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     >  日本 >  夏目漱石の書いたものなどを読めばわかること ~ 夏目漱石の「倫敦消息」と「倫敦塔」

    夏目漱石の書いたものなどを読めばわかること ~ 夏目漱石の「倫敦消息」と「倫敦塔」

    ロンドン塔
    ロンドン塔(ロンドンとう、Tower of London)は、イギリスの首都のロンドンを流れるテムズ川の岸辺、イースト・エンドに築かれた中世の城塞である。

    正式には「女王陛下の宮殿にして要塞」(Her Majesty's Royal Palace and Fortress)と呼ばれるように、現在も儀礼的な武器などの保管庫、礼拝所などとして使用されている。その景観から「ホワイト・タワー」とも呼ばれる。世界最大級のカット・ダイヤモンド「カリナン」はここで保管されている。

    1066年にイングランドを征服したウィリアム1世が1078年にロンドンを外敵から守るために堅固な要塞の建設を命じ、本体は約20年で完成した。その後、リチャード1世が城壁の周囲の濠の建設を始め、ヘンリー3世が完成させた。

    長い歴史の間に国王が居住する宮殿として1625年まで使われ、その間、14〜19世紀にかけては、造幣所、天文台でもあり、1640年までは銀行、13世紀から1834年までは、王立動物園でもあった。なお、ロンドン塔に最後に居住した王はジェームズ1世とされる。

    また1282年からは、身分の高い政治犯を幽閉、処刑する監獄としても使用されはじめ、やがて14世紀以降は、政敵や反逆者を処刑する処刑場となった。第二次世界大戦中の1941年から1944年にかけては、対英和平交渉を結ぶべくドイツから単独で飛来し捕虜となったルドルフ・ヘスが幽閉された。

    現在もイギリス王室が使用している宮殿であるが、ロンドン観光の目玉になるほど観光客も多く、内部にある建物の幾つかは、世界最大のダイヤモンド「偉大なアフリカの星」など様々な歴史的展示物を陳列して、見学できるようになっている。1988年にはユネスコの世界遺産に登録されている。すぐ近くには、世界的にも有名な跳ね橋であるタワーブリッジがある。

    ロンドン塔とタワーブリッジ
    ロンドン塔とタワーブリッジ






    戦後の日本人は、正しい歴史を学校で教わって来ませんでした。

    そして、現代のメディアもまた、嘘の情報を流し続けています。

    私たち日本人は、親日的な立場に立ち、正しく認識し直し、

    客観的に情勢を判断する必要があります。

    それでは、この書物を見ていきましょう!




    『 ひとつ大事なのは、【明治期以降の留学が特権獲得のための物見遊山(ものみゆさん)になってしまっていること】です。

    悩む女の子2

     日本ではあまり言われませんが、【留学というのはマインド・コントロール合戦】です。

    驚き顔

    本当は日本でも【夏目漱石の書いたものなどを読めばわかること】なんですけど。

    夏目 漱石
    夏目 漱石

    北京大学で北朝鮮からの留学生日本人留学生どちらがまじめに勉強しているかを見れば一目瞭然です。【日本人留学生ははっきり言って、単なる語学留学で物見遊山】の人がいっぱいいる。

    驚き顔

    でも、北朝鮮留学生は命懸けです。成果を持って帰らなければ一家ごと銃殺になりかねない。少なくとも「お国のために」という意識で来ています。…

    驚き顔

     本来、【留学というのは戦をするのと同じくらいの覚悟が要ります】。留学生を迎える側ももちろん同じです。

    ポイント

    アメリカだってそうですよね。カネに飽かして世界中から優秀な人間を集め、彼らの能力を吸い上げて国を維持していますし、あわよくば星条旗に忠誠を誓わせようぐらいのことをやっている。

    【留学生が肩で風を切って歩いているなんて、日本ぐらいのもの】です。…

    驚き顔

     幕末木戸や伊藤が留学したときは短期間で本質を見抜いて帰ってきた

    伊藤博文
    伊藤博文

     そのころの日本の留学生は命懸けで外国の最新技術を学んでいます。【自分たちが勉強するのは国を守るためだという意識がある】。…

    ポイント

     こういう意識どんどんなくなっていって、【留学は帝国大学の教授の特権】になってしまった。既に明治時代からこういう劣化が始まっているんです。

    ポイント

    【帝国大学の教授と陸海軍の軍人は必ず外国を見られるようになっていました】。西郷隆盛の弟の従道(つぐみち)が「兄貴に一回でもいいから外国を見せてやりたかった」と言っているぐらいですから、一回も見ていないのはさすがにまずいと思いますが、【行っても語学バカと権威主義者が帰ってくるだけというのでは意味がない】ですよね。

