日本が世界の手本です ~ 人間世界でもっとも理想郷に近かった江戸時代

    2013年の識字率一覧
    2013年の識字率一覧
    識字(しきじ)(literacy)とは、文字(書記言語)を読み書きし、理解できること、またその能力。文字に限らずさまざまな情報の読み書き、理解能力に言及する際には、日本語ではリテラシーという表現が利用される。識字は日本では読み書きとも呼ばれる。読むとは文字に書かれた言語の一字一字を正しく発音して理解できる(読解する)ことを指し、書くとは文字を言語に合わせて正しく記す(筆記する)ことを指す。この識字能力は、現代社会では最も基本的な教養のひとつで、初等教育で教えられる。
     1443年に朝鮮通信使一行に参加して日本に来た申叔舟は、「日本人は男女身分に関わらず全員が字を読み書きする」と記録し、また幕末期に来日したヴァーシリー・ゴローニンは「日本には読み書き出来ない人間や、祖国の法律を知らない人間は一人もゐない」と述べている。日本の識字率は極めて高く江戸時代に培われた高い識字率が明治期の発展につながったとされる





    戦後の日本人は、正しい歴史を学校で教わって来ませんでした。

    そして、現代のメディアもまた、嘘の情報を流し続けています。

    私たち日本人は、親日的な立場に立ち、正しく認識し直し、

    客観的に情勢を判断する必要があります。

    それでは、この書物を見ていきましょう!




    『 【日本が世界の手本になる】という話をする時には、何よりも【江戸時代】を、取り上げなければならない。

    悩む女の子2

     もちろん、人間の世界に理想郷が存在することは、ありえない。しかし、江戸時代の日本社会は、やや誇張していえば、もっとも理想郷に近かったといってよい。

    驚き顔

     それでも、多くの日本人までが、江戸時代というと階級差別がひどく庶民が虐げられた【「暗い時代」だったと思い込んでいる】

    驚き顔

    だが、【そのような事実は、まったくない】

    ポイント

     日本独自の文化が円熟したのは、徳川時代とも呼ばれている、江戸時代だった。

     江戸時代260年以上も【途切れることなく平和】が続いた

    驚き 2

    このような平和な時代が長く続いた例は【世界のどこにも、まったく見られない】

    ポイント

     江戸時代は、【当時の世界のなかで、庶民がもっとも恵まれた社会】を形成していた。

    驚き 2

     もちろん、これは日本の「和の心」だけが、もたらしたものではない。

     日本列島が、争乱の絶えることがない大陸から、海によって隔てられていたことに加えて、【中華帝国がもっともさかんに周囲を侵略して、新疆(しんきょう)からチベット、ネパールまで膨張した、清の乾隆帝(在位1735~96)の治世にも、日本に対して食指を動かすことがなかった】という、幸運も働いた。

    乾隆帝
    乾隆帝

     江戸時代のヨーロッパでも、アジアでも、戦乱が絶えなかった。そのあいだに、ごく短い平和な時期があっても、王侯貴族をはじめとする支配階級が贅(ぜい)に耽(ふけ)るかたわらで、庶民は下層で、ひたすら惨めな生活を強いられていた。そのうえ、ユダヤ民族を除けばほとんどの男女が教育がなく識字率もきわめて低かった

    驚き顔

     ところが江戸時代に、【日本の庶民は世界のどこよりも、自由で、豊かな生活を謳歌していた。犯罪率が驚くほど低く、世界のなかでもっとも教育水準が高かった】

    驚き 2

     あのころの【世界で、日本ほど人権が尊重されていた社会はなかった】

    ポイント

     欧米では日本に対する無知から、江戸時代というと、西洋とまったく同じように、支配階級であった武士(サムライ)が庶民を抑えつけて、民衆の幸せを思いやることなく、勝手気儘に振る舞っていた「封建時代(フューダル・ソサエティー)」だったと、思い込んでいる。』

    日の丸

    いかがでしょうか?

