元自衛隊の“オヤジ”たちがカンボジアでやっていること

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    認定特定非営利活動法人 日本地雷処理を支援する会

    自衛隊(じえいたい、英語: Japan Self-Defense Forces, JSDF)は、日本における防衛組織である。陸上自衛隊・海上自衛隊・航空自衛隊は、自衛隊法第3条第1項により「我が国の平和と独立を守り、国の安全を保つため、直接侵略及び間接侵略に対し我が国を防衛することを主たる任務とし、必要に応じ、公共の秩序の維持に当たる」ものとされ、人命救助などの災害派遣や国連PKOへの派遣などの国際平和協力活動を副次的任務とする。防衛省の管轄下に置かれる。

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    認定特定非営利活動法人 日本地雷処理を支援する会





    戦後の日本人は、正しい歴史を学校で教わって来ませんでした。

    そして、現代のメディアもまた、嘘の情報を流し続けています。

    私たち日本人は、親日的な立場に立ち、正しく認識し直し、

    客観的に情勢を判断する必要があります。

    それでは、この書物を見ていきましょう!




    『 カンボジアでの地雷処理は、活動終了と拡大を繰り返しながら、現在でも着実な成果を上げています。

    いまだに地雷原の中に住む地雷被害者
    いまだに地雷原の中に住む地雷被害者

    民家の庭先で探知活動中のデマイナー 
    民家の庭先で探知活動中のデマイナー
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    金属探知機による探知活動 金属反応ポイントを探知活動中

    地雷探知犬の様子 掘り出された地雷

    そこに一つの転機が訪れます。発端は、対人地雷除去機や建機を提供する協力企業の担当者と、JMAS(国際協力NGO 日本地雷処理を支援する会)の現地スタッフが交わした何げない会話でした。

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    認定特定非営利活動法人 日本地雷処理を支援する会



     「地雷処理だけでは村の復興にはつながらないのではないですか。内戦による地雷で生活基盤を汚染された村人たちに“安心で安全な”生活を取り戻してもらうことはできないのですか」

    と聞くメーカー担当者に、現地スタッフが答えます。

     「日本のNGO無償資金協力は、地雷や不発弾処理の単独事業しか認められないのですが、たしかに実態とかけ離れている感じがします。でも……そうだ。対人地雷除去機とブルドーザなどの建機を組み合わせれば、新たな資金がなくても村の基盤整備ができます。よ」

     そして2006年道路、ため池、井戸、そして学校を建てる「安全な村づくり」がJMASの新たな活動に加わることになったのです。村人も大喜びするにちがいない。現地スタッフ勇んで村長を訪ねます作業協力を打診したものの、【キッパリ拒否】されてしまいました。

    驚き 2

     「私たちは、お金も機械ももっていません。またみなさんの道路工事などを手伝うと【ポル・ポト時代の強制労働の“悪夢”】を思い出します

    驚き 8

     【国際貢献も、外交も、安全保障も、相手があって初めて成立します】

    ポイント 女性

    カンボジアが背負う悲しい歴史を忘れ、【支援してやるのだから村人たちが協力するのは当然、という自己中心の姿勢に問題があった】のです。

    ポイント 女性

    【“オヤジ”たちは半年間、自分たちだけで安全な村づくりの作業に没頭しました】

    SVC_手付かずの道路
    手付かずの道路
    SVC_道路基盤まで流失した道路
    道路基盤まで流失した道路

    SVC_ビフォー
    ビフォー
    SVC_アフター
    アフター

     【初めての協力者は子どもたちでした】【気温40度の炎天下のもと、測量の手伝いをしてくれた】のです。この日を境【村人たちの態度は一変】しました。

    ポイント 女性

    バナナを差し入れ激励してくれ、やがて道路補修・整備などで協力を得ることができるようにもなりました。

    SVC_意外と自然に見えるのが不思議です

     それから6年が過ぎたとき、【約500ヘクタールで地雷を処理して宅地や農地に変え、20キロの道路・側溝、25個のため池と10個の井戸、4校の小学校を建てることができました】

    東京ドーム
    500ヘクタール=東京ドーム107個分の面積

    安全な村づくりは、新入植者を迎える次のステージに突入しています。村には子どもたちの笑顔が溢れ大人たちは活気を取り戻しつつあります

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    「私たちは、村の将来に夢がもてるようになりました

    という村長の言葉は、【現地スタッフにとって何よりの勲章】でした。』

    日の丸

    いかがでしょうか?

    昨日に引き続き、退官自衛官を中心としたNGO立派なご活躍についてですが、改めて、私たち日本の自衛隊の方々を誇りに思います

    昨日のパラオ同様カンボジア親日国です♥

    「 シアヌークがフランスの統治下で国王として即位したのは、18歳の時だった。1945年3月に、日本軍がカンボジアでフランス軍を武装解除すると、シアヌークはカンボジア独立を宣言した。日本の敗戦によって、シアヌークはフランスの再支配を制限付きで認めたが、アメリカなど各国を歴訪して独立を訴えた。1949年にフランス連合内で独立を認められたものの、フランスが警察、軍事権を持ったままだった。シアヌークは完全な独立を訴えて、離宮に籠った。国内各地で反仏デモが勃発した。フランスは1953年11月にカンボジアの独立を認め、シアヌークは「独立の父」として国民の尊敬を集めることとなった。

     1970年3月に、首相兼国防相のロン・ノル将軍が率いる反乱軍が、クーデターを起こし、外遊中だったシアヌーク国家元首を解任した。クメール共和国と改名して、ロン・ノルが大統領に就任した。アメリカは親米のロン・ノルを支援したのだった。

