2014-10-21 (Tue)

帝国議会貴族院之図(絵:豊原周延)
貴族院(きぞくいん)は、大日本帝国憲法下の日本における帝国議会の上院である。1890年(明治23年)11月29日から1947年(昭和22年)5月2日まで存在した。貴院と略称された。衆議院とは同格の関係にあったが、予算先議権は衆議院が持っていた。

長谷川好道
『 (朝鮮駐箚軍司令官の)長谷川好道は、当時、以下のように記している…
知識レベルの低さ、国家観の不在、
そしてさらには強者への盲目的崇拝という点において
ほとんど野蛮人に近い朝鮮の大衆に対処するにあたり、
力に依拠しない手段を用いることは効果的ではないと考えざるを得ない。

当時の朝鮮人女性
…1900年代の国際社会の朝鮮観は、激動する朝鮮の国内事情に対して極端に否定的だった。
欧米の政治家も旅行者も、
公衆衛生面の問題、未開発の産業、汚職の横行、
官界にはびこるえこひいき等を理由に、
等しく朝鮮を蔑視していた。』
こちらも参考になります♥
↓
朝鮮紀行〜英国婦人の見た李朝末期 ♥ イザベラ・バード

当時のソウル
『1905年…親朝鮮派のソウル駐在アメリカ公使ホレースアレンは、こう断言している。
(朝鮮の人々は)これまでのように最高君主を持たねばならない…
先進的な人種がこれら土着のアジア系の人種(=朝鮮人)の統括を
肩代わりし、圧制的な官吏を抑圧し、秩序の維持と商業の発展に尽くすことに
私は反対ではない。』

『 総督府と朝鮮の人々との間の隔たりを塞ぐために長谷川が行った次の提案は、
極めて重要だった。
つまり、貴族院選挙で朝鮮人に投票権を与えよというものである。
…原敬の政府が長谷川の提言を真摯に受けとめていた…政府は
「朝鮮が日本と同等の(近代化の)レベルに可及的速やかに達することを引き続き望む。…そして、もし朝鮮の地方自治の制度がわれわれの期待通りに実現するのであれば、朝鮮人民は(その時点で)彼らの代表を帝国議会に送り、貴族院・衆議院両院の審議に参画するであろう」
と聞くものすべてにとって疑う余地のない方針を明示している。』

朝鮮を欧米型植民地としてではなく、いずれは日本の「県」のようにしようと考えていたんですね♥
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