8000年前から、「オシャレ」だった日本人

    東名遺跡 (巨勢川調整池内の貝塚。盛土保存されている)
    東名遺跡 (巨勢川調整池内の貝塚。盛土保存されている)

    東名遺跡(ひがしみょういせき)は、佐賀県佐賀市金立町大字千布にある縄文時代早期末葉の遺跡で、集落遺跡と貝塚からなる。動物遺存体のほか日本最古級の編みかご木製皿などの植物遺存体が出土した低湿地遺跡で、2016年に国の史跡に指定されている。

    幾何学模様が描かれた鹿角製装身具
    幾何学模様が描かれた鹿角製装身具

    東名遺跡解説パンフレット(H25-改訂版)






    戦後の日本人は、正しい歴史を学校で教わって来ませんでした。

    そして、現代のメディアもまた、嘘の情報を流し続けています。

    私たち日本人は、親日的な立場に立ち、正しく認識し直し、

    客観的に情勢を判断する必要があります。

    それでは、この書物を見ていきましょう!




    『 前著『ここまでわかった!縄文人の植物利用』(2014年刊行)の反響は予想以上でした。

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    【縄文時代】【多種多様な野生植物の利用の実態】や、その【利用のための知識や技術の高さ】、そして【クリやウルシにみる管理・栽培を伴う高度な植物利用があったこと】に、そしてこれらの研究急速に進展していたことに驚いた方がとても多かったようです。

    こちらもご参照❤

    コクゾウムシが打ち破る「常識」 ~ 縄文時代の「農耕」の証明

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     しかしもう一度考えてみましょう縄文時代の植物利用の知識や技術の高さは驚くべきことなのでしょうか。

    女性 ポイント 10

    こちらもご参照❤

    縄文時代を劣位、弥生時代を優位と考えるような「危険思想」

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    狩猟・採集・魚撈(ぎょろう)生活を送り、現在のわれわれとは比較にならないほど身近な存在として植物に接していたであろう【縄文人が、植物利用を知り尽くしている】ことは【ある意味当然なのです】

    ポイント 32

    縄文時代から現在まで人類の文化や技術単線的な発展を遂げてきたのでしょうか。

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    必ずしもそうではないはずです。現在まで発展してきた物質文化があるのは間違いないことですが、【それ以上に失われていった優れた文化も数多くあった】ことでしょう。とくに【日々の生活の中で培われた「手仕事」「手わざ」に関する技術や知識】は、便利な現代社会の生活に慣れ親しんだわれわれよりも【先史時代の縄文人のほうが遥かに優れていた】、と考えたほうがよいものがたくさんあります。

    ポイント 女性

     【その一つが編みかご】です。これまでの研究から、【縄文人は素材植物の特性を知り尽くしている】こと、【現在まで知られている先史時代の編み方の技法のほぼすべてが8000年前の佐賀県東名遺跡(ひがしみょういせき)にあった】ことがわかりました。

    木製編みかご(約8000年前のもの)
    木製編みかご

     東名遺跡から【出土した編みかごの形態や複雑な編み方にみられる装飾的な要素】をみて、「どうしてこんなにも複雑で素晴らしいかごを8000年前の縄文人が…」と、ついつい【われわれは考えてしまいがち】です。遠い過去の優れた工芸品を見て驚く心理の裏側には、【「自分たちのほうが優れている」という先入観がある】のかもしれません。

    ポイント 21



    しかし【縄文時代の人びとはわれわれとまったく同じ、現代人(ホモ・サピエンス)である】ことを忘れてはいけません。【より美しいものを、そして工芸的にも優れたものを生み出そうとする心理】は、ホモ・サピエンスが誕生して以降、【過去においても現在においても、そして現代社会においても狩猟採集社会においても変わらない】のでしょう。』

    日の丸

    いかがでしょうか?

    今回ご紹介させていただく書物は、最新の研究によって浮かび上がってきた「縄文時代の日本人」について、その保有する高度な技術と知識についての解説を通じて明らかにすることで、世界最古の文明を、この日本列島に築き上げていたことが、客観的な事実に基づいて示されている良書になります。

    写真やイラストも非常に豊富で、ぜひ、ご覧になってみてください。

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    東名遺跡の詳しい解説がなされている動画が、こちら(↓)になりますが、



    4:40頃から、貝殻で作成されたアクセサリーの解説がなされていますが、その中でも、特に「オオツタノハガイ」を材料とするものも発見されていて、この貝種子島以南に生息する貝で、当時すでに、長距離の海上ルートによる交流があったことが明らかになっています。

    東名遺跡 1

    以下は、Wikipediaからの抜粋です。

    「 縄文人貝類食糧資源・装飾品の原料として採取するようになったのは縄文早期前半で、代表的な遺跡として横須賀市の夏島貝塚が挙げられる。縄文早期の半ばには瀬戸内海沿岸や東北地方でも貝塚が形成されるようになる。採取対象は当初は河口等の汽水域に生息するヤマトシジミであったが、やがて内湾干潟の牡蠣礁で得られるカキや、やはり内湾の軟泥干潟から容易に得られるハイガイなどにその中心は移る。
     また、腕輪やペンダントの原材料として採取された貝類もある。特に目立つのが大型の定住性カサガイの一種で岩礁潮間帯低部から採取されるオオツタノハガイの利用である。オオツタノハガイ主に屋久島やトカラ列島に生息するが、縄文期には、特に縄文後期・晩期を中心に、関東全域から北は北海道の有珠10遺跡でも出土している。これについて、原材料となったオオツタノハガイは南九州から運ばれたという説と、三宅島以南の伊豆諸島にも生息域があったのではないかとの説が対立している。
    オオツタノハガイの他には暖流域の浅海から得られるタカラガイの一種ハチジョウタカラガイも広く利用された。」


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    現在に生きる私たち日本人を知るためにも、「縄文時代の日本人」について、もっと興味を持ってみても良いのではないでしょうか❤

    当ブログでも、関連する良書を、まだまだ沢山、御紹介させて頂くつもりですので、これからもどうぞ宜しくお願い致します。

    こちらもご参照❤

    (問題) 世界で最初に焼き肉を食べていたのは、どの民族でしょう?

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    本日は、夏休み明けですので、ここまでとさせて頂きます❤



    続きは次回に♥




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    Category: 国史
    Published on: Fri,  18 2017 00:01
    • Comment: 2
    • Trackback: 0

    2 Comments

    ひろ  

    No title

    はじめまして。とっても面白い記事でした^^
    ポチっ!

    2017/08/18 (Fri) 23:58 | REPLY |   

    みっちゃん  

    Re: No title

    ひろさん、はじめまして☆彡

    コメントありがとうございます。
    これからも頑張ってまいりますので、宜しくお願いしま~す♪


    2017/08/20 (Sun) 04:11 | REPLY |   

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