【問題】 次の中で、「天才」は誰?  ①織田信長 ②豊臣秀吉 ③徳川家康

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    天才(てんさい/genius)とは、天性の才能生まれつき備わった優れた才能(生まれつき優れた才能を備わった人物)のことである。天才は、人の努力では至らないレベルの才能を秘めた人物を指す。天才は、極めて独自性の業績を示した人物を評価したり、年若いのに、あまりに高い才能を示した人への賛辞的形容に使われる。






    戦後の日本人は、正しい歴史を学校で教わって来ませんでした。

    そして、現代のメディアもまた、嘘の情報を流し続けています。

    私たち日本人は、親日的な立場に立ち、正しく認識し直し、

    客観的に情勢を判断する必要があります。

    それでは、この書物を見ていきましょう!




    『 【戦国の3英雄】と言えば、【織田信長】【豊臣秀吉】【徳川家康】です。

     そこで三択問題。

     この中で、【1人だけ天才がいます】。さて、誰でしょう

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     普通に聞くと【圧倒的多数が「信長」と答えます】。果たしてそうでしょうか。

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     有名な「ホトトギスの歌」があります。

     信長 「鳴かぬなら 殺してしまえ ホトトギス」

     秀吉 「鳴かぬなら 鳴かせてみよう ホトトギス」

     家康 「鳴かぬなら 鳴くまで待とう ホトトギス」

     この歌3人の人生を上手く凝縮している、江戸時代の作品です。松浦静山(せいざん)という人の『甲子夜話(かっしやわ)』という本が出典だそうです。作者は「詠み人知らず」で、つまり「わからん」ということです。この句からも、【1人だけ天才ぶりが際立っています】

    甲子夜話 1 

     【秀吉】です。信長の「殺す」は決心家康の「待とう」は根性です。才能は関係ありません【秀吉の「鳴かせてみよう」だけは、工夫が要ります】【才能、イノベーションが要る】のです。…

    豊臣秀吉像(狩野光信筆 高台寺蔵 重文)
    豊臣秀吉像(狩野光信筆 高台寺蔵 重文)

     【秀吉は本当に天才】で、【次から次へと予想もつかない】ことをやりました。なにせ、【「日本で一番出世した人物」】ですから。秀吉がやったことを現代におきかえると、貧乏人のフリーターが30年で大財閥の社長になってしまうような夢のまた夢の話なのです。その人はそれで上手くいったかもしれないけれども、【普遍性はゼロ】で、【誰にも再現できません】

    ポイント 女性

     【秀吉の天才ぶりを物語る話】を一つあげましょう。有名な【刀狩】と同時にやった、【海賊停止(ちょうじ)令】です。現在の国際法でこそ「海賊は人類の敵」という扱いになっていますが、【近代以前は「海軍と商船と海賊は同じもの」】です。貿易船など、「取引が成立しなければ、その場で海賊に早変わり」というのが世界的な傾向です。それを【秀吉は、「海賊は存在そのものを認めない」との立場】を打ち出し、【本当に実現】したのです。これに【ヨーロッパが追いついたのは、1856年パリ条約】

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    クリミア戦争の講和条約ですが、この戦争の最中に【ペリーが日本にやってきています】【秀吉の先進性は、世界標準から300年早い】のです。

    ポイント 31

     【一番真似できないのが秀吉】ならば、【次に真似できないのが家康】です。…

    徳川家康像(狩野探幽画、大阪城天守閣蔵)
    徳川家康像(狩野探幽画、大阪城天守閣蔵)

     家康は異常ではありますが、【秀吉のように才能があったわけではなく、根性の人】です。

    織田信長
    織田信長

     よって、【凡人が最も参考になる】のは、意外かもしれませんが【信長】になります。』

    日の丸

    いかがでしょうか?