    御理解いただけましたでしょうか♥

    欧米人や支那朝鮮人は、自分たちがそうであるが故に、私たち日本人も「きっと、自分たちと同じだろう」って思い込んでいるんです♥

    同じように思い込んでいる少数の左巻き日本人散見されますが、トンデモない間違いですね♥ 明らかに、お勉強の足りない人達ですね♥

    ガッキー

    それでは、お勉強をしてまいりましょう♥

    「ユダヤ民族を除けば、ほとんどの男女が、教育がなく、識字率もきわめて低かった」と、著者は述べています。

    では、当時の日本人がどうかといいますと。。。

    「 江戸時代の初等教育は寺子屋で「いろは」を教え、聖徳太子による十七条憲法(604年)や鎌倉時代の貞永式目(じょうえいしきもく/1232年)を教える。つまり、国語と社会と道徳が一体化していました。貞永式目を学べば、「日本というのはこういう社会だ」ということがわかります。貞永式目はもちろん鎌倉時代に作られたものですが、実は江戸時代にも生きていますし、今の民法にも入っているんです。」

    寺子屋書初歌川豊国(初代)画 文化1年(1804) 国立国会図書館所蔵
    寺子屋書初歌川豊国(初代)画 文化1年(1804) 国立国会図書館所蔵

    「 つまり、寺子屋というのは社会で生きていくための知識を学ぶ場所であって、先生のイデオロギーが入り込まないんです。」

    「 江戸時代の識字率はほぼ100%です。よく識字率60%という数字が言われていますが、あれは漢字が読めない人の率なんです。世界の識字率一位が断トツで日本、二位・三位が英仏で識字率40から50%ぐらいだとよく言われるんですけど、英仏のその数字はアルファベットが書けるかどうかです。」

    「 ヨーロッパはどこの国でもエリートしか教育しなかった。教育を受けられるということ自体、特権階級なんです。日本はそこが全然違います。末端まで行き渡っている。」

    「 ヨーロッパはキリスト教が数学を禁止している時代が長かったので、「数学ができるようなやつは魔女だ」と火あぶりになってしまった時代も長いんです。ヨーロッパで数学ができるのはユダヤ人かアルメニア人だとよく言われます。たまにイスラム教徒とか。」

    「 一方日本では、算盤を練習すると暗算もできるようになるし、江戸時代にはあちこちの神社に算額が掲げられて、和算の本がベストセラーになったりしています。江戸時代は、初等教育ですでにこのレベルですよ。断トツで世界一です。」

    詳しくはこちらをご参照♥

    江戸時代の日本人が、断トツで一位だったこと ~ 算額の問題を解いてみましょう!



    当時の寺子屋の先生は、実に3分の1が女性だったといいますから、江戸時代の日本人の凄さが御理解いただけることと思います♥

    その平和な江戸時代に、世界がどうだったかといいますと。。。

    「 「三十年戦争」もそうですが、カトリックとプロテスタントの争い。これまた、至るところで戦争を繰り返しています。このすさまじい宗教戦争は16世紀、17世紀、18世紀と、息つく暇もないほどでした。まさに、内乱に次ぐ内乱の時代です。そのため、「軍事革命の三百年」ともいわれています。ところが、その三百年間、わが日本は武器を放棄しています。武装解除の平和な時代でした。それもまた一方の事実であります。江戸時代を通じてそうだったことは周知のとおりです。
     当時のヨーロッパはやがて啓蒙主義が出てきて、少しずつ政治と宗教を分けるようになりますが、1600年代には、まずイギリスで「ピューリタン革命」が起こります。クロムウェルという人物が出てきて、流血革命の中でチャールズ1世を処刑するというドラマが起こります。世界史においては、イギリスが真っ先に王様の首を切ったんですね。
     この革命が起こった動因の一つが「千年王国論」でした。

