】であるということです。

【カトリックやプロテスタントの教義には「原罪説(人間はもともと罪人である)」があります】。「人間は誰しも罪を背負って生まれてきている」という教義です。【「性悪説」】と言ってもいいでしょう。…

私たち日本人は【共産主義国ソ連のマイナスイメージ】が強すぎたこともあって、ソ連崩壊以降、【ロシアについて大きな誤解】を持っていました。それは、【ロシアの正確な情報が私たちには知らされなかった】からです。

私たちは知らず識らずのうちに、【「欧米目線のロシア観」】に染まっています。【日本のメディアも基本的に欧米のメディアの視点でロシアについて報道】する。だから、私たちのロシアを見る目というものがますます歪んでしまうのです。…

ロシア正教については、先ほど「性善説」であると申し上げました。つまり、【ロシア正教では、「人を見たら悪人と思え」あるいは「罪人だと思え」とは考えない】ということです。これは【ロシア文化を考えるうえで、非常に大きい要素】であると思います。

性善説に立つと、「対立」という考えをあまり持たなくなります。

通常の【キリスト教の世界観では、正義と悪があり】、正義の側には聖者がいて、悪の側には敵がいる。それらが対立し、最終的に正義が勝つ。そういう構図です。

【ロシア正教の世界では、「聖」と「俗」という考えが他のキリスト教と違う】のです。「聖」というものは「あの世」のことでもあり、「俗」というのは「この世」のことでもある。それを【二元的に対立しているとは捉えない】。

カトリックやプロテスタント、あるいはユダヤ教もそうですが、「聖と俗は対立する」ものとして捉えます。

しかし、【ロシア正教は違う】のです。

また、他のキリスト教では、聖と俗の対立が、人間同士の対立にも繋がっていきます。つまり、【カトリックやプロテスタントなどでは、自分たちの宗教を信じるものとそうでないものとを対立軸として考える】わけです。

ところが【ロシア正教の場合は、「人間同士は対立するものではなく、お互いに調和の関係にある」と考えます】。ですから、【正教文化では、私たちが当然のことのように思っている「正教分離」という発想はない】のです。

「政治と宗教を分離しなければいけない」というのは、「どちらかがどちらかを利用、または弾圧することになるから、分離したほうがいい」という考えです。ところが、正教文化の世界では、正教の分離ということは生じません。それは、【「政」と「教」も対立しないから】です。

私たちは【戦後教育のなかで、「正教分離は重要なこと」と教え込まれています】が、【「なぜ重要なのか」】ということについて、【もう一度じっくり考えてみる必要がある】でしょう。』

いかがでしょうか?
私たち日本人には馴染みが薄いロシア正教について書かれていますが、非常に特徴的なので、何回かに分けてご紹介をさせて頂きます。
すでに書かせて頂いておりますが、ナザレのイエスはユダヤ教を信じるユダヤ人でしたが、イエスの死後に、このイエスを信奉する人々が、初期キリスト教を形成していきます。
こちらをご参照♥
↓
☆イエス・キリストはキリスト教の創始者ではありません
以下は、Wikipediaからの抜粋です。
↓
「 原始キリスト教(げんしキリストきょう)は、最初期のキリスト教のことであり、イエスの直弟子(使徒)たちがユダヤ、ガリラヤにおいて伝道活動(布教)を始めた時代より、新約聖書の主要な文書が成立した後の西暦150年頃までをいう。
最初に書かれた福音書であるといわれる『マルコ福音書』が成立した頃の西暦70年頃以前を「ユダヤ教イエス派の運動」と呼ぶ聖書学者もいる。キリスト教がローマ帝国で広まり、ローマ皇帝テオドシウス1世が380年に国教と定める以前に建てられたキリスト教会を「初代教会」又は「原始教会」と呼ぶ。
ほとんどのキリスト教を自称する宗教団体が原始キリスト教と同じ信仰であることを強調している。実際に原始キリスト教と同じ信仰であるかどうかは別としても、原始キリスト教を否定する立場はあまり見られない。要するに原始キリスト教と同じ信仰であることを主張する事で、自らが正統的である事を宣言している訳である。」
そして、その初期キリスト教は、宗派がいくつもに分かれていました。カトリックがローマ帝国の国教とされたため、キリスト教の主流派として永らく存在したわけですが、本当の意味で、ナザレのイエスの教えを受け継いでいるのでしょうか?
甚だ疑問ですね♥

ナザレのイエスには、12人の使徒がいました。

レオナルド・ダ・ヴィンチ『最後の晩餐』1495-1498
それでは、磔刑に処されたナザレのイエスが、その死後、復活を遂げたとされるとき、最初に声をかけたのは、誰でしたでしょうか?