    今回ご紹介させていただく書物は、学校の授業大河ドラマ映画、はたまた小説漫画ゲームなどなど、色々な場面で登場する、あの「織田信長」について、恐らくは、大多数の日本人間違ったイメージ刷り込まれたままになっていて、そのことについて「驚き」を持って気付かされる非常にお勧めの良書になります。

    読書 女性 15

    本文中に「海賊」のお話が出てきていますが、占領下の日本で、GHQが封印した書物の中では、ごく普通に書かれていたりしていますので、戦前の日本人は、そういったことを十分に認識していました。でも、私たちの現代の学校教育では、まったく教えられることはありませんね❤ 何しろ、西洋国家が地球中を植民地支配していく時代を、大航海時代なんて、変な呼び方をしているぐらいですから。。。

    詳しくはこちらをご参照❤

    ヨーロッパ諸国のアジア侵出にあたってポイント

    西太平洋は、「世界の中枢」なんです ~ キャプテン・クックと白豪主義

    GHQ焚書図書開封10: 地球侵略の主役イギリス 

    さて、ここからは昨日の続きになります。

    世界屈指最長不倒、そして悠久の歴史を持つ私たち日本

    その国史、それをマラソンに例えてみますと、縄文時代の始まりとされる紀元前14,000年、そこをスタート地点として、私たちが生きている現代をゴールとしたとき、「江戸時代」というのは、あと残り、たったの1キロ程度という時代になります。

    日本の歴史 時代区分 マラソン 5

    こちらもご参照❤

    (問題) 縄文時代から現代までをマラソンに例えると、「室町時代」はゴールまであと何キロ?

    古事記の暗号 

    そして、この頃西洋社会は、「中世」という時代から、「近代」(あるいは「近世そして近代」)へと移りゆく時代になります。

    「中世」から「近世・近代」へと移り変わる、この頃の大きな特徴は、キリスト教という信仰のうえで人間に対する「絶対的な神の存在」が揺らぐ、つまり、何でもかんでも「神さまの言うとおり」(=教会の言うとおり)ではなく「自分たちで考えたって良いんじゃないの?」みたいな、「人間を主体」として考える流れが生じていくことです。

    すなわち、「科学革命」「近代哲学」「啓蒙主義」これらが勃興していく時代へと突入していくんです。

    平和を長く享受した、江戸時代私たち日本と違って、西洋世界では、同じ宗教なのに殺し合いをする、地球中を侵略していく、そんなトンデモな時代でした。

    ポイント 31

    また、キリスト教徒によって追放されたり虐殺されたりされるユダヤ人がいる一方で奴隷貿易やアヘン貿易で富を築くユダヤ人も居ました。

    そんなユダヤ人が関係した、イギリスにおける「ピューリタン革命」において、王さまのチャールズ1世が処刑されたのが、1649年のことになります。

    チャールズ1世の処刑
    チャールズ1世の処刑

    さらに、そこから45年後中央銀行であるイングランド銀行が設立されました。

    イングランド銀行憲章の調印(1694年)
    イングランド銀行憲章の調印(1694年)

    このイングランド銀行の設立にも、実はユダヤ人が関係しています。

    西洋社会において、「中世」という時代から、「近代」(あるいは「近世そして近代」)へと移りゆく時代であるこの頃、西洋の王さまたちは、借金手形を乱発するようになります。ところが、身勝手な西洋の王さまたちは、しばしば借金を踏み倒したりしていました。約束なんて、知ったことか、という態度です。これですと、おカネを貸す方が一方的に不利になってしまいます。そこで、王さま個人への貸付ではなく、キチンとした契約に基づいた国家に対する貸付へと変わって行くようになります。それが、現代でいうところの「国債」へと整えられていくわけです。

    そして、その始まりは、オランダにありました。

    ポイント 女性 重要 5

    私たちの日本が「鎖国」している時代に、「オランダ」は貿易を許されていたわけですが、このことは学校でも習うことで、誰でも知っていると思います。

    では、その「オランダ」は、いつ頃に出来た国でしょう?ということを考えるために、昨日のところでネーデルランド周辺を巡る歴史の流れ中世中心に、ざっと確認してきました。

    ハプスブルク家の絶頂期君臨したのが、神聖ローマ帝国皇帝カール5世(在位1519年~1556年)です。

    ティツィアーノ・ヴェチェッリオ 『カール5世』1548年
    ティツィアーノ・ヴェチェッリオ 『カール5世』1548年

    彼は同時にスペイン国王にも就いていましたので、その領土は、現在のヨーロッパの大半を占めるほどでした。

    カール5世時代のハプスブルク家の領土
    カール5世時代のハプスブルク家の領土

    そして、あの「宗教改革」で有名なマルティン・ルターが登場するのも、このカール5世の時代です。

    マルティン・ルター
    マルティン・ルター

    このカール5世は、スペイン・ネーデルラント関係の地位と領土を全て息子のフェリペ2世に譲り、オーストリア・神聖ローマ帝国関係の地位と領土弟のフェルディナント1世に継承させます。