     シアヌークは劇映画を作成し、自分が監督し、主演もする趣味を持っていた。1969年にシアヌークがつくった「ボコールの薔薇」という、作品がある。映画は、カンボジアのボコールに、民衆が総出で沿道に並んで歓迎する中を、゛日本軍が進駐゛する場面から始まる。…シアヌークがカンボジアを解放した゛日本゛に、深く感謝していて事が感じ取れる。

     映画の中の゛日本軍゛は、実に規律正しい。…゛日本軍゛が来ると、民衆が「解放者」として狂喜して迎える。フランス軍司令部の屋上から、フランス国旗が降ろされ、「君が代」が吹奏される中で、゛日の丸゛があがる。…日本軍とフランス軍が交戦して、フランスの司令官が戦死すると、丘の上の小さな教会で葬儀が催される。…柩が埋められるのを、挙手の礼で見送る。゛日本軍人゛は敵にも手厚いのだ。」


    詳しくはこちらをご参照♥

    「ボコールの薔薇」 殿下の映画♥



    「 カンボジアへは度々行くのですが、最近行った時に、欧米からのバックパッカーが集う安宿にあえて滞在してみたことがあります。近くには雑然とした市場や、10名前後の女性を揃える売春宿などがありました。

      いい機会なので、そこに泊まっていたドイツ、オーストラリア、フランス、アメリカ人らと会話をしましたが、威張り腐ったりする者などおらず、みんな気さくに話してくれました。

    「どこから来たの」と聞かれて、「フロム・ジャパン」と言うと、「オー、日本人ですか。どうかよろしく」と丁寧に接してくれ、我が恋女房に対しても、エレベーターを「お先にどうぞ」と譲ってくれました。

     彼ら白人たちと接していて、いつも不思議に思うのが、なぜこれほど気さくな人々が、アジアの国々を植民地化し、500年間にもわたり有色人種を苦しめ、略奪、搾取、虐殺を行ったのか、ということです。

     私はアジアの国々で白人帝国主義、植民地時代の残虐さを嫌になるほど聞いてきました。あまりにもおぞましくて文章や言葉では表せないほどです。なぜ、これほど残虐になれたのかと不思議でたまりません。

     私は別に、白人を憎めと言っているのではありません。私たち日本人も有色人種の国家、国民であるならば、アジアの国々の植民地時代500年の歴史をしっかり知るべきだと思うのです。

     滞在中にカンボジアの仲間や友人と、プノンペン市民に大人気のクラブでドンチャン騒ぎをしたことがありました。クラブといっても倉庫を改造したような店です。カンボジアの男たちも酔いが回るにつれ、口も軽くなり、静かにしていた女性陣も大声で話すようになります。クメール語、日本語、英語で話が何とか通じるのも面白く、おかげで呑み過ぎて、翌日二日酔いになりました。

     カンボジアは、日本の悪口プロパガンダを常にやっているチャイナやコリアと関係が深いのですが、それでもカンボジア人は日本が大好きなのです。

    「本当は日本が嫌いな奴もいるだろう。私が日本人だからと遠慮しているのではないか?」

    と聞くと、彼らはムキになり、反論します。

    「絶対に違います。カンボジア人で日本を嫌いな人はいません」

    カンボジアの大学で日本語を教える60代の日本人教師は笑顔でうなずきました。

    「私は、これまで日本人の悪口を聞いたことがありません」

     カンボジアの人々は日本を尊敬しています。原子爆弾を二つも落とされ、徹底的に叩き潰されたにもかかわらず、日本人たちは必死に頑張って、世界で最も豊かな国になった。カンボジアも日本のようになりたい、と口々に語るのです。

     カンボジアの大学生たちと語り合い、喜びと希望もありましたが、この国の悲しみを深く知ることにもなりました。驚くことに彼らは近現代史をほとんど知らないのです。

    フランス植民地、日本進出、ロン・ノル時代のことを話しても、「聞いたことはある」だけ。

    200万人を虐殺したといわれるポル・ポト時代(1975~1979年)以外の事はあまり分からないと言うのです。ポル・ポト時代があまりにも残虐過ぎて、他の近現代史はほとんど教わっていないようでした。カンボジアは一部の大きな悲劇だけが伝わり、大事な近現代史を奪われてしまったのです。

    ある意味で日本と似ていると思いました。

    わが国は戦争に敗れ、GHQ(連合国軍総司令部)により「日本の戦前は暗闇」「すべて日本が悪い」と、日本人から誇りと自信を奪う教育が徹底して行われました。私たちはいまだにその後遺症に苦しんでいます。」


    詳しくはこちらをご参照♥

    カンボジアの人々が、口々に語ること ~ 日本とカンボジアの共通点



    今年の3月に、実際にカンボジアに行ってきたのですが、チャーターした車の若いカンボジア男性の運転手さんも、非常に日本が大好きで、日本人と仕事がしたいって頻りに言っていました♥ 

    プノンペンのJETROにも、事前にブリーフィング予約して、お伺いしたんですけど、現地スタッフは、ほとんど女性の日本人(しかも若い方)なんですよ♥ 日本の若者男子も、負けてはいられませんね♥ どんどん新興国に飛び出して行って人脈をつくってビジネスチャンスをつかみ互いに成長していく。こういったことも、私たち日本の安全保障にも役に立ってくるんですから♥

    こちらもご参照♥

    「よしもと新喜劇」のあのネタをカンボジアでやってみる! ~ 日本の多くの子供たちが胸を痛めていること







    続きは次回に♥




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    Category: 日本
    Published on: Wed,  17 2016 00:01
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