フレスコ画イコン 『復活』
ここで、ヨハネによる福音書を確認してみましょう。
以下は、Wikipediaからの抜粋です。
↓
「 ヨハネによる福音書(ヨハネによるふくいんしょ、古希: Κατά Ιωάννην Ευαγγέλιον Kata Iōannēn Euangelion、羅: Evangelium Secundum Iohannem)は新約聖書中の一書。
『マタイによる福音書』、『マルコによる福音書』、『ルカによる福音書』に次ぐ4つの福音書(イエス・キリストの言行録)の一つである。ルターは本福音書とパウロ書簡を極めて高く評価しており、その影響は現在のプロテスタント各派に及んでいる。」
「 ヨハネによる福音書
第20章
20:1 さて、一週の初めの日に、朝早くまだ暗いうちに、マグダラのマリヤが墓に行くと、墓から石がとりのけてあるのを見た。
20:2 そこで走って、シモン・ペテロとイエスが愛しておられた、もうひとりの弟子のところへ行って、彼らに言った、「だれかが、主を墓から取り去りました。どこへ置いたのか、わかりません」。
20:3 そこでペテロともうひとりの弟子は出かけて、墓へむかって行った。
20:4 ふたりは一緒に走り出したが、そのもうひとりの弟子の方が、ペテロよりも早く走って先に墓に着き、
20:5 そして身をかがめてみると、亜麻布がそこに置いてあるのを見たが、中へははいらなかった。
20:6 シモン・ペテロも続いてきて、墓の中にはいった。彼は亜麻布がそこに置いてあるのを見たが、
20:7 イエスの頭に巻いてあった布は亜麻布のそばにはなくて、はなれた別の場所にくるめてあった。
20:8 すると、先に墓に着いたもうひとりの弟子もはいってきて、これを見て信じた。
20:9 しかし、彼らは死人のうちからイエスがよみがえるべきことをしるした聖句を、まだ悟っていなかった。
20:10 それから、ふたりの弟子たちは自分の家に帰って行った。
20:11 しかし、マリヤは墓の外に立って泣いていた。そして泣きながら、身をかがめて墓の中をのぞくと、
20:12 白い衣を着たふたりの御使が、イエスの死体のおかれていた場所に、ひとりは頭の方に、ひとりは足の方に、すわっているのを見た。
20:13 すると、彼らはマリヤに、「女よ、なぜ泣いているのか」と言った。マリヤは彼らに言った、「だれかが、わたしの主を取り去りました。そして、どこに置いたのか、わからないのです」。
20:14 そう言って、うしろをふり向くと、そこにイエスが立っておられるのを見た。しかし、それがイエスであることに気がつかなかった。
20:15 イエスは女に言われた、「女よ、なぜ泣いているのか。だれを捜しているのか」。マリヤは、その人が園の番人だと思って言った、「もしあなたが、あのかたを移したのでしたら、どこへ置いたのか、どうぞ、おっしゃって下さい。わたしがそのかたを引き取ります」。
20:16 イエスは彼女に「マリヤよ」と言われた。マリヤはふり返って、イエスにむかってヘブル語で「ラボニ」と言った。それは、先生という意味である。
20:17 イエスは彼女に言われた、「わたしにさわってはいけない。わたしは、まだ父のみもとに上っていないのだから。ただ、わたしの兄弟たちの所に行って、『わたしは、わたしの父またあなたがたの父であって、わたしの神またあなたがたの神であられるかたのみもとへ上って行く』と、彼らに伝えなさい」。
20:18 マグダラのマリヤは弟子たちのところに行って、自分が主に会ったこと、またイエスがこれこれのことを自分に仰せになったことを、報告した。
20:19 その日、すなわち、一週の初めの日の夕方、弟子たちはユダヤ人をおそれて、自分たちのおる所の戸をみなしめていると、イエスがはいってきて、彼らの中に立ち、「安かれ」と言われた。
20:20 そう言って、手とわきとを、彼らにお見せになった。弟子たちは主を見て喜んだ。
20:21 イエスはまた彼らに言われた、「安かれ。父がわたしをおつかわしになったように、わたしもまたあなたがたをつかわす」。
20:22 そう言って、彼らに息を吹きかけて仰せになった、「聖霊を受けよ。
20:23 あなたがたがゆるす罪は、だれの罪でもゆるされ、あなたがたがゆるさずにおく罪は、そのまま残るであろう」。
20:24 十二弟子のひとりで、デドモと呼ばれているトマスは、イエスがこられたとき、彼らと一緒にいなかった。
20:25 ほかの弟子たちが、彼に「わたしたちは主にお目にかかった」と言うと、トマスは彼らに言った、「わたしは、その手に釘あとを見、わたしの指をその釘あとにさし入れ、また、わたしの手をそのわきにさし入れてみなければ、決して信じない」。
20:26 八日ののち、イエスの弟子たちはまた家の内におり、トマスも一緒にいた。戸はみな閉ざされていたが、イエスがはいってこられ、中に立って「安かれ」と言われた。
20:27 それからトマスに言われた、「あなたの指をここにつけて、わたしの手を見なさい。手をのばしてわたしのわきにさし入れてみなさい。信じない者にならないで、信じる者になりなさい」。
20:28 トマスはイエスに答えて言った、「わが主よ、わが神よ」。
20:29 イエスは彼に言われた、「あなたはわたしを見たので信じたのか。見ないで信ずる者は、さいわいである」。
20:30 イエスは、この書に書かれていないしるしを、ほかにも多く、弟子たちの前で行われた。
20:31 しかし、これらのことを書いたのは、あなたがたがイエスは神の子キリストであると信じるためであり、また、そう信じて、イエスの名によって命を得るためである。」
☆口語訳聖書 『ヨハネによる福音書』
御覧のとおり、復活したイエスは、最初にマグダラのマリアと話し、そして指示を与えています♥