    その結果、オーストリア系ハプスブルク家スペイン系ハプスブルク家両方に挟まれた格好になったのが、フランス王国で、1589年以降、メディチ家の財力を受け継いで繁栄していくのが、「ルイ王朝」とも呼ばれるブルボン朝フランス王国です。

    また、イギリスで「イギリス国教会」(聖公会)が成立するのも、この時代です。

    キリスト教諸教派全体からみた系統概略

    先日も、少し書かせて頂いておりますが、現代アメリカ社会には、タブーとされているキリスト教の社会階層化が存在しています。その人が属している宗派(教会)によって上流・中流・下流さらにその下、といった具合に明確に区別されているんです。

    詳しくはこちらをご参照❤

    現代アメリカの「タブー」

    アメリカ帝国衰亡論・序説 

    トランプ大統領は、プレスビテリアン(長老派)と呼ばれる「上流層」に属していますが、その大本にあたるのが「カルヴァン主義」でした。

    ジャン・カルヴァン
    ジャン・カルヴァン

    「カルヴァン主義」の考え方の特徴は、『予定説』『全的堕落』によって捉える事ができます。

    『予定説』というのは、「神の救済にあずかる者と滅びに至る者が予め決められている」という考え方で、『全的堕落』というのは、「すべての人間が罪によって全的に堕落している」という考え方です。

    まあ、キリスト教などという野蛮な宗教、その根っこにある野蛮なユダヤ教なんか、まったく信用する気にならない私たち日本人からすれば、実に奇妙に感じられる考え方ですが、信仰する人が存在しているので、どうか他人に迷惑をかけないでくださいとしか言いようがないわけですが。。。

    ちなみに、創世紀元(そうせいきげん)、宇宙創世紀元(うちゅうそうせいきげん)、あるいはユダヤ紀元(ユダヤきげん)という、ユダヤ教において神さまが世界を創世した日とされる日が、西暦換算で紀元前3761年10月7日とされているようですが、本当に申し訳ないのですが、私たち日本人の歴史観からすると、その頃は、マラソンでいえばすでに3分の2ぐらいまで走った時代なんです。

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    ですので、ユダヤ教やキリスト教の神さまが、宇宙を造ったとか、そういった恥ずかしい妄想は、お止めになられる方がよろしいのではないかと・・・当ブログでは考えています。

    日本の歴史 時代区分 マラソン 6

    それは兎も角、その「カルヴァン主義」の実態を見てみましょう。

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    『 ずっとのちの1936年、オーストリアのユダヤ人作家、シュテファン・ツヴァイクは、このカルヴァンと、それに抵抗したセバスチャン・カステリョの闘争を扱った作品『Castrellio gegen Calvin oder Ein Gewissen die Gewalt』(カステリョ対カルヴァン、または良心対権力)のなかで、カルヴァンの恐ろしいまでの宗教独裁を次のように描いている(以下、筆者による意訳)。

    「 万能の監視が始まったその日から、ジュネーヴ私生活はなくなったカルヴァンは、一足飛びでカトリックの異端審問を飛び越えた。異端審問は、まず告発や密告があって初めて密偵を送り込んだ。しかしここでは、カルヴァンの世界観に基づくシステムにより、すべての人間は常に悪事を企み、最初から罪人であることを疑われた。だから、全員が監視されなければならない。」

    「 突然、あらゆる家々の戸口は開かれ、壁はガラスになった。夜中であろうが、白昼であろうが、宗教警察の厳しいノックの音が響き、絶対に逃れられない『巡察』が始まる」

     いつも何の前触れもなく、宗教警察はやってきたという。富める者にも貧しい者にも、地位のある者にも、年長者にも若年者にも、何時間にもわたる尋問がなされた。しかし、『巡察』はこれで終わりではなかった。私生活を穿(うが)つ果てしない監視が、それに続いた。

