黄河文明よりも古い!  日本人が9000年前に持っていた技術

    輪島塗
    輪島塗
    漆(うるし)とは、ウルシ科のウルシノキ(漆の木;Poison oak)やブラックツリーから採取した樹液を加工した、ウルシオールを主成分とする天然樹脂塗料である。塗料とし、漆工などに利用されるほか、接着剤としても利用される。

    うるしの語源「麗し(うるわし)」とも「潤し(うるおし)」ともいわれている

    最も一般的な用途は塗料として用いることである。漆を塗られた道具を漆器という。黒く輝く漆塗りは伝統工芸としてその美しさと強靱さを評価され、食器や高級家具、楽器などに用いられる。

    漆は熱や湿気、酸、アルカリにも強い。腐敗防止、防虫の効果もあるため、食器や家具に適している。一方、紫外線を受けると劣化する。また、極度の乾燥状態に長期間曝すと、ひび割れたり、剥れたり、崩れたりする。

    漆を用いた日本の工芸品では京漆器がよく知られており、漆塗りの食器では、輪島塗などが有名。竹細工の籠を漆で塗り固めるもの(籃胎)や、厚く塗り重ねた漆に彫刻を施す工芸品(彫漆)もある。

    碁盤や将棋盤の目も、伝統的な品では黒漆を用いて刃を潰した刀に漆を付け、盤上に下ろす太刀目盛りという手法で書かれる。

    伝統的な将棋駒は黄楊を書体に合わせて彫り、黒漆が塗られる。彫った表面に漆を塗る掘駒、黒漆と砥の粉を調合して彫りを埋める彫埋駒、掘埋の表面にさらに漆を塗り重ねた盛上駒がある。





    戦後の日本人は、正しい歴史を学校で教わって来ませんでした。

    そして、現代のメディアもまた、嘘の情報を流し続けています。

    私たち日本人は、親日的な立場に立ち、正しく認識し直し、

    客観的に情勢を判断する必要があります。

    それでは、この書物を見ていきましょう!




    『 【世界最古の土器は、日本で見つかっている】。最新の発見では1万6500年前のものだという。

    ポイント 23

    大平山元遺跡 土器
    大平山元遺跡 土器

    それに次ぐのが揚子江中流域で見つかった約1万4000年前のものである。…

    詳しくはこちらをご参照♥

    悠久の日本 ~ 西洋人なら笑いとばしたくなる話



     メソポタミア、エジプト、インド、シナのいずれの文明においても土器捧(ささ)げ物食べ物を盛り付けるために使われたのだが、
    血と皿
    こちらもご参照♥

    漢字の『皿』と『血』が似ている理由♥



    【日本の土器は煮炊きのために使われていた】

    w37RK.jpg

    時期においても、用途においても、【日本の土器は他文明よりも、はるかに進んでいた】

    OK 女子

     20世紀最大の先史学者と呼ばれるゴードン・チャイルドは、土器の発明「化学的変化を応用した人類最初の大事件」と見なしている。粘土を焼くと、水に溶けない土器になるという化学的変化を「人類最初の大事件」としたのだが、【土器を煮炊きに用いるのは、その特性を最大限に活用した工夫】であった。

    ゴードン・チャイルド
    ゴードン・チャイルド

     さらに粘土可塑性(かそせい)を持ち、それを焼くことで、自由な造形や模様づけが可能である。撚糸(よりいと)を土器表面に回転させて縄目(なわめ)模様をつけた縄文土器、燃え上がる炎の形状を模した火炎土器など、芸術性の豊かな土器を、我々の祖先は生み出した

    新潟県笹山遺跡出土深鉢形土器(国宝)
    新潟県笹山遺跡出土深鉢形土器(国宝)

     後の【ものづくり大国・日本の遺伝子は、はるか先史時代から発揮されていた】ようだ。

    ポイント 女性

     漆(うるし)の技術先史時代から、日本で花開いていた。従来は、揚子江流域の河姆渡(かぼと)遺跡で発見された7000年前の漆工品が最古のものとされていたが、【北海道函館市の垣ノ島B遺跡から出土した赤色漆が9000年前の物だと判明】した。

