一万両って、いくら?

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    鳥羽・伏見の戦い(とば・ふしみのたたかい、慶応4年1月3日 - 6日(1868年1月27日 - 30日))は、戊辰戦争の緒戦となった戦である。戦いは京都南郊の上鳥羽(京都市南区)、下鳥羽、竹田、伏見(京都市伏見区)で行われた。

    戦後の日本人は、正しい歴史を学校で教わって来ませんでした。

    そして、現代のメディアもまた、嘘の情報を流し続けています。

    私たち日本人は、親日的な立場に立ち、正しく認識し直し、

    客観的に情勢を判断する必要があります。

    実は「お金」にまつわる嘘の報道も多いのです

    それでは、幕末から明治にかけた「お金」のお話しを、こちらの本で見ていきましょう!


    お金から見た幕末維新――財政破綻と円の誕生(祥伝社新書219)お金から見た幕末維新――財政破綻と円の誕生(祥伝社新書219)
    (2010/10/30)
    渡辺房男

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    『 260年余続いた徳川幕府が名実ともに倒壊したのは、慶応4年(1864年)正月の鳥羽伏見の戦いでの敗戦を契機とする。
     だが、緒戦の戦いに勝ったものの、新政府の中核となるのは260に上る諸藩の中で薩摩、長州、土佐、広島、尾張、福井などわずかであるたちまち軍資金は底をついた。頼りとする皇室の財産といえども、禁裏御用地と皇族公家領合わせても10万石にすぎず、国内全体の石高3000万石のわずか0.3%にすぎなかった

    驚き顔

     そこで新政府は、まず手始めに、幕府直轄領400万石と旗本御家人の知行地300万石を手中に収めたが、まだ全国の石高の75%を占める諸藩が屈服していない。

     これらの諸藩を降伏させるための戦が、まだまだ必要だが、その費用をどう捻りだすかそれが最大の問題となった
     
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    財務省庁舎

     新政府は軍資金を集める機関として金穀出納所(きんこくすいとうしょ)なるものを設立していた。この役所こそ、国の台所を扱う大蔵省現在の財務省の前身である。

     鳥羽伏見の戦が終わった直後その役所にまず献金したのが三井、小野、島田などの大両替商たちである献金額は合わせて1万両という。この1万両という額は、当時の米価(一石あたり5円52銭)から推測すると約1億5000万円強といったところだろう

    koban-unchikuyou2.jpg

     いかがでしょうか?

     当時の1万両って、ホントにたったの1億5000万円ぐらいだったのでしょうか?

     ちょっと調べてみました。

     一石は、大人一人が一年間で食べる米の量のことです。

     本来は一石=一両なのですが、実際に一両で購入できたお米の量は、

     次にあるように同じ江戸時代でも時期によって違っていたそうなんです。

     江戸時代初期         : 一両でお米350kg
     中期から後期          :   〃    150kg
     幕末の1867年(慶応3年) :   〃    15~30kg

     お金の価値が下がって、物価が上がっているのが、良く分かりますね♥

     一石はキログラムにすると150㎏です。

     現在のお米が1㎏ = 400円とすると、一石は6万円になりますね。

     なので、一万石は6億円、百万石なら600億となります。

     加賀百万石の大名っていうのは、年収600億円のお殿様なんですね。スゴイ♥

     では、上記の献金一万両は、現在でいうと、いくらぐらいなんでしょうか?

     本来は一石 = 一両だったのですが、お金の価値が値下がりし、

     物価が上がっています。

     お金の価値が五分の一~十分の一になっていた、

     つまり、お米の値段が5倍から10倍に値上がっていたんです。

     ですから、お金「一万両」は、6000万円~1億2000万円程度の献金だったんです♥

     記述にある金額に近いですね。

     ところで、江戸時代末期の人口は3000万人強でした(9割が農民)。

     同時に、石高も3000万石でした。つまり、石高に見合う人口でした。

     穀物の主要な生産物も「白米」です。

     農民は年貢として、4割~5割を納めていました。 

     ここで問題です。人口比で、十分の一以下の「士・工・商」は、

     農民の10倍の穀物を食べていたでしょうか?

     無理ですね♥ 

     ですから、農民も含めて、白米等の穀物が豊富に行き渡っていたんです。

     白米を食べ過ぎて、脚気(かっけ、「江戸患い」とも)が大流行していました。

     それほど豊かな時代だったんですね♥

     戦後の学校では、農民は搾取されていたとか、極貧暮らしをしていたとか、

     『嘘』を教えています。

     そもそも領地争いの戦争が無かった江戸時代に、各藩がやったことは、

     限られた領地内での石高の向上、つまりお米をより多く収穫できるように、

     新田の開墾や、品種改良等に力を注ぎました。

     ですから、江戸時代になって、石高も倍増し、食料が豊富だったからこそ、

     人口も倍増したんです(食べれなかったら、人口は増えるはずがありません)。

     ようやく教科書の一部にも、修正の動きがあるようですが、教える人が無知なので、

     何の疑問も感じないで、『嘘』を子供たちに吹き込んでいます。

    こちらをご参照ください♥
     ↓
    「慶安の御触書」はでっちあげだった♥


    あなたの習った日本史はもう古い!あなたの習った日本史はもう古い!
    (2013/11/26)
    荒木 肇

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    そろそろ学校の先生自身が、気がつかないとダメですね♥ 


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    渡辺房男

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    Category: お金
    Published on: Wed,  17 2014 23:15
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    2 Comments

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    2015/07/26 (Sun) 19:38 | REPLY |   

    みっちゃん  

    Re: 誤字

    > 石高の工場 ー>石高の向上

    有難うございます♥

    2015/07/26 (Sun) 20:40 | REPLY |   

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