     ツヴァイクは書く。

    「 女たちの着物が長すぎやしないか、短すぎやしないか、余計なレースで飾られていないか、デザインは破廉恥ではないか、髪型は凝り過ぎていないか…。指輪の数と靴の数が調べられ、食卓に2菜が並んでいないか(一食一菜しか許されなかった)、デザートやジャムが隠されていないか…」

    が調べられた、と。

     本棚の不適切な本、カトリック教徒の証拠となるロザリオが探された。手紙は検閲され、旅館に置かれた荷物も、持ち主のいない間に開けられた。召し使いたちは、主人について念入りな聴取を受けた。

     カルヴァンと意見が合わなかった神学者ミゲル・セルベートは、異端者として生きたまま公開火あぶりに処された。アフガニスタンのタリバン顔負けの恐怖政治が、堂々と行われたのである。

     すべての楽しみが禁止された。ワインを飲んでいる人間はいないか、賭け事をしている人間はいないか、暗闇で愛を囁き合っているカップルはいないか。あらゆるところで密偵が目を光らせ、耳をすまし、市民に許されたのは礼拝に行くことと働くことだけになった。そこで彼らは一心に働いた。そうするうちに、当然のことながら、お金が貯まった

     ちなみに、カトリック教会では蓄財は悪とみなされる。貯まったお金はすべて教会に寄進するのが善行で、それによって、人々は天国に行けるのである。

     ところがカルヴァンの「予定説」によれば、富が増えるのも貧困に喘ぐのも、すべては神が決めたことだった。善いキリスト教徒が目標にすべきは、勤勉と禁欲によって、与えられた職業に励み、神の名声を高めることなのだ。

     つまり、規律は厳しければ厳しいほどよく、教養は高ければ高いほどよく、職業は成功すればするほどよかった。その結果、お金が貯まったとしても、それがまさか罪ではありえなかった!

     こうして、蓄財解禁の大砲が放たれた。金儲けに付きまとっていたやましい気持ちは取り除かれ、蓄財はよいこととなった。

     貧乏人は、貧乏であるように神が作った人間だ。一方、裕福な人間もまた、神が裕福であるように作った人間に過ぎなかった。しかも彼らは、勤勉に働くというキリスト教徒としての義務を果たしているうちに、裕福になったのである。

     ただ問題は、彼らには、せっかく貯まったお金の使い道がなかったことだ。勤勉と蓄財は善でも、贅沢は悪だ。そこで、お金は大々的に新たな商売に注ぎ込まれた。こうして富が富を生み、カルヴァン派のなかに、着実に資本が形成されていった

     いつしかカルヴァンの恐怖政治は消え、スイスは次の時代に入った。しかし、カルヴァンが蒔いた種はすくすくと育った。

     「富は罪ではない。富の上にあぐらをかき、欲望を満たすために悪用することが罪なのである」というその教えは、フランスへスコットランドへ、そしてオランダへと渡り、さらにピューリタリズムやバプテストとなってイギリスへアメリカへ、そして世界中に広がっていった。こうしてプロテスタント教徒は、世界中で、良心の咎(とが)めなく、どんどんお金を貯め続けることになった。

     後年、ドイツの有名な経済学者マックス・ウェーバーは、プロテスタントがカトリックよりも教養があるばかりか、格段に裕福であることに気づいた。カトリック教徒に零細な手工業者が多かったのに比べ、大きな工場主や銀行家は、軒並みプロテスタント教徒が占めていた。

     宗教と経済的な成功のあいだには関係があるのか?

     そう考えるうちに、ウェーバーはカルヴァン主義に突き当たるのである。

    「 西洋近代の資本主義の大本は、カルヴァニズムにあるのではないか?」

     プロテスタントが定着した場所には、確かに資本主義が栄えていた

    マックス・ウェーバーの著作『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』(Die protestantische Ethikund der "Geist" des Kapitalismus)は、まさにここから生まれた考察だ。』


    詳しくはこちらをご参照❤

    暗黒の時代「中世ヨーロッパ」 ~ 私たちの日本には、そんな時代はありません

    世界一豊かなスイスとそっくりな国ニッポン 



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    Category: 国史
    Published on: Sun,  15 2017 00:01
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