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     >  日朝関係 >  教師が知らない、「日本には無かったもの」♥

    教師が知らない、「日本には無かったもの」♥

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    朝鮮総督府

    植民地(しょくみんち、殖民地とも)という用語は元々は「開拓地」や「入植地」などと同様に正否の価値判断を含まない一般術語であり、近代植民地法制学においても社会科学の講学上の概念にすぎない。外地を「植民地」「殖民地」と呼ぶことへの反発は日本においては明治期からすでに存在しており、いわゆる忌避語・侮蔑語のようなニュアンスがあり、外地を植民地と呼称することは回避され我国にては斯(植民)の如き公の呼称を法律上一切加えず単に台湾朝鮮樺太等地名を呼ぶ」ことが事実上の慣例となっていた。語義的な観点ではなく、実質においても「植民地」ではなかった日本の論壇誌などでしばしば論じられる。これは、同年代に植民地と呼ばれた地域とはその統治の態様(欧米のそれが非人道的、収奪的であるのに対し日本のそれは人道的、恩恵的であるなど)が異なる、あるいは領有に至る経緯(一般に植民地化は無主地先占の法理によって行われることが多かったが、日本の朝鮮や台湾は文明国間の条約による併合や割譲という法形式によって獲得された)が異なるという認識から日本の海外支配地域を植民地と呼ぶのは妥当ではないとするものである。また、統治の態様が異なっていた根拠として、欧米の旧植民地における学校教育の普及率が日本のそれより低かったこと(これを指して愚民政策の言われることが多い)や、モノカルチャー経済が行われ、工業の発展が阻害されたこと、結果として欧米の旧植民地の大半が発展途上国に留まっているのに対して、日本統治を経た朝鮮南部と台湾が先進工業地域に成長した事などが挙げられる。

    EmpireOfJapan0.png
    大日本帝国の国土(昭和期) 1. 内地、2. 台湾、2’. 新南群島、3. 樺太、4. 朝鮮、5. 関東州、6. 満鉄附属地、7. 南洋群島

    『…近代日本が海外に活動拠点を求めた当初から、日本政府の最高位に位置する意志決定者たちが

    明確に語っていた植民地政策の根本方針を紹介したい。

    植民地政策はまず山縣有朋によって示され、…明治政府の指導者たちに受け継がれた

    …山縣の政策は台湾や朝鮮などの特定の植民地を対象としたものではなく

    日本列島と地続きではない゛琉球゛の統合に関わるものだった点は注目に値する。

    琉球は1879年に沖縄県となっていた

    しかし、その後の展開によって立証されるように、

    このとき明確化された漸進主義的で穏健な政策は、

    後になって゛台湾゛と゛朝鮮゛に適用された。

    山縣が1886年に…示す日本政府の政策の最終目的は

    琉球の人々を日本人として日本に同化させることだった。』 

    こちらも参考になります♥

    いま沖縄で起きている大変なこと♥ 惠 隆之介
    迫りくる沖縄危機 ♥ 惠 隆之介

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    青色⇒白人による植民地 水色⇒白人の支配地域

    『 では山縣は、日本政府の行動を律する基本原則はいかなるものであるべきと

    考えていたのだろうか。

    第一に、十九世紀における列強間の熾烈な領土獲得争いの現実に鑑み、

    山縣の当初の関心事は沖縄を要塞化することによって

    日本の南の側面を外国勢の侵略から守ることだった

    (これは対馬が朝鮮の近くに位置することによって、日本の西の側面が守られるという見方と共通するものだった)。

    当時の列強の指導者に課せられた最重要の任務は、

    自国あるいは自国が統治する地域を死守する事にあった点は強調されなければならない。』

    china1910.jpg

    『 次に重要なのは、山縣は活気ある生産的な経済は、

    新規に獲得した領土を日本の要塞として機能させることと密接にかかわっていると信じていたことだ。

    …山縣は、あらゆる国家の経済力は、

    その国家特有の地形によって育まれた諸産品に依存できるか否かにかかっていると指摘している。

    沖縄にとって、それはサトウキビの生産、畜牛と馬の飼育、雑穀の栽培、織物の生産、さらには石炭の採掘を意味した。

    山縣は、これら諸産品の販売が日本と沖縄の双方を「補益」する状況を心に描いていたが、
    これは日本の植民地政策を理解する上で決定的に重要なことなのである。

    ここに、我々は日本の植民地政策における「相互(補益)主義」

    最も明確な表現を見ることができる。

    双方を益することを目論んだこの取り決めは、

    さらには沖縄の人々に自らの土地および日本を防衛する強い動機を与えるという、追加的な効果をもたらすのである。』

    Yamagata_Aritomo.jpg
    山縣有朋

    『 大隈重信の朝鮮政策には、以下に記すとおり、

    経済発展とそれによってもたらされる恩恵双方にとって有益となるとした山縣の力点を

    補強する視点が含まれている。

    われわれの朝鮮政策を、永続的な成果を伴うものにするためには、第一に、それは経済の発展との調和の下になされなければならない。…個人間における真に有益な取引では双方がともに有益者となる。これは、国家においても同じことである。…(われわれは)隣国、それも特に朝鮮を犠牲にしてわが国を偉大にすることは、決してできないのである。』

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    原敬
    原敬は、日本の朝鮮統治政策に関して重要な意見を述べた明治政府のもう一人の要人である。

    1911年、原は…自らの朝鮮感を述べている。

    …原は朝鮮人の同化の必要性を強調したが、

    これは明治政府が新たに獲得した沖縄に対処する際に、山縣が当初の目標として語った方針を想起させる…

    原は、朝鮮人は同化させ得るしさせなければならないから、

    朝鮮は一般的に受け止められている意味での

    単なる゛植民地゛とみなされてはならないと主張した。

    …朝鮮の人々の日本語能力のレベルを高めて日本人と同じ教育を施すことこそが

    本格的な同化のための解決策だった。

    …日本語能力が十分なレベルに達した暁には、

    朝鮮人は朝鮮における府県の行政に参画することが望ましいと語った。

    …さらに、朝鮮人議員が将来帝国議会に進出することには何の問題もない

    要するに原は、朝鮮を、日本に編入された北海道や沖縄と゛同等゛に扱うことに

    何の障害も考えられないと断言したのである。』

    学校の先生方が妄想しているような欧米型植民地は、実は日本には無かったんですね♥



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