『洞窟のマグダラのマリア』 ジュール・ジョゼフ・ルフェーブル
以下は、Wikipediaからの抜粋です。
↓
「 マグダラのマリア(Mary of Magdala)は、新約聖書中の福音書に登場する、イエスに従った女性である。正教会では携香女・亜使徒の称号をもつ聖人。香油の入った壷を持った姿で描かれているが、これは墓にあると思われていたイエスの遺体に塗るために香油を持って墓を訪れたとの聖書の記述に由来し、「携香女」(けいこうじょ)の称号もこの記述に由来する。

マグダラの聖マリア
マグダラのマリアは、イエスの死と復活を見届ける証人であるとともに、西方教会では男性原理を重視し組織形成していたため、教義上「悔悛した罪の女」とした。東方教会(正教会)ではマグダラのマリアを「罪の女」と同一視してこなかった。これまで多くの解釈が生まれ、真実などはっきりしないまま今に至る。従って「罪の女」と「マグダラのマリア」を関連付けたことによる伝承は西欧・西方教会(ことにカトリック教会)独自のものである。

『懺悔するマグダラのマリア』 グイド・レーニ
古くから存在する異端と言われる宗派では、イエスには花嫁としてのマリアが存在し、イエスと同等に敬愛され尊重されてきた。異端と言われても、教義・慣習に差があるだけで、俯瞰で見れば、同じキリスト教ではある。」
このように、カトリックでは、マグダラのマリアは貶められた存在になっています。
イエスの死、そしてイエスの復活、その両方を見ていて、しかも復活したイエスが最初に話しかけて指示をしているにも関わらず。。。
また、正教会が「携香女」としているように、マグダラのマリアは傷ついたイエスの死体を香油で清め、埋葬の準備をしようとしていたわけですが、これはユダヤ教においては、極限られた、非常に近い親族にのみ認められたもので、弟子であろうと、従者の女性であろうと「関わることができない」ものでした♥
ということは、マグダラのマリアは、イエスに非常に近い親族ということになります。つまり、イエスの配偶者です♥ 12人の使徒よりも、はるかに上位に位置する、「使徒中の使徒」、それがマグダラのマリアだったんです♥

『マグダラのマリアの浄化』 ホセ・デ・リベーラ
「 マルコによる福音書
第16章
16:1 さて、安息日が終ったので、マグダラのマリヤとヤコブの母マリヤとサロメとが、行ってイエスに塗るために、香料を買い求めた。
16:2 そして週の初めの日に、早朝、日の出のころ墓に行った。
16:3 そして、彼らは「だれが、わたしたちのために、墓の入口から石をころがしてくれるのでしょうか」と話し合っていた。
16:4 ところが、目をあげて見ると、石はすでにころがしてあった。この石は非常に大きかった。
16:5 墓の中にはいると、右手に真白な長い衣を着た若者がすわっているのを見て、非常に驚いた。
16:6 するとこの若者は言った、「驚くことはない。あなたがたは十字架につけられたナザレ人イエスを捜しているのであろうが、イエスはよみがえって、ここにはおられない。ごらんなさい、ここがお納めした場所である。
16:7 今から弟子たちとペテロとの所へ行って、こう伝えなさい。イエスはあなたがたより先にガリラヤへ行かれる。かねて、あなたがたに言われたとおり、そこでお会いできるであろう、と」。
16:8 女たちはおののき恐れながら、墓から出て逃げ去った。そして、人には何も言わなかった。恐ろしかったからである。
16:9 週の初めの日の朝早く、イエスはよみがえって、まずマグダラのマリヤに御自身をあらわされた。イエスは以前に、この女から七つの悪霊を追い出されたことがある。
16:10 マリヤは、イエスと一緒にいた人々が泣き悲しんでいる所に行って、それを知らせた。
16:11 彼らは、イエスが生きておられる事と、彼女に御自身をあらわされた事とを聞いたが、信じなかった。」
☆口語訳聖書 『マルコによる福音書』
12使徒の面目丸潰れということですね♥
で、もし仮に、イエスとマグダラのマリアとの間に、それぞれの血を引く子供が存在していたら、どうなるでしょうか♥

このお話は、また別の機会にでも書かせて頂きます。

ドメニコ・ティントレット 『懺悔するマグダラのマリア』
続きは次回に♥
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