    垣ノ島遺跡漆塗り注口土器
    垣ノ島遺跡漆塗り注口土器

     上述の土器でも出てきたが、【長江(揚子江)文明は漢民族の黄河文明より早く開けたもの】で、その【末裔は現在の中国南方の少数民族】であり、さらにその一部は台湾から日本に渡ってきたという説がある。いずれにしても【黄河文明とは関係がなさそう】だ。

    歴史区分 5 

    こちらもご参照♥

    世界の人は、「四大文明」なんて知りません ~ 優れた縄文文明



     約5500年前から1500年間、縄文時代前期から中期にかけて栄えた青森県の巨大集落跡【三内丸山遺跡(さんないまるやまいせき)】では、直径が30センチほどもある見事な【漆塗りの皿も出土】して、専門家を驚かせた。【現代にひけをとらない漆の技術がすでに存在していた】のだ。

    三内丸山遺跡 復元漆器
    三内丸山遺跡 復元漆器

    こちらもご参照♥

    日本にあった「バベルの塔」 ~ 三内丸山遺跡のスゴイところ



     江戸時代には、オランダが長崎で大量の漆器や磁器を買い付け、ヨーロッパに持ち込むようになった。18世紀のヨーロッパでは、【日本の漆器が一大ブームとなり、漆器が「ジャパン」と呼ばれるようになった】

    こちらもご参照♥

    「Japan」と「japan」の違い



    日本の漆器値段が高いために、ヨーロッパでは模造品が作られたがその質においては本物に到底及ばなかった。』

    日の丸

    いかがでしょうか?

    今回ご紹介させて頂く書物は、著者のメールマガジン『国際派日本人養成講座』が元ネタになっていますが、比較的短いお話が、非常にたくさん載っていて、とても楽しく読ませて頂きました♥ お勧めです^^

    kokusaiha.jpg
    国際派日本人養成講座

    さて、本日は、子供たち学校で覚えさせられている「四大文明」を考えてみましょう♥

    まず、メソポタミア文明ですが、古くは紀元前12500年頃ナトゥーフ文化にまで遡ります。エジプト文明も、この頃に定住がはじまったと考えられています。

    ちなみに、この二つの文明間の距離は、日本で例えるなら、東京⇔福岡ほどの短い距離になります。

    東京 福岡

    こちらもご参照♥

    人類最古の農業が行われたところは?



    また、私たち日本の最古の石器は、出雲市の砂原遺跡で発見されたもので、約11万年前のものです♥

    日経 日本最古 石器
    島根・出雲の砂原遺跡の石器、「日本最古」に再修正

    続いて、インダス文明ですが、狭義では紀元前2600年頃に始まる「新しい文明」で、それ以前の「メヘルガル」遺跡を含めても、紀元前7000年頃になります。

    以下はWikipediaからの抜粋です。

    「 メヘルガルは、考古学的にも重要な新石器時代の遺跡(紀元前7000年-紀元前2500年)で、現在のパキスタン、バローチスターン州に位置する。南アジアで最初期の農耕(小麦と大麦)と牧畜(牛、羊、山羊)の痕跡がある遺跡である。」

     メヘルガルはインダス文明の発生よりも古い遺跡である。イスラマバードのカーイデ・アーザム大学の考古学名誉教授 アフマド・ハサン・ダーニー は「メヘルガルでの発見はインダス文明の概念を根底からくつがえした」とし、「そこでは村が始まった当初から連綿と生活が続いていた」としている

     初期のメヘルガルの建物は泥レンガ製で、穀物を蓄える倉があり、付近で採掘された銅で道具を作り、大きな籠には歴青で補強している。六条オオムギ、1粒コムギ、2粒コムギ、ナツメ、ナツメヤシを栽培し、羊、山羊、牛を育てていた。紀元前5500年から紀元前2600年ごろには、石器製作、皮革なめし、金属加工などの手工業が盛んになっている。この場所には紀元前2600年ごろまで継続的に人間が住んでいた。」