    岩倉使節団 左から木戸孝允、山口尚芳、岩倉具視、伊藤博文、大久保利通
    岩倉使節団 左から木戸孝允、山口尚芳、岩倉具視、伊藤博文、大久保利通

    【勉強するのは戦さと同じだという意識のある人たちは全然違います】岩倉使節団は失敗ですが、そのとき行った【大久保利通】は「一度は外国をこの目で見たい」と言ってイギリスに行き、「こんな国にどうやって追いつけるんだ。とにかく経済だ。殖産興業だ」と決意して帰ってくる。イギリスはすごすぎていきなりは真似できないから、新興大国のドイツをまず手本にする。…

    大久保 利通
    大久保 利通

     この前、NHKで大久保利通の話をやっていました。…富国強兵、殖産興業で一人で突っ走って、周りがついて来られなかった、という内容でした。…

     それはその通りだと思います…ついでに言うと、大久保は孤独に強いんです。【昭和のエリートはサークルの中でみんな仲良くしていないと耐えられない】し、松岡洋右(ようすけ)のような人が出てくると排除してしまうんですが、大久保は孤独に耐えぬいてしまう。西郷隆盛を切ったのも私利私欲じゃない。

    松岡洋右
    松岡洋右

     明治4年(1871年)の廃藩置県もそうです。国を守るためには、藩がたくさんあってお殿様がお金を持っているような体制ではダメだ、中央集権にして国防を固めなければダメだと言って、バーンとやってしまう。【もう一度明治維新をやれと言われたってできないですよね】。…

     教育そのものもよかったけれど、その教育を受けている人たちの意識も高かったんです。…

     【自分の命より責任が重い人というのが、ほぼ全人類の歴史に共通のエリートの定義で、…会津の白虎隊もそういう意味でのエリートです】帝国大学ができてから、そのエリートの定義世界に類を見ない変なものになってしまいましたが。

    ポイント

     白虎隊に入った武士の子どもたちは、農民は逃げていいけれど、自分たちはいざというとき【死ななければいけない】といって集まった本来そういう人がエリートなんです。

    ポイント

    20150822104027.jpg

    東京大学でこれを言うとものすごく嫌われますけどね。

    「俺は私学だから、お前らが先に死ねよ」

    と言うと、

    「いや、そんな事言わずに平等で」

    と必ず言うんです。なんでそこだけ平等なんだ。…

    驚き顔

     税金で勉強させてもらっているんだから、責任がより重くないといけないですよね。

    小室直樹
    小室直樹

     小室直樹さんがずっと、【高級官僚になる国Ⅰの試験に切腹の作法を入れろ】と言っていました。今の霞ヶ関でそんなこと言ったらジェノサイドになりそうですけど。』

    日の丸

    いかがでしょうか?

    私たちの日本の教育の元凶が、どこにあるのかを御理解いただけたと思います♥

    「日本ではあまり言われませんが、留学というのはマインド・コントロール合戦です」と著者は述べています♥

    「本当は日本でも夏目漱石の書いたものなどを読めばわかること」、ともありますね♥

    悩む女の子2

    では、実際に見てみましょう♥

    以下は、こちらからの抜粋となります♥

    倫敦消息

    「 (前略)それだから今日すなわち四月九日の晩をまる潰つぶしにして何か御報知をしようと思う。報知したいと思う事はたくさんあるよ。こちらへ来てからどう云うものかいやに人間が真面目まじめになってね。いろいろな事を見たり聞たりするにつけて日本の将来と云う問題がしきりに頭の中に起る。柄がらにないといってひやかしたまうな。僕のようなものがかかる問題を考えるのは全く天気のせいや「ビステキ」のせいではない天の然らしむるところだね。この国の文学美術がいかに盛大で、その盛大な文学美術がいかに国民の品性に感化を及ぼしつつあるか、この国の物質的開化がどのくらい進歩してその進歩の裏面にはいかなる潮流が横わりつつあるか、英国には武士という語はないが紳士と〔いう〕言があって、その紳士はいかなる意味を持っているか、いかに一般の人間が鷹揚おうようで勤勉であるか、いろいろ目につくと同時にいろいろ癪しゃくに障さわる事が持ち上って来る。時には英吉利イギリスがいやになって早く日本へ帰りたくなる。するとまた日本の社会のありさまが目に浮んでたのもしくない情けないような心持になる日本の紳士が徳育、体育、美育の点において非常に欠乏しているという事が気にかかるその紳士がいかに平気な顔をして得意であるか、彼らがいかに浮華であるか、彼らがいかに空虚であるか、彼らがいかに現在の日本に満足して己らが一般の国民を堕落の淵ふちに誘いつつあるかを知らざるほど近視眼であるかなどというようないろいろな不平が持ち上ってくる。せんだって日本の上流社会の事に関して長い手紙を書いて親戚へやった。しかしこんな事はただ英国へ来てから余慶よけいに感ずるようになったまででちっとも英国と関係のない話しだし、君らに聞せる必要もなし、聞きたい事でもなかろうから先ぬきとして何か話そう。何がいいか、話そうとすると出ないものでね、困るな。仕方がないから今日起きてから今手紙をかいているまでの出来事を「ほととぎす」で募集する日記体でかいて御目にかけよう。出来事だって風来山人の生活だから面白おかしい事はない、すこぶる平凡な物さ。「オキスフォード」で「アン」を見失ったとか、「チェヤリングクロス」で決闘を見たとか云うのだと張合があるが、いかにも憫然びんぜんな生活だからくだらない。しかし僕が倫敦ロンドンに来てどんな事をやっているかがちょっと分る。僕を知っている君らにはそこに少々興味があるだろう。」

