日本の「お金」は、何種類もあったんです

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    大隈 重信(おおくま しげのぶ、天保9年2月16日(1838年3月11日) - 大正11年(1922年)1月10日)は、日本の武士(佐賀藩士)、政治家、教育者。位階勲等爵位は従一位大勲位侯爵。
    政治家としては参議兼大蔵卿、外務大臣(第3・4・11・14・29代)、農商務大臣(第13代)、内閣総理大臣(第8・17代)、内務大臣(第30・32代)、貴族院議員などを歴任した。早稲田大学の創設者であり、初代総長である

    戦後の日本人は、正しい歴史を学校で教わって来ませんでした。

    そして、現代のメディアもまた、嘘の情報を流し続けています。

    私たち日本人は、親日的な立場に立ち、正しく認識し直し、

    客観的に情勢を判断する必要があります。

    実は「お金」にまつわる嘘の報道も多いのです

    それでは、幕末から明治にかけた「お金」のお話しを、こちらの本で見ていきましょう!


    お金から見た幕末維新――財政破綻と円の誕生(祥伝社新書219)お金から見た幕末維新――財政破綻と円の誕生(祥伝社新書219)
    (2010/10/30)
    渡辺房男

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    『 当時、紙のカネ太政官札や民部省札それに藩札さらに額面が「円」と表記された大蔵省兌換証券や開拓使兌換証券など数多く出回っていた

     それらに加え、明治二年に、政府は国内商業の振興を図るために現在の銀行に似た業務を行う為替会社という機関を全国7都市に設けた。東京、横浜、新潟、神戸、京都、大津、敦賀の7都市で開業していた為替会社だが、横浜を除いて全ての店が営業不振に陥り発行した紙幣の回収は政府にとって緊急の課題でもあった

    驚き顔

     政府は、こうして紙のカネのすべてを一種類の同じ紙のカネ、つまり「新紙幣」に吸い上げる政策を打ち出していったのである

     大隈重信を中心とする政府大蔵省が、新紙幣発行の布告をしたのは、明治4年12月27日である。

     今までの太政官札や民部省札が粗製乱造で贋札が多いこと、さらに広く流通している藩札は地域札であり全国紙幣ではないことが不便であるとし、新貨条例の趣旨に基づいた円・銭・厘呼称の新しい紙幣を製造発行すると、布告は述べている…

     明治通宝札俗にゲルマン紙幣とも呼ばれた新紙幣は、大坂の造幣寮で次々と鋳造された円・銭・厘の貨幣とともに旧幕府の貨幣制度を根底から変えるものとして日本中に行き渡ることとなったのである

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    明治通宝札

     いかがでしょうか?

     明治通宝札という新しい紙幣が出てくるまで、

     日本には多種多様な紙幣が存在していたことが分かりますね♥

     現在のように、たった一つの「円」という通貨だけではなかった、これがポイントです。
     
     続きは次回に♥ 


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    (2010/10/30)
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    Category: お金
    Published on: Fri,  19 2014 05:09
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