    メヘルガルから出土した像
    メヘルガルから出土した像

    メヘルガル遺跡の初期の時代、その頃に私たちの日本では、さきほどご紹介させて頂きました「漆」技術を持っていたっていうことになります♥

    垣ノ島遺跡漆塗り注口土器
    垣ノ島遺跡漆塗り注口土器

    さて、学校で教えられる「黄河文明」ですが、古くは紀元前7000年頃に遡ります。私たちの日本ですでに「漆」技術を持っていた時代です♥

    で、これとは別の文明、現在の中国南方の少数民族の祖先の文明「長江文明」が、紀元前14000年頃に遡ります。

    この「長江文明」からも、古い土器が発見されてはいるんですが、その年代の推定については色々と問題点があります

    東アジア 土器出土遺跡
    極東における土器出現の年代と初期の用途

    「 中国南部では土器出現の古さが比較的早くから注目され、調査研究が進められてきた(張1989t 焦1994t 任・笑1999) ロ広西壮族自治区廟岩遺跡(越・芙2003) 、甑皮岩遺跡(中国社会科学院考古研究所・広酎壮族自治区文物工作隊2003) 、大龍揮鯉魚噴遺跡下文化層3 層(柳州市博物館・広西壮族自治区文物工作隊1983) 、頂蜘山遺跡1期(中国社会科学院考古研究所広西工作隊・広西壮族自治区文物工作隊・南寧市博物館1998) 、江西省仙人綱遺跡下層(張2000) 、吊桶環遺跡(張2000) 、湖南省玉槍岩遺跡(哀2000) などが、現在知られる土器出現期の代表的な遺跡である。仙人洞遺跡出土例は粗い縄文を施文した丸底の土器である。語版岩遺跡・大龍源鯉魚鳴遺跡・頂蝋山遺跡・玉嶋岩遺跡にも同様の粗い縄文が特徴的にみられる。

     これらの遺跡の14C 年代には10t OOOBP を超える測定値が多数含まれており、中国南部の北緯20~300 付近にもかなり古い土器起源地の一つがあることは確実である。ただし、広大な石灰岩地帯を抱える同地域では、14C 年代測定に厄介な問題も指摘されている。仙人洞遺跡・甑皮岩遺跡・大龍湾鯉魚噴遺跡では年代測定結果と遺跡の層位との矛盾がみられ、石灰岩から地下水に溶解したCaC03 のdead carbon による試料の汚染が主な原因と見られている(An Zhimin 1991 ,原1993) 。淡水産貝試料の場合が特に問題となり、木炭・獣骨試料と比較して17%以上も年代値が古くなるという指摘もあり、年代補正が試みられている(北京大学歴史系考古専業1-tc実験室・中国社会科学院考古研究所14C 実験室1982)0 15, 000BP を上回る14C 年代値で注目されている廟岩遺跡の場合も、5 層の年代値は貝殻試料が土器付着物・抽出腐植酸試料のそれよりも明らかに古くなっている(越・実2003) 。」


    以上、見て参りましたように、なぜか私たちの日本には、古くから文明が存在しているにもかかわらず、「日本文明」として教えていないのが、現在の「社会科」です。そして、この「社会科」が、戦後に持ち込まれた「共産主義・社会主義思想」の産物なんです♥

    社会科 教科書 東京書籍

    こちらもご参照♥

    「社会科」って、結局は何なの? ~ 教育・社会悪化の根本原因=「社会科」



    それでは本日の最後に、私たち日本の「漆」について、こちらの動画をどうぞ♥





    続きは次回に♥




    ランキング参加中で~す^^ ポチっとお願いします♥
    ↓↓↓↓↓↓↓

    にほんブログ村 本ブログ おすすめ本へ
    にほんブログ村


    人気ブログランキングへ
    関連記事
    Category: 日本
    Published on: Tue,  30 2016 00:01
    • Comment: 0
    • Trackback: 0

    0 Comments

    Post a comment