    ※この「倫敦消息」は、夏目漱石による短編で、初出は「ホトトギス」(1901年)です。1900年からイギリスに留学していた漱石が「子規の病気を慰めんが為に」親友の正岡子規に書き送った日記形式の手紙を元としていて、子規がこの手紙に「倫敦消息」というタイトルをつけて「ホトトギス」に載せました。内容は、ロンドンでの下宿生活の日常と世界情勢が描かれています。



    いかがでしょうか?

    完全に敗北している夏目漱石の姿がよく理解できますね♥

    ですが、明治37年(1904年)の暮れに書かれた、もう一つの作品があります♥それが、「倫敦塔」です。明治33年(1900年)~明治35年(1902年)までの2年間の留学時代のロンドン塔見物を題材にした作品です。夏目漱石がイギリス留学で得たもの、それはなんだったのでしょう♥
    是非ご一読ください♥

    「 二年の留学中ただ一度倫敦塔ロンドンとうを見物した事がある。その後ご再び行こうと思った日もあるがやめにした。人から誘われた事もあるが断ことわった。一度で得た記憶を二返目へんめに打壊ぶちこわすのは惜しい、三みたび目に拭ぬぐい去るのはもっとも残念だ。「塔」の見物は一度に限ると思う。
     行ったのは着後間まもないうちの事である。その頃は方角もよく分らんし、地理などは固もとより知らん。まるで御殿場ごてんばの兎うさぎが急に日本橋の真中まんなかへ抛ほうり出されたような心持ちであった。表へ出れば人の波にさらわれるかと思い、家うちに帰れば汽車が自分の部屋に衝突しはせぬかと疑い、朝夕あさゆう安き心はなかった。この響き、この群集の中に二年住んでいたら吾わが神経の繊維せんいもついには鍋なべの中の麩海苔ふのりのごとくべとべとになるだろうとマクス・ノルダウの退化論を今さらのごとく大真理と思う折さえあった。
     しかも余よは他の日本人のごとく紹介状を持って世話になりに行く宛あてもなく、また在留の旧知とては無論ない身の上であるから、恐々こわごわながら一枚の地図を案内として毎日見物のためもしくは用達ようたしのため出あるかねばならなかった。無論むろん汽車へは乗らない、馬車へも乗れない、滅多めったな交通機関を利用しようとすると、どこへ連れて行かれるか分らない。この広い倫敦ロンドンを蜘蛛手くもで十字に往来する汽車も馬車も電気鉄道も鋼条鉄道も余には何らの便宜をも与える事が出来なかった。余はやむを得ないから四ツ角へ出るたびに地図を披ひらいて通行人に押し返されながら足の向く方角を定める。地図で知れぬ時は人に聞く、人に聞いて知れぬ時は巡査を探す、巡査でゆかぬ時はまたほかの人に尋ねる、何人でも合点がてんの行く人に出逢うまでは捕えては聞き呼び掛けては聞く。かくしてようやくわが指定の地に至るのである。

    「塔」を見物したのはあたかもこの方法に依らねば外出の出来ぬ時代の事と思う。来きたるに来所らいしょなく去るに去所きょしょを知らずと云いうと禅語ぜんごめくが、余はどの路を通って「塔」に着したかまたいかなる町を横ぎって吾家わがやに帰ったかいまだに判然しない。どう考えても思い出せぬ。ただ「塔」を見物しただけはたしかである。「塔」その物の光景は今でもありありと眼に浮べる事が出来る。前はと問われると困る、後あとはと尋ねられても返答し得ぬ。ただ前を忘れ後を失しっしたる中間が会釈えしゃくもなく明るい。あたかも闇を裂さく稲妻の眉に落つると見えて消えたる心地ここちがする。倫敦塔ロンドンとうは宿世すくせの夢の焼点しょうてんのようだ。