     「千年王国論」というのは、神が約束してくれた王国、至福と恍惚の王国――その王国が千年続いて、その後、神が再臨する。これはユダヤ教の考え方が非常に強いわけでありますが、そうして降臨した神が真の意味での至福を与えてくれる、という考え方です。「千年王国」の思想は新約聖書の「ヨハネの黙示録」、あるいは旧約聖書の「ダニエル書」に記されています。終末は迫っている。神とサタンの最終戦争である「ハルマゲドン」が起こり、地上が破壊される。だが、その極限状態のところで神が再臨して、われわれは至福の天国に救われる…。
     それに対してカトリックはどういう考え方をしていたかというと、神は再臨しない。この地上に神は訪れない。いまあるこの教会こそが「神の国」なのであると、非常に政治的で保守的です。したがって、「千年王国論」のごときは異端であるといって、カトリックとプロテスタントは激しくぶつかり合うわけです。しかし、みなさん、この「ピューリタン革命」こそ、アメリカを生んだニューイングランドの思想そのものなのです。ニューイングランドというのは、イギリスから新大陸に渡って行った清教徒(せいきょうと、ピューリタン)たちがつくった国家でありますが、彼らはその地に「千年王国」をつくるといって出て行ったのです。
     その後、ヨーロッパでは啓蒙思想が出てきたり、成熟したカトリックも消えたりしませんでしたから、保守的で穏健な思想も育っていきます。
     ところが、アメリカは必ずしもそうじゃないんですね。アメリカは建国の基本において「千年王国」のような過激な思想でつくられた国家だったからです。ただ、アメリカは物質文明に恵まれていましたし、産業も発展した。経済も豊かになった。それで、だんだん革命的な気分は消えていきます。
     これを見てもわかるように、歴史を動かしたのは宗教なのです。先ほど申し上げたピューリタン革命も、アメリカの独立戦争も南北戦争も、みんな宗教が動因になっています。もちろん、フランス革命もそうです。…昭和の作家横光利一『旅愁』がテーマにしたキリスト教と「和魂」との対決が示したように、昭和の戦争の背景に宗教があることは気づく人は気づいていました。」


    詳しくはこちらをご参照♥

    平和な江戸の200年 VS キリスト教内乱の300年



    このように平和な江戸時代は、日本独自の文化発展させていき、それがヨーロッパに伝わるや、たちまちにして、それまでのヨーロッパ美術に打撃を与えます♥ それが「ジャポニズム」です♥

    クロード・モネ作『ラ・ジャポネーズ』
    クロード・モネ作『ラ・ジャポネーズ』

    「 江戸時代というと何を思い浮かべますか。封建社会。士農工商。そんなところではないでしょうか。士農工商の身分、階級が定まっていて、大名、代官、大地主たちが町民や農民を苦しめ、それに耐えかねて人々はしばしば一揆を起こした――実際、こんなふうに述べている歴史書もたくさんあります。しかし、最近は研究が進んで、人々は意外に自由で、身分に縛られて経済的に苦しめられるような立場ではなかったという江戸時代の姿が明らかになってきています。考えてみれば、もし人々が不自由で苦しい生活を強いられていたのならば、…豊かな庶民文化など花開くはずはないのです。

     近代以前の封建的な暗黒の時代。そういう観念が江戸時代の暗いイメージをつくり上げているのでしょう。歴史を観念で見てはなりません。イデオロギーで思い込んではなりません。

     将軍や大名は決して大土地所有者ではないのです。領内から徴税して、それでもって行政に当たる、そういう立場でした。土地を所有していたのは町人や農民でした。その土地を自由に売買することができました。土地を売ってその代金を資金にし、たとえば酒造や織物の仕事をすることもできました。人々は農奴のように身分を固定されていたわけではなく、資本家として活動することもできたのです。
     少数ながら、土地をもたない小作人もいないわけではありませんでした。しかし、彼らは収穫の二分の一を取得する権利をもっていたのです。努力して収穫を上げれば、小作人をやめることができました。…
     幕府の政治も将軍の独裁などではなく、評定(会議)によって行われました。「百姓は大御宝(おおみたから)」という農民重視の思想が根底にあって、さまざまな施策がとられました。…
     農民は副業を営むことができ、それは課税されませんでした。だから、幕末の寛永のころには、農民が納める年貢率は全収入の一割、多くて三割になっていました
     その年貢は主に、人々の暮らしをよくするための公共施設の基盤整備に使われました。大河川の氾濫に備えた堤防の構築や、物資輸送のための道路整備や港湾施設の拡充などです。…
     百姓一揆が起こっても、それが一方的に抑えられ、処断されるようなことはありませんでした。事情やいきさつがくわしく調べられ、原因をつくった責任者は罷免や没収などの改易に処せられました。一揆を起こした側も、首謀者以外は無罪放免になるのがほとんどでした。
     士農工商は当初、社会安定のために設けられました。しかし、実際は流動化していきました。人々はそれぞれにさまざまな生き方をしているのですから、そうなっていくのは当然です。…身分は絶対的なものではなかったのです。

     文化の面ではどうしても上方が中心でしたが、18世紀後半になると、上方にかわって江戸でその花が開くことになります。特に美術においては、世界的な創造がなされた時代といえると思います。
     浮世絵では「錦絵」という多色刷りの版画が生まれ、絵として人気を得るようになりました。
     鈴木晴信は美人画に詩情を与え、鳥居清長は女性画の華麗なる世界をつくり上げたのです。喜多川歌麿は女性の何気ない仕種を表現し、絵画の自立性を高めました。東洲斎写楽は役者絵で人物の特徴の性格、表情をとらえました。
     実は、この写楽は謎の人物でした。でも最近の研究によって、それまで役者絵を描いていた勝川春朗こと葛飾北斎が、10ヶ月だけ名を変えた画家であることが明らかになっています。
     北斎はこの時期以後風景画に転じ、世界的な質の高い作品をつくりました。名高い『富嶽三十六景』はじめ、『百人一首乳母が絵解き』『諸国滝廻り』など、奇抜な構図と色彩で人々を引きつけました。…
     歌川広重は『東海道五十三次』で、北斎に学びながら情緒的な風景画を描きました。
     これらの浮世絵が19世紀後半、万国博などの機会に西洋に渡り、「ジャポニズム」として西洋絵画形成に大きな影響を与えたことは、いまや通説になっています。」


    詳しくはこちらをご参照♥

    世界に影響を与える「ジャポニズム」 ~ 「ヘンリー&ジューン/私が愛した男と女」の場合



    こういう基本的なことを、私たち日本人自身が知っていないことには、外国人の勝手な思い込みを、「間違っていますよ!」って指摘することさえできませんね♥


    続きは次回に♥




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    Category: 日本
    Published on: Wed,  03 2016 00:02
    • Comment: 2
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    2 Comments

    カムバック  

    まだまだ寒いです

    やっぱり日本人に生まれただけで
    勝ち組ですね。去年の大河で美和さんが地元の女性たちに字を教えていましたが、違和感ありました。私も寺子屋で平仮名なんか教わってたはずなのに・・と思ってました。孟子孔子はさすがに習わないけどね〜。笑
    江戸時代の印象を、カムイ伝の世界みたいに植え付けられました。平和で華やかな時代だったことが都合悪い人たちがいるのでしょうね。
    世界だけでなく、国内にも。都合悪い人たち、見てますか?私のような
    おばちゃんでもわかってきましたよ。笑笑
    いつもお勉強させていただき、ありがとうございます。頑張りましょう。国を守るのは台所からです。

    2016/02/03 (Wed) 10:38 | REPLY |   

    みっちゃん  

    Re: まだまだ寒いです

    カムバックさん、こんにちは♥
    いつも、ありがとうございます。

    江戸時代を否定したのは、やはり明治の西洋化に原因があったんでしょうね~
    西洋がすべて良いものだって、勘違いしてしまっていたんですね。これ、実は今でも通じるお話なんで、困ったものですけど♥

    日本人は、本当に悠久の平和な歴史を持つ唯一の民族です。ちょこっと、お勉強するだけで、すぐに理解ができますし、日本人の日本人らしさは古来より一貫していることも分かります♥ このあとの書籍で、そのあたりをご紹介させて頂きます^^
    今後ともよろしくお願いしま~す♥

    2016/02/03 (Wed) 15:59 | REPLY |   

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