     倫敦塔の歴史は英国の歴史を煎せんじ詰めたものである。過去と云う怪あやしき物を蔽おおえる戸帳とばりが自おのずと裂けて龕がん中の幽光ゆうこうを二十世紀の上に反射するものは倫敦塔である。すべてを葬る時の流れが逆さかしまに戻って古代の一片が現代に漂ただよい来れりとも見るべきは倫敦塔である。人の血、人の肉、人の罪が結晶して馬、車、汽車の中に取り残されたるは倫敦塔である。」


    ロンドン塔のワタリガラス
    ロンドン塔のワタリガラス(←「倫敦塔」に出てきます)

    カイツブリ
    カイツブリ(←「倫敦塔」に出てきます)

    続きは、こちらから♥

    倫敦塔



    で、昨日も触れましたが、わざわざ、ハーバード大学に留学し、見事に洗脳されて戻ってきたヒトの一例がこちらです♥

    「 戦後政治の大物としては、加藤紘一が挙げられる。加藤紘一は1967年にハーヴァード大学大学院で修士号を取得している。父親(加藤精三)も自民党の代議士であった加藤紘一は、東大卒業後、外務省に入省し、国立台湾大学大学院とハーヴァード大学大学院に派遣された。いわゆるチャイナスクール(中国語を学ぶコース)の一員だった。加藤は1990年代を通じて、宏池会の領袖として、総理大臣への就任が確実視されていた。しかし、2000年に起きた加藤の乱の失敗によって、総理大臣への途は閉ざされた。…
     岡田克也と…江田憲司は現在、それぞれ野党の大物議員だ。二人は共に通商産業省(現・経済産業省)の官僚時代にハーヴァード大学ウェザーヘッド国際問題研究所に研究員として派遣されている。その時期も入れ違いである。

    民主党

     岡田は1985年から86年にかけての1年間、国際問題研究所に研究員として派遣された。ケネディスクールで日本研究者のロナルド・ドーアとエズラ・ヴォーゲルの授業を受けている。江田憲司は1987年から1988年にかけて国際問題研究所に留学している。

    民主党 2

     江田のハーヴァード大学時代、寮でルームメイトとなったのが、マイケル・フロマンである。フロマンはハーヴァード大学法科大学院時代にオバマと同級生であった。フロマンは、オバマ政権入りする前はシティバンクに勤務し、その後、オバマ大統領補佐官となった。現在は、TPP交渉を指導する米国通商代表部(United States Trade Representative , USTR)代表を務めている。…

     『日米同盟の正体』や『戦後史の正体』の著者、孫崎享(まごさきうける)もまた、外務省に勤務していた1985年から86年にかけてハーヴァード大学国際問題研究所に研究員として派遣されていた。孫崎と岡田克也は同時期、国際問題研究所に在籍していたということになる。」


    孫崎享
    孫崎享

    詳しくはこちらをご参照♥

    ハーバードで学んでくるモノ


     

    もう、ウンザリですね♥

    うんざり


    続きは次回に♥




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    髪の毛 * by 田中好子
    日本人がお好きで、西洋人がお嫌いなようですが、なんで髪の毛を毛唐の様に染めた日本女性の写真ばかり使うのですか?ご自分のお写真をお使いになったらいかがですか?

    Re: 髪の毛 * by みっちゃん
    田中さん、御訪問ありがとうございます♥
    髪の毛の色ですが、あんまり気にしたことがないんです♥
    髪の毛の色だけで、国籍が決まるわけでもありませんし、民族が違ってくるわけでもありませんし。。。
    もとより、肌の色だって気にしていないのが私たち日本人なんです♥
    田中さんは、髪の毛の色がそんなに気になるんですか?
    今時の若者が聞いたら、卒倒しそうな発言ですね♥
    それほどまでに、髪の毛の色を気にされるということは・・・
    ひょっとして? 異人さんでしょうか♥
    いかがでしょうか♥

    コメント






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    髪の毛

    日本人がお好きで、西洋人がお嫌いなようですが、なんで髪の毛を毛唐の様に染めた日本女性の写真ばかり使うのですか?ご自分のお写真をお使いになったらいかがですか?
    2016-01-14 * 田中好子 [ 編集 ]

    Re: 髪の毛

    田中さん、御訪問ありがとうございます♥
    髪の毛の色ですが、あんまり気にしたことがないんです♥
    髪の毛の色だけで、国籍が決まるわけでもありませんし、民族が違ってくるわけでもありませんし。。。
    もとより、肌の色だって気にしていないのが私たち日本人なんです♥
    田中さんは、髪の毛の色がそんなに気になるんですか?
    今時の若者が聞いたら、卒倒しそうな発言ですね♥
    それほどまでに、髪の毛の色を気にされるということは・・・
    ひょっとして? 異人さんでしょうか♥
    いかがでしょうか♥
    2016-01-14 * みっちゃん [